断罪イベントに居合わせたので王太子を論破したら処刑されそうになったけど隣国に逃亡して愛され大聖女になりました
「ビレイユ・デスワー! そなたとの婚約を破棄させてもらう!」
突如始まった一幕に、私──人呼んで聖女ガナルーナ──はおやおやと目を瞠りました。これが音に聞く婚約破棄、または断罪イベントというやつでしょうか。珍しい場面に遭遇したものです。
今日は王立アカデミーの卒業式。神殿を代表する貴賓として式に招待された私はその後の記念パーティーで美味しいお料理や飲み物を楽しんでいたところでした。
私とそう年の違わない学生たちも同じようにデザートや肉類を頬張ったり、意中の相手をダンスに誘ったり、なごやかな雰囲気だったと思います。でも今は数分前とは一変して、上位貴族も下位貴族もざわつきながらホールの真ん中を怖々と見やるのみでした。
「婚約破棄? 一体どういうことですの?」
聞き返したのがビレイユ・デスワー嬢でしょうか。整った顔立ちの、艶やかな黒髪の令嬢です。彼女は現状に困惑しつつも毅然とした振舞いでパートナーに問いかけました。
「白々しい! そなたがこの学園でどんな悪行を重ねてきたか、私にはすべてわかっているのだぞ! そなたのような悪女を国母にはできぬ! よって私はそなたとの婚約を白紙に戻し、新たな妃候補を迎えると決めたのだ!」
どこかで聞いた声だなと思ったら、オカッパ茶髪を撫でつけながら一方的に叫んでいるのは我が国の世継ぎミムメモ王太子のようです。彼はもう二十歳になるはずなのに、相変わらず自己中心的コミュニケーションしか取れないようで私は思わずハアと溜め息を漏らしました。
式典でしばしば顔を合わせるのでミムメモ王太子のことはよく知っています。傲慢で、強欲で、大食らいで、怠け者で、嫉妬深くて、すぐに怒り出す七大罪の擬人化みたいな男です。
どうせ今回も非は彼のほうにあるのでしょう。決めつけるのは良くないですが、私には揺るぎない確信がありました。
私は国家認定を受けた聖女です。普通の人にはない神力を持っています。
その一つが予言の神から授かった異能で「名前を聞けば相手がどんな人間か直感的に理解できる」というものでした。
例えばビレイユ・デスワー嬢なら全身を布で覆われていても「美麗ですわ」とわかります。私の本名、ガナルーナ・ザコメラも「愚者がさえずる口を塞ぐ」の意味を持つ聖女にぴったりなものなのです。
でもミムメモ王太子はいけません。この名前からは「まぬけ」という雰囲気がぷんぷん漂ってくるのです。噂では生誕時、神託を受けた神官が定めた名前だと聞きますが、当時はきっと意味のわかる者がいなかったのでしょう。
もちろん誰もが名前の通りの人生を歩むわけではありません。ただ王太子に限っては、王族にふさわしくない言動が目立ちました。せっかく私が補佐官長に推薦したデキルデ・ギョームさんを閑職に回したり、新興貴族のタイコモチ家やトリマキ家ばかり優遇したり、国事より自身の満足を重んじる態度はいかがなものだろうかと思います。
しかもミムメモ王太子は無責任かつ楽観的かつ気まぐれで、国家の重大事でさえもカードに興じるかのごとき采配をするために、臣下は毎日あれやこれやと苦しめられているのでした。
「悪行とはなんの話です? わたくしは身に覚えがございませんが」
「ええい、まだ白を切るか! そなたが陰湿な嫌がらせの常習犯だった事実は複数の者が証言しているのだぞ!」
おっとまだ断罪イベントの途中でした。私はいそいそとホール中央に近づき、人の輪から渦中の二人を覗きます。
「陰湿な嫌がらせ? わたくしが一体いつどこでどなたにそんな真似をしたと仰るのです?」
ビレイユ嬢は憤りの滲む目で王太子を睨みました。清純ながら芯の強い女性なのでしょう。怒った顔も画家が筆を執りそうなほど迫力ある美しさです。
それにしても不思議でした。女の私から見てもビレイユ嬢は並外れた容姿の持ち主だというのに、ミムメモ王太子はどうして彼女と婚約破棄など考えたのでしょうか。頭空っぽのあの男なら見た目だけで相手を決めそうなものですが。
私の疑問はただちに解消されました。王太子が後方から別のレディの細腕をぐいと引き寄せたからです。
「そなたが陰で虐めていたのはこのキャナリーノ・ド・エッツィ伯爵令嬢だ! おおかた彼女のプロポーションに嫉妬してのことだろう!」
うわあと私は倒れそうになりました。キャナリーノ嬢は唇をぽってりうる艶メイクした、悩ましい伏目に大胆な肩出しドレスのかなりドエッチな令嬢です。鼻の下を伸ばしまくった王太子が何に惹かれ、誰と妃を交代させんとしているのか一瞬で理解して私は内心「バカ! スケベ!」と毒づきました。
「そうですわぁん。わたくしとっても怖かった……!」
キャナリーノ嬢はノリノリで糾弾に参戦します。ほとんど身体をくっつけるように王太子と腕を絡める彼女は勝ち誇った顔でした。
「わたくしはド・エッツィ家のご令嬢とお話しするのはこれが初めてなのですが?」
一方ビレイユ嬢の表情は曇り続けるばかりです。冷静を保っていた黒い目もどんどん吊り上がっていきます。
「嘘をつけ! キャナリーノは何度も私に泣きついてきた! そなたに私物を壊された、学園の風紀を乱す者は出ていけと脅されたと」
「濡れ衣でございます! きちんとお調べになったのですか!?」
「調べたから言っているのだ!!」
王太子はぴしゃりと反論を撥ねつけました。調べたとだけ言われても納得がいくはずないのに証人を連れてこようともしません。いつも通りに尊大に「私が言っているのだから甘んじて受け入れよ」と無言で要求するばかりです。
「ともかくそなたとは婚約破棄だ! 私はキャナリーノと結婚する」
邪魔者を追い払うようにミムメモ野郎はしっしと大きく手を振ります。次の瞬間、王太子の護衛騎士たちが気の毒そうにビレイユ嬢を囲みました。
ビレイユ嬢にはド・エッツィ家に勝る勢力がないのでしょうか。こうなっても誰も彼女を擁護しようともしません。ろくな証拠もないままに一人の女の人生が台無しにされようとしているのに!
さすがにこれは捨て置けず、私は一歩前へと出ました。
「はーい、その婚約破棄ちょっと待ったー」
人垣から私が姿を現すとにわかに注目が集まります。「げっ!?」と仰け反ったのは顔見知りであるミムメモ王太子でした。
「せ、聖女ガナルーナ!? まだ帰っていなかったのか!?」
「美味しい料理とデザートがいただけるのに即帰りとかするわけないじゃないですか。記念パーティー終了までがアカデミー卒業式でしょう?」
「そ、そうか。ではそなたは食事に戻るといい」
「いやいや、何か揉めていらっしゃるみたいなので聖女として手を貸しますよ」
「は!? ちょ、余計なおせっかいはしないでもらおう! これは私たち三人の問題でそなたには関係な」
「やっぱり男女関係はきちんと清算するべきですしね。そのうえ王族の婚姻に関わる話でもありますし、あとあと実は冤罪でしたということになったら大変じゃないですか」
私は有無を言わさずに場に介入します。さり気なくビレイユ嬢を庇って立つと私は彼女に問いました。
「嫌がらせなどした覚えはないということですが、真実ですか?」
「は、はい。聖女さま」
「真実なら証明できます。髪の毛を一本いただいても?」
窮地に立たされていたビレイユ嬢は聖女の登場に心から安堵した様子です。それもそのはず、私のもう一つの異能は国民にもよく知られていましたから。
私が爪や髪の毛に神力をこめるとそれは人間の形を取ります。ビレイユ嬢の毛髪ならビレイユ嬢そっくりに。
ただ人形は人間のように嘘がつけず、本心を誤魔化すことができないのです。それで裁判や事情聴取の席などで具現化させる機会が頻繁にあるのでした。
「お願いします、聖女さま」
ビレイユ嬢は躊躇なく美しい黒髪を抜き、私の手に渡してきます。一応彼女が本当に悪い令嬢であることも考慮には入れていましたが、その可能性は低そうです。むしろヒトガタの証言を阻止したそうにオロオロしている王太子たちのほうがずっと怪しいと言えました。
そんなミムメモ王太子とキャナリーノ嬢を無視して私はビレイユ嬢の毛髪をヒトガタに変化させます。手の中から出現したもう一人の令嬢に、見守っていたギャラリーが「おお」とどよめきを漏らしました。
「ビレイユ嬢、あなたはキャナリーノ嬢の私物を破壊したり、学園の風紀を乱す者は出ていけと脅したりしましたか?」
「いいえ、わたくしはそのようなことはしていません」
ヒトガタがそう答えると更なるどよめきが広がります。
王太子たちは青くなったり赤くなったりしていましたが、私は構わず質問を続けました。
「ではキャナリーノ嬢と会話したのは今日が本当に初めてですか?」
「はい、本当に初めてです」
私はくるりと振り返り、ビレイユ嬢を悪女に仕立て上げようとした下衆どもに目をやります。
「あらあら、おかしいですねえ。先程そちらのキャナリーノ嬢は、ビレイユ嬢に嫌がらせされたと話していた気がしますけど」
「……っ!」
「真実を明らかにするためにも、キャナリーノ嬢とミムメモ王太子殿下からも、いただけますよね? 髪一本」
私が右手でクイクイとジェスチャーすると王太子たちは踵を返して逃げ出しました。「なな、何か誤解があったようだ。じゃあ!」と会場出口に向かうので速歩で後を追いかけます。
「その誤解を正しましょうねと私は言っているんです。公衆の面前でレディを辱めるところだったんですから誠意ある対応をお願いしますよ」
「グワーッ!」
「キャアーッ!」
採取の許可を待つことなく私はミムメモ王太子とキャナリーノ嬢から数本の髪の毛をゲットしました。
本当は一本あれば十分でしたが、往生際が悪いからこうなるのです。それから間もなく真相は白日の下に晒されることになりました。
「わたくしは王太子妃になるためにビレイユ嬢を蹴落としたかったんですの! 殿下はわたくしをお気に召してくださったのですから当然の措置ですわぁん!」
「私はキャナリーノ嬢のビッグボインに釣られたのだ! ビレイユ嬢は美しいだけで中身はつまらん女だからな! 触れない芸術品より触れるビッグボインだろう!」
ヒトガタたちはご機嫌にオホホワハハと笑い合います。記念パーティー会場にはウワ……という冷えた空気が流れました。
「じゃあ殿下は、キャナリーノ嬢が嘘をついていると知っていてビレイユ嬢に婚約破棄を突きつけたわけですか?」
「もちろんだとも! 実にスマートなやり方だろう? ビレイユ有責の破局であれば私の経歴に傷がつくことはないからな!」
最悪です。百歩譲って結婚相手を替えたくなっただけなら「アホめ」で済んだ話ですが、ちゃんとした別れ話もなく婚約者に責任を押しつけて自分たちだけ幸せになろうとはどういう了見なのでしょう。
「違う違う! こんなのは嘘だ! ペテンだ!」
なお呆れたことにミムメモ野郎は大声で無罪の主張などしています。
なんて困った王太子! 私は呆れて大きく肩をすくめました。
「わたくしも婚約解消には同意です。こうなった以上、二人の間で良好な関係を維持するのは難しいと思いますから。ただ今日の一件に関しては、後日王家から公式な謝罪をいただきたく存じますわ。ミムメモ殿下、なにとぞよろしくお願いします」
と、ホールにとびきり冷徹な声が響きました。婚約破棄を告げたのは、今度はビレイユ嬢のほうです。
馬鹿の相手に疲れたらしくビレイユ嬢はくるりと踵を返しました。そうして私に「ありがとうございました。本当に助かりましたわ」と正式な謝礼について約束すると会場を去っていきました。
さてはて、当事者が一人減っても現場はまだ大混乱です。結局この後騎士団が「王族を騙した」などとしてキャナリーノ嬢を捕縛し、王太子とビッグボインのアバンチュールは終わりを迎えたようでした。
また一つ徳を積んでしまったな。無実のレディを救い出した私の自己肯定感は爆上がりです。さすがのミムメモ王太子もここまで恥を晒したのだから自らの行いを猛省してくれることでしょう。
私はこの日いい気分で眠りました。まさか己が追われる身になるとも知らず──。
***
「許さん、許さん、今度こそ許さんぞ、あの女!」
その夜お城ではオカッパ頭の王太子が真っ赤になって大暴れしていました。華麗に婚約破棄をキメてセクシー令嬢とムフフな日々を送ろうとしていたのに、その令嬢が聖女のせいで投獄されてしまったのだから無理もありません。
反省という言葉を知らない王太子は憎しみの炎をたぎらせて激怒しました。必ず、かの邪知暴虐のガナルーナを除かねばならぬと決意しました。
普段はものぐさな王太子ですが、嫌がらせや仕返しのときだけは行動が早いのです。代わりに綿密に計画を練るということもしませんが。
ともかくです。もう日も落ちたというのに彼は臣下を宮殿に呼び集めました。そして不遜な反逆者を亡き者にすると高らかに宣言したのでした。
***
真夜中でした。ゆさゆさと乱暴に寝ている身体を揺さぶられたのは。
私はぱちりと目を開けます。するとそこにはよく知る顔がありました。
「ガナルーナ、おぬし一体なんということをしてくれたんじゃ! 王家の名で聖女ガナルーナの逮捕令状が出ておるぞ!」
「へっ? 逮捕令状?」
寝耳に水の話に私は飛び起きます。暗い部屋を小さなランプで照らしながらニガシ宮司は苦い顔で言いました。
「城勤めの神官から急報が入ったのじゃ。おぬしよりによってミムメモ殿下の面目を丸潰れにしたそうじゃな。だから善行のやりすぎには気をつけるように言ったのに……! このままここで寝ておれば朝にはお縄になっておるぞ。さ、早く、着替えて逃げる支度をせよ!」
「えええ!?」
私の手にはいつもの白い聖衣ではなく長旅用の黒いケープが渡されました。わけもわからずそれを着込んで私は荷物をまとめます。
ニガシ宮司の話によれば、ミムメモ王太子は聖女ガナルーナを偽物であると断定し、王家と国民を騙した罪で処刑すると息巻いているそうでした。なるほど私が偽聖女なら王太子は昨日の一件を「なかったこと」にできるのです。まさかそう来るとは思わず、私はカスってどこまで行ってもカスなんだなと感心すら覚えました。
聖女って国力の根幹ですし、王族みたいにバカスカ生まれてこないんですよ? 希少価値だけで言えば王家の子孫より貴重です。資質を持つのは一万人に一人だとか言われていますし、複数の異能を授かった聖女はこの国では私だけです。それを自分の都合だけで亡き者にしようなんて、未来の王のすることとは思えません。カスもここに極まれりです。
「うちの王族は邪魔だと思うとすぐ謀殺に走るからのう。おぬしが聖女の座に就いてからは検挙率が上がってかなり抑制されておったんじゃが……」
そういうことならミムメモ王太子以外にも私に消えてもらいたい人間は多いのでしょう。というか昔はそんな血みどろだったんですね。王太子がアホすぎるので不思議に思っていたのですが、有能な跡継ぎ候補は全員再起不能になってノーマークのまぬけだけが生き残ったに違いありません。
「準備はできたか? では裏口から馬車に乗るんじゃ。神殿にはおぬしの髪で作ったヒトガタを置いてくれればわしがなんとか一日くらい誤魔化そう」
「うう、悪いことしてない私のほうが逃げなきゃ命が危ないなんて……。あの、宮司さま、私ってどこに身を隠して王太子一派を粛清すればいいですか?」
「じゃからその血の気が多いのをやめい!」
時間がないと言いながらニガシ宮司は苦々しく小言を続けます。幼少期からお世話になっている人なので大人しく聞いておきますが、こんな風にのんびりしていていいのでしょうか。
「実はもう一人おぬしの身を案じて駆けつけてくれた者がおる。おぬしはその人の馬車で隣国へ行け。そこでなら安全に暮らせるはずじゃ」
「え? 隣国?」
想定外のその言葉に私は目を丸くします。聖女が国を離れたら大変なことになるのでは? 私自身は神から授かった神力をどこでも自由に使えますが、私への祝福ついでに加護されていたこの国は神々からそっぽを向かれてしまう気しかしないのですが。
(うーん、でも王家の信仰心がしょぼすぎてもともとたいした恩恵受けられてなかったし、国民生活にはそんなに影響ないのかな?)
悩む私の腕を引き、ニガシ宮司が寝室のドアを開きます。いずれにしても彼が今はこれが最善と判断して私を亡命させようとしてくれているのです。余計な口は挟まずに従っておくべきでしょう。
「詳しくは馬車で聞くがよい! ささ、早く分身を」
薄暗い通路の奥、閉ざされた裏口の前で私は私の銀色の髪を抜きました。力をこめるとそれはすぐに可憐な娘の姿を取ります。嘘のつけないこのヒトガタが少しでも逃げる時間を稼いでくれるといいのですが。
「カスは集まってより大きなカスになるから一掃したほうがいい……」
動き出すなり真顔で親指を下向けたそれをニガシ宮司が小突きます。分身で作った私、死んで詫びろとかカスとかゴミしか言わないんですよね。まあ聖女は正直な生き物なので、普段の言動と変わりないと言えば変わりありません。
「ガナルーナ、達者でな。わしより長生きするんじゃぞ」
「宮司さまも、うかつに私を擁護なんかして失脚しないでくださいね」
私たちは向かい合い、別れの握手を交わしました。あまりに突然のさよならで現実感は追いつかないままでしたが。
外に出ると真っ暗闇に小さな灯が見えました。こちらに気がついたと思しき誰かの足音、それが二人分近づきます。
「聖女さま!」
先に駆け寄ってきた女性は昼にも会った令嬢でした。全身を覆い隠すように長いケープを羽織っていますが雰囲気ですぐに誰だかわかります。
「ビレイユ・デスワー嬢?」
問いかければ相手はこくりと頷きました。どうやら馬車を出してくれたのは彼女のようです。デスワー家はもう聖女捕縛の動きを察知し、義によって救出にきてくれたということでしょうか。私の逃亡を助けるだけならわざわざ令嬢が出てこなくてもいいような気がするのですが。
「立ち話をしている余裕はありません。王家の追手がかかる前に、どうぞお早く馬車の中へ」
と、ビレイユ嬢のすぐそばについた男性が私たちを促します。一瞬ランタンに照らされたその顔はビレイユ嬢に負けず劣らずの麗容で、濡れたように艶めく黒髪も二人の血縁を示しました。腰にも剣を帯びているし、最初は護衛騎士かと思いましたけれど、どうやらそうではなさそうです。
「あなたは妹を守ろうとしてくださった恩人です。だから今度はデスワー家がきっとあなたを守ってみせます」
真摯な瞳と真摯な言葉に私は胸を打たれました。この国にも腐敗していない立派な貴族がいたのではありませんか。なんと喜ばしいことでしょう。
「ありがとうございます。ご厄介をおかけしますがお願いします」
丁寧に一礼し、私は馬車に乗り込みました。デスワー家の美しい兄妹も続いて同乗してきます。
ひょっとして隣国まで送り届けてくれるのでしょうか。だとしたら驚くほど義理堅い二人です。
「本当になんとお礼を言ったらいいか……」
改めて頭を下げた私に対し、兄妹は「いえいえ!」と仲良く首を振りました。恩を返すのは当然のことなので、と二人は声を揃えます。
「そう言えば自己紹介がまだでしたね」
ガタゴトと馬車が走り出すと彼らはフードを下ろしました。黒い髪、黒い瞳が露わになり、私は二人の清廉な美にほうとします。
ビレイユ嬢も清楚で可憐な令嬢ですが、精悍でたくましい兄はなんとも実直そうな健康美男子です。まさに世の少女たちが憧れるナイトそのものと言えるでしょう。昨今の貴族社会では珍しいほど誠実で柔らかな物腰。一体彼がどんな名前の持ち主なのか私は少しどきどきしました。
ゆっくりと薄い唇が開かれます。そうして彼は穏やかに目を細めました。
「俺はデスワー家の当主、クソッカス・デスワーと申します。どうぞクソッカスとお呼びください」
私は崩れ落ちました。長椅子の上で身を滑らせ、ズコーという古典的なリアクションを取るしかできませんでした。
絶対ダメじゃん。絶対ダメなやつじゃんこれ。
「くっ、クソカス……!?」
「クソッカスです、聖女さま」
ここにいたら却って危ないのでは? そうは思えどもスピードに乗った馬車からは降りられそうにありません。「ちょっと止めてもらえます?」と頼んでも「国境を越えるまでは危険ですので」とたしなめられておしまいで。
無情に馬車は私を遠くへ連れ去ります。こうなれば何か起きても聖女の力でなんとかするしかありません。
(く、クソッカス・デスワーって……!)
一体彼はどんなクソでカスなのでしょう。善良そうな風貌からは想像さえもつきません。
はたして私は無事に隣国へ逃れられるのでしょうか。美貌の兄妹を見やって私はハハと乾いた笑みを漏らすのでした。
***
人間に人間という名前をつけてやったのは予言を司る神だと言います。以来人は動物であることをやめ、信仰を持ち、社会生活を営むようになったのだと。
名づけをしたのが親でも隣人でも神官でもその名前には神々の意思が宿ると私は考えてきました。この世を見守る上位存在はあらかじめ人間たちに相応の運命を与えることで円滑に世界を回そうとしていると。
円滑に、というのはあくまでも神々基準での話です。戦争を司る神からすれば平和など腹の足しにもなりませんし、ほかにも数多いる神々の欲を満たすには世界は混沌としながらも滅びぬものでなければならないわけですから。
ともかく人名というのは「神がその者をどんな役に配置したか」が露骨に読み取れるものなのです。反映度合には個人差があり、名前通りに生きない者がいるのは確かですけれど、やはりそれはレアケース。基本的にはやばい名前の人間はやばい危険人物なのです。
「……というわけで、俺たちもテーヂゲン国を去ることにしたのですよ」
クソカス野郎、いえ、クソッカス侯は爽やかな声で説明を終えました。名前の件が気がかりすぎてよく集中できませんでしたが、デスワー家まで亡命馬車に乗り込んだのは彼らにも難儀な事態が発生したからのようです。
「本当に信じられない王太子ですわ。こうも軽々しく侯爵家を一つ取り潰してしまうなんて」
ビレイユ嬢が深々と嘆息します。王太子の元婚約者はそれでも身軽になれたことにほっとしている様子でした。
デスワー侯爵家の事情とはこうです。彼らの母は元々隣国の貴族で、大恋愛の末にこちらに輿入れしたそうです。ところが事故で前当主、ビレイユ嬢らの父が死去するとデスワー夫人は社交界で相手にされなくなりました。テーヂゲンに後ろ盾を持たない夫人はなんの力もなくなったからです。
そんなとき王太子がビレイユ嬢を見初め、婚約者にと言ってきたので夫人は了承してしまいました。当時王宮では黒髪女子が大人気だったので天然艶髪のビレイユ嬢に手を出したくなったのでしょう。ミムメモ野郎の考えそうなことでした。
けれど結局真面目なビレイユ嬢とカスでは上手く行くはずありませんでした。そうこうする間にデスワー夫人も病を得て帰らぬ人となってしまい、王太子はこれ幸いとビッグボインのドエッチ嬢に鞍替えし、昼間の断罪イベント現場が出来上がったというわけです。
「王家の使者がデスワー家を訪ねてきたのがつい数時間前でした。ビレイユの有責での婚約破棄を認めないならテーヂゲン王家に刃向かったものと見なして侯爵家は取り潰し、当主とその妹には国外追放を言い渡す、と」
「わたくしは王太子の婚約者として間違った行動を取ったことはございません。ですので使者にはそのように伝えましたわ。お父様もお母様も亡くなって、わたくしもアカデミーを卒業した今この国に何の未練もありませんもの。わたくしたちは隣国の親戚のもとに身を寄せて人生をやり直すことにしたのです」
先程も聞いた話を二人はより詳細に繰り返します。よほどはらわたが煮えたらしく、デスワー兄妹はぎりりと歯を軋らせました。
「神殿に来てくださったのはなぜですか? 私の危機を知っていたのは?」
気になっていたことを私は二人に尋ねます。「ああ、それは」と応じてくれたのは名前さえ知らなければ親切で聡明に見えるクソッカス侯でした。
「王家は聖女さまの沙汰を引っ繰り返してきたわけでしょう? なのでこれは聖女さまの身にも何か起きるに違いないとすぐに妹に伝えたのです」
「わたくしもその通りだと思いました。それで神殿に馬車を寄らせたのですが、偶然にも王宮から駆けつけてきた神官と一緒になりまして」
なるほど。デスワー兄妹は冷静に状況を推察し、先回りして動いてくれたわけですね。正直一人では都から逃げ延びるのも難しかったと思うのでありがたい援護です。侯爵がクソッカスなんて名前でさえなかったらもっと心から感謝を示せたのですが。
「お兄様が聖女さまのことに気づいてくださって本当に良かったですわ。兄は昔からとても頼りになるのです。聖女さまのこともきっと悪いようにはいたしません。ご安心なさってください!」
「あっハイ」
複雑な心境で私は頷くふりをします。クソッカスに悪いようにはしませんと言われても不安しかありません。この馬車からも早く降りたくて仕方なく、私はきょろきょろ目を泳がせて完全な挙動不審でした。
「ビレイユ、こら、こんなすごい方の前で褒めるのはやめてくれ。己の卑小さが際立って恥ずかしくなるだろう」
クソッカス侯は頬を赤くしてごほんと咳払いします。嘘偽りない本心からの謙遜に私の頭は次第に混乱してきました。
侯爵の地位や追放の屈辱よりも真実と妹の名誉を重んじたこと。恩人だからと初めて会う私を助けてくれたこと。どれを取ってもクソッカス侯の行動にはクソカスみなどありません。
もしかしてクソとかカスとか短絡的な意味の名前ではないのでしょうか? ニガシ宮司が私を「逃がす」役割を持っていたように、真の意味が隠されている可能性はなきにしもあらずです。
(クソッカス……屈葬か酢……くそう貸す……)
私は一人熟考しました。けれどどんなに考えてもクソッカス・デスワーという姓名からはクソとカスの断定しか読み取りようがありません。
(いや、待って? この人もしかして一発屋では?)
と、そのとき私にひらめきが訪れました。そうだ、そういうパターンもあったではないかと。
例えばキノ・コクテシヌという男がいたとき、私にわかるのは彼がキノコ類に当たって死ぬ運命だという一事だけです。クソッカス侯も人生の重大な岐路でクソカス行為を取ってしまい、これはクソカスですわと言われる。そういうことではないでしょうか?
十分に有り得ます。というかそうに違いありません。彼はクソカス堕ちをする前なのです。だからこそ落差を演出するために今は超絶善人なのです。
(な、なるほど……! それが神意……!)
私は大いに納得し、ひとまず胸を撫で下ろしました。善人がクソカス堕ちする前には必ず顕著な葛藤があります。その兆候さえ見逃さねばいいのです。
いつ裏切るかわからない男ですが、今は信用していいでしょう。彼はまだ何も悪さをしておらず、それどころか危険を賭して私を馬車に乗せてくれているのですから。
(私のこと助けてくれたんだもん。もし侯がクソカス行為に出そうになったらそのときは私が助けてあげればいいよね。うんうん)
私は改めて異能をくれた予言の神に感謝しました。私は私の姓名判断を『神の視座』と呼んでいますが、導きも戦と同じで高いところから得る情報がその後の成果に深く結びつくのです。
「本当に感謝いたします、クソッカス侯、ビレイユ嬢。ヤマバッカ国に着いたらお二人に迷惑をかけないように大人しく潜伏していることにしますね」
両手を合わせて頭を下げるとデスワー兄妹はぶんぶんと首を振りました。
「いやいや、聖女さまをお守りできる栄誉こそあれ、迷惑など」
「そうですわ。それにヤマバッカ国は随分と長いこと聖女不在で皆困っているそうです。潜伏などできないくらい歓迎されるはずですわ」
温かな二人の言葉になんだか胸がほぐれます。
クソッカス侯がいつクソカス化するのか懸念はありますが、隣国に到着するのがちょっと楽しみになってきました。
「伯父が宰相をしているのです。是非ともお会いしていただきたい」
「いつもテーヂゲン国の聖女さまが一人でもお越しくださればと嘆いておいででしたものね」
馬車の空気は逃亡中とは思えないほどなごやかです。
こうして私は隣国ヤマバッカの地を踏むことになったのでした。
***
はてさて、そんなこんなで私たちは低地の国テーヂゲンからヤマバッカ国に入りました。国境で役人に呼び止められるかもと案じていましたがそれもなく、テーヂゲン人の低次元な仕事ぶりにやれやれと息をつきます。
ヤマバッカ国は起伏の激しい山地が多く、馬車での移動も大変でした。何日もかけて私たちは王のおわす首都オーオルデを目指しました。
途中何度か困窮しきった領民と出くわしました。前々から隣国の惨状は耳にしていましたが、聖女の席が空いたままの──つまり神々のごひいきが不在のヤマバッカでは、災害が続き、著しく国力が低下している様子です。
放牧地に家畜はおらず、ほとんど食い尽くしたものと思われます。狭い耕地に作物はお情けほどにしか実らず、どう暮らしているのかも不明なほどです。
私は地元住民たちに土地の名前を教えてもらい、少しでも豊かそうな場所を耕すように伝えました。役立ちそうな名の人間がいれば今後の助言をするのも忘れず。とは言え所詮それらは付け焼刃の対応でしたが。
オーオルデに到着したのは入国から五日後のことです。山間の小都市ながら首都はさすがにほかの村や街よりは活気づいていました。人々が笑顔で道々を行く姿に私たちもようやくほっと息をつきます。ここまでずっと少ない荷から物資を分け与えるばかりの旅路でしたから。
私はデスワー兄妹に招かれて、さっそく二人の伯父だという宰相と面会することになりました。面会場所は宰相の職場でもある宮殿です。なんと彼は甥姪が聖女を連れてきたと知って一番良い茶会室を用意してくれたのでした。
「初めまして、聖女ガナルーナ様。こうして我が国にお越しくださり恐悦至極にござります。おお、おお、なんと神々しいお姿なのか……!」
感涙に咽び泣く宰相は名をヨキオジ・ソウトウ・デキルマンと言うそうです。安全指数の高い名前に私は思わずにっこりしました。他国の王城にいるという緊張もおかげですぐにやわらぎます。
「初めまして。ガナルーナ・ザコメラです。このように歓迎してもらえてとても光栄です。甥御さんと姪御さんにも本当にお世話になって……」
話は最初から弾みました。何しろこの一週間足らずでデスワー兄妹は完全に私の友、信奉者、味方、支援者と言えるまでになっていましたし、私たちは全員テーヂゲン王家に思うところがありまくりましたから。
「一方的な婚約破棄に冤罪とわかったうえでの聖女糾弾……!? 傲慢な王族であるのは知っていましたが、あまりに酷い、酷すぎる……!」
私たちの身に起きた出来事を聞いたヨキオジ宰相はすっかりご立腹でした。それもそのはず。ヤマバッカ人の彼にとってこれは身内が蔑ろにされたというだけでは済まない話なのです。
ヨキオジ宰相の高い職位から容易に推測できる通り、彼らはヤマバッカ国の王家に連なる血筋だそうです。つまりミムメモ王太子は隣国を舐めくさり、王の親族である侯爵家を平然と取り潰したのです。どうせ連中にはぬるい抗議しかできないと高をくくって。
「ぐうう……ッ! うちが今飢饉や自然災害や流行病の対応に追われまくっていなければ戦争に発展していたかもしれぬ案件ですぞ……!」
「伯父上、どうぞこのお茶を。鎮静作用のあるお茶です」
宰相の血圧を下げるべくクソッカス侯がなだめます。そんなものでは怒りは到底収まらなかったようですが。
「聖女さま、あんな国よりも我々のほうがあなたを大切にできます! どうかクソッカスやビレイユとともにヤマバッカ国に根を下ろしてはくださいませんか? そしていつの日にきっと、テーヂゲン国よりも豊かに、幸せになってやりましょう!」
熱い勧誘に私はふっと微笑みました。さすがヨキオジ・ソウトウ・デキルマンです。場が温まったところで即座に聖女の獲得に移るとは。
これは私が彼の見定めをクリアしたということでしょう。先程からヨキオジ宰相はちらちらと神具らしき指輪を確認していました。私が嘘をついていないか、テーヂゲンのスパイではないか、疑いを抱いていたのだと思われます。
適切な警戒ができる者には私も信頼が持てます。返事はイエス一択でした。
「不肖の身ですが、受け入れていただけるなら……」
私の返事に宰相は歓喜し、さっそく王に相談すると約束してくれました。
曰く、王の許可さえ下りればすぐにも神々から加護を得る儀式が準備されるとのことです。
「聖女不在のヤマバッカ国と言っても聖女なら誰でもいいというわけではないでしょう。私が真実この国の求める聖女たりえるか、王にご判断いただくためにこちらの分身をお連れください」
私はぷちりと髪を抜き、一体のヒトガタを作りました。ヒトガタは恭しく一礼するといつも通りに放埓な口を開きます。
「テーヂゲン王家が私を失ったこと、心の底から悔いるくらいヤマバッカ国をいい国にしてみせるねっ! 一緒に頑張ろ、ヨキオジちゃん!」
宰相の肩をばんばん叩くヒトガタは多少無礼ではありましたが、本音トークなので許してもらいましょう。
その後私は客人として宮殿に滞在することが決まりました。デスワー兄妹も私の護衛と世話役に任じられたので、この先も基本的にはこの三人で行動することになりそうです。
「わたくしたちがしっかりと聖女さまの新生活を支えますわ」
「ご安心を。あなたに害なす者あらばこのクソッカスが切り捨てます」
ビレイユ嬢もクソッカス侯もやる気十分なようでした。二人はおそらく後で王からヤマバッカでの新たな爵位、身分を授けられるでしょう。私も亡命聖女であることを隠すために偽名が必要になるかもしれません。
(儀式を受けたら予言以外を司る神様が別の異能をくれるかな? そうしたら古い異能はもう使わないようにしなきゃなあ。私がこっちにいるってばれたら絶対イチャモンつけてくるしね、テーヂゲン王家は)
祖国にはもう帰れないのです。ヤマバッカ国で一生懸命やる以外ありません。ニガシ宮司が無事であるように祈りつつ、頑張るぞと私は拳を握りました。
「儀式の支度が整ったので」と国王から呼び出しが入ったのは翌日の朝早くのことでした。
***
ヤマバッカ国はちゃんとしているなあ、というのが私の第一印象でした。
禊を終えて冷えた身体は聖衣に袖を通してもまだどこか雪のようです。以前テーヂゲン国で付与の儀を行った際は、斎戒どころか沐浴も省略されていたのですが。
(ていうかこれくらいやるのが普通だよね、多分)
私は宮殿奥に建てられた神殿の高い天井を見上げました。窓から注ぐ静謐な光が磨き上げられた祭壇を仄白く照らしています。祭壇には獣や果物、たくさんの供物が捧げられていました。その前に立ち、よどみなく祈祷文を響かせるのが儀式の主宰、ヤマバッカの王のようです。
線の細い後ろ姿と高い声。顔を見ずとも彼がまだ十四、五歳の少年であるのがわかります。ああ、だからテーヂゲン王家に舐められているんだなということも同時に理解できました。あそこの王族は格下と見るや煽ったりタカったり無視こいたり脅したり、賊と大差ないのですから。
「よく来てくれた。聖女ガナルーナ・ザコメラよ」
と、純白の装束に身を包んだ彼が振り返ります。
美しい人でした。顔の造形がどうということではなく、魂の澄み方が。
ビレイユ嬢のそれよりも細く滑らかな黒髪。透き通った水色の瞳。私の後ろでデスワー兄妹が息を飲みます。若き王の凛とした佇まいにひれ伏すように。
(これは駄目かもわからんな……)
畏まる兄妹二人とは対照的に私は遠い目になりました。なんだかデジャヴを覚えるのです。クソッカス侯が名乗る前にもこういうちょっとした盛り上げがあった気がするなと。
王の尊顔は期待との落差を生み出すには十分です。ひょっとするとまた来るのではないでしょうか。問題大有りの名前が。なぜならば相手は王族、どんなに長く名を盛ることも可能なのです。
(どうしよう。クソッカスよりえげつない名前が来たら)
昨日のうちに確かめておけば良かったと悔やみましたが時すでに遅しです。私はごくりと息を飲みました。そうしてかつてない緊張の中、少年王の次の言を待ちました。
「余はマトモン・ジンセー・ヤマバッカ・ヤガ・ホンマニ・エーコヤデと申す。聖女どの、こうしてそなたを迎えられてとても嬉しく思っている」
「ありがとうございます!!!!!!」
私は思わず大きな声で感謝の念を示しました。天に、地に、宇宙を創る万物に、ありがとう、ありがとうと跪いて祈りました。
ああ良かった! 溜めはあったけどやばい名前ではなかった!
心底から、心底からの安堵です。やはり上司になる人は真っ当なのが一番ですから。
「はは、元気がいいな。昨日余によこしてくれた分身とそっくりだ」
朗らかにマトモン陛下は微笑みます。彼とは上手くやっていけそうな気しかせず、喜びは増す一方でした。
「さて、さっそくで悪いが儀式を始めよう。あまり神々を待たせては受けられる加護が減ってしまうかもしれぬからな」
笑顔の陛下に手招かれ、私は彼の隣へと進みます。私もさして背の高い女ではありませんが、陛下はそんな私よりもまだ少し小柄なほどでした。
けれど彼は誰よりもまっすぐに胸を張って立っています。重責に耐えてきた人なのだとほんのひと目でわかります。どこぞのミムメモ野郎との違いに私は涙しました。
「あの、失礼かもしれませんが、陛下の守護神は何柱くらいいらっしゃるので? 神々とお呼びになったということは、少なくとも二柱はおいでなのですよね?」
交信を始める前に私は確認を取ります。これはとても大切なことです。聖女は聖女の才覚だけで神の権能を拝借できるわけではありませんから。
私たち聖女が異能を授かるためにはまず王が神々を召喚せねばなりません。しかし神々は呼びさえすればいつでも誰でも手を貸してくれるわけではなく、王が彼らに気に入られていなければ見向きもしてくれないのです。
テーヂゲン王の守護神は予言の神一柱でした。それも彼を気に入ってのことではなく、建国神だから慣習的に守護してくれていただけです。
もしも王がもっと多くの神々に愛されていればテーヂゲン国の聖女たちは八面六臂の大活躍ができたでしょう。けれど現実には活躍というレベルで何かできたのは私くらいのものでした。
王を選り好みする神は、聖女もまた選り好みします。いくつの異能を授けるか、どんな異能を授けるか、力は強めるか弱めるか、采配は神の御心一つです。
中には聖女の証である銀の髪を持ちながら、小さな異能さえ授かれなかったいわゆる『外れ聖女』もいます。そう言えば数年前、その『外れ聖女』の誰かを迎えさせてくれないかとヤマバッカ国から申請があった気がしますね。あの話はその後どうなったのでしょうか。テーヂゲン王家のことなので応じなかったのだろうなと思いますが。
「余の守護神は七柱おられる。どなたか一柱はそなたに肩入れしてくださるのではないかな」
「えっ七柱も!? すごいですね!?」
想像以上のその数に私は目を瞠りました。七なんて聞いたこともありません。神々が七柱も集まったら不仲同士の顔合わせが起こりそうです。全員を一度に呼んで大丈夫なのでしょうか?
「ああ、だが多ければいいというものでもないよ。ヤマバッカ国に長らく聖女が生まれなかったのは神々の牽制し合いのせいだと思う。皆自分の力が最も強く及ぶ娘を用意したがって水面下で熾烈な争いを繰り返していたようだからね」
やっぱりな、と私はうんうん頷きました。神々って昔からそうです。人間社会を自分たちの代理戦争の場とか遊び場としか考えていないのです。
「では私が加護を願ってもガン無視される可能性が結構あるってことですね」
「ないとは言えない。しかしそなたは予言の神の気に入りだろう? ほかの神々も放っておかぬのではないかな」
始めよう、と言ってマトモン陛下は膝をつきました。彼が祈ると祭壇が仄かに輝き始めます。私も目を閉じ、跪いて低く頭を垂れました。
最初に訪れたのは耳鳴り。神々のざわめきです。聞き取ることは不可能ですが盛り上がっていることだけはわかりました。神々が七柱も集まると気配だけで騒々しくなるものなのですね。
次いで訪れたのは衝撃。身の内に次々と熱い神力が湧いてきます。
一つ、二つ、三つ、四つ……。いい感じです。こんなに異能が増えたら歴史に名を残す聖女になるかもしれません。
五つ、六つ、七つ、八つ……。えっすごい。本当に全部貰っていいの? 今回の儀式は大当たりだなあ。
九つ、十、十一、十二……。まだまだ行きます。新たな異能は止まるところを知らないで私に付与され続けました。
十三、十四、十五、十六……。いくらなんでも多すぎではないでしょうか? え? もしかして私に授ける加護の数で張り合いでもしています?
異能は与えられた瞬間にどういうものか本能的に理解できるので説明などは不要ですが、数が多すぎてとても把握が追いつきません。しかし神々は容赦なく加護を増やしていきました。
(ま、待って! 神力の量がすごい! ちょっと待って!)
胸中で悲鳴を上げても神々は聞いてくれません。ただ意識の上のほうでワアワアと大フィーバーするのみです。静まり返っているよりはいいですが、さすがに興奮過剰でした。
そのうち湧き上がる力は三種に限定されていきます。三十一、三十二、三十三……。そこでようやく付与は完了したようです。
「ううっ」
「ガナルーナ!」
神々の気配が消えた途端、私は倒れてしまいました。まるで三日間ぶっ続けで試験勉強をやり切った朝のようです。
動くには動けるけれど何もしたくない疲労感。ずっしりと重いそれが全身を支配していました。
「ガナルーナ、大丈夫か?」
「平気です。異能は無事、三十三個ほど授かりました……」
「三十三!? 三十三権能!?」
信じがたい成果に陛下も目を剥きます。これはもはや聖女ではなく大聖女と称していいレベルでしょう。
「特に最後の追い込みがやばかったですね……。正義の女神ザマアストレアと、戦の女神ザマアテナと、愛と美と豊穣の女神ザマアプロディテが次から次へと神力を注いできて……」
「あの気難しい女神たちがか……!? 予言の神ザマアポロンに異能を授かったことと言い、そなたはよほどザマア神族と相性がいいと見える」
マトモン陛下は実に嬉しそうでした。「これで国を立て直せる」と涙混じりの笑みを浮かべ、私を支え起こします。
「マトモン陛下、私この力で今までよりもっと多くの人々を救います……! そしていつかこの世からすべてのカスを駆逐します……!」
「うむうむ、後者については適宜余と慎重に検討してゆこうな」
広い心でマトモン陛下は頷き返してくれました。私はそれからすぐに気絶し、一日眠り続けたそうです。
***
目を覚ますと私向けに整えられた宮殿の客室でした。
「あっ聖女さま!」
心配そうにビレイユ嬢が寝台を覗き込んできます。ドアを守るクソッカス侯も「お目覚めになられたのですか?」とほっとした声で尋ねました。
待望の聖女出現に宮殿は大わらわだという話です。マトモン陛下とヨキオジ宰相が中心となり、困窮地への聖女派遣計画が立てられている最中だとか。
どうやらすぐにも出番が回ってきそうですね。私はむくりと起き上がり、今のうちにたっぷりと栄養のあるご飯を食べておくことにしました。
聖女も身体が資本です。質のいい神力は健康な肉体から生まれるものです。
儀式を受ける前よりもはるかに膨れ上がった力。望んで受け取った以上、私はこれをしっかりと世に役立てねばなりません。
運ばれた食事をすべて平らげた頃、客室にはマトモン陛下とヨキオジ宰相も顔を見せました。二人は私に分厚い資料を差し出して「神力だけで解決不可能な事案があれば教えてほしい」と乞うてきます。
異能はどれも癖のある奇跡ですので使える場面と使えない場面があるのです。しかし組み合わせ次第では思わぬ効果も期待できます。私は素早く資料に目を通し、これくらいならたいした準備も必要ない旨を伝えました。
「うん、全部いけると思います。なにしろ新しく三十三個も異能を授かりましたからね。大船に乗ったつもりでお任せください!」
「おお、なんと頼もしい……!」
「ありがとう、ガナルーナ。恩に着るぞ」
私たちはスケジュールの調整や異能のリストアップを行い、効率よく国内を回る予定を立てていきました。城の役人を貸してくれるだけでなく、いくつかの訪問地には視察を兼ねて陛下たちも同行してくれるそうです。
「隣国から来たそなたに全部丸投げというわけにはいくまい。余も余の最善を尽くそう」
そう告げるマトモン陛下は本当にまともな方です。現地に彼がいてくれれば悪党を発見した際も処罰まで早く済みそうで助かります。
ヤマバッカ国の聖女として私はガナルーナカナ・ドウヤロカと名乗ることに決まりました。あまり大差なく聞こえるかもしれませんが、この文字列は高度な認識阻害音を含んでいます。テーヂゲン国の人間にも私が誰かを特定するのは難しいはずでした。
「いよいよ明日から本格的に活動開始なのですね! わたくしもドキドキしてまいりましたわ」
「何があろうとこのクソッカスがお守りします。頑張りましょう!」
私の傍らでデスワー兄妹がキラキラと黒い瞳を輝かせます。二人は私が寝ている間にヤマバッカの貴族として迎えられ、改めて侯爵位を授かったそうです。ついでにクソッカス侯は私の正式な護衛騎士に任命されたらしいので、今後の彼はクソッカス卿と呼ぶことになりそうです。
「ええ。お願いしますね、二人とも」
私は私の内から溢れそうになる力を抑えて言いました。
これからこのヤマバッカのためにどんなことができるでしょう。神力は輝く無限の未来を映し出すようでした。
***
さて、それからの我々は予測に違わず毎日大忙しでした。
私たちはまずヤマバッカ国の食糧事情を改善するべく各地に「卵の生る木」を生やして回りました。
もちろんこれは異能で生み出したものです。豊穣の女神ザマアプロディテの力は使い勝手が良く、民の救済に大いに役に立ちました。
「卵の生る木」に生るのは茹で卵です。栄養豊富で腹持ちもいいですし、卵さえ食べていればまあ死ぬことはないでしょう。(卵が食べられない人には優先的にほかの食べ物が回るようにしましたよ)儀式のおかげで神力が増しましたから、木自体も一年はもたせられます。以前の私の神力では毛髪から生み出した分身さえ三日程度しか維持できなかったのですが。
卵の木が実をつけている一年の間に荒れた畑を再生し、収穫を取り戻そうというのが我々の計画でした。ヤマバッカは山国です。全体にそこまで広い耕作地はありません。国を支える穀倉地帯に豊穣の加護を満たすのは難しいことではありませんでした。
土を耕すには人手が必要でしたけれど、農民の髪の毛を拝借すれば即戦力を得られましたし、ヒトガタはよほど怠惰な性根の者でない限りは命じた通りに働きました。年々村の人口が減って放置するしかなかった畑が息を吹き返すと農民たちは涙を流して喜びました。
「ありがとうございます、ありがとうございます。どうか隣の村の連中も助けてやってくださいませんか。わしらより高いところに住んでいて難儀していると思うのです」
そんな感じで私たちはあちこちの村を回りました。水と土の異能を駆使して治水工事を手伝ったり、土砂崩れの片づけをしたり、合間に怪我人を見舞ったり、やることはありすぎるほどありました。当然すべて解決まで見届けましたが。
山間部の放牧地では家畜を多産にしてやって、酪農家たちにどっさり飼料を渡しました。疫病の流行地では病院を建て、患者たちを入院させて深刻な蔓延を防ぎました。城からついてきてくれた役人によれば「たったお一人で一万人分は働いてくださっていますよ……!」だそうです。
国民の生活が落ち着いてくると鉱山開発も始めました。王領であるデハナイ地方のタダノヤマ──つまりタダノヤマ・デハナイ山の。
聖女の勘が言っていました。おそらくここはよくあるただの山ではないぞと。
地名の示す意味を陛下に伝えると王宮からはすぐに「掘ってみよ」との返事がありました。宰相も頑張って予算を掻き集めてくれたようです。
睨んだ通りタダノヤマ・デハナイ山からは貴重な鉱物が出てきました。神力を固定して留めておける神石です。これを上手く利用すれば私の力を私のいない場所でも使えるはずでした。悪用する者もいるでしょうし、どの異能をどういうレベルでこめるかは熟慮しなければなりませんが。
「聖女さま、少しよろしいでしょうか?」
クソッカス卿が私に声をかけてきたのは試作の神具が一つ出来上がった頃のことです。私はそのとき鉱山の麓の都市でビレイユ嬢と工房巡りの相談をしているところでした。
クソッカス卿が宿の部屋にまで入ってくるのは珍しいことではありません。彼は本当に真面目な騎士で、数時間おきに私の無事を確かめにくるのです。私が治癒の異能を持ち、風邪すら引かないとわかっていてもクソッカス卿は律儀に務めを果たします。そういう性格なのでしょう。「聖女さまに何かあっては遅いので」と彼はいつも己の職務に熱心でした。
そんなストイックなクソッカス卿が「折り入ってお願いがあるのです」などと言い出したので私はいささか驚きました。この三年、彼とはいつでもどこででも一緒でしたが頼み事などほとんどされた覚えがありませんでしたので。
「実は俺を──たくさんのクソッカスにしてほしいのです」
「はい?」
簡素な宿の簡素な部屋で、言い換えるならいつ誰に襲撃されてもおかしくはない滞在地で、クソッカス卿は言いました。大聖女の降臨以来、ヤマバッカ国の経済状態は上向きに安定している。その反面、豊かな者から財を奪う盗賊たちが前にも増して跋扈していると。
「聖女さまをお守りするなら俺一人で十分です。何しろ護衛対象の聖女さまが誰よりお強いのですからね。ですがこのデハナイの地は、苦難の時代が長かったゆえか訓練された兵士があまりに少ないのです。神石鉱脈が発見されたことでタダノヤマ・デハナイ山は賊どもに目を付けられています。どうか俺を増産し、この地の守りとしてはもらえないでしょうか?」
なるほど。どうやらクソッカス卿は彼の髪の毛から作った分身に神石鉱脈の警備をやらせたいようです。神具に神力を付与して鉱山管理者に預けておけばそれは不可能な話ではありませんでした。
私の神力が増したのでヒトガタもまた一年程度の活動ができるようになっています。クソッカス卿の毛髪を十本ないしは二十本ほど頂戴し、クソッカス隊を結成すればタダノヤマ・デハナイ山の守りは相当固くなると思われます。分身に戦女神の加護を授ければ神石を盗み出そうとする不届き者などみんな捕まえてくれるでしょう。ヒトガタは基本的に私の命令しか聞きませんが、タダノヤマ・デハナイ山の責任者に神具を預ければその問題もクリアできます。
問題はただ一つ。クソカスなんか増やしてしまって大丈夫なのかということでした。
「いかがでしょう? 俺のヒトガタは普段の俺とほとんど変わりありませんし、毎日の手合わせの様子から見てもそこらの傭兵崩れより強いです。単純な作戦行動であれば十分使用に耐えると思うのですが」
「うーん、そうですね。私も悪くない案だとは……」
ごにょごにょと私は言葉を濁します。
聖女ガナルーナカナとして活動を始めて三年。どんな難事が転がってきてもスムーズに一件落着し、己に解決できない問題はないと鼻高々でいたほどですが、いつまで経ってもクソッカス卿の件だけは視界から消えてくれない未解決事案でした。
なぜならクソッカス卿は品行方正な優等生。東に迷子があれば親が見つかるまで保護し、西に有能な人材があればふさわしい職を世話してやり、いつ見ても誰に対しても真摯で、クソカス堕ちする予兆がまったくないのです。
おそらく彼のクソカス行為は最も悪いタイミングで発生するのだと思います。その日が来るまでクソッカス卿は徳を積み続けるのでしょう。
ただ私には彼に「いつ」そのときが訪れるのかわかりません。それは今日かもしれませんし、明日かもしれません。わからないからクソッカス卿を増やすのに抵抗がありました。タダノヤマ・デハナイ山を管理するエーデ・シンジテのことは信頼できるのですが……。
「何か問題がありますでしょうか?」
不安げにクソッカス卿が尋ねてきます。
「王領ですもの、王に意向を問わなければならないのでは?」
なかなか答えない私に代わり、ビレイユ嬢がなだめるように言いました。
クソッカス卿は頑張っています。第二の祖国のためにいつも。それに彼は妹や私にも優しいですし、恩義というものを知っていて、とても立派な人間です。
クソカスを意味する名前が不安だからと良案を却下するのは私には心苦しいことでした。クソッカス卿の罪はまだこの世に存在していないのですから。
「うーん。そうですね。ここはやっぱり一度マトモン陛下にお伺いを立ててから考えたいと思います」
私は申し出を保留し、後日検討する旨を伝えました。
私のヒトガタが私と同じ異能を操作可能なら増産するのはクソッカス卿ではなく私一択だったのですが。
ヤマバッカ国に兵力らしい兵力がないのは私も気になっていたところでした。今までは木材以外の資源がない弱小国として捨て置かれていたのでしょうが、神石が採掘できると周辺国に知られたら──、欲をかく愚か者が出てくるかもしれません。
私は一度首都オーオルデに戻ろうと決めました。
マトモン陛下とは国防について相談しておく必要がありそうです。
***
オーオルデに着いた私はさっそくマトモン陛下に会いに行きました。
三年目ともなれば接見も慣れたものです。私と陛下は茶会室の丸テーブルに腰かけて寛いだ気分で向かい合います。
用意されたのは私が好きだと言った茶葉と、私が以前食べてみたいと話題にしていた茶菓子でした。いつもながら気遣いのできる国王です。マトモン陛下は私の発言をよくよく覚えてくれていて、さり気ない贈り物としてくださいます。本当に名前の通りのいい子でした。
私たちは茶をしばきながら今回の旅の報告会を始めました。メインはやはりタダノヤマ・デハナイ山の件です。採掘の開始とともにデハナイ領の治安悪化が見られることはマトモン陛下も気がかりなようでした。
「そこでですね、クソッカス卿が申し出てきたのです。彼のヒトガタを量産して警備に当たらせてはどうかと」
「ほう、クソッカス卿がそんなことを? 兵力増強は我が国の急務だと思っていたが、これはまた斬新な解決法だな」
マトモン陛下は感心した風に言います。国王的には手間も金もかけずに兵を増やせるのは魅力的な案のようです。
「三年もそなたの護衛騎士を務めている男だからな。たとえ隣国出身でも文句を言う者はいるまい。きちんとした軍の育成が完了するまではクソッカス隊を編成してもいいだろう」
クソッカス卿が何人もぞろぞろと並んだ光景を想像して私はちょっとウッとなりました。彼は爽やかな美形ではありますが、たくさんいたからとありがたく思える存在でもありません。
クソッカス隊、作らなきゃいけないか……。紅茶に映る遠い目の自分を眺めて私は嘆息を深めました。
「どうしたのだ? あまり乗り気でないようだが」
マトモン陛下は負担になるほど神力を要するのかと案じてきます。私は首を横に振り、神力の問題ではないと伝えました。
「ではなぜなのだ? ヒトガタのクソッカス卿がとんでもない暴れ馬だとか? いや、だとしたら本人がそんな申し出をしてこないか」
私の返事を待って陛下がこちらをじっと見つめます。どこまで正直に答えたものか私はいささか悩みました。
マトモン陛下はヤマバッカ国を守る君主。仲間内に大きな爆弾を抱えた者がいることは知っておくべきと思いますが、それによりクソッカス卿の今までの実績が軽視されては公平性に欠けるでしょう。
そう考えていると思いもかけない憶測が切り出されました。
「もしやクソッカス卿のヒトガタがどこぞの女人といい仲になるかもしれないのがいやだ──と考えているとか?」
「なんでそうなるんですか!?」
私は危うくティーカップを落っことしそうになりました。陛下の中で何やら多大な誤解が生じている気がします。確かに私はクソッカス卿に救い出された身でありますが、どこへでも彼を連れて行くのは監視のためです。断じて他意はありません。
「違うのか? そなたは時々ただならぬ目で卿を見つめているからてっきり」
「違いますよ! 全然まったく違います! クソッカス卿はなんというか……その、あまりに名前が不吉なのです……」
私はもう洗いざらい打ち明けてしまうことにしました。クソッカス卿は将来とんでもない下衆になる可能性が高いこと、今現在の彼には問題がないゆえに隔離措置を取るのも難しいことを。
「いざというとき私が彼を止められればと思ってそばについていますが、正直ちょっと自信がなくて。働きに見合った対価は与えてほしいのですけれど、卿の権限が増すことには懸念を捨てきれないのです」
「なるほど、そういうことだったか」
マトモン陛下がちらりとドアを見やります。外ではデスワー兄妹がいつもの通りに待機しているはずでした。こちらのこそこそ話など露知らず、勤勉実直を絵に描いたように。
「しかしまあヒトガタなら術者の命に従うのだし、いざとなればそなたが直接命令を上書きすることもできるだろう? 心配せずとも大丈夫ではないか?」
「まあ、はい、妙な動きを感知した時点で停止させますけど」
「ならいいのではないかな、クソッカス隊。そなたの良人というわけでないなら余も命令を下しやすいし」
なぜなのか陛下は少しご機嫌でした。クソッカス隊の運用についてもできるだけ早くまとめてくださるとのことです。
「そうか、そうか、なるほどな。ガナルーナはクソッカス卿に熱い視線を送っていたのではないのだな」
朗らかにマトモン陛下が繰り返します。勧められるまま茶菓子を頬張り、私も久々にゆったり過ごせた午後でした。
この翌日、宮殿は大変な騒ぎになるのですが──。
***
「テーヂゲン国からの使者が?」
軍議室に呼び出された私は思わず問い返しました。てっきりクソッカス隊の話をするものと思ったのに、飛び出したのが古巣の低地の国の名前で。
「ああ、そうだ。連中ついにうちの大聖女が三年前に捕まえそこねたガナルーナだと気づいたらしい。『貴様らの連れ去った聖女を返せ。さもなくば力づくでも奪い返す』と書かれた文を渡されたよ」
「おおかた大聖女の噂を聞いてあなたが惜しくなったのでしょう。自分たちが処刑しようとしていた相手を『うちの大切な聖女だ』とは笑わせます」
マトモン陛下の隣ではヨキオジ宰相も激しく憤慨しています。ビレイユ嬢も、クソッカス卿も、軍議室に集まった五人の気持ちは同じでした。
「神石鉱脈の発見もテーヂゲン国を刺激したのでしょうね」とビレイユ嬢。
「聖女さまは自分の意思でヤマバッカ国におられるのだと説明しても聞く耳があるとは思えません」とクソッカス卿。
私もそう思います。むしろテーヂゲン国は私が帰郷を拒否すればこれ幸いと聖女奪還の旗を掲げて殴り込んでくるでしょう。
ヤマバッカ国が無理やり私を酷使していることにすれば奴らは隣国を攻める大義名分を得られ、勝利とともに大聖女と神石鉱脈どちらも手に入れられるのです。滲み出る強欲な考えに私は吐き気を催しました。
「それにしても愚かです。テーヂゲン国は聖女さまを舐めすぎですよ」
眉をひそめるクソッカス卿にみんな同意を示します。
「うちにいるのはガナルーナなのに勝てると思われていることが問題だな」
「勝てないと理解できていれば手を出さないか、もっと狡猾に裏から手を回すはずですものね」
「ヤマバッカ国の軍事力が衰えているのを知っておるのだ。それに聖女さまも普段は豊穣の女神の異能くらいしか使わんし、ほかにはどんな神々から加護を受けているのかわかっておらんのではないか?」
ヨキオジ宰相の推測には一理ありました。おそらくテーヂゲン王家は自国のささやかな異能しか持たない聖女たちを基準にして大聖女の力を見誤っているのです。彼らは一度ボコボコにされねばこちらを舐めたままでいるでしょう。
はあ、と私は息をつきます。何もしなければ互いに平和に過ごせたでしょうに、なぜカスはより大きなカスに進化してしまうのでしょうか。
盗賊まがいに他国の財産を奪おうとしたこと、テーヂゲン国には後悔させてやらなければなりません。
「戦えと命じられれば戦いますよ、全力で」
私は右手の親指を立て、敵将の首を斬るジェスチャーをします。しかし陛下は血気に逸らず「まあ待て」と落ち着いた声で言いました。
「迎撃準備はしてもらおう。だがまず穏便に話し合いで解決する道も探らねばな」
陛下曰く、あちらが聖女ガナルーナを「奪われた」と主張するのならこちらもまた聖女ガナルーナはヤマバッカ国に「根付いた」のだと正式に反論するべきだとのことです。テーヂゲン国が受け入れずとも対話しようとした事実があるかないかが後で効いてくるのだと。
「正義がどちらにあるのか明確にしておけば思いきり殴り返せるだろう?」
さすが人生山ばっかりの陛下です。ただのいい子ではありません。
「そうですね」
私は深々と頷きました。殴る前に助走をつけるのは常識です。もう二度と立ち上がる気も起きないほどに対処せねばならないのならなおさらです。
「ですが聖女さまが『根付いた』とどう証明なさるのです? 単にヤマバッカで身分や爵位を与えられたというだけでは納得させられないのでは?」
ビレイユ嬢の呈した疑問にマトモン陛下は「うむ」と冷静に応じました。どうやら我々はその話をするためにわざわざ人払いした軍議室などに呼び出されたようです。
一拍置いてマトモン陛下はくるりと私に向き直りました。
そうして何かものすごいことを言い出しました。
「そなたヤマバッカ国の男と結婚するつもりはないか? まあとりあえず式を挙げるだけで良い。既婚者ということであれば誰もがそなたをヤマバッカ国の人間になったと考えるであろうからな」
な、なるほど……!? かつてデスワー兄妹の母親がテーヂゲン国入りをしたときと同じように、私もヤマバッカ国で夫を見つければ帰郷を断る強い根拠になるわけですね!? いやはや実に名案です。私に特に結婚したい男性がいないという点を除けば。
「適任は余かクソッカス卿なのだがな。やはりこういうのは王族を絡めたほうが強弁しやすいものであろう」
「陛下も選択肢に入るんですか!?」
驚きのあまり食いついた人みたいになってしまい、私はごほんと咳払いして着席しました。
陛下なら五歳年下なだけですし、落ち着きがあって頼れますし、考えてみてもいいかもしれません。責任感のある方なので恋愛関係には至らなくとも大切にしてくれそうですし。
「あのー、偽装結婚と言っても婚姻を結んじゃったら離婚するのは難しいかと思うんですけど、本当に私と結婚してもいいとお考えなのですか?」
確認のために問いかけるとマトモン陛下は事もなげに頷きました。
「ああ、余はガナルーナより息の合う女性はいないと考えている。こんな形での求婚になってしまったが、そなたが望んでくれるなら夫として懸命に尽くすと約束するよ」
わあ、思ったより本気らしいです。私はちょっと頬が熱くなりました。
国益のことを考えても大聖女と若き君主の結婚は民に喜ばれるでしょうし、本当にいいかもしれません。
「ではテーヂゲン国には『聖女は既に王の妻だ』と返事をしておいてください。私はどんな地位であれ、今までと変わることなく世のために献身するのみです。陛下なら妻がなかなか帰宅しなくてもきっと許してくださるでしょう?」
「もちろんだ」
了承の意を示すとマトモン陛下は嬉しげに口元を緩めました。ビレイユ嬢もヨキオジ宰相も温かく拍手してくれます。その中でクソッカス卿だけがどこか寂しげに手を打っていることに気づいて私は愕然としました。
──え? 待って? もしかしてここがターニングポイントだった?
「おめでとうございます、マトモン陛下、聖女さま。俺は……尊敬するお二人が幸せになってくだされば嬉しいです……」
クソッカス卿の言葉には尋常ならざる重みが備わっていました。彼は普段の彼ではなく、手負いの失恋男子のように見えました。
ああ……! 堅物騎士が恋に破れたことによる闇堕ちルートか……!
今の今までどうして気づかなかったのでしょう。昔読んだ小説にもこういう展開があったのに。というかクソッカス卿って私のこと好きだったんです? 四六時中一緒にいるから静かに何か始まっていたんです? 異性としての興味がなさすぎてなんにも気にしていませんでした。職務に熱心だったのも、もしや私への恋心がそうさせていたんですか???
(ええ、どうしよう……。クソッカス卿の表情の曇りの速度と濃度がやばい……)
今更結婚はやっぱりなしにとも言えず、私はただ不安を抱いてクソッカス卿を見つめました。
テーヂゲン国がヤマバッカ国に宣戦布告をしてきたのはそれから約半月後のことでした。
***
平時の統治に向いた王と戦時の統率に向いた王がいるように神々の異能にも日常使いのものとそうでないものがあります。例えば戦を司る女神ザマアテナの加護は「三十分間飛んでくる矢から身を守ってくれる」とか「三十分間筋力が十倍になる」といったもので、暮らしに生かす場面はあまりありません。筋力を十倍にしても私ではたかがしれていますし、瓶の蓋が固くてもクソッカス卿が開けてくれるわけですからね。
正義を司る女神ザマアストレアの加護も同じくです。「己を罪人と蔑んでいる人間がうっすら光って見える」という異能は裁判の際に犯人が本当に反省しているか否かの検討には使えますが、ほかの場面ではさっぱりでしょう。けれどもこれが戦場となると他国に対する侵害や人の命を殺めることへの忌避感が光となって現れるのでこちらも哀れな命を奪わずに済むのでした。
日頃は豊穣の女神ザマアプロディテやほかの神々の平和的な異能ばかり多用している私ですが、今回はザマアテナとザマアストレアのお力をお借りしたいと思います。兵士不足のヤマバッカ国ですから、私が先頭に立って戦わなくてはならないですしね。
「来ましたか……」
国境を守る砦から眼下を見やり、私はペッと唾を吐きました。たくさんの兵を引き連れてやって来たのは懐かしのオカッパ頭、ミムメモ王太子です。
「久しぶりだな、聖女ガナルーナ」
白馬に跨る王太子がこちらを見上げて下卑た薄笑いを浮かべます。以前よりカスみを増したその顔に私はウワ……と震えました。
「三年前はよくぞ私を騙してくれた。牢獄から忽然と貴様が姿を消したときは驚いたぞ。あのヒトガタ、私に対する罵倒のチョイスが完全に本人のそれだったからな」
どうやら例の分身はきちんと仕事をしたようです。ヤマバッカ国に来てから後の顛末は秘かに調査していましたし、ヒトガタがテーヂゲン王家を煽るだけ煽って消滅したことは想像がついていましたが。
私の分身があまりに私そのもので、ニガシ宮司も「偽者とは思わなかった」と言い訳ができ、逃亡幇助がバレずに済んだみたいです。今では彼は大宮司の座に就いていました。
「本心から疎まれていると知っていて、よく私を取り返そうなんて考えましたね? 仮にテーヂゲン国に戻っても王家の言うことなんか絶対聞きませんよ?」
「ふん。ならば調教してやるのみだ。貴様の能力だけは有用だからな!」
そう言うとミムメモ野郎はグローブを外し、中指につけたゴツい指輪の石をこちらに向けてきます。おそらく洗脳の異能を封じた神石でしょう。一個につき一人しか支配下に置くことができないのでテーヂゲン王家の中で常に取り合いが起きている大人気神具です。
そんなことだと思ったと私は指を鳴らし、あらかじめ用意しておいた五体のヒトガタを胸壁に登場させました。さあ、はたしてミムメモ野郎にどれが本物か見抜けるでしょうか?
「く……ッ!?」
「判断が遅い!!」
相手が迷った隙をつき、私は異能を発動しました。正義の女神ザマアストレアの加護である「日常的に他人を搾取している者だけを殴れる空気の拳」つまりは正義パンチです。
筋力を十倍にしてから繰り出したのでまあまあ痛かったと思います。王太子は馬上から吹き飛ばされて地面に落下し、軽く目を回しました。
「お、王太子殿下が!」
「急に転倒なさったぞ!」
どよめくテーヂゲン国の兵士は誰も彼を助け起こそうともしません。中にはこちらに許しを乞うように祈る者もあるほどです。
なんだ、やっぱり一般兵レベルでは聖女に喧嘩を売りになど来たくなかった者も数多いみたいですね。これならもう少し派手に異能を見せつければ勝手に瓦解してくれそうです。
私はにょきにょき卵の生る木を何十本と生やしました。突如伸びてきた木によって分断された隊列はすぐさま混乱に見舞われます。
パニックのあまり矢を射てくる若い兵もいましたが、女神ザマアテナに守護される私にはそんなもの掠りもしませんでした。
「心ある者は退きなさい。この戦場に残るのなら命を捨てる覚悟があると見て私も相応の手段を取ります」
ぐんぐん伸びる卵の木にしがみつき、兵士たちは震え上がります。ざっと一望したところ戦場へ出てきたことを悔いている者がほとんどで、粛清するほどの悪党はミムメモのほかにはいなさそうでした。
(ワンマン家族経営って本当ブラック化しがちだよね。生まれる国は選べないし、苦労させられてるんだろうなあ)
私は彼らが気の毒になりました。そしてますます弱き者たちを顎でこき使う王太子を軽蔑しました。
「死ななきゃ治らないタイプのカスは死ななきゃ治らないんだよね……」
異能で出した光の弓は正義の女神のものでした。更に追加で敵将の首を正確に刎ね飛ばす戦の女神の異能も素早く発動させます。
「くくく! ははは!」
しかしなぜなのか、木々に囲まれて逃げ場のないミムメモ王太子は胸壁から彼を狙う私を見やって嘲笑うのみでした。指輪の異能を使う素振りも見えないですし、少し妙です。何を企んでいるのでしょう?
「馬鹿め。ヤマバッカの首都が落ちても貴様は涼しい顔をしていられるかな? 我が軍は貴様をここにおびき寄せるための囮! 本命は今頃神具の力を借りて王城を急襲しているところよ!」
な、なんですって? まさかテーヂゲン国はテレポーテーションの神具まで持ち出してきたのでしょうか。先日使者を派遣してきたその真の目的は、もしや瞬間移動の出入口を開通させるためだった?
まさかあの国がそんな貴重な宝物を隠していたとは誤算です。テーヂゲンの王族にも国家機密を守るとか高度なことができたんですね!
「マトモンは貴様にとって大事な男らしいなあ? 奴を人質に取られた貴様が大人しく指輪の餌食になるときが楽しみだ! 神石鉱脈も我らのものよ!」
高笑いとともにミムメモは左手のグローブを外しました。こちらの中指にも神具と思われる別の指輪が嵌められています。
おそらく彼はなんらかの異能──小規模のテレポーテーションなどを使ってこの場から逃げるつもりなのでしょう。私やヤマバッカの戦力を一箇所に集中させる目的は果たしたのですから。
「わはは! さらばだ! わはは! わは……?」
掲げた指輪がなんの反応もしないのを見てミムメモ王太子はきょとんと首を傾げました。神石は振っても叩いてもこめられた力を発揮することなく、しんと静まり返っています。
「……もしかしてここに来るまでに移動がだるくて何度も指輪を使いまくったとかでは? 神具は神力が空になると一時的に使用不能になりますよ」
私は呆れてミムメモ野郎に告げました。「えっ」と動揺する彼に正義パンチをヒットさせ、走らせた兵にまぬけ男を確保させます。本当はすぐにでも始末するつもりでしたが、こうなった今これは捕虜にしたほうが良さそうでした。
「聖女さま! すぐにオーオルデに引き返しましょう!」
涙目のヤマバッカ兵たちが私にそう乞うてきます。通常の行軍では国境から首都まで三日かかります。どんな早馬を飛ばしても一日は必要でしょう。
それまで首都が持ちこたえているでしょうか。王城には今近衛隊くらいしか兵力らしい兵力がないのに。念のためにと思って人数はヒトガタで水増ししておきましたが。
「聖女さま、俺をお使いください」
と、思案する私の足元にクソッカス卿が跪きます。彼が懐から差し出したのはどっさりと髪や爪の切れ端が詰められた小袋でした。
「この半月、いつ部隊を編成すると言われても対応できるように溜めておいたものです。筋力十倍の俺なら今日中にオーオルデに駆けつけられます」
「く、クソッカス卿……!」
情熱的に燃え上がる目に、自分を見てくれ、頼ってくれと訴える表情に、私は考え込みました。
ですが今はほかに打つ手もなさそうです。情緒不安定かもしれないクソカス予備軍を量産するのは不安ですが、決断はせねばなりませんでした。
「わかりました。あなたにはありったけの神々の加護を授けます。そうした上で作れるだけあなたのヒトガタを作りましょう。──必ず陛下を救ってください」
私は祈り、クソッカス卿に筋力十倍、速力十倍、運気十倍、元気百倍、様々な能力補強を施しました。この状態のクソッカス卿をベースとし、手の中の小袋に一気に神力を注ぎます。
「いざオーオルデ!」
「いざオーオルデ!」
「聖女さまの御名のもとに!」
まるで雨上がりのキノコのように小袋からはたくさんのクソッカス卿が生えました。ヒトガタは人の形を取るや否や胸壁から飛び降りて、砂煙を上げながら都のほうへと駆けていきます。
「俺たちも急ぎましょう。さあ、どうぞ俺の肩に」
筋骨隆々のクソッカス卿に担がれて私も砦を後にしました。前方から無限にぶつかってくる砂つぶてが痛いです。どんな走り方をしているのでしょう。
クソッカス卿の集団は吠え猛りながら一心不乱に王の居城を目指しました。道を埋め尽くすクソッカス卿、クソッカス卿、クソッカス卿。もはや視界の暴力です。
本当にこのまま首都になだれ込んで大丈夫なのでしょうか?
私の心臓はドキドキと嫌な鼓動を打つばかりでした。しかしクソッカス卿は、いつものように誠実な真面目さで救援に向かうのみでした。
その後のことは私が詳しく記述するよりマトモン陛下の日記でも読み上げたほうがわかりやすいでしょう。
宮殿奥の神殿に立てこもった陛下を救い出したのはクソッカス隊の先頭走者だったそうです。素手で敵兵を薙ぎ倒し、敵陣営を壊滅させ、鬼神のごとき戦いぶりだったと陛下は卿を称えます。
私の目にしたクソッカス隊も住民の安全確保や避難誘導に駆け回り、大層な活躍ぶりでした。
クソカス行為に及ぶなら流れ的にここしかないと思ったのですが、どうやら彼の人間性は私が思うより高潔なようです。それならもっと違う名前を持って生まれてきてほしかったですが……。
ともかく危機は去りました。王城を荒らしていたテーヂゲン国の兵士たちはものの半日で制圧され、ヤマバッカ国はテーヂゲン国に賠償金を求めることになりました。
***
──一週間後。私とデスワー兄妹は王城の茶会室に呼び出されました。本当は謁見の間に呼びたかったそうですが、あちらはまだ襲撃を受けた際に壊された部分を修復中とのことです。
「わたくしたちまでお招きくださってありがとうございます」
ビレイユ嬢が丁重に陛下にお礼を伝えます。マトモン陛下は首を振って「礼を言うのはこちらのほうだ」と返しました。
「ビレイユ嬢は私を敵の手から逃がし、クソッカス卿はヤマバッカそのものを救ってくれた。二人の功績に見合う褒美が必要だと思ってな」
おや、ビレイユ嬢もそんな美しい連携を取っていたのですか。作戦行動の間は城に残ってもらったのですが、良い判断だったようです。
褒美と聞いて兄妹は目を見合わせました。清廉潔白な二人は成すべきことを成しただけで、まさか何か頂戴できるとは考えもしなかったのでしょうね。
「まずはビレイユ嬢。そなたにはこれを貰ってほしい」
マトモン陛下が差し出したのは箱に入った大ぶりの首飾りでした。国宝級の一品なのではないでしょうか。ビレイユ嬢は目を瞠り、いつになくあたふたしています。
しかしもっと驚いたのはクソッカス卿のほうではないかと思われます。彼に与えられたのは仰々しい文字で埋められた一通の書状でした。
「クソッカス卿、そなたには領地としてデハナイ領の一部を封じる。これからはタダノヤマ・デハナイ山と近隣の都市を治める者としてクソッカス・デハナイ・デスワーと名乗るがいい」
雷に打たれたように私は呆然と立ち尽くしました。
クソッカス・デハナイ・デスワー……!? クソカスではないですわということですか!?
「お、俺がデハナイ領の……!? あ、ありがとうございます。一生懸命励みます!!」
重要地域の領主になるよう命じられ、動揺するクソッカス卿の隣で私も息を飲み込みます。
そ、そうか……。言われてみればヨキオジ宰相の本名もヨキオジ・ソウトウ・デキルマンです。どこかの領主であれば名前に別要素をねじ込むことができるのです。
盲点でした。まさかこんなクソカスの神回避が起こり得るとは。というか、神々の定めた運命に干渉する方法があったのですね!?
私が一人おののいているとマトモン陛下が寄ってきて、こそりと耳打ちしてきました。
「デハナイというのは打消しの言葉で合っておるのだよな? もしもこれでもまだ悪い名前であれば、謁見の間で執り行う正式な封土の際に地名を変更するとしよう」
「……!! マトモン陛下……!!」
彼はよくよく私の言葉を記憶してくれています。タダノヤマ・デハナイ山開発を始めた頃、あの地の名前がどういう意味を持っているのかさらりと報告したことを、こんな形で利用してくれるなんて本当に最高でした。
「大丈夫です。これで全部救われます。大丈夫です……!」
「ならば良かった。余もそなたや国の役に立てたようだな」
それからの私たちがどんなに幸せだったかは語るまでもないでしょう。
負の名前から解き放たれたクソッカス卿は健全で強靭なメンタルを取り戻し、ビッグボインの強気令嬢と婚約しました。ビレイユ嬢は兄の領地の美化運動に忙しそうです。私と陛下は国民に祝福されて夫婦となり、日々睦まじく暮らしています。
テーヂゲン国はというと、王族が聖女から見限られたという噂が流れ、国家の基盤が揺らいだ結果クーデターが起きたそうです。内戦の混乱から難民連れで逃れてきたニガシ大宮司が教えてくれました。莫大な身代金と引き換えに解放してあげた王太子も戦火の中で行方不明になったとか。
新政権がオーオルデの宮殿に挨拶に来たとき私たちは平和条約を結んだのでもうあんな戦闘が起きることもないでしょう。テーヂゲン国の代表には「国名を改めたほうがいいですよ。ヒロメノテーチ国とかに」と助言しておきましたし、今後はましな国になると信じたいです。
「うーん、そうですね。あなたの洗礼名はヤバイホドです。これからのあなたの名前はシッピツ・ヤバイホド・ススムですよ」
清らかな空気が流れる神殿で私は今日も私の務めを果たします。
ヤマバッカ国全土の立て直しが終わると私は首都オーオルデに留まることが増えました。神殿には毎日のように改名を求める者が並びます。
悩みを聞き、望みを知り、その人の運命がより良い方向へ進むように、小さなお手伝いをするのが今の私の使命です。
「ありがとうございます、聖女さま! 帰って詩作頑張ります!」
「困ったことがあればまた改名にくるんですよー!」
「はい! そのときは是非! 是非またー!」
嬉しそうに帰宅する民を見やって私はうふふと微笑みました。
騒ぐのではありません、可愛い小さき者たちよ。お利口に待っていれば素敵な名前を授けましょう。
さあここに、順番を守っていい子で並べますね?
~断罪イベントに居合わせたので王太子を論破したら処刑されそうになったけど隣国に逃亡して愛され大聖女になりました~ (完)