二十一話 「預言者 その2」
「少し待て」
そう言ってザンビエルは黙想する。
ザンビエルはメラキ序列一位の男。その霊格も群を抜いており、霊媒としても超一級品の存在である。このおそらく千年は軽く生きているであろう老人は、【ウロボロスの使者】たちから世界中の情報を集めることができるのだ。
他の者には見えないが、ザンビエルの前にはすでにラーバーンに協力している霊団のメンバーがおり、今回の一件についても説明してくれている。
「やはり…な」
ザンビエルはある程度の予測を立てていた。もしメラキに対抗できる人間がいるとすれば、それもまた【メラキ】でしかないのだ。これは明白な事実である。
メラキはあくまでカテゴリーの名前である。その誰もが同じ目的を持っているわけではなく、自己の目的に応じてさまざまな組織に所属している。
その人間がどれだけ賢人の遺産を使うかは各人の判断に委ねられている。これは実に危険なことだとフレイマンは思うのだが、メラキから言わせれば「俗人と一緒にするな」であった。
彼らは代々賢人の思想を受け継いだ存在である。その慎重さと秘密主義はあまりに強固で、何世代にも渡って一般人として暮らしていた人間も多い。
彼らはけっして私生活において力の濫用はしていない。それは【罪】だからだ。
こうしてメラキが表舞台に出てくることは実に異例なのだ。今までの人類史でも数えるほどしかないだろう。それだけ今回の作戦は人類にとって大きなものといえる。
そして、意味が大きければ大きいほど、作用が強ければ強いほど反作用も生まれる。つまりラーバーンに属さないメラキの中には、今度の作戦やラーバーンの存在そのものに反対する人間が出てくる可能性も否定できない。
「何かわかったか?」
フレイマンが問うと、ザンビエルは半ば予想通りだったという顔をする。
「実際に助言したのは、汝らの言うところのエルダー・パワーよ」
ダンタン・ロームの配備を進言したのはエルダー・パワーの術者であるという。彼女は優れた霊感でこちらの動きを予期したのだ。
「お前たちの仲間ではないのか?」
「いや、違う。エルダー・パワーは大きな意味では同胞であっても、我らメラキとは存在が異なる」
エルダー・パワーは、あくまで紅虎丸が築いた武術を受け継いだ者たちである。純粋な意味で賢人の思想を受け継ぐメラキとは、まったく別種の存在なのだ。
「では、黒幕は他にいるということだな」
メラキでなければ、今回の作戦を事前に察知するのは不可能である。
となれば、配備を勧めたのはエルダー・パワーであっても、警告した何者かがいる。そしてそれは、ラーバーンに属さないメラキである可能性が非常に高い。
「その者はわかるか?」
「…こちらの網には引っかからぬ」
ザンビエルの情報網ですら存在を捉えられない。それは相手が相当やり手であることを示していた。序列一位のザンビエルに対抗できるほどに。
フレイマンはそれ以上、ザンビエルを追及しなかった。彼は、この世界にはどうしても逆らえないものがあることを本当によく知っていたからだ。
(【世界の意思】…か)
それは星の意思ともいえるのかもしれない。すべては星が望み、人が応えた結果なのだ。
言い換えれば【宿命の螺旋】
人々の営み、使命は必ず絡み合うようにできている。避けられぬ出会い。挑まねばならない事柄には必ず宿命が絡んでいくのだ。それは人を縛ることもあり、加速させることもある巨大なベクトルなのだ。
現在、偉大なる者がこの星を管理しているのだが、その管理の仕方は地上の人間には理解できない。ザンビエルでさえも知らないと言う。彼を助力する霊団でさえ本質的なことはわからないのだ。
その星の意思を明確に理解できる者がどれだけいるのだろうか。
そう、【彼】以外の人間には誰もわからないのだ。
「フレイマン、かまわないさ。簡単にいっても面白くはない」
フレイマンとザンビエルのさらに背後には、彼らのすべてを治める主が存在していた。
男は悪魔でもあり救世主。
【ゼッカー・フランツェン】。
この巨大戦艦ランバーロの主にしてラーバーンを統べる唯一無二の男。
この組織のすべての人間は彼だけに従い、彼だけのために死ぬことができるのだ。それはバーンもメラキも同じである。唯一この点において両者は同じなのだ。ただ一人、悪魔であり主であるゼッカーを崇めるという意味では、両者ともに【弱者】なのだ。
強者はただ一人で十分である。
悪魔という存在がいればすべて事足りる。
それ以外は【部品】であり【道具】にすぎない。すべては【悪魔の思想】を成し遂げるためだけの存在であり、代わりはいくらでも用意できるのだ。
「ですが、あまりオンギョウジたちの消耗が激しいと、次のステージに影響が出るかもしれません」
「問題はないさ。どのみち結果は決まっているのだからね。そうだろう、ザンビエル?」
ゼッカーはザンビエルを見る。
その目には信頼があった。なぜならば、ザンビエルはまったくためらわずに目的のために命を捧げることができることを知っているからだ。だからメラキなのだ。メラキとはそういう存在なのだ。
「はい。【預言】はいまだ変わりません」
ザンビエルは一冊の書を持っていた。これこそが【預言の書】である。
メラキには特有の能力が開発されていることが多い。ルイセ・コノは並外れたダイブ能力、序列二位のレイアースには優れた自動書記など、さまざまな能力を持っている。
そして、その真骨頂がザンビエルの預言である。悪魔の出現をあらかじめ知り、ガネリアを出たゼッカーを翌日には悠々と出迎えたことからもわかるように、恐るべき能力なのだ。
その力を使って、老人は未来を預言する。
「主よ、あなた様が世界を導く存在となるのは、すでに決まったこと。避けられぬものなのです」
「多くの人間は自らの愚かさを知ることでしょう。いや、知る者がいればまだよいでしょう。痛みを知っても変わらぬ人間たちの愚かさが、今の世を生み出したのですから」
「ああ主よ、どうか世界の浄化を。もはや炎によってでしか清められない者に、慈悲をお与えください」
ザンビエルは悪魔を神の子のように扱う。まさしくそうなのだ。彼らからすればゼッカーこそ世界に選ばれた英雄である。それこそ【正しく星の意思を汲む者】なのだから。
「フレイマン、君が彼らを嫌う気持ちはわかるが、今は同志だ。わかるね」
頭を垂れるザンビエルを見つめながら、ゼッカーはフレイマンを諭す。少なくともメラキはゼッカーにすべてを捧げている。それは信じるに値するものであると。
だが、フレイマンはいささかも表情を変えずに、静かに言い返す。
「十分承知の上です。ただ、個人的な感情を隠すつもりはありません」
「やれやれ、君がその調子だから、無意味な確執が生まれるとは思わないのかな?」
「ここでは力がすべてです。それはあなたが決めたことでしょう」
些細な確執など、このラーバーンにおいては何の障害にもならない。真に強き者たちに、仲良しごっこなど似合わないのだから。
「マルカイオやキースたちがメラキと仲良くしている様子を想像できますか? 無理なものは無理です」
「…まあ、それもそうだね」
重要なのは思想に殉じる心である。そして、絶対的な力。それさえあればよいのだ。だからこそロキのような者たちが使えるのだから。
「コノはあとどれくらいで【アレ】を入手できるのかな?」
話題を変えるように、ゼッカーがマレンに尋ねる。
「最低でも五十分は必要だと思います。ここから先はかなりデリケートな領域のようですし…もっとかかるかもしれません」
マレンが申し訳なさそうに言うが、今まで人類がまったく到達できなかった領域なのだ。五十分強で終わるのならば誰もが早いと思うだろう。しかし、彼らにしてみれば時間こそが命である。五十分でも長く感じる。
「シールドを展開すればダマスカス軍も気がつきましょう。あれはたしかに強固ですが、何事も絶対はありません。それに各国騎士団もおります」
フレイマンが気にしているのは、やはり世界各国から集められた騎士団である。まさに全世界の戦力が集まっているといっても過言ではないのだ。
ダマスカスだけならば対応できる。だが、彼らが動き始めれば苦戦は免れない。ラーバーンの最大の弱点は人数が少ないことだ。同時に展開できる作戦には限りがある。
「ホウサンオーとガガーランドの準備は?」
「マユキとミユキの準備が整い次第出られます。ですが、無人機も出すとはいえ戦力的には難しいかと」
ユニサンをアピュラトリスの地下に送り込んだ能力者二人は、すでに回復しつつある。しかも今度は内部ではなく外部なので、MGを含めた多くの兵器を同時に転送できるはずだ。
「あの二人なら、オブザバーンシリーズも乗りこなせるだろう。問題はないよ。タオの自信作だろう?」
「二機は調整が終わったばかりですので長時間の戦いには向きません。迅速に対応されれば、すべてがギリギリです」
「君は相変わらず心配性だな」
ゼッカーはフレイマンの小姑のような台詞に微笑する。
「これでもあなたの副官ですので」
その言葉は昔と変わらない。フレイマンにとってゼッカーはすべてなのだ。彼に尽くし、使われ、最期は身代わりになれればよいと本気で考えていた。
このラーバーンでは強さこそが絶対ではあるが、悪魔への【信仰】こそもっとも重要視される。そして、フレイマンこそ、その最大の信奉者である。
その証拠が、【彼の左側】にある。
彼の頭部と上半身の左半分はすでにサイボーグ化されていた。これはガネリア脱出時に負ったもので、彼のために道を作った際の代償であった。文字通り、彼はゼッカーのために捨石になったのだ。
だからこそ他のバーンとは違う扱いを許されているし、バーンたちもフレイマンには文句は言っても逆らわないのだ。
「第三ステージに入れば私も動こう。コノには時間を与えてあげたいからね」
多少遅れが出ようが計画は何も変わらない。第三ステージに入ればゼッカーも己の役割を果たすつもりでいた。
それは【顔見せ】。
それによって世界中が悪魔という存在を知る良い機会になるだろう。
「道化は嫌いなのだがね」
「これも仕事です」
「仕事か。それもそうだ。個人的に会いたい人物もいる。たまには悪くない」
ゼッカーの薄い金髪がなびく。この金髪こそ、この【血】こそが、彼という存在を色づけたのだ。その象徴には会っておかねばならない。
「会議場にはハーレム様はおられないようです」
フレイマンが絶妙のタイミングでそっと語るのも、いつもと同じである。
「君は何が言いたいのかね?」
「いえ、積もる話もあろうかと思いまして」
「…彼とは十分語ったよ。もはや言葉は必要ではないだろう。時期が来れば会うこともあるだろうさ」
ハーレム。その存在は悪魔になったゼッカーにとって唯一心が揺れ動く存在なのかもしれない。
そして、悪魔を殺せるとすれば彼だけだと当人は思っているようだ。
(だが、おそらくハーレム様は殺せまい)
フレイマンはハーレムをよく知っている。彼という存在はきっとゼッカーを殺さないだろう。哀しみを知るがゆえに。
「確認するが、会議場に紅虎はいるね?」
「はい、間違いなくおられます」
「ちゃんと動いてくれることを期待しようか。もし彼女が動かねば、ここで終わってしまうことになるかもしれないからね」
紅虎には非常に重要な役割がある。おそらく当人もそのことを知っているのだろう。そうでなければあの自由人がこんな場所には来ない。
そして、ゼッカーは椅子から立ち上がり、天に向かって両手を広げた。
「では、始めよう。【世界が分かれた日】の幕開けだ」




