十六話 「富の塔、地下激戦 その3」
地下十階は、まるで陸上にある基地のようであった。
ここだけ他の階層よりも大きく造られており、エリア一帯は三層に及ぶ強固な特殊防護壁で守られている。天井まで完全に覆ってしまうそれは、難攻不落の城壁のようにも見える。
ナカガワの指示によって防護壁はすでに下ろされており、ここから上に行くことも降りることも容易ではない状況になっていた。
アピュラトリスの機密性を考えれば、司令室はより地下に配置されそうなものだが、十階にあることには意味がある。
一つはシビリアンコントロールによってできるだけ軍人との距離を保つこと。これは前に述べた通り、将校クラスの人間が天下りや他の思惑から接触してこないとも限らない。それを防ぐためである。
忘れてはならない。ここは外のように広くとも【密室】なのだ。密閉された空間では万一のことも考えなければならない。人間は人間以上にはなれないのだから。
もう一つは、ここが【要衝】だからである。
仮に上から敵が攻めてきた場合、この十階で食い止められないほどの規模だと判断された場合は、司令室が放棄された時点でここから下の全階層の隔壁が下りることになっている。
一度こうなってしまえば頭を引っ込めた亀と同じだ。ひたすら上からの攻撃に耐え続ける【地下要塞】と化す。蓄えは十分にあるので攻略することは非常に難しい。
しかし、それはあくまでセオリーで攻めてくる相手に対してである。地下から来ることは想定されていない。
それでも万一の事態、ありえないことではあるが、たとえば軍隊の半数程度が裏切った場合、地下から上への侵攻に備えて司令室が十階にあることには大きな価値があった。
どちらにせよ、司令室と制御室を同時に落とすことはできないように設計されているのだ。
「敵が待ちかまえています。お気をつけください」
マレンからの報告では、すでに下りた防護壁に加えて狙撃兵や重装甲兵が配置されているとのことだ。
(手際が良いな)
オンギョウジは、ナカガワの手腕に感嘆。
おそらく情報が伝わってからさほど時間は経っていないはず。それでもすでに打てる手はすべて打っている手並みは見事である。特別な才能はないが、すべての基本を迅速に行える将であると感じた。
実際、ナカガワの海軍での評価もその通りである。司令官というよりは堅実な案を出す副官に向いており、彼がいまだ准将であるのは優れた将軍の下で活躍していたからだ。
ただ、彼はその人生で満足していた。自由を愛し、海で生きられればよいと考えていた。バクナイアのような野心は持っていなかったのだ。その彼に襲いかかった災難はこれから佳境を迎える。
オンギョウジたちが十階の扉を開けた瞬間、待ちかまえていた兵士たちが発砲を開始。
警告などは一切ない。相手を確認もしない。
すでにナカガワの命令で現れる者は射殺してもよいとされているのだ。そして、守っている兵の質も今までよりも高く、練度は新兵とは比較にならなかった。
彼らはナカガワが赴任すると同時についてきた海軍の兵士である。年代は多少ばらついているが二十年以上実戦を積んできた叩き上げの【海兵陸戦隊】であった。
MGや戦車は基本的に海での活動ができない。それもまた人間と同じ弱点を持っているからだ。よって海での戦いは艦隊による砲撃戦が主体である。
だが近年、戦艦の装甲や障壁が劇的に進化しつつあり、艦隊戦だけで勝敗が決まることは少なくなってきた。
そうなればネイビーズの出番だ。彼らは相手の戦艦に乗り込んで白兵戦闘を行うために生まれた隊である。陸軍と同じ、いや、海で戦うことを想定してさらに厳しい訓練を潜り抜けてきた兵士といえる。
ナカガワは現場主義の人間である。紛争地域の海外派兵にも加わり、実際に戦争を体験している。ネイビーズもまたナカガワとともに生き延びてきたのだ。
その力を侮ってはならない。
使っている武器は下にいた兵士と同じ最新のアサルトライフル、MUG4000であるが、狙いはより正確。二十五人の兵士が同時に撃った弾は、先頭で突入した護衛のロキN3を確実に捉えていた。
護衛のロキN3の、直撃コースにある弾丸を払った右手が爆発。
(むっ、これは)
これが普通の弾丸でないことは、ロキだけではなくオンギョウジにもわかった。
明らかに【違う力】が働いたのだ。爆発と同時にもっと凶悪な力が働き、ロキの腕に絡みつく。
(呪力弾か! まずいな)
ネイビーズが使う弾丸には貫通弾に加えて【呪力弾】も混じっていた。
対武人用に特化した小型の榴弾、いわゆる炸裂弾であるが、防御に出した戦気の力を半減させたり、動きを止めるものであったりいろいろとバリエーションがある。特殊なものになればなるほど値段が高い。
今回は通常の軍隊で使っている炸裂呪力弾が装填されている。動きを止める効果はないが、より対人破壊力を増した凶悪な弾丸だ。本来海軍にはあまり支給されないもので、アピュラトリスだからこそ制限なしに使うことが許されている贅沢品である。
その効果は絶大。
防いだロキの右手は戦気で覆っていてもかなりのダメージがあった。腕に絡みついた呪詛が肉体を破壊しようと蠢いているのも見える。ロキだからこそ耐えられるが、常人であればその呪詛によって一瞬で【食われてしまう】だろう。
しかしながら当然、銃弾は一発ではない。何百発もの呪力弾が襲いかかる。
ロキは護衛なので避けることはできない。五十発受けた段階でロキの腕では防げなくなった。N3は身を挺して結界師を守る。
だが、事態はそれで終わらない。
激しい爆発と同時に、呪力弾が命中した証拠として術式が展開される。
宙に文様が浮き上がり、威力はさらに昇華されようとしていた。
(まずい!)
オンギョウジは【場が歪む】のを見た。
呪力弾が一斉に爆発すると【術式連鎖】と呼ばれる磁場を生み出すことがある。
これはあまりにも多くの術が同時にぶつかった場合にも起こる一種の【術式事故】で、複雑に絡み合った大量の術式コードに対して場の数式が耐えきれずに崩壊する現象である。
数式が崩れると存在を一時消し去るリセット現象が起きる。簡単にいえば【大爆発】を起こすのだ。
ロキは弾丸を受けた段階で両腕の肉が削げ、屈強な身体にもいくつか大きな損失が見える。
しかもこれは対人用に組まれたプログラムだ。崩壊が起こればロキであろうとも一瞬で消し飛ぶだろう。その余波は結界師にも及ぶはずだ。
すぐさまオンギョウジは対応策を実行する。
「オン・マイタレイヤ・ソワカ!」
真言を唱える。
だが、今回は複韻ではない。式神防の重ねがけでも、あれは防げない。
「理よ、砕け散れ!!」
オンギョウジが唱えたのは魔王技『破邪顕生』。
その場で起こったすべての術式コードを上回る計算を行い、崩壊する場にもともとあった数式を【復元】する暗号解読術だ。起こったエネルギーをそのまま利用するので精神力はあまり使わないが、より高度な演算能力が必要な術である。
術は成功。すべてのコードを無効化する。
それによって爆発が抑えられただけではなく、呪力弾の威力そのものを消し去った。術で生まれた弾丸ならば術によって消せるのは道理である。
それは全部の理を強制解除したことを意味する。一般人からすれば何千桁という数の暗算をこなすようなもの。オンギョウジの術者としての実力がいかに高いかを思い知る場面であった。
(予想以上の消耗だな)
しかし、これはオンギョウジには望まぬものである。
真言とは単なる力ある言葉ではない。キーワードによって自身の【リミッターを解除】するものなのだ。
人間の筋肉と同じく、術式に対しても人間はそのすべての力を使っていない。それを真言によって強制的に引き出している。
オーバーロードのような危険な禁術ではないが、一日の使用には限りがある。急いでいる場面か、強力な相手にしか使いたくはないのが本音だ。
(この胸騒ぎ。まだそう簡単にはいかぬよな)
オンギョウジには、この戦いが簡単に終わらぬものだという確信があった。この司令室を制圧したとしても、おそらくもっと困難な状況がやってくることを悟っていた。
なぜならば、これが宿命なのだ。
自身がここにいること。
こうして戦っていることもすべて定められた流れの中にあるのだから。
「警戒しろ! 上から来るぞ!」
密偵タイプのロキN9が警告を発する。警備トラップが発動したのだ。
天井から現れたいくつもの毎分四千発発射可能なミニガンが掃射を開始。
それだけでも恐ろしいのに、続いて地面からは電流が流れ、侵入者を感電死させようとする。
このエリアの装置はすべて司令室が管理しているので、従来通りの性能を発揮しているといえる。非常に厄介な存在だ。
しかし、ロキという存在も侮ってはならない。彼らはこのアピュラトリスを攻略するために訓練を受けた者たちだ。万全の警備状況でもしばらくは対応できる力はある。
ミニガンは結界師の支援を受けたロキN9が対処。放出した特殊合金で出来た網に戦気を流し、巨大な防護ネットを作って銃弾を受け止める。
続いて剣士のロキN7が前衛に出る。ロキN7は自身の戦気を雷気に変え、足元から流れ出る雷気をすべて受ける。
そして、それを剣王技【草薙・雷】として放射。
草薙・雷にはいくつか使い方がある。そのまま剣衝と同時に放てば宙を飛ぶ広域の雷技となるが、地面に剣を突き立てて放てば、地上から任意の場所に雷気を放出することができる。
N7が使ったのは後者のほう。トラップの雷の力をそのまま雷気に変換して跳ね返す。
「――――――!!」
雷流はネイビーズの真下から放出。声なき声を上げてバタバタと兵士が倒れていく。地上から激しい雷が天井に向かって飛び交う姿は美しささえ感じられた。
この攻撃でネイビーズの三割が感電して死亡、あるいは気絶。
「なんてやつらだ! 普通の装備では耐えられんぞ! 重装甲兵を全面に出せ!」
銃撃の間は下がっていた重装甲兵がぞろぞろとやってくる。彼らは重装甲のパワードスーツを着た兵士たちで、炎や電流などに耐性を持っていた。
制圧戦で白兵戦闘となればまっさきに彼らが飛び出すので、重装甲兵は歩兵の華ともいえるだろう。右手には近接戦用の剣、左手には腕と合体した小型砲が装備されている。こちらもさまざまな種類の砲弾が装備可能である。
パワードスーツは、その動きよりも頑強さを重視して作られている。ロキたちといえど正面から戦えば制圧には時間がかかってしまう。
ただ、それも想定済みだ。
「重装甲兵は拙僧らに任せよ」
オンギョウジと四人の結界師は護衛のロキに守られながら【陣】を形成する。
術は単独で放つこともできるし、こうして複数人で共同で放つこともできるが、同時に意念を集中させねばならないのでチームワークは非常に重要な要素となる。
ここで一番難しいのは【心の調和】だ。
術が思念で数式を組み換える作業である以上、雑念や敵意が少なければ少ないほど効率が上がっていく。それは人間関係と同じ。積み重ねた信頼や結束が高い波長となってより高度な仕事を可能にするのだ。
オンギョウジと結界師はこの日のために特別な訓練をしてきた。己らの波長をすべて合わせるために調和を身につけてきたのだ。
「弱き者よ、永遠の氷土の中で眠りにつけ!」
陣の中心部から猛烈な勢いで巨大な【冷気】の竜巻が発生。竜巻は周囲を一瞬で凍結させながら重装甲兵に向かっていく。
魔王技、【絶対零度】。
これも高難易度の魔王技であり、術者の中でも限られた者しか使えない強力な術式である。
オンギョウジも単独では使用できないので、こうした陣を形成する必要があった。本来ならば隙が生まれるので戦場では使えないが、今はロキという強力な護衛者がいるおかげで時間が稼げたのだ。
吹雪は瞬く間に重装甲兵を凍らせていく。魔王技で放たれた冷気は戦気で生み出すものとは根本的に異なる。完全なる自然現象である以上、よほど強力な戦気でもない限り、魔力障壁以外で防ぐことは難しい。
アピュラトリスに術者はあまりいない。いたとしても回復の真言術を学んだ医療兵がいるくらいだ。なぜならば通常の使い手が時間をかけて術を使うよりも、軍事用の救急セットや道具を使ったほうが効率が良いからだ。
それはつまり、世界的に見ても高度なレベルの術を扱える者の割合が少ないことを意味していた。
それもまた血が薄まったせいである。人は目に見える物質的なものばかりに固執し、それによって【見る目】を失ったのだ。
(世界最高のアピュラトリスでこの程度か)
オンギョウジは少なからず落胆していた。
世界の中枢を謳うのならば、この程度は簡単に弾いてほしいという矛盾した思いもあるからだ。もしこれが自身の師であれば片手で難なく防いだであろう。
だが、これこそが世界の実情。オンギョウジたちから見ればアピュラトリスの繁栄など本当の力とは程遠いのだ。
そうしている間にロキN5が広域技を完成させ、集めた戦気を大地に叩きつける。
覇王技、『覇王土倒撃』である。
これは本来、拳衝によって土石流を発生させて広域にダメージを与えるものだが、こうした鉄の地面で使うと戦気が大地を這うように動き、巨大な波となって襲いかかる。
その戦気の波は重装甲兵が凍って動揺している兵士たちを直撃。
衝撃は全包囲、五百メートルにまで伝わり、壁の上に配置されていた狙撃兵をも薙ぎ倒す。なまじ防護壁が下ろされているので彼らには逃げ場がない。
「今だ。突き進め!!」
攻撃指示を受けたロキN5、N7、N9が兵士たちを駆逐していく。
すでに統制は乱れていたので問題なく制圧できるだろう。しかし、防護壁は下りたままである。このままでは司令室にも行けず、上の階層にも上ることができない。
「オンギョウジ様、一秒だけ時間を作ってもらえますか?」
マレンから連絡が入る。
その声には不安も焦りもない。彼らにとってみればこのような事態も想定済みなのだ。
「心得た。皆の衆、アレをやるぞ!」
再び五人の法力僧による陣が作られる。
今度は攻撃の術ではない。彼ら結界師がもっとも得意とする結界術を披露する。
「オン・オン・オン! オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ!」
五人が真言を詠唱。
真言にはいくつか種類があり、それに適応した潜在意識のリミッターを外すことができる。これらは【十王真言】と呼ばれ一般道場では教えない秘術に分類されている。
オンギョウジたちが使ったのは、真言の中でも最高の力を引き出すものである。これを単独で扱える術者は、ほとんどおらず、彼らも五人だからこそできた芸当だ。
各自から発生した大量の念霊が術を支援し、五人の意識は完全に同調。
次の瞬間、巨大な磁場が生まれる。その強烈な力場はエリア全体に広がり、すべての電子機器を機能停止へと追い込む。
真結界術、【磁縛円】。
この術は隠行術などの一般的な結界術とは異なるカテゴリーに存在し、結界術を専門とする者にしか扱えない上級技である。
しかも真言を使ったとしてもオンギョウジ単独では発動不可能な大技だ。こうして五人が力を振り絞ってようやく扱える。
これは今回、潜入が失敗した場合に備えて用意した保険の一つである。その保険を使ったのは痛かったが、それだけの価値はあった。
「マレン殿!」
「アクセス権、完全掌握しました。全隔壁を解放します」
その隙をついてマレンが非常用のコードで隔壁操作を乗っ取った。これは司令室に異常があった際、あるいは敵に制圧された場合にのみ使用可能なコードで、制御室がすべてのコントロールを奪うものである。
しかし、これらの操作は通常何十人ものスタッフが同時に数分はかかって行うものだ。一秒でできる者は少ない。ルイセ・コノに隠れてはいるが、マレンもまた優れたハッカーの一人であった。
「ここは任せる。貴殿らの成功を祈るぞ」
上の階層に続く隔壁が開けられたのを見て、オンギョウジは予定通りに司令部の制圧を三人のロキに任せ、護衛のロキ四人と結界師とともに上層に向かった。
大きく負傷したロキN3は、この間に自分の吹き飛んだ指を何本か拾い、とりあえず適当に医療用接着剤を使ってくっつけていた。
それを司令室のモニターで見ていたナカガワは苦笑いをする。
「あのデタラメな連中はどこかの喜劇団かな?」
普通ならば即死のはずの呪力弾を平然と受け、身体の部位が吹き飛んでも飄々としている連中は、もはやジョークにしか映らない。
そして、残った三人のロキは次々と開いていく隔壁の隙間に飛び込み、兵士たちを倒していく。兵士たちは応戦するも、警備トラップが今度は逆に自分たちに襲いかかり、頼りの防護壁も解放されていく中では勝ち目はない。
しかも、すでに護衛する対象がいなくなったロキの動きは段違いであった。
見回す限り敵なのだから広域技や広域手榴弾を使いたい放題である。水に絵の具を垂らしたかのごとく、エリアが瞬く間に血の色に変わっていく。
(ミスターアズマは、あんな連中と戦っているのか)
もはやジェノサイドに近い一方的な殺戮になりつつある。こんな相手と戦える武人など軍でもそうはいないだろう。
アズマがいなければもっと不利な状況になっていたことを思うと、いまさらながらに彼への感謝を感じずにはいられない。おそらく彼も無事では済まないだろう。いや、生きて帰れる可能性も低くなってきた。
(せめてこれから起こる【惨事】の被害が最小限であることを祈るよ)
もはやナカガワにできることは祈ることだけである。ただ、その前に一つやらねばならないことがあった。最後にそれを粛々と遂行する。
後世、歴史家の間ではこの行動の是非が問われることになった。
しかし、この決断こそが、彼が人間として優れていたことを証明することになるのだ。当人にも後悔はなかっただろう。




