十話 「ジン・アズマ その1」
ユニサンたちの制圧は順調に進んでいた。
相手の意識は地上に向いており、多くの兵士たちが最下層に近い場所は安全だと思い込んでいたからだ。
地下二十五階、二十四階には、資源や物資置き場とともに兵士たちの宿舎や訓練場があった。
本来ならば苦労しそうな階層であるがマレンの出した偽情報、「別の隊がこれから訓練場で銃火器を使用するので、各員は宿舎内で待機するように」という命令におとなしく従っている。
その後、武器庫を含む施設にロックをかけたので、ここはほぼ素通りできた。
地下二十三階から十八階までは上部からの敵を通さないための強力な防壁があり、さまざまな警備トラップが存在していた。
もしそれが作動していれば通り抜けることは不可能だったに違いない。改めて制御室を制圧できたことに安堵していた。
(今のところは気づかれていないか)
敵兵がいるブロックも多かったが、マレンの隔壁操作によって不自然ではない程度にユニサンたちの姿は隠され、死角を狙って迅速に行動していた。さらにはオンギョウジたちの隠行術を使って気配も絶っている。
それでも遭遇してしまった相手は騒がれる前に一瞬で消すも、このエリアでの戦闘はできる限りの避ける必要がある。
相手に気づかれれば、司令室側から緊急コードを使われて強制的に隔壁を操作される可能性があるからだ。
警備システムは独立しているので、作動すればそちらもかなり厄介だ。なにせこちらは侵入者で、相手のホームでの戦い。油断は禁物である。
これまでは順調であった。地下十階にある司令室さえ制圧してしまえば、あとは完全隔離することも可能であるし、警備システムを使って強制的に排除することも可能だ。
施設の多くにはガトリングガンや致死性ガスなどの装備が整えられているので、閉じこめられた室内でそれが作動すれば、彼らは一瞬で全滅である。
マレンの情報では、軍事エリアに配置されている兵士はおよそ六千あまり。その数でさえ簡単に消してしまえるだけのトラップがここにはある。
ただし、それはあくまで誰にも気づかれずに制圧できた場合である。ユニサンも楽観視していたわけではない。こうして上手く物事が進むときは、得てして大きな障害に出会うものだと経験上知っているからだ。
そして、それは現実となった。
ユニサンたちが地下十五階の格納庫の制圧に乗り出そうとした時、最初にロキN9が【その存在】に気がついた。
ロキN9は密偵としての資質を強化された存在であり、索敵や尾行、トラップ解除などの能力に長けている。
その彼が注意を発し、ユニサンも意識を上の階層に向ける。
(なんだこれは)
ユニサンも、それが放つ異様な波動を感じるに至る。
何か強い意思、あるいは意念のようなものが近づいてくる。しかも速い。猛烈な速度でこちらに近づいてきていた。
「マレン、上の階はどうなっている!」
明らかに異常事態だ。
マレンに上の階層の監視カメラの映像をチェックするように命令すると、数秒もしないうちに報告が入る。
「補足しました。相手はおそらく一人です」
おそらくと言ったのは、監視カメラのスロー映像でもわずかにしか捉えられない速度だからだ。
その人物は、この地下に向かって全速力で駆けてくる。真っ直ぐに何の躊躇いもなく最短距離で。
このアピュラトリスでそこまで急いで行動する者はいない。まず間違いなく敵の勢力である。
(気づかれたか)
ユニサンは最悪の状況を想定する。
ここから司令室まで残り五階層。相手が全力で潰しに来れば消耗戦となる。そうなれば圧倒的に不利だ。
万一に備えて他の策もあるが、このアピュラトリスを制圧できないことはステージの大幅な遅れを意味した。
「他の兵に動きはなし。動いているのは一人だけです。データに該当者はおりません」
マレンが参照しているのはアピュラトリスのデータの中でも軍関係者に限られている。それ以上のデータを閲覧しようとすれば【塔の管理者】に気づかれる恐れもあるので控えていた。
こちらだけではなく電子戦でも激しいやりとりが行われているのだ。ルイセ・コノの作戦が成功するまではマレンも最低限の支援しかできない。
「傭兵か?」
軍関係者にリストがないことでユニサンは傭兵かと勘ぐったが、オンギョウジが否定する。
「アピュラトリスに傭兵は配備されぬ。部外者を入れるほど甘くはなかろう」
一流と呼ばれる傭兵団の力は各国の精鋭騎士団に遜色ない。さらに傭兵は単独で腕を磨く人間も多く、名はまったく知られていなくても凄腕の武人が野にはごろごろといる。
が、この最重要機密の固まりであるアピュラトリスにおいては部外者、特に外国人の立ち入りは厳しく制限されている。それは軍隊関係者においても同じである。
唯一例外があるとすれば【電池】くらいだろう。
今日は替えの電池も来る日である。ただし、電池がこれほど速く動くとは思えないし、ユニサンたちの情報でも電池は【一般人の女】であることがわかっていた。その可能性はないと思われる。
一人で向かってくる相手。
正体はわからないが、ユニサンには【危険信号】が出ていた。
この相手は強い、危険だと本能が感じている。そうした状況でユニサンの判断は迅速だった。
「オンギョウジ、お前たちは護衛のロキとともに最上階にまで一気に昇れ。マレン、最短ルートは?」
「地下八階層に地上一階への直通階段があります。セキュリティはこちらで解除できます」
通常はロックされているが、緊急時のためにこうした通路はアピュラトリス内にいくつか存在する。
地上の階層に出てしまえばエレベーターも使える。最上階に向かうのはそう難しくはない。
「俺とN6、N8以外のロキは、こちらが敵を引きつけたと同時に司令室を目指せ」
ロキN5、N7、N9は司令室の制圧。ロキN1から4はオンギョウジたちと最上階。これが現段階でのベストと判断する。
「接触まで、およそ二十秒!」
マレンから警告が入る。
その時にはすでに十五階の制圧は諦め、ユニサンたちは上の階へと駆け出していた。
こうなれば発見されても仕方がない。一秒でも早く制圧しなければならないのだ。
ユニサンたちも全力で駆け抜ける。
途中警備兵に出会ったが、彼らのレベルではユニサンたちの姿を正確に視認することはできず、オンギョウジたちの幻覚の術で一時しのぎをするにとどめる。
もし彼ら警備兵が錯覚だと思ってくれれば御の字であるが、どのみちもうすぐ戦闘が始まる。
そうなれば相手側に知られるのは間違いないだろう。もはや手段を選んでいられない。早く、何より早く。時間が大切なのだ。
「接触まで五秒!」
「こちらから仕掛ける! オンギョウジたちはそのまま走れ!」
前衛のユニサンとロキN6とN8は、相手が現れた瞬間に攻撃を開始する予定であった。
そこで仕留められれば問題は最小限に抑えられるはずである。
「接触まで一秒!」
警告と同時にユニサンは飛び出していた。
自分がぶつかって盾になり、その間に周りのロキが攻撃すればいい。そう思っていた。
だが、相手が現れたのは予想外の場所であった。
(いない…!?)
強い意思は間違いなく存在するはずだった。
しかし目の前には階段だけがある。突撃しようとしていたユニサンは完全に出鼻をくじかれた。
「天井だ!」
ロキN9が叫ぶ。
ユニサンが上を見上げた時、そこにいた男、ジン・アズマはすでに跳躍し、戦闘態勢であった。
MGが通れるように設計された、十五メートルはあろうかという螺旋階段の天井を大地の代わりとし、思い切り【下に跳躍】する。
右手には黒刀『真断ち』。
回転し、きりもみ状態で下にいるユニサンたちに向かってきた。
「散開!」
弾丸の速度で突っ込んできたアズマに対して、ユニサンたちはギリギリで回避運動に移り、各自バラバラになりながら距離を取った。
ユニサンたちは強力な武人である。回避運動を取りながらも相手の着地位置を確認し、すぐに反撃に移れるように構えていた。
しかし、アズマが地面に着地した瞬間には、すでにその場にはいなかった。
電光の速度で着地と同時に地面を蹴り、やや逃げ遅れて一番近くにいた結界師に刀を横薙ぎに払っていた。
刀の速度は向かってきた時以上の速度。必殺の一撃が結界師の首を狙った。
「ロキ!」
ユニサンが叫ぶ前から護衛のロキN1が結界師の前に出ていた。
両腕に戦気を展開して自身を肉の盾とする。
刃が腕と激突。
腕に宿った戦気を切断し、ミシミシとめり込みながら骨にまで到達する。
ロキの練った戦気の質はかなり上質のものであった。それすら切り裂くすさまじい一撃である。
だが、そこで止まる。
N1は戦士タイプ、それも結界師を守る専用の防御主体型として調整されていた。肉体そのものの力も通常のロキよりも数段強い。
アズマは切断が無理だと判断すると、ロキN1の腕を蹴って距離を取り、改めて敵の姿を見回す。
(仮面の戦士たちに坊主の群れか)
さすがのアズマも予想していなかった姿だ。
こうした集団はカルト色の強い宗教団体を彷彿させるが、その見た目の奥底にある波動はまったくの別物であった。
より純粋で、より強い。
アズマは一瞬にして目の前の敵の力量を見極めた。強い。すさまじく強い。
袈裟を羽織った坊主たちの動きはさほどではないが、おそらく術者だろう。術は戦闘補助や特殊なものが多く油断はできない相手だ。
そうした相手を見て、アズマは笑った。
(俺の相手に相応しい)
わかる。わかるのだ。彼らから発せられるオーラは並ではない。その質が、その想いが静かであってもひしひしと伝わってくる。
彼らは死ぬことを怖れていない。
相手を殺すことを躊躇わない。
それは戦場においても滅多に出会うことのできないものである。兵士であっても人間だ。迷い、苦しむ。心のどこかでは良心との葛藤がある。
だが、目の前の相手はそこを超越している。
特に仮面をつけていない男、ユニサンから発せられる隠しきれない敵意と怒りの波動は、アズマを十分に喜ばせるほどのものであった。
あの目。
心の奥底から敵を憎む目。
それを隠そうとしながらも、隠すことを恥じる目。
一度解き放てばすべてを破壊できることがわかっている目。
【人を殺せる者】の目だ。
(素晴らしい。来た甲斐があるというものだ)
アズマは打ち震える。急速に戦いへの意識が高揚し、魂が燃えていくのを感じている。これほどの高揚感は久しく味わったことがない。
ユニサンとロキ二人は、アズマに向かって突進。
そして同時にオンギョウジたちも走り出す。彼らが別行動をしようとしていることは、アズマにもすぐにわかった。
(…ん?)
アズマは目の前の敵を警戒しつつも、走る坊主の一人に妙な【既視感】を覚えた。
その男、オンギョウジから発せられるオーラもまた他を圧倒してはいるが、それ以外の何か、頭の隅に引っかかるものを覚えたのだ。
(あの男、どこかで…)
だが、悠長にしている暇はない。目の前にはユニサンたちが迫っている。
所詮は僧侶にすぎない。こちらに攻撃を仕掛けないのならば放っておけばよいだろう。
アズマはオンギョウジたちを無視し、刀を構えて迎撃の態勢を取る。
ユニサンたちの先手はロキN8だった。アズマに向かって短銃を発砲。散弾だ。
「たかが銃などと!」
かつての偉大なる剣王は言った。
―――剣は銃よりも強し
銃器の類はたしかに人類にとって革命であった。弱い者であっても簡単に相手を倒せるようになった。
されど、所詮は紛い物の力。磨き、強められた本物の武人の力には遠く及ばない。
剣は銃よりも強い。拳は銃よりも強い。それこそが武人の誇りであり生きざまである。これは武人の中の共通認識だ。
当然、アズマもそう確信している。剣だけに生き、剣だけに捧げた武人の魂が、たかが銃などに負けることはありえないのだ。
「ふんっ!」
散弾を避けることもなく切り払い、吹き飛ばした。
いくつか身体に当たったが、すべて防御用の戦気が防いだ。所詮この程度である。
が、その一瞬に相手の姿が消えていた。たった一瞬。刀と散弾がぶつかった瞬間である。
戦いにおいて相手を見失うことはもっとも避けたいことだ。防御にしても攻撃のタイミングを計らねばならないからだ。
(どこだ…!)
アズマが消えた相手の気配を探ろうとするも、すでにロキN6が剣を持って向かってきていた。
ロキN6の一撃をアズマは受け止める。
激しい衝撃。一瞬だが押されたことに驚く。
(この俺を圧すか!)
込められた剣撃の威力はアズマに劣らない鋭いものだった。
かろうじて切り払うも、圧力で一度後退せざるをえない。
剣王技、『剛斬』。
集めた剣気をそのまま刃に宿し、一気に叩きつける力技である。体重を乗せて叩きつけるので切り払うのが非常に難しい技だ。これを一点に集中して球状にして放てば、剣衝の上位技『剣衝波』となる。
さらに迫り来るロキN6に対して、アズマは反撃を試みたかった。この相手は強い。背を見せればやられる。
が、即座にアズマは全力で横に跳ぶ。
考えて跳んだのではない。危険を察知した身体が勝手に動いたのだ。それは本能が成せる業であった。
もしあの場にとどまっていれば死んでいた。その予感は見事に当たった。
消えたロキN8が【アズマの影から現れて】、足に短剣を突き立てようとしていたのだ。
暗殺術、『影隠』。
足を刺されて動きが止まったところに、ロキN6に攻撃された映像を思い浮かべるだけで冷や汗が浮かぶ。おそらく致命傷を負っていただろう。
しかし、今のアズマには命拾いに安堵する暇もない。
体勢を崩したところに今度はユニサンが飛び込んでいたからだ。
すでに避けることを想定して動いていたのだろう。必殺の間合いである。
「ぬんっ!」
ユニサンはアズマに向かって右拳を放つ。
覇王技『虎破』。
タイガーブレイクとも呼ばれ、簡単に言えばストレートパンチ、直突き、正拳突きと呼ばれるシンプルなものだ。覇王技においては基礎の技として知られている。
しかしだ。基本となるものこそ最強である。
この虎破を極めたものが最強の覇王技である【覇王拳】にもなるのだ。ただのパンチ。されど最強の資質が込められた拳である。
「はっ!!!!」
アズマは完全に避けられないことを悟り、全身から防御の戦気を放出。
迫り来る拳に対しては刀の柄を当て衝撃を吸収し、身体をひねり直撃を避ける。
アズマは吹き飛ばされたが、宙で回転して音もなく着地した。芯を外したためにダメージは、ほぼない。
(強い)
それは両者が同時に思ったことである。
ユニサンたち三人の攻撃は見事だった。暗殺者であるN8の動き、N6の剣技、ユニサンの迷いのない判断力と拳の一撃。普通の武人ならばどれも避けきれず、呆気なく死んでいたものだ。
だが、それをアズマは避けたのだ。元からある才能に加え、戦場で培った経験と勘。すべてが実戦によって編み出された動きに隙はない。剣を攻撃だけではなく回避にも使えるあたり、非常に器用な武人であることもわかった。
この男は強い。
そうユニサンが警戒を強めるが、アズマも同様に相手の強さを認めていた。
剣には自信があった。結界師を守ったロキに剣を防がれた時には、アズマにも一瞬動揺が走ったくらいだ。
さらにあの連携攻撃である。楽勝ではない。アズマも死ぬ気で避けたのだ。
結果的に培った技が身を助けたにすぎない。本来ならば、あの状況にならないように動かねばならないのだ。
それができないほど相手が強い。




