三十三話 「富に招かれし者 その2」
「あなたたちは軍人なの?」
「うーん、軍人ってわけじゃないんだけど…何て言えばいいのか…」
エリスに問い詰められ、答えに窮する志郎。しかし、エリスはさらに食いつく。
「普通じゃないわ、あなた」
「え? そ、そうかな」
「すごい力を感じるわ。残念だけど、あっちの黒いほうもね」
エリスは二人が【違う】ことに気がついていた。軍人の中に普段着の人間がいれば目立つのは当然なのだが、それ以上の何かを感じる。もっと強いエネルギーのようなもの。特に志郎などは小さいのに雄々しい何かを感じさせる。
彼女が志郎を選んだのは、けっして外見がどうこうではない。外見だけ見れば垢抜けていない純朴な青年にしか見えない。
しかしそんな彼が、この場でもっとも強いエネルギーを秘めていることに惹かれたから自然と目に入ったのだ。外見では測れない、奥底に秘めた力強さ。
それはまるで自分のようであったから。
エリスは無意識のうちに志郎と自分を重ねて見ていたのだ。彼を選んだのは、そうした理由もある。
(ほぉ、ただのお嬢様ってわけじゃないようだな。志郎の力を見抜くとは、なかなかだ)
デムサンダーはエリスの内面を見る目に感心する。相方の志郎は、その外見から相手に軽く見られがちであるが、秘めた力はデムサンダーを凌ぐものがあるほどだ。
そうした要素を見抜いたエリスを少しばかり見直す。そして、デムサンダーはエリスが自分たちの中にある【大きな意思】に感づいたことを悟った。
(そりゃ、普通の人間が俺たちに近寄るわけもないか。近しいものがあるんだ)
エルダー・パワーは正統なる武を継承する者たちであるが、組織としては裏、闇に属する存在である。歴史の陰に潜み、密かにダマスカスを守る存在なのだ。
それに近づけるということは、エリスもまた普通ではないことを意味している。普通ならば、他の兵士のように距離を取ろうとするものだ。存在が違うことを無意識に悟るからだ。
(それに、案外伸びるかもしれねえな、こいつは)
エリスの武人としての能力が低いのは、あくまで現段階での話である。ディズレーも検査の結果を見て、そう判断したにすぎない。
しかし、人間の可能性というのは簡単に測れるものではない。何がきっかけで覚醒するかわからないのだ。さすがにまだ常人レベルなので、内包された戦気までは見えていないだろうが、自分たちのオーラが常人とは異なることはわかっているようだ。
つまり、彼女にも高い武人の素質がある。
デムサンダーが見たぶんには、まだその資質は非常に小さい胚芽の状態である。ゆらゆらと小さなかがり火が、ようやく灯った段階にすぎない。だが、だからこそまだまだ伸びる可能性がある。
「で、あなたたちは何者なの?」
「えーっと…僕たちは外部の人間なんだけど、今回は助っ人に来ているのさ」
エリスの追及が止まらないので、仕方なく志郎は最低限の情報を開示することにする。あくまで最低限であるが。
「助っ人? あなたが?」
ただ者ではないと思ってはいたが、さすがに助っ人という言葉には驚く。周囲は武装した兵士だらけなのだ。助っ人ということは、彼らでさえ対応できない事態に対応できる何かを持っていることになるからだ。
「僕たちは、ちょっと特別な格闘技の道場の出身でね。それが必要になることがあるかもしれないってことなんだ」
「ふーん…だからなのかしら」
エリスは、志郎に宿る力が「そういったもの」であることを本能的に察していた。志郎は小さいのに、なぜか周りよりも強そうに見えるのだ。その理由がわかって、少しだけ納得する。
ダマスカスでも格闘技の道場は普通に存在し、ボクシングや柔道のようなものもある。戦士の資質を持つ者がいれば、一部の道場では覇王技も教えてくれるだろう。
ただし、やはり基本までなのだ。仮にそれ以上の力を持つ者がいれば、秘密裏にエルダー・パワーの調査員が向かうことになっている。
奥義や秘術を扱うとなれば資格が必要となる。悪用されればとんでもないことになるので、まずはその【心】を試さねばならない。失格だと判断されれば、最悪排除されることもあるほどに厳しい掟がある。
そういった意味合いでは、エルダー・パワーはすべての道場の監視官であり、元締めのような立場にあるといえる。しかし、それらは恐怖ではなく、畏怖と尊敬によって成り立つ関係である。
ダマスカスで武芸に関わる者は、総じて紅虎丸を敬愛しているものだ。その直接的な力を受け継いだマスター・パワーには、誰もが尊敬の眼差しを向けるものである。
赤虎が駄目だといえば、どんな事情があってもすっぱり切られるほどに影響力がある。それが正しいと知っているからだ。
「エリスさんは武芸の心得は? 訓練しているんでしょう?」
「エリスでいいわよ、志郎。武芸は一通り習ったけど、続いたのはジャーリードくらいかしら」
エリスは軍人の家系ということで幼い頃から武を学んでいる。いくつか学んだ中で一番しっくりきたのが合気道、さらに合気道の中でもより攻撃的だといわれているジャーリードと呼ばれる武を学んだ。
コンバットサンボに似たもので、打撃・投げ・極め有りの、はっきりいえば何でもありの武術である。ただ、どちらかといえば相手を転ばせたり制圧したりすることに向いているので、実戦で使うためにはナイフのような武器との併用が望ましいとされる。
ドレスで隠れてはいるが、エリスの腰にはやや長めのナイフが二本装備されている。相手を転ばせ、ナイフでとどめを刺すのが基本の戦闘スタイルなのだ。
「へぇ、ジャーリードか! いいね!! あれはいいものだよ!」
今までおとなしくあった志郎が突如食いつく。実は志郎は、格闘技には目がないのだ。
「な、なんですの。顔が近いですわよ!」
急に顔を近づけられ、思わず年頃の少女らしい反応をしてしまうエリス。強がっていても、やはり少女であることには変わらないようだ。
「あっ、ごめん。つい嬉しくてね。僕は【柔術】を使うんだ」
志郎はエルダー・パワーの戦士第七席に位置する武人である。ちなみにデムサンダーは戦士五席。
戦士として腕力に優れているわけではない志郎が選んだのは、より効率的に相手を制する柔術であった。
戦場ではなかなか組み合う余裕がないので、戦士の攻撃は殴る蹴るが主体となりがちだが、当然ながら覇王技の中には投げる・極めるといった技もある。
しかし、こうした技は地味なためか、道場に通う戦士志望の人間にはあまり受けがよくない。多くの門下生は、だいたい派手な格闘術を学ぼうとするので、実際に柔術を体得している武人の数は少ないのが現状だ。
ただ、組み技は熟練すれば相当に強力な技であり、エルダー・パワーにおいては集団戦闘術の領域にまで昇華されている。志郎はそれを体得している達人である。
そして柔術は、打撃系のデムサンダーと組むことで強力な力を発揮する。志郎が相手を崩したところにデムサンダーの強力な打撃を与えれば、いかに強靭な武人であろうともただでは済まない。この二人は相性抜群なのだ。
まさに凸凹コンビであるも、だからこそ最高に噛み合う。デムサンダーも志郎のことを最高の相棒だと思っているので、常に二人組で動くことをマスター・パワーに承認されているほどだ。
ただ、やはり柔術は地味なので、志郎と師範しか扱える人間はおらず、日々寂しい思いをしていたのは事実である。毎回同じ人間と組み手をやっても、やはり飽きるものだ。
だからエリスがジャーリードをやると知って、素直に嬉しいのだ。志郎の中では、エリスがただの護衛対象から「同好の士」となった瞬間であった。
「ねえ、仕合ってみようか! どんな技使うの!? ねえ、ねえ!」
「ちょっと、私はドレスですわよ」
エリスはドレスだ。スカートである。投げても投げられても見えてしまう。いくら軍人の家柄でも、若い彼女には恥ずかしいだろう。
「あっ、ごめん。ついうっかり」
根っからの格闘技好きな志郎は、それ以外のことにはあまり頓着しない性格である。
彼がアズマを気にするのは、武に対しての姿勢が似ているせいもあるのだろう。唯一異なる点は、アズマがどんな相手でも敵であれば殺せるのに対して、志郎はそれができない点だけである。
「まったく、抜けている人ですわね。そんな様子で警護が務まるのですか?」
「僕だって少しは役立つんだけどな」
そう言って笑う。その笑顔は素朴で、人を安心させる力が宿っていた。そのおかげかエリスの中にあった妙に張りつめていた緊張感が薄れていく。
「ねえ、エリスはどんな技が好きなの? ドレスでもできる技ってあるの?」
仲間だと認識した瞬間から、志郎の距離は一気に近くなった。一応、今までは他人行儀だったのである。実際の彼はとても人懐こく、同じ里の人間に対しては触れ合うほどに近い距離を好むのだ。
(この距離感…近すぎますわね)
ほぼ密着するような距離で屈託のない笑顔を向ける志郎。さすがに近すぎる。
人間には、他人に一定の距離に入られると不快に感じる、パーソナルスペースというものがある。今までエリスは自分の中に大きな壁を作って生きてきたので、これが異様に広いのだ。
執事のディズレーはともかく、関係ない他人が半径二メートルに入ろうものならば、敵意をもって排除するほどに強力な領域である。兵士たちも、そうした激しい拒絶を感じたからこそ近寄れなかったのだ。
しかし、目の前の青年は、ごくごく自然にそこに入ってくる。まるで昔からの友達のように、あるいは家族かのように。
(…嫌いじゃない…ですわね)
本来ならば拒否するところであるが、なぜかエリスには不快に思えなかった。戸惑うのは慣れないからであって、嫌いだからではない。
こんな感情を抱くのは久しぶり。そう、父親以外にはけっして許さない距離感だったのだから。
「あなたは自然なのね。だから強いんだわ」
「どういう意味?」
「いいえ、いいの。もうわかったから」
志郎には害意がないのだ。友好的で他意がなく、エリスを利用するつもりなどまったくない。同時に迷惑とも思っていない。むしろ純粋な興味をもって接してくれる。
それは彼が自然体だからだ。
人は自然の風を受けたとき、心地よいと感じる。心が洗われた気分になる。もっと浴びたいと思う。着飾ることをしない自然は、ありのままの自分を教えてくれるからだ。
だから彼は強いのだ。
小さくても大きく見えるのだ。
それに気がついた時、彼女は決断した。
「馬鹿馬鹿しいですわ」
そう言って、ドレスのスカートを破いた。
「ええ!? どうして破ったの! 何がわかったの!?」
何がわかったのか理解できない志郎は動揺。すでに見えそうになっているほど短くなってしまったドレスの丈に目のやり場に困る。
だが、エリスはそんなことは気にもせず、ディズレーに合図を送る。
「ディズレー、着替えます」
「はい、お嬢様」
そう言ってディズレーは持っていたトランクを開き、簡易更衣室を取り出して設置する。志郎もなんか大きいなーと思っていたのだが、こんなものを入れていれば大きいのも当然である。
エリスは中に入り、着替え始める。周囲の軍人は、それをパンダでも見るような奇異の視線で見物していたが当人は気にしないようだ。
「女ってものは、もっと恥じらいがあったほうがいいと思うんだがな」
そうデムサンダーは思うが、エルダー・パワーの面々は女性であっても基本的に武に特化しているので、そうした恥じらいにはまずお目にかかれない。
アミカにしてもチェイミーにしても、どこか一般の女性とは感性が違うのだ。里の中を上半身裸で歩くなど往々にしてあるし、チェイミーは全裸でいることもたまにある。
それゆえかともに暮らす家族ゆえか、デムサンダーは里の女性に恋愛感情を抱いたことがない。当然、志郎もそうだろう。それと比べればまだましだが、エリスも彼女たちと同じタイプであるのが残念でならない。
そして、着替えたエリスが出てきた。
シャツに厚手のジャケット、パンツスーツといった身軽な姿である。杏色の美しい長髪も三つ編みになっていた。これがいつもの彼女の姿なのだろう。
それだけならばよいのだが、なぜかそれらは迷彩色で統一され、腰にはナイフだけではなく、さりげなく手榴弾や短銃まで装備されていた。明らかに軍人仕様である。周囲に混ざっても違和感がない。
「エリス、戦争でもしに行くのかい?」
と志郎が言いそうになったのをぐっと我慢する。
「こっちのほうがいいでしょう?」
「そ、そうだね。でも手榴弾はいらない気がするけどね」
「いざというときのためですわ」
その「いざというとき」がどんなときかわからないが、表情はさきほどよりも生き生きとしており魅力的に映る。これが本来のエリスなのだろう。
「これは閣下! はい。…ええ、はい。問題ありませんが…は? はい。表から見るぶんには…」
志郎たちがアピュラトリスの入り口前に設置してある作戦本部に入ると、一人の男が電話中であった。
男の電話相手はかなり上の人間のようで、声がやや緊張している。男は入ってきた志郎たちを見ると、目で少し待てと合図を送る。
「電話中みたいだね。少し待とうか」
その様子を見た志郎はエリスたちを応接室に案内する。
この作戦本部は軍隊が使っている簡易式のコテージで、すぐに組立解体ができる便利なものである。
ただコテージとはいえ、比較的大きいタイプなので五十人くらいの人間なら簡単に収容できるようだ。さらに特殊な合金が使われており、普通の弾丸くらいでは倒れることはない強度を誇る。
年々軍事費は削られているものの、ところどころには「さすがダマスカス」という装備がふんだんに使われているのが見て取れる。
「ディム、すごいよ、これ! 沈むよ」
「うちのボロ椅子とは雲泥の差だな」
志郎たちが座ったソファーもなかなか高級品であった。
エルダー・パワーがいる小さな村にあるのはくたびれた椅子か、すでに何十年も変わらずに鎮座する座布団くらいなもの。それとはまったく違う座り心地に地味に感動する。
一度新しい布団の購入を師範に訴えたことがあるが、「なんなら毎日野宿でもいいんだぞ」と脅され、泣く泣く清貧に甘んじている彼らにとっては感動しかない。
「貧乏臭いですわね。こんなもので感動しないでくださいな」
そう言うエリスも、自分の家よりも沈むソファーに埋もれているが。
「私は招待客ですよ。待たせるとはマナー違反ではなくて」
「客ってのは謙虚であるべきじゃないのかね」
エリスの言葉にデムサンダーがつっこむ。なんだかんだいってエリスの存在にもすでに馴染んでいるようだ。
エルダー・パワーには孤児が多いので、新しい子供ともすぐに仲良くなれる土壌がある。そういった一体感は、志郎にとっても誇れるものであった。




