二十三話 「世界のかたち その2」
(うむうむ、アミカちゃんは初々しくていいな~)
そのアミカを連れてきた張本人、大統領のカーシェルは、実にご満悦であった。
彼に邪な下心があったわけではない。単純に女剣士に憧れている少年ハートを持っていたにすぎない。「どうだ、うちには可愛くて強い女剣士がいっぱいいるんだぞ」と言いたいだけである。
そしてめでたく願望が叶った彼は、会議場のギスギスした雰囲気とは別世界の満面の笑顔で【護衛二人】の肩を叩く。
「両手に花とは最高の気分だよ」
「ヤー、シャチョさん、お触り厳禁デース」
甲高い声が大統領の隣、左側から響く。胸元がはだけた忍装束にミニスカートという、かなり際どい服を着た女性、チェイミー・フォウが肩に置かれた大統領の手をつねる。
手をつねられて「いやいや若い子はいいなー」と嬉しそうな大統領。やはりここだけ雰囲気が違う。忍者キャバクラにいるような気分である。そんなカーシェルとチェイミーを冷たい視線で見つめるダマスカスの女性秘書官たち。
それはアミカも同じである。アミカは自分が女であることを好ましく思っていなかった。自分はもっと男のように強く剣を振るいたいと思っていたからだ。
アズマとの模擬戦でもいつも力負けする。女性だから仕方ないと周りは思うだろうが、そのハンデが気に入らなかった。その代わりに技を磨いたが、豪快な剣に憧れていたアミカは、いつも欲求不満のような焦りを抱えていた。
しかし、今はそれを表に出しても仕方がない。自分が与えられた役目は大統領の護衛なのだ。目の前の務めすら果たせない者が、どうして一流の剣士になれようか。ぐっと我慢して仕事に戻る。
「チェイミー、社長ではない。大統領だと言っているだろう」
アミカがチェイミーに注意する。先ほどから他国護衛たちの視線が集まるのは明らかにチェイミーに原因がある。
「オー、そうでしたかー? 偉い人、シャチョさんしか知りません」
どこで覚えたのか、「偉い人=社長」の認識である。大統領のカーシェルすらチェイミーにとっては社長という枠組みのようだ。
「あまり恥ずかしいことはするなよ。エルダー・パワーの恥となる」
「はーい、わたし、がんばりマス!」
チェイミーが手を上げるだけで、美しいカールがかかった金髪と一緒に巨大な胸が揺れる。
身長一四五センチに対してバストは百十センチ以上。この女、いったい何を食べて育ったんだと思うほどこの胸はおかしい。
そのアンバランスさが否が応にも男性陣の目を引きつけてしまうのだ。というよりは、どうしても視界に入るのだから仕方がない、とは大統領の言である。
チェイミー・フォウもエルダー・パワーから派遣された忍者である。見た目や言葉は変だが、腕はいい。この変なしゃべり方は、彼女がシェイク・エターナルの出身だからである。その中でも、ど田舎のカントリーからやってきた娘なので、生粋のダマスカス人とはやや感覚が異なるらしい。
と、アミカも思っていたのだが、この会場でシェイクの人間を見ても普通だったので、実際はチェイミーが変わっているだけだと気がついたが。
「異常はないな?」
「今のところはオーケーですね!」
チェイミーは、大統領と馬鹿なやり取りを続けながらも周囲の気配を探っているが、会議が始まってから特に問題は起こっていない。
「密偵さん、イッパイいますけどね」
この会議場には護衛の騎士だけではなく、各国の忍者や密偵も入り込んでいる。
同じ忍者のチェイミーでなければわからないほど見事に変装している者やら、気配を完全に一般人に同化させている者もいる。
アミカもチェイミーに教えてもらって確認するのだが、普通の事務官とまったく見分けがつかない。実に見事な変装である。
(では、なぜこの女はこの格好なのだろう)
それならばチェイミーも変装すればいいのだと思うのだが、誰が見ても一目で忍者だとわかる格好をしている。もう少し何とかしてほしいものだ。
「コレは裏の裏をかいた変装術の奥義デス!」
裏の裏は表である。表=忍者である。丸見えである。
初めての都会と屈強な護衛者たちの視線。実のところアミカはかなり緊張していた。その意味ではチェイミーがいてよかったとは思っている。
ただ、彼女がここまで緊張するのにはもう一つ理由がある。それが、今目の前にいる女性の存在であった。
「【姉さん】、今日はありがとうございます」
大統領のカーシェルが、ダマスカスのスペースに特別に設けられた豪華な椅子に座っている一人の女性に声をかける。その声には懐かしさと親しみ、強い敬愛の色が含まれていた。
チェリーピンクの髪をした女性、紅虎はカーシェルに対してそっけなく言う。
「べつにあんたのために来たわけじゃないけどねー」
紅虎はポニーテールを揺らしながら椅子から立つ。その姿は若く、身長もアミカよりやや小柄な女性であった。
「そんなー、僕と姉さんの仲じゃないですか」
「僕っていう歳じゃないでしょ? 昔はあんなに可愛かったのにね」
「今も可愛いでしょ?」
にっと笑うカーシェル。どう見ても五八歳のおっさんである。最近は加齢臭も気になる年頃だ。寝る前にトイレに行かないと夜中が少し不安でもある。
その大統領が一人の若い女性にこんな言葉遣いをすることは、実に奇異である。もし彼女が紅虎でなければ、であるが。
「まあいいけどさ。あんたにも面子ってものがあるでしょうしね、今回は特別よ」
「いやー、嬉しいな。姉さんと一緒にいられるなら、大統領なんていつ辞めたっていいんですけどね」
「ふふ、変わらないわね、坊やは」
紅虎はそんなカーシェルに優しい笑みを浮かべる。歳は取ったがかつては一緒に旅をした中である。彼女にしてみれば可愛い【弟分】であることには違いない。
今回彼女は特別招待客として招かれており、主催国のダマスカスの席にいた。
特に彼女が何をするわけでもない。ただいるだけだ。だが、それだけでダマスカスにとっては権威を示すことになる。なにせ彼女は【特別】なのだから。
「まさか来てくれるとは思いませんでしたよ」
カーシェルも半分は無理だと思っていた。いくら昔のよしみがあるとはいえ、それも何十年も昔のこと。それに紅虎は風来坊でもあるので掴まえるのが難しいのだ。
しかし、奇跡的に彼女のほうからやってきてくれた。その時のカーシェルの喜びようは、とても言葉で表せるものではなかった。
つい先日、久々の対面時に紅虎に抱きつこうとして殴られたのはいい思い出だ。しかもその後に優しく、何よりも情熱的に抱き寄せてくれるのだから、カーシェルの紅虎愛が二十倍に膨れ上がるのも無理はない。
本日のはしゃぎっぷりは、その時の感動が抑えきれないことも影響しているのだ。カーシェルはアミカやチェイミーを構いながらも、誰よりも紅虎を見ていた。
その愛が、その溢れんばかりの愛情が、紅虎に注がれている。
かつて愛し、今も強烈に愛し続ける愛しい姉に。
「まあ、気まぐれよ。パパの手前もあるしね」
「紅虎丸様は何と?」
カーシェルの顔が政治家の顔になるのを紅虎は見逃さない。
「こらこら、パパを政治の道具にしない。あんたらのそういった悪い顔には縁遠い人なんだから」
父親の紅虎丸は、かつてダマスカスで道場を開いていたのだ。紅虎にとってもここは縁の深い土地である。今回はそれをアピールできたことがカーシェルには嬉しいのだろう。
しかし、父親の紅虎丸当人はといえば、まったくそんなことを意識しない人である。剣のことしか頭になく、悪く言えばお人好しなのだ。困っている人がいれば世話を焼きたがる純粋な人間である。
だからこそ彼という存在は、偉大なる者として愛の園の高い階層にいるのだ。その心の高潔さ、優しさ、強さは人間として完成の域に入っている。
ただ、役割は他の狼とは異なる。多くの者が地上を離れて活動しているのに対し、紅虎丸やその他一部の存在は比較的地上の低い場所に干渉し、人類の成長を促しているのだ。
それは彼が人を愛しているからである。娘の紅虎がここにいるのも、人の身として可能性を示すという目的があるのだ。
(この御方が紅虎様…)
アミカは護衛に支障がない程度に、たびたび紅虎丸の姿を盗み見していた。紅虎丸に次ぐ【伝説の剣聖】に出会えることなど想像もしていなかったからだ。
盗み見とはいっても、彼女が視線を向けるたびに紅虎もにやっと笑い返していたので、完全に気配は読まれていたらしい。そのたびにアミカは赤面して視線を逸らしていた。
(私には強いのか弱いのかもわからない)
正直アミカは、紅虎からは何も感じなかった。
誰もがその姿を見ては萎縮するので強いはずなのだ。それなのに彼女から感じるのは【普通】の気配。一般人と変わらないのだ。もし町ですれ違ったら通行人だと勘違いしてしまうほどである。
しかし、紅虎と同じ気配をアミカはもう一人知っていた。他ならぬマスター・パワーの赤虎である。
マスター・パワーもまったく気配を感じさせない。気配がないわけではないのだ。それがあまりに普通すぎて意識できない。もしそうした経験を積んでいなければ、紅虎を見ても剣聖であるとは思えなかっただろう。
「あんた、なかなかいい筋してるね」
「っ…、わ、わたくしですか!」
突然紅虎に話しかけられて緊張がマックスになるアミカ。そんなアミカの肩を軽く叩いて「今回は災難だったね」と紅虎は苦笑いした。
この時アミカは何のことかわからなかったが、後日大統領の女剣士好きは紅虎が原因であることがわかり、そのことだと知った。
紅虎がカーシェルと旅をしていたのは、カーシェルがまだ十歳の頃。なぜ一緒に旅をしていたかは知られていないが、四年間一緒だった紅虎に完全に心を奪われてしまったらしい。
「赤虎は元気にしてるの?」
「は、はい」
「あいつが坊やの時に会ったきりだからね、そっか、元気ならいいや」
紅虎はかつて子供だった赤虎を思い出す。礼儀正しく物静かな子で、この子で大丈夫だろうかと心配したほどであったが、アミカを見れば正しく成長したことがよくわかる。
「せっかくだからいろいろと見ていきなよ。このあたりのやつらもそこそこやるからさ」
紅虎がそこそこと言ったのは、さきほどアミカが見て到底敵わないと思った連中のことである。アミカはそれに気がつき慌てて首を振る。
「そ、そのような! 私などまだまだです。剣聖であられる紅虎様だからそう思われるのです!」
「んー、剣聖たって普通の人間だよ。ほれ、あいつだって剣聖じゃんか」
紅虎が指さしたのは、これまたさきほどアミカが見て師範級だと思った銀髪の男性だった。
そして、あろうことかその男を呼ぶ。
「おーい、シャイ坊、こっちに来な!」
シャイ坊と呼ばれた銀髪の男は、一瞬びくっと反応したあと、しばらく沈黙し、そのまま何事もなかったかのように目の前の二人との会話を続けた。
無視である。
これは明らかに無視であった。
その反応に対して紅虎がにやりと笑う。
「はー、ふーん、あーそう。そういうことするんだ、あいつ。ずいぶんと生意気になったもんだね」
「え? 紅虎様?」
紅虎が議会場にあるデスクに上る。それだけで周囲の人間の視線が集まるが、さらにこのフリーダムな人間は自由な発言をかます。
「はーい、皆さん注目! これから十秒以内にあいつをボコボコにしまーす。はい、あいつね。あの銀髪のやつ。はいはい、手拍子手拍子!!」
紅虎が周囲の人間に手拍子を要求して、さきほど無視した男を指さした。
「オー、ボコボコ! パチパチパチー」
何も考えていないチェイミーも手拍子に乗る。それにつられて、なんだなんだと各国護衛も集まってきた。その中には「また紅虎が何かやらかすのか?」という期待の視線もある。
「よりにもよってこの私を無視した馬鹿を、これから拳で殴り倒します。あー、あいつは剣を使ってもいいよ。まあ、剣の修理代が増えるだけだけどね」
この余興に会場に熱気がこもった。紅虎の声は不思議と人を引き寄せる魅力がある。春の桜、夏の海、秋の紅葉のように、懐かしさと愛情深さをどうしても感じさせるのだ。
その彼女の声に人々は引き寄せられ、紅虎の周囲はすでに人でごった返していた。
「じゃあ、いくよー。五…四…」
その瞬間、猛然とダッシュしてきた男がいた。銀髪の例の人である。
まるで女性のような端正な顔なのだが、今は顔中に油汗をかいており、表情もひきつっていた。紅虎の前に立ち、軍人が敬礼するかのように直立不動の体勢になる。
「い、いやだなぁ。【師匠】、いらしたんですか」
その男はロイゼンの神官騎士の服を着て、腰には銀色に輝く剣が携えられていた。かなりの業物であることはアミカには一瞬でわかった。
「あんた、知らないわけないよねー。だって、私は朝からずっとここにいたんだからさー。それで無視できるって偉くなったもんだねぇ」
紅虎のいやらしい視線が男に突き刺さる。男は完全に視線を逸らしながら弁明を続けた。
「いえいえ、まさかそのような。お美しい師匠が来られているのを知っていたら、真っ先に挨拶に向かいま…いた、いたた、ちょっと痛いです!」
紅虎が男の腕をねじ上げると、哀れな声でたまらず悲鳴を発する。
「あの…痛いです。わりかし本気で痛い、痛い、痛い…!! すみませんでした!! 悪かったです! 私が全面的に悪かったです!」
実はこの時、男は全力で抵抗していた。しかし、紅虎はさも軽々と男の手をねじ曲げて関節を極めていたのだ。その圧倒的な腕力に男はすぐ降参する。
「反省しております。お許しください!」
紅虎が手を離すと男は土下座した。
「ふん、まーいいけど。私が呼んだら五秒以内に来るのよ」
「はい、お声が聴こえれば…」
「五秒以内に来るのよ」
「はい。肝に銘じます!」
教育とはこうするのだ、という紅虎のどや顔である。
その光景にさすがの各国護衛も困惑していた。なにせその土下座している男は、今回集まった騎士の中でも間違いなくトップ五を争う猛者であったからだ。
シャイン・ド・ラナー。
ロイゼン神聖王国の第一筆頭騎士団長であり【剣聖】である。
容姿端麗、頭脳明晰、まだ三十二歳という若さであることもあり、ロイゼンではアイドル的人気を持つ男だ。
未婚なのも異性からの人気が高い要因だが、実はラナーは女性が苦手である。その最大の原因が目の前にいるのだが、無意識であるために当人も気がついていない。




