二十四話 「世界のかたち その3」
(世の中、いろいろな人間がいるな)
大統領のカーシェルは、ラナーを見ながら誰もが自分とは同じにならないのだと思った。
紅虎の弟子である以上は【そういう関係】にもなったはずなのだが、ラナーはカーシェルとは別の方向にいってしまったらしい。
紅虎、罪深い女である。
ラナーが土下座している。しかも額を完全にこすりつけての土下座だ。土下座。それは男が女に服従するときに使われる儀式の名でもあるのだろうか。そこに国籍も人種も関係ない。
ちなみに同時刻、ヘインシーの部屋で土下座をしていたバクナイアが、教えて君を額で押していたことはラナーには知る由もない。
「ほら、剣聖なんてこんなもんよ」
そう言ってラナーの頭をぺちぺちと叩く。もはや彼は抵抗しない。抵抗したとしても無駄であることを知っているからだ。
順風満帆であったはずの彼の人生最大の不運は、紅虎の弟子になったことであろう。こうなればもうラナーはひたすら笑うしかない。嵐が過ぎ去るのをじっと待つ小動物の気分であった。
その光景を見ながら、ふとアミカは一つ気になったことがあった。
カーシェルに姉さんと呼ばれ、三十歳は過ぎているラナーを子供扱いする紅虎。ただ、彼女の容姿はどう見ても若い。化粧もしておらず、肌にも張りがあった。間違いなく二十代といった容姿なのだ。
なので聞いてみた。
「ところで紅虎様は何歳…」
「十七歳です!!」
アミカの言葉をかき消すようにラナーの声が響く。地雷に体重をかけた人間に対して発するような大声である。その声にアミカはびっくりして戸惑っていた。
命の危険に晒された人間を助けない者はいない。少なくともラナーは助ける。この女性まで犠牲にしてはならない。決死の覚悟である。
「師匠は十七歳です! そうですよね!」
「あっ、今は二十七歳にしてみた」
「もう意味がわからないです! やめてください! そんな乙女みたいな心変わりは…おぶふぅぅ!」
そう言った瞬間、ラナーの顔面に拳がめり込んだ。鉄拳制裁である。三度以上殴れば軍隊では「鉄拳制裁雨あられ」と呼ばれる。
「私は乙女よ」
「は、はい…存じております。つい表現を間違えました」
顔面にできた痣をさすりながら呻くように謝罪する。
「今日から二十七歳でいくからよろしく」
今まで十七歳と相当嘘っぽい年齢で通していたのだが、なぜか突然変わる複雑な乙女の思考回路にラナーは意味がわからない。
これもまたラナーの女嫌いに拍車をかけることになっていた。今日からラナーは女性との距離をまた一歩遠ざけるだろう。
ただ、紅虎は女性としてはあまりに特殊なので、本当は参考にしてはならないのだが、一度植え付けられたトラウマは簡単には払拭できない。恐ろしいことだ。
(なんと強い御方だ)
普通ならばその横暴さにおののくのだが、アミカの視線は紅虎に釘付けだった。
剣士とはいえ、ラナーの腕力は一流の戦士並みである。それを簡単にねじ上げる腕力。これだ。これこそ自分が求めていたものだ。
アミカの視線には明らかに最初とは異なる熱っぽさが宿っていた。それを見てラナーはまた犠牲者が増えるのかと心配していたが、紅虎は女性の弟子は取らないので大丈夫だと思い直す。
「ん? そっちは何?」
激しく嫌がるラナーを無理矢理抱きしめてナデナデしていたとき(紅虎は激しい母性本能を満たすため、殴ったあとは抱きしめることが多い。この困った愛情表現の犠牲者は数千に及ぶ)、紅虎が二人の青年が近寄ってきたことに気がつく。
彼らは紅虎が呼ぶまでラナーが話していた者たちであった。彼らも最初は何が起こったのか理解できずにいたが、土下座を始めたラナーにかなり引いていた。さらに抱きしめられて身動きが取れない状況にも、どうしてよいのかわからずにいたのだ。
彼らにしてみればラナーは自国の【英雄】である。普段は強く優しく頭の良い理想の上司である。異性にも同性にも好かれる男だ。その憧れの筆頭騎士団長が、(見かけは)若い女にボコボコにされていることにおののいていた。これが普通の反応である。
「ああ、よくぞ聞いてくださいました。二人ともわがロイゼンの若きホープです!」
紅虎の注意が二人に向いたことで、ようやく脱出できたラナーが二人を紹介する。
「彼がアレクシート、あちらの彼がサンタナキアです」
アレクシートと呼ばれた青年は、メイズ色の落ち着いた金髪で、少し勝ち気そうな目が印象的だ。彼はラナーと色違いの赤い神官騎士の服を着ていた。
もう一人はサンタナキア。ラナーと似た銀髪だが、光に反射する色は若干エクルベージュの輝きを放っている。こちらもラナーと色違い、青い神官騎士の服を着ている。
サンタナキアはアレクシートと比べると物静かなイメージがあり、はにかみながらの笑顔が印象的だ。おそらく女性には「可愛い!」とかなり評判になりそうな中性的な雰囲気が宿っている。
「二人とも、ロイゼンの騎士団長なのです」
ロイゼン神聖王国には王国騎士団と神官騎士で構成される神聖騎士団が存在する。
前者は主に防衛部隊、後者の神聖騎士団は実質的なロイゼンの主力部隊であり、その名の通りカーリスとも関わりの深い存在である。
神聖騎士団には六つの大きな軍が存在しており、ラナーを筆頭騎士団長として五人の騎士団長が存在していた。彼らはそのうちの二人だという。
「ふーん、まだ若いのにすごいのね」
紅虎の言葉に二人はさらに緊張を強める。自己の師でもあるラナーの師匠なのだ。彼らからすれば雲の上の存在である。
「紅虎様のご高名は、ロイゼンにおいても知れ渡っております。光栄です」
アレクシートは緊張しながらも挨拶をする。せっかく会えたのだから接しなくては損だという積極的な姿勢を感じる。
「剣士なんでしょ?」
「二人とも剣士です。今では私から五本に一本は取れる力をつけています」
「ふーん、こいつからね…」
「痛い、痛いです。拳でぐりぐりしないでください!」
ラナーのこめかみを両拳でぐりぐりしながら、紅虎は二人を見る。ただのぐりぐりといっても、その腕力はすさまじい。本当に痛い。涙を流すくらい痛い。
そんなラナーにどうしてよいのかわからず、二人はまた困惑の表情を浮かべていた。
(悪くないな)
その間に紅虎は二人の力量を観察する。
アレクシートからは才能を感じた。五本に一本という話も嘘ではないだろう。まだ若いが、経験を積んでいけばラナーに匹敵する剣士になれるかもしれない。
実際ラナーはアレクシートに期待していた。神聖騎士団の第二騎士団長を務める彼の才能は、ロイゼンでも誰もが認めるところだ。
家柄もよく、貴族の出である彼には多くの支持者がいる。経験を積んでいけば、いずれは筆頭騎士団長にもなれるだろう。
あまり公にされていないが、ロイゼンの神聖騎士団においても貴族やカーリスの階級が物を言う。よって、騎士団長になる人間は良い出自の【お坊っちゃん】が多いのも事実である。
それでも才能がなければ騎士団長にはなれないので、アレクシートは両方を満たした稀有な存在であるといえた。
ただ、紅虎が気になったのはもう一人のほう、サンタナキアと呼ばれた青年であった。
控えめな性格のようで、アレクシートのやや一歩後ろに立ち静かに笑っている。愛すべき兄弟が楽しんでいるのを見守っているような優しい笑顔である。
「あんたはどうなの? ラナーに勝ちたいとか思わないの?」
「私は…そういうのは向きませんから。今のままで十分です」
ここでも彼は控えめであった。自分はアレクシートの補佐でいいとも言う。
「サキア、お前はもっとやれる男だ。自信を持て」
「でもアレク、私は…」
「相手に気を遣ってばかりいたら何もできないぞ」
「そうだね…」
そう言ってはにかむ。それもいつものことだ。アレクシートはそんなサンタナキアの態度があまり好きではなかった。
アレクシートはサンタナキアはもっと強いのだと思っている。自分が第二騎士団長になれたのも、彼が【手を抜いている】からだと見抜いていた。
愛する【兄弟】を引き立てるためにそうしているのだろうが、アレクシートには不満だ。兄弟だからこそ本気で競える相手になってほしかったのだ。
そんな言葉よりも明白な視線を受けては、サンタナキアは苦笑いをするしかない。
(でもねアレク。私は今のままで幸せなんだよ)
愛すべき兄弟に対して、サンタナキアの心は深い優しさに満ちていた。
サンタナキアは孤児である。幼い頃にアレクシートの家にもらわれ、二人は兄弟のように、もっといえば双子のように育った。
性格も違う二人はまるでパズルのピースのようにぴったりと合い、今日まで同じ道を歩んできた。それは幸せな時間だったのだ。
愛された、愛した、本当の家族のように過ごしてきた。
心の底から感謝しているし、守りたいと思っている。
こうした関係を壊したくなかったのだ。ここまで来られたことすら奇跡なのに、これ以上望むのは贅沢だと考えていた。それが彼の慎ましさや奥ゆかしさにつながっているのだろう。
どんなことがあっても、サンタナキアはアレクシートを越えることはないだろう。仮にその才能が彼を上回っていたとしても。そんなものよりも愛を選ぶに決まっている。そういう青年なのだ。
「なかなかいいね。私が預かろうか?」
二人の才能には目を見張るものがあったようで、紅虎がそんなことを言い出す。
紅虎はこんな性格だが、人を鍛える力は優れている。ラナーも紅虎によって才能を引き出されたおかげでここまでこられた。
それは事実である。
しかし、若きホープを犠牲にすることはできない!
「いえっ! それは絶対にやめ…、ではなく、ロイゼンの事情がありますので大変申し訳ありませんが…」
「あっ、そう。べつにいいけど、この顔が気に入らないのよねぇー」
「いたい、痛い、目ですから! 眼球ですから、そこ!」
今度は目をぐりぐりされる。すごく痛い。
「姉さんは変わらず素敵だ」
一部でその行動に酔いしれている者(大統領)もいるので、人の趣味はそれぞれである。
「それにしても、この乳はないわー。私よりでかいの久々に見たわよ」
「おー、チッチーつまんでくだサーイ」
謎の言葉を発するチェイミーの胸を遠慮なく触る紅虎。紅虎もかなり胸は大きいのだが、チェイミーのものは少し半端ない。
「カー坊も好きだねぇ」
にやりと笑う紅虎。昔からカーシェルは胸が好きだったなーと思い出す。
紅虎が抱きしめたら、カーシェルは自分からは絶対に離れなかった。子供の頃から素直な人間なのだ。欲望に。
「いえ、姉さんのが一番です」
「本当? じゃあ、ここ見てみなよ」
カーシェルが言われた通りにチェイミーの胸を凝視する。男として仕方のない反応である。だが、フリーダムな紅虎の行動はもっと半端なかった。
「いえーい!!」
パチーン! と紅虎がチェイミーの左の乳房を叩いた。正確には強く押したので、ボニュゥォオオン!という凶悪な音である。
左の乳房は大きく揺れ、右の乳房にぶつかる。その衝撃はまるで振り子のようにつながり、跳ね上がった右の乳房がカーシェルの顔面を直撃。吹き飛ばされ、机に頭を打って失神した。
「だいとうりょーーーーーう!!」
秘書官たちが慌ててカーシェルを保護する。
「おー、スミマセーン。ヨッ、ダイトーリョー、大丈夫デスかー?」
乳が、乳が大統領を倒した! 周囲は騒然となる。
「あははははは!! あーっはははは! お腹痛い!! あっははは!!」
その光景に紅虎は大笑いである。まさかできないだろうと思っていたので、実際にできたことに実にご満悦であった。
なぜこのような行動をしたのか、ラナーにはよくわかる。
「なんとなく面白そうだったから」それが答えだ。
「いいか二人とも、あの御方とあまり関わってはいかんぞ。ああなりたくなければな」
「は、はい」
ラナーは二人に紅虎の危険性を教え込む。自分と同じ犠牲者を出したくない気持ちは二人にはよく伝わったことだろう。
ただ、乳房で失神したカーシェルは、「またあれをしてくれてもいいのだよ?」とチェイミーや秘書官に言っていたので、まったく同情する必要はない。その天罰か、胸の小さな秘書官からはセクハラで訴えられていた。
その後、紅虎は「飽きた」という理由で、すたすたと違うスペースに行ってしまった。
嵐が来たら、過ぎ去るのを静かに待つのが一番良いということは、ここにいる面々はよく知ったことだろう。
紅虎、フリーダムな女である。




