二十六話 「ヨシュアの憂鬱 その2」
「ううむ、残念です。あなたならばと思ったのですが…」
「そんなに私を剣聖にしたいのですか?」
ヨシュアにはラナーの考えがよくわからない。剣聖はたしかにステータスであるが、正直通り名ができただけでもこの有様である。剣聖にもなればさぞかし大変だと容易に理解できる。
ラナーにはきっと何か深い理由が…
「剣聖が増えれば、師匠の世話も分担できると思ったのですが…」
「お断りいたします」
即答である。
さきほどの光景を見て、進んで関わりたいと思う人間はカーシェルのような変わり者だけだろう。ヨシュアはノーマルを自負している。謹んで断固として断るつもりだ。
「私にはまだまだ遠い世界です。それに私はラナー卿には及びません」
その言葉にラナーは目を鋭くする。こと剣にかけてはラナーは一流である。女性との関わりがない彼には、剣だけが命なのだ。
そんな彼だからこそ、これだけは言っておかねばならなかった。
「たしかにあの時は私が勝ちました。しかし、あなたが【本気だったならば】どうだったでしょうか?」
戦いの後半、ヨシュアの鋭い突きがラナーを襲った。ラナーは直感的にそれが避けられないものだと悟り、敗北を受け入れたのだ。
しかし、結果は逆になった。
ヨシュアが寸前で勢いを殺したからだ。ラナーも一流の剣士。無意識にその隙を突いて勝ちを拾ったが。あくまで拾いもの。与えられたものだった。
「私は、恵んでもらった勝利を喜ぶほどお坊っちゃんではありませんよ」
ロイゼンの観衆は喜んだ。国王も法王も喜んだ。しかし、ラナーはヨシュアの強さを賞賛しながらも、すっきりしない気持ちでいたのだ。
すでに剣聖であるラナーは名声を欲していない。求めているのは純粋な勝利。できれば死力を尽くして戦いたいと思うのは当然である。いや、それが武人の義務なのだ。
「いえ、あれは…」
必死で弁明しようとするが、いまさら何を言っても聞いてはくれないだろう。
ラナーにとってみれば屈辱でしかないのだ。それでもこれくらいで済んでいるのは、ラナーの人格に寄るところが大きい。粗野な人間ならば激怒してもおかしくないのだ。
「どうすればあなたが本気になってくださるのか、あれからずっと考えているのです。またいつか再戦を受けてもらいたいものです」
その言葉にはヨシュアは頭を抱える。
今でも多くの人間に勝負を挑まれているのに、ラナーにまで狙われてはたまらない。かといって、勝ちを譲ったのは事実である。ラナーの気持ちは剣士として当然。むしろヨシュアが泥を塗ったのだから、むげに拒むのも無礼になるだろう。
ただ、ヨシュアにも言い分はある。ヨシュアは最初から勝つ気がなかったのだ。あくまで練習。自分の技がどこまで通用するか試したかっただけにすぎない。
あの時の戦いも、ハイテッシモのパワーに翻弄されそうになり、慌てて制御したら突きの勢いが死んだのだ。つまりはヨシュアの未熟さゆえの失態である。
が、それを伝えたところでラナーが納得するわけもない。どうすればよいのかと迷っていたところ、思ってもみない珍客がやってきた。
ゴールデンイエローの髪を無造作に肩で切りそろえ、緋色のぴっちりとしたフォーマルスーツを着た女性。
こう言うとやり手の女性秘書官などを想像するが、サイズが小さい。とても小さい。身長もエシェリータよりやや高い程度、ほぼ小学生サイズである。ただ、小柄ながらも身体は引き締まっていることが服の上からでもよくわかる。
「なんじゃ、おぬしもいたのか」
少女はラナーを見て(見上げて)、気安く声をかけた。
「はい、ローゲンハイム卿に会いにきました」
ラナーもその少女に声を返す。久しぶりに会う、見知った友人同士の会話のような軽い雰囲気だ。
「わしも邪魔するぞ」
少女は近くの椅子を引き寄せ、ちょこんと座る。子供用にはできていないので足が少しだけ浮いていた。その状態を気にすることもなく、少女はエシェリータに声をかける。
「わしにも紅茶じゃ。蜂蜜レモンはあるかな?」
「はい、ご用意いたします」
エシェリータは笑顔でお茶の用意を始める。各スペースには、さすがダマスカスと呼べるさまざまな高級茶やコーヒー、茶菓子などが大量に並べられている。蜂蜜漬けのレモンも完備されていた。
しかし、兄のゼファートは身を硬くする。
この国際会議場に普通の少女がいるわけがないのだ。
ゼファートはその正体を知っている。
(なんでこいつがここに来るんだ!)
隣のヨシュアに視線を移すと、そっと頷く。ヨシュアも少し緊張しているようである。
「しかし、あなたがこちらに来られるとは珍しいですね」
ラナーにとっても少女の来訪は意外だったようだ。彼女はあまり目立った行動を好まないし、自国のスペースにいるとばかり思っていたからだ。
そのラナーの言葉に、少女は煎餅をかじりながら答える。
「紅虎が来たから逃げてきた」
「そう…ですか」
ラナーの表情が引きつる。さきほどの恐怖を思い出していたのだろう。
紅虎は、ただ弟子を小突いて抱きしめただけ。あれは彼女にとっての愛情表現なのだが、やられる側としては非常につらい。カーシェルのように激しい熱を持った愛情になるか、ラナーのように恐怖を抱くかどちらかとなる。
そんな凶悪な人間が来たとなれば、少女が逃げてくるのも当然だと思われた。
「あれには関わらぬほうがいいからな。ろくな目に遭わん」
少女もうんざりとした口調でぼやく。幸い即座に脱出したので自身は被害を免れたが、残った騎士たちは災難であろう。きっと遊ばれているに違いない。
「なんとかなりませんかね…」
ラナーとしては何とかしたいのだが、少女は首を横に振る。
「【直系】を止められるやつなどおらぬよ。触らぬ神に祟りなしじゃ」
紅虎などの偉大なる者により近い血筋の人間を【直系】と呼ぶ。紅虎は、紅虎丸の一二七番目の子供であり実娘である。それだけ血が濃いのだ。
直系は【純粋種】なので、今の人類よりも格段に覚醒率が高く、武人としての力も比較にならないほど上である。その証拠に剣聖であるラナーも簡単に遊ばれてしまうほどだ。
嵐が来たら過ぎ去るのを待つしかない。
自然に対抗するのは愚かなことである。
そして、さらに困った情報がもたらされる。
「うちの大統領もやられたぞ。まあ、都合の良い乳がなかったので、紅虎ので叩いていたがな」
「ししょーーーーーーう! やめてくださいーーーーーー!」
犠牲者二人目は、シェイク・エターナル連合国家大統領、ベガーナンであった。紅虎の中では、大統領を乳で殴って気絶させるのが流行っているようだ。マイブームなのだ。さっきブームが始まったらしい。
「できれば弟子のおぬしに止めてほしいがな。次はルシアに行くぞ、あの女」
ダマスカスとシェイクを潰した次は、ルシアを狙っているそうだ。ルシアにまでちょっかいを出したらとんでもないことになる。ラナーは顔面蒼白だ。
「まずい、戦争になります! 止めてきます!」
ラナーは手短に別れの挨拶をすると、次の獲物を探してうろついている紅虎を止めに行った。最悪は自分が犠牲となる覚悟で。ラナー、つくづく運のない男である。
しかし、それで戦争が回避されるとなれば尊い犠牲なのかもしれない。
「どうぞ」
「うむ」
そうこうしていると、エシェリータが蜂蜜レモン入りの紅茶を入れてやってきた。少女は実に嬉しそうに茶を飲む。
「蜂蜜レモン大好きじゃ」
はむはむとレモンを口に入れている少女は、まさにエシェリータ同様愛らしい存在である。しかし、見た目に騙されてはならない。
「それで、どのようなご用件でしょうか。シャーロン・V・V殿」
ヨシュアは感情をあまり出さずにその少女、シャーロンに問う。
シャーロン・V・V。
大国シェイク・エターナルが擁する最強の武人である。
彼女は【始末人】とも呼ばれる世界最強の暗殺者であり、シェイク最強の実動部隊【ジュベーヌ・エターナル〈緋色の空の永遠〉】の隊長である。その名を知らぬ武人はいないほど有名だ。
温厚で平和を愛するヨシュアではあるが、シェイク・エターナルとなれば話は違う。ガネリアは、シェイクと戦うことでその立場を示してきたのだ。
代理で来ている以上、簡単に仲良くはできない。実際にヨシュアの言葉にも少しばかり険があった。
「すまぬが、蜂蜜レモンを容器ごと持ってきてくれ」
気に入った。ものすごい気に入ったらしい。エシェリータにそう頼み、彼女が十分離れたのを見計らってからシャーロンは楽しそうに言う。
「【エトール】の人間がいたのでな。ちょっと見物に来ただけじゃ」
エトールとは、エシェリータのことである。彼女は特別であった。
それは彼女の【右目】に如実に表れている。
「エトールだから何か悪いのか!」
その言葉に反応し、ゼファートがシャーロンを激しく睨みつける。
それ以上の行動を起こさなかったのは彼の成長ではあるが、その視線には敵意が満ちていた。もし相手がシャーロンでなければ殴っていたかもしれない。
「ゼファート、やめなさい」
ヨシュアが静かに、それでいて強い言葉で制止する。こんな場所で争うなど、ガネリアの評判を下げるだけである。何の意味もない。
しかも、今の敵意で周囲の武人たちの注意を引いてしまい、数多くの人間の視線が集まっていた。ただでさえラナーとシャーロンという有名どころが集まってきて注目されているのだ。これ以上の面倒は避けたいのが本音だ。
「シャーロン殿、そうした話題には気をつけてください。こちらはまだ戦争の爪痕が残っているのですから」
ヨシュアは柔らかく、しかしはっきりと述べる。
ガネリア動乱が起こる前までは、弱さが垣間見えることのあったヨシュアであるが、あの戦いは彼を厳しく鍛え上げた。
シャーロンを前にしても絶対に譲れないものは譲らないつもりでいる。エシェリータは、ヨシュアにとっても大切な仲間である。侮辱されれば本気で怒るつもりだ。
そんな気配を察してか、シャーロンは少し意地の悪い笑みを浮かべて謝罪する。
「ふふ、冗談じゃよ。気を悪くしたなら謝ろう。あれはいい子じゃな」
現在エシェリータは、シャーロンに頼まれた蜂蜜レモン入りの容器を必死に持ち上げようとしているものの、腕力はまさに子供なので、なかなか上がらずに四苦八苦している。
たかが蜂蜜レモン。されど侮るなかれ。ここはダマスカスなのだ。その容器があまりにも立派すぎて、しかも重いという罠が仕込まれていた。
そこで仕方なくエシェリータは哀れな無力な幼女を装い、近くの大人を使って運ばせようとしている最中である。実にしたたか。狡猾。えげつない。
そんなエシェリータにシャーロンは微笑む。
「エトールがまだ残っていたとは驚いた。レクスの子か? あれは未婚だと思ったがな」
「お前に教える必要はない」
ゼファートは無愛想に答える。敵でもあり、エトールを話題に出して挑発した女に愛想を振りまく必要もない。
「ふっ、嫌われたものじゃな」
「申し訳ありません。彼にとっては重要な問題なのです」
ヨシュアがフォローに入るもシャーロンの顔は笑っていたので、ゼファートの気質を見抜いて遊んでいるだけのようであった。
ただ、意図はある。
「ガネリアは【そうした問題】を解決していると聞いていたのでな。少し試してみただけよ」
ガネリア新生帝国の誕生が宣言された際、ハーレム皇帝は人種や宗教、障害や貧富にかかわらず、すべての人間を受け入れることを表明していた。
「人が人らしく生きられる国にしよう。すべての人が互いを認めあい、許しあえる国にしよう。相手の痛みを自分の痛みとして考えられる国にしよう。すべてを分けあい、与えあう国にしよう」
ハーレムはそう言った。それはただの言葉ではない。決意である。意思である。絶対に守らねばならない教訓なのだ。
それを証明するために、ガネリアは積極的に難民も受け入れており、この一年足らずで人口は増え続け、国力も一気に増していた。
これは簡単なことではない。通常、難民はまったく役に立たないどころか混乱を招くことが多い。教育を施して仕事を与えるにも時間や手間がかかるものだ。普通ならば、国力にはすぐにはつながらない。
しかし、ガネリアの最大の特徴は、そうしたさまざまな人間にすぐに対応できる点である。
彼らを単純な労働力として酷使するわけではなく、しっかりと役割を与えて活用するのだ。活躍すれば出世も早く、仮に意欲がなくても生活をサポートする態勢が整っている。
それができるのも、ガネリアが戦争からの復興を目指して急成長しているからであろう。物や人が溢れ、そこに前向きな活気とパワーがある。戦争という痛みを経験した民は、誰もに優しくなれるのだ。
そのすべては、ハーレムという最高の【王】がいるからなのだ。彼の言葉は人を惹きつける。勇気を与える。強さを与える。弱った人にも生きる希望を与える力がある。
それこそ【王】の力。人々を導く者の声なのだ。




