一話 「語り部の詩 『大陸歴七一七八年』」
大陸暦七一七八年。
【ガネリア動乱】が終わった七一七七年から、約一年の月日が経っています。
この年、世界を震撼させる出来事が起こります。
おそらく過去数百年で最大の惨事だったでしょう。
それは突如としていきなり発生しました。何の前触れもありません。その日の何気ない朝に、誰もが想定していないことが起こったのです。
西部の資金の流れを統括する【西部金融市場】が、何者かにシステムを乗っ取られました。管理者が止めようとするのをあざ笑うかのように、でたらめの数字、株価を表示させました。
現在の世界は【お金】で動いています。
衣食住、はては生命すらお金によって左右されるのです。哀しいことですが、これが現実です。
人々の多くは、お金を信頼しています。お金こそがすべてであり、物事の指針だと信じています。資本主義を否定するほうがおかしいのだと、さも立派そうに言うのです。
しかし、それが狂い始めました。
当初、彼らは楽観視していました。たまたま起こったシステム障害にすぎないと。この機会にまた一儲けしようと情報を集めていきます。
ですが、事態は彼らが思うほど簡単ではなかったのです。金融関係者、投資家、マネーゲームを楽しむ投機家は、顔を真っ青にすることになりました。
なぜならば一向に回復の兆しがないどころか、あらゆる国家の金融システムがダウンし始めたのです。
西側各国の中央銀行、西の強国ルシア帝国、東の連合大国シェイク・エターナルに至るまで、ほぼすべての国家のシステムが機能を停止します。
末端の金融機関にまで及ぶシステム障害は、政府と市民に大きな打撃を与えました。お金が下ろせない、資金の調達ができない、機能全部がダウンしたのですから取引すべてが停止しています。
この瞬間、【お金が効果を失った】のです。
慌てた彼らは西部市場からの資金の回収に走りますが、その状態のまま一ヶ月が過ぎました。
どうやってもシステムが回復しません。あらゆる国家、あらゆる専門家たちが力を合わせているのに、どうにもならないのです。その段階で事態が最悪のものであることが予想されます。
どんどん悪化していく障害は病院を含むライフラインも直撃しました。流通が途絶えていくのにつれて、すべての紙幣による取引を停止せざるをえなくなっていきます。
そこですかさず動いた国がありました。常任理事国でもある雪の大国、ルシア帝国です。
世界最大の軍事国家であり絶対の統制を誇る彼らにとっては、この状態は他国の追随を許しかねない事態です。彼らの富の多くは【植民地】にあります。統制が緩むことは国家の存亡にすら関わることなのです。
急ぎ、西部市場の【凍結】を宣言します。
万一の事態を防ぐため『騎士団』までも導入しました。混乱を抑えようと必死です。その甲斐もあってか国家分裂の危機に至ることはなく、混乱はすぐに収まりました。
これが、まず【最初に起こった異変】でした。
非常に大きな出来事でしたが、これによって東側諸国が大きな利益を得ます。
西が混乱しているさなか、東部金融市場だけは正常です。そこに物と金が集まります。静観するしかなかった投資家たちが、その流れを見逃すはずもありません。
今までは世界を縦軸に二分する中央線から西側が文明の中心地でした。
東の大国シェイク・エターナルも、もともとは西側からの移民がきっかけで生まれた国家です。
東側の国家には西側への憧憬とともに強い劣等感が存在していますので、このチャンスを見逃すはずがありません。さらに投資を集めようと規制緩和の動きに出ます。
その結果、多くの物資、資金が東に集まり、パワーバランスが少しずつ崩れていきました。
急速に力をつけていく東側の国家。貧困に喘いでいた国にも恩恵が与えられつつありました。
彼らの中には、これを好機と考える者たちも大勢います。ようやく自分たちの時代が来たのだと、長期的な西側の失墜を大歓迎しています。
こうしておおよそ四ヶ月、異様な好景気が続きました。
まさにバブルが起きたのです。
いまだ西側の混乱は収まらず、システムも回復しません。さらに差は縮まっていきます。
失墜だけでなく東が西を超える。そんな考えも生まれ始めていました。物と金が溢れんばかりに注がれ、東側は夢を見ていたのです。
しかし、それもすべては【計画】のうちでした。
彼らは何も知らずに夢を見ていたのです。
夢はいつか覚めるものです。
目覚めたくなくとも、否応なく覚める日が来ます。
無慈悲で残酷な【悪魔】の鎌は、彼らの首を刈るために、今か今かと振り下ろすタイミングを待ちわびているのです。
ただし、それは一気にではなく徐々にでした。じわじわと首にあてがわれ、一滴、また一滴と血が流れていくことに、彼らはまったく気がつきません。
バブルに沸き立つ人々は、徐々に株価と為替レートが操作されているとは知りませんでした。
少しずつ狂っていく数値。それでも自らの欲望を加速させ、物と金を求める人々。誰かが破産してもお構いなしです。自分は失敗しないと思っているからです。そのマネーゲームで勝つのは、ほかならぬ自分だと決めつけているのです。
ですが、誰もそんなことは決めていません。
彼らには決める権利がないのです。
もしあるとすれば、この計画を実行に移した者だけでしょう。
そして、その差異は少しずつ顔を見せ始めました。
量が足りない、資金の計算が合わない。取引が成立しなくなってきたのです。彼らは数字ではなく、人を疑いました。きっと自分を騙そうとしているのだと罵り合います。
そんな小さないざこざが続きましたが、さらに一ヶ月経った時、事の真相が判明します。
―――「東部市場の株価も操作されていた」
国際通貨基金の発表により、その事実に気がついてしまいます。
東部市場は大パニックに陥ります。調べてみると株式はおろか、物の値段もどれもはっきりしないのです。何がいくらなのか、誰が何をどれだけ所有しているのかすらわかりません。
消えていくデータ、改竄される個人情報に踊らされ、思考が停止していきます。もはや誰も信じられないのです。誰を信じるべきかもわかりません。
西側は停止状態、東側も大パニック。
世界は混乱に陥りました。
そうです。
これが―――【世界大恐慌】の始まりです。
お金の価値がまったくわからなくなったのです。もはや空前絶後の大事変となりました。
それによって各国国内では物資をめぐって略奪などが発生しました。その件は軍の介入および緊急の物資の分配によって凌ぎましたが、このままでは世界が大混乱に陥ります。
そこで、ついに【国際連盟】が動きました。
現在、世界には三百あまりの国家が存在します。その大半は自治領を含めた非常に不安定なもので、実際に一定水準を満たす国家として運営されているのは百にも達していません。
国際連盟に加入しているのは二百弱の国家ですが、実態は常任理事国である五つの大国、『ルシア帝国』、『シェイク・エターナル』、『ロイゼン神聖王国』、『グレート・ガーデン(通称GG)』、『ダマスカス共和国』が中心となって運営しています。
それ以外の国家は力が弱く、その五つの常任理事国のどれかに賛同することで、かろうじて生き延びているのが実情でした。
すなわち国際連盟とは、常任理事国による国家ぐるみの【利益分配システム】です。
国際連盟の理念は世界の安定です。人権問題や貧困などさまざまな決議も行いますが、主体となるのはやはり利権なのです。
その本質は【自分たち以外が世界を支配しないこと】。
他の特定の国家が強くなりすぎないように牽制したり、あるいは五つの大国が協力しあってバランスを取ることにあります。
ですが、近年の国際連盟の活動は非常に限定的でした。
その要因は、ルシア帝国とシェイク・エターナルの不和にあります。
西の大国であるルシア帝国は植民地を急速に増やし、国力を増していました。それに対してシェイクは非常に大きな危機感を抱いており、激しい応酬が続いていたからです。
それは議会内にとどまらず、互いの植民地を使った代理戦争にまで発展していました。世界を牽引する二つの大国が争っている状態では、とても国際連盟の機能を果たすことはできなかったのです。
しかしながら、今は状況が状況です。今までの確執よりも、まずは収拾が先だと緊急会議を始めます。
このままでは両国とも疲弊し、その間に他の常任理事国の台頭を許すことになってしまうからです。
その国際会議は、常任理事国のダマスカス共和国で行われています。ここには連盟の本部があり、主に中立の立場を取ってきたダマスカスは、紛争調停にもよく使われる場でもありました。ここを選んだのは当然だといえます。
また、ダマスカスには【それ以上に大切なもの】があるからです。
会議は思ったよりも順調に進みます。
金融システムの復旧と共有化、通貨の保証、武力行使の限定および現在行われている代理戦争の一時停止などを含め、各国間の輸出入の規制緩和に向けて一気に前進を始めました。
犬猿の仲であるルシアとシェイクも手を結ぶしかありません。すべてが順調です。このままいけば世界の人々が初めて一つになっていたかもしれません。
しかし、そんな希望を打ち破る事態が起こります。
―――【ダマスカス中央銀行】がテロリストに占拠された
という急報が入ったのです。
ダマスカス中央銀行。
世界中の富が集まる場所で、全世界の金融はここから始まるともいわれています。そう、西と東の金融市場が混乱していても彼らがまだ安心できていたのは、この最後の拠り所があったからです。
絶対中立国である常任理事国ダマスカス共和国は、特別な国です。
争いもなく、貧困もない世界一豊かな国として評判です。ルシアやシェイクでさえ、彼らの富に憧れるほどなのです。
その中央銀行には、世界中の権力者の財産が集められています。公にできない資金はもちろん、国家の財政もダマスカス頼りという国も少なくありません。
絶対の信頼。それこそがダマスカスの最大の武器なのです。
当然、そこのセキュリティは万全です。まさに全世界から最高の頭脳と力が結集されて守られています。ダマスカスが保有する全戦力は、ある意味ではダマスカス中央銀行を守るためだけに存在しているともいえました。
それゆえに、そこが占拠されるとなれば、さすがの彼らも慌てます。
今となってはどうやって占拠したのかを考える余裕もありません。その答えは明瞭なのですが、当時の彼らは知りませんでした。彼らが最高だと思っていた頭脳と力など、『本当の世界』にとっては弱者でしかなかったとは夢にも思わなかったでしょう。
【本物の賢人】と、それを遂行する【悪魔】が関わっていたのですから、彼らになすすべはありません。
そして、悪魔が彼らの前に姿を現しました。
これから語るのは、世界が分かれた日、この一日に起きた出来事です。
たった一人の悪魔によって世界が大混乱に陥る日。
それを『RD事変』と呼びました。
この日から、愛と哀しみの【宿命の螺旋】が廻り始めます。
さあ、悪魔によって引き起こされる世界大戦と、それに立ち向かった十二人の英雄たちの物語を語りましょう。