ケース2『もしもとか意味ねぇよな』
詰問に近い裁判の後、適当に座ってろと真っ白な部屋にぶち込まれた。ったく、何で死んでなおこんな仕打ちうけねぇとダメなわけ?死ぬとき散々痛い目に合ったし、ちょっとくらいは優しくしろっつーの。少ししてガチャリとドアが開き、入ってきたのは外人的な見た目の青年だった。
「お待たせいたしました。この度はまことにご愁傷様です。日高晴斗さま。私のことはイザナとお呼びください」
軽く一礼したそいつは、事典みたいな本を開いた。
「何でその本に俺の名前書いてあるんだよ」
「あなたの人生が詳しく書いてある本だからです。アナログの方が性に合っていて。しかし、なかなかに酷いですね」
「喧嘩売ってんのか?」
あっさりと能面みたいな無表情でそんな事を言われ、俺は立ち上がり胸倉をつかんだ。どう見てもコイツ喧嘩売ってんだろ。澄ました顔しやがって。
「まだ話は終わってないですよ。座りなさい」
かなり力を入れて掴んだはずなのに、ホコリでも払うかのようにあっさりと払われた。その細腕のどこにそんな力があるのか、勢いよく椅子へと押し戻された。
「チッ、座ってりゃいいんだろ」
盛大に舌打ちしてやったが、眉一つ動かさなかった。こぎれいな顔してる分気味が悪い。
「まあ、いいでしょう。享年は二十五歳で女性問題で刺殺…。はあ、浮気現場押さえられて、包丁片手に泣き叫んだ女性に勢い余って刺されたと。死因は出血多量による失血死。動脈が切れてたんですね」
「柄が食い込むまでぐっさりいかれたからな。しかも、鳩尾ど真ん中」
そりゃ大事な血管もぶち切れてるよな。即死の方が幸せだったかもな、血とかヤバすぎだった。そういや事故物件作っちまった。
「複数の女性と関係があったと。常に3人ぐらい恋人と呼ばれる関係にあったとありますが?」
「恋人?ちげーよ。友達以上恋人以外?ま、本命彼氏いる女も中にはいたし、2股?3股だっけ?だったり。お互い都合のいい遊び相手ってやつ。暇な時遊んでくれる女」
「…あなたの様な男性に運命を狂わされた女性に、同情を禁じえません」
「あー、あれは失敗だったな。あそこまで思い詰められるとは。アイツはアイツでホストに入れ込んでたから、俺も遊びの1人だと思ってたのに」
大きなため息を吐かれた。俺、こいつとは相性悪いわ。清廉潔白そうな顔してるもんな。死んでこういうのもあれだけど、一生分かりあうことはないだろう。
「出来れば、事実でこれまでの人生をお話しください」
「えー、めんどい。しないとダメなやつ?」
「確認として必要な作業です。ご了承ください」
事務的に言い切られた。俺に拒否権なんてないらしい。まあ、凄惨な死に様だったわりに、そう不幸な事もないけど。俺はしぶしぶ口を開いた。
「平凡な人生だったよ」
専業主婦の母とサラリーマンの父っていう、どこにでもありそうな家。特別裕福でもないけれど、貧乏でもないフツーの家庭。母ちゃんは料理が上手くて、父ちゃんはラグビーが好きで。両親とも優しかったけど、怒ると怖かったな。俺自身はそれこそ平均的な身長、体重で五体満足に生まれた。ガキの頃は絵に描いたようなワンパク小僧。親もそれなりに手を焼いたみたいだけど『ワンパクでもいい逞しく』って感じ。最終的に
「いいか?物を盗んだり、お友達や自分より小さい子を殴るようなことはするな。そりゃ男の子だから、喧嘩もするだろう。けど、お前からは絶対に手を出すな」
平たく言えば犯罪はいけませんっていう当然の教え。でも、本能的に分かってたのかも。ケンカしても俺から殴りかかったことないな。で、すくすくのびのび育って、そこそこ無難に義務教育行って、そこそこまあまあな高校行って、やっぱそこそこまあまあな大学に入学。卒業後はそこそこの中小企業に就職。
「な、平凡だろ」
恵まれているかもしれないが、一般人のテンプレみたいな人生だ。
「概ね、普通の人の平均的な人生。恵まれた人生でもありますが」
「食うに困ったことはないしな」
「問題は大学に入ってからでは?」
察しのいい奴。この話題テンション下がるんだよな。でも、避けることもできないことで、仕方なく再び話し始める。
出会い自体は本当にこれもありふれていて、サークルの歓迎会。隣に座った子。長い黒髪が印象的でさ。化粧も濃くないし、どっちかというと目立つタイプじゃないけど、清楚な感じで。清潔感があって、結婚するならこんな子がいいなみたいな。彼女飛び越して嫁にしたいみたいなタイプ。今まで周りでは見ないタイプで、初めて見たときからちょっといいなと思ってた。梨花も、彼女の名前な、梨花も俺みたいなタイプは周りにいないみたいだった。
まあ、いい加減なことして刺されたけど、それまではフツーの人間てか、まっとうな方だったの。どこにでもいるフツーの大学生だった。ただ、ちょっと奥手なだけで…。梨花は流行に敏感とかそういうわけじゃないけど、見た目が派手な友達が多かった。
いわゆる、見た目は派手だけど明るくっていい奴っていうタイプ。見た目に反して身持ちが固い子ばっかり。
それでも、寄ってくる男はチャラいやつが多かったみたいで、奥手なタイプは珍しかったってさ。むしろ、だから俺を選んでくれたのかもしれない。梨花みたいな女の良さって、高校生とかではわかりづらかったんだよ。でも、俺には勿体無い位いい子だった。
「ねえ、ハル君。私とお付き合いしてくれませんか?」
夏で溶けそうな位の暑さと突き刺さるような太陽光線が降り注ぐ日だった。そういった梨花の微笑はその日の青空よりも澄んだ透明感。マジで溶けるかと思った。思わずガッツポーズきめたね。世界中の奴等に報告したいぐらい嬉しかった。
「人間変わるものですね…」
あからさまに『悪い方に』みたいな含みもたせたイザナは、パラリと本のページをまためくった。
「俺なりに大事にしてたよ。別に初めての彼女ってことではなかったけど。前の彼女とは手をつなぐだけで精いっぱいみたいな清い清い付き合いだったし」
いわゆる幼かりしときの甘酸っぱいなんとやらで…。
「それでも、手を離したのはあなたでしょう」
「俺も、何でそうしたのか分からねぇんだ」
大事にしてたはずなのに。いつからか指の隙間からこぼれて、気がついたら手を離していた。
それこそ概ね大学生らしいカップルだったと思うよ。休日出掛けたり、一緒に飯食ったり、お互い一人暮らしだし、気楽だったんだよな呼ぶのも、多分呼ばれるのも。
実家暮らしの彼女だったら、何もせずに八時には家に着くように帰らせてた自信ある。前の彼女と話しこみすぎてうっかり遅くなり、厳格すぎる父親に玄関でぶん殴られた覚えがある。それが原因でギクシャクして別れたんだっけ。
まあ、うん。人並みな付き合いだったと思う。
一緒に暮らすまでは。
「ねえ、ハル君。私と一緒に暮らしてくれませんか?」
「…どうした、急に」
同棲を切り出したのは彼女だった。就職活動が始まり、一緒の過ごす時間が格段に減った。俺はべつに明確に何かやりたいことがあったわけじゃないから難航してたし、彼女はやりたいことがあったけど、狭き門ってやつで忙しかった。
「ハル君と何かすることには特別な意味があるけれど、一緒にいるってことにも意味があると思います。何もしなくても、そこにいるというだけでいいんです。ハル君はそんな理由で同棲は嫌ですか?」
俺はバカだから、彼女の言いたいことの半分も理解出来てなかったかもしれない。それでも一緒に住む利点は分かった。言いたいことも大まかにならまだ分かっていた。平たく言ってしまえば、『一緒にいる時間を増やしたい』。多分、梨花の言いたかった半分くらいのことだと思うけれど、間違ってはいなかったと思う。ここまでは。
「梨花、内定取れた!」
「私もです!お祝いしましょう!」
大体同じ時期に内定をもらい、ピザ取ってお祝いした。そこから物件観て、家具きめて、引っ越しして。卒業まではあっという間。彼女の親と初対面したのは卒業式の日だった。
「は、はじめまして。梨花さんとお付き合いさせていただいている、日高晴斗です」
大して噛まずに言えたのは単純に彼女の母親だったところが大きい。父親だったら、過去最悪に噛み噛みの挨拶をかましていたに違いない。
「あらー、イケメンじゃない。この子本当に野暮ったいし、ちょっと抜けてるところあるけど、いい子なのは保証するわ。あら、親バカかしら?末永くよろしくね」
勿論彼女の母親がものすごく明るく愉快な性格であったことも加味しなくてはいけないが。梨花の友達にちょっと似ていた。二人暮らしにはいい感じの部屋も見つかり、社会人生活がスタート。お互い忙しかったけれど、最初は上手く行っていた。家事は分担制で、ルールも決めたけれど、それが堅苦しいだとか思ったことがなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
そんな些細な挨拶を交わすだけで、一緒に暮らしてよかったとかみ締める日々。そんな日々が続くと思っていた。おれは、あの日急な残業になった日が恨めしい。
細かい雨が朝から振っていたあの日、定時間際に急な仕事を頼まれ残業。せめて2時間前に言えよと思ったが、先輩に何も言えず結局『はい…』と返事しかできなかった、自分の立場が悲しい。遅くなるとラインを入れたけれど、既読は付かない。梨花も仕事中だろうか。家にいるならすぐに既読が付くのに。駅までの道にあるちょっとオシャレなレストランがあった。ファミレスとは違う、割ときちっとした感じの。偶に雑誌とかで紹介される人気店。彼女とちょっと背伸びしたい時に行くみたいなお店。その窓際席。向かいあって微笑み合う男女。女の方は梨花だった。
ラインの既読はまだ付かない。
帰って暗い部屋に電気をつけたとき胸に広がったのは、むなしさだった。怒りでも哀しさでもなく、ただただ虚しかった。胸にぽっかり穴が開いたみたいだ。月並みな表現だけど、そんな言葉がふと浮かぶ。そんな気持ちがした。
「ただいま。ごめんなさい、遅くなって」
「いや、俺も帰ったことだし、ごめん、今日は疲れてるからもう寝るよ」
「え、ああ分かりました。おやすみなさい」
寝室が別でよかったと思った。一緒に寝ることがなかったわけじゃないけど、仕事で遅くなったときとか、一緒だと気を遣うって理由だけど。そうか、一人になりたい時に楽なんだ。見慣れた自分の部屋も急によそよそしく感じた。
その違和感や虚しさや疑問をかき消すように仕事にのめり込んだ。今までどうしても断れない時にしか参加してなかった飲み会も、頻繁に参加するようになった。潰れたり、翌日二日酔いに苦しむほど飲まなかったし、それほど強くなかったけれど。ほろ酔いでいる時には、むなしさも悲しさも感じなかった。
それと同時に梨花と過ごす時間は自動的に減った。激減と言って差し支えない。梨花は何も言わなかった。
問い詰めて、ケンカしときゃ良かったな。今となってはどうしようもないことを思う。
「女々しいですね。自分は何も言わず、女性が何も言わないことに甘えて」
「お前はもうちょっとオブラートを覚えろ」
「遠回しでも本質は一緒です。無駄は好みません」
正論かまして来た。綺麗な顔して可愛げねぇな。男にそんなこと求める俺がおかしいのか?理詰めで攻める奴って苦手だ。
「甘えてたのは認める。でも、飲み会参加しても酔った勢いでの浮気とか誓ってしてないし。ただなんかある日突然手紙置いて荷物全部消えた」
今でもなんであんなに突然だったのか分からないままでいる。
「ただいま」
電気がついてなかったので、梨花もまだ帰ってないと思った。でも、なんとなく家ががらんとした気がした。洗面所へ行くと彼女のコップや歯ブラシがなかった。あわてて食器棚をあけるとお茶碗もマグカップもひとつっきりしかない。恐る恐る彼女の部屋をあけた。
「嘘だろ…」
梨花が気に入っていた香水の匂いがかすかに残っているだけで、何もなかった。家具も私物も何もかも。彼女の物が何一つなかった。
部屋の真ん中に混ざってしまっていたのであろう俺の私物と白い封筒に入った手紙が一通。そっと開けると彼女らしい律儀で整った字が並んでいた。
『日高晴斗様へ
嫌いになったわけではありませんが、すこし距離を置きたいと思います。晴斗君にとってはもう取るに足らない存在かもしれませんが、一度関係を見直したいと。勝手してごめんなさい。私は貴方とお付き合いを始めた頃が一番幸せでした。さよなら。
影山梨花より』
内容は簡素そのもの。距離を置きたいっていつまで、それは別れるってことじゃないんだろうか。とるにたらない存在だなんて思ったこともなかった。でも、梨花と最後に話したのはいつなのか、一緒にご飯を食べたのも、目を合わせたのも最後がいつか思い出せない。一緒にいる時間を増やしたくて一緒に暮らし始めたはずだった。それだけは確かなはずだ。なんで一緒に暮らしてるのに擦れ違えたのか。俺が悪いのか、それとも彼女が悪いのか。どちらも悪くないし、どちらも悪い気がした。彼女の勝手さも俺の不甲斐なさも。何より嫌気がさしたのは思ったより絶望してない自分。一体いつの間に心に隙間が空いたのか。分からない。けれど、手で掬った水が指の隙間から零れていくようにあっけなく彼女は消えた。微かな香水の残り香だけ残して、俺の前からあっさりと姿を消した。
「彼女は貴方の2倍も3倍も悲しかったでしょう。寂しかったでしょう。それをどちらが悪いだとか、女性に手紙とはいえそこまで言わせて、本当に情けない」
「お前は情けも容赦もないな」
「私はフェミニストなので、女性を傷つけるような情けなく不甲斐ない、女々しい男には冷たいんです」
要は俺が情けなくて不甲斐ない、女々しい男というわけか。
「反論できねぇけど。それが二十四と半年ぐらいの時でその後の乱れた生活の結果がこの有様ってわけ。でも、人間死ぬ時って走馬灯見えるんだな」
あれは痛みが見せた幻覚かただの見間違いか
やや恋人に近い関係の女に浮気現場を押さえられた。といっても、その浮気相手も俺以外に本命がいて俺が浮気相手のひとり。名前はまゆ…マナだったか?そしてやや恋人に近い関係の女は某ホストクラブのホストに入れ込み相当な金額を貢いでいる。確か名前はミカだった。
「だぁれ、この子」
「…オトモダチのひとり」
「やだー、チョーしらけた。帰るわ」
さっきまで俺の上でノリノリだったマナはため息を吐き、さっさと着替え始める。無理を押し通す気もなく、仕方なくおれも着替え始める。その間、突然やって来たミカは呆然と立ちつくしていた。
「ごめんねー、もう帰るから。あ、また連絡するねー」
「ちょっと、待ってよ。ハル、何とか言いなさいよ。あの女はだれよ」
「だから、お友達だって。ただ、フツーより親しいだけで…。てか、お前は俺の彼女じゃないじゃん」
俺はこれが死ぬことにつながった地雷だと思っている。
「でも、でも、私が無一文になったら俺のとこくればいいじゃんって」
「社交辞令じゃん」
ミカはゆらりと洗い籠の横に置いてあった包丁を手に取り、まさに玄関から出ようとしてたマナの腕を引きずって戻って来た。
「ちょっ、落ち着けって」
「落ち着いてるよー。ねえ、この人殺したらいいのかなぁ。あはは、簡単そう」
離してとかわめいていたマナはゾクッと震え大人しくなる。俺は訳が分からない寒気がしていた。体の芯から冷えたような寒さなのに、汗が止まらない。
「落ち着けって。彼女を離して、包丁元に戻せって。な?」
俺の声は震えていた。それは寒さからか、それとも恐怖からなのか。
「さっきから落ち着け、落ち着けってさぁ。落ち着いてるって。この女殺しても意味ないのか。そっかー、ね、じゃあさハルが死んで?」
「ちょっ、包丁置けよ」
ミカはぼたぼたと大粒の涙をこぼして泣いていたが、不意に涙が止まり口元が弧を描いた。
「浮気するハルがいけないんじゃない!ミカは悪くないっ!」
小柄な彼女が抱き着くような形で思いっきり体重を掛けて、包丁を突き刺した。全部スローモーションの様だったのに、避けることも逃げることもできなかった。感じたのは痛みではなく、衝撃。その時点でおびただしい血が飛び散っていた。
マナが叫びながらへたり込む。そのマナの後ろで今までの彼女達が見えた。
「ハル君は好きだけど、もう会えない」
「晴斗が本命ってわけじゃないけど、あんたにとっての私もどうせ都合のいい女なんでしょ。私から見たらあんたが都合のいい男だけどね」
「友達としては好きだけど、ハルの事そういう意味では絶対に好きになれない」
「ハルの言う好きとか可愛いとかってさ、そこらの犬猫と大差ないんだよね。響かない」
梨花が寂し気に笑っている。
「さよなら」
その細い腕に手を触れようとして、手を伸ばしたような気がする。その手がすり抜け、目の前が真っ暗になった。その時か、その後まもなく死んだんだろう。そしてここに来た。
「…、人間ダメになるのって意外と一瞬だな。別れて割とすぐ女遊び激しくなったし」
誰かを梨花の代わりにしようとは思ってなかったけど、空いた穴をふさぐために色んな女と関係を持ったのは事実。それでも、一時の慰めにはなっても埋めるには程遠く。彼女たちもどこか俺と一緒で寂しかったのかもしれない。本当の意味で俺を好きなやつなんて誰もいなかったと思う。俺だって替えの効く代替品で、俺にとっての彼女達もそんなものだった。
たったひとり、梨花を除いては。
「それなりに後悔はされたのですね」
「んー、後悔というか。でも、もっと言えることも、してやれることも一杯あったはずなんだけどな」
「そうですか。貴方の未練はそこですよ。彼女に掛けられなかった言葉がある。ですが、もういうことはできません。相手は意志あるひとりの人間です。何も知らない赤子ならいざ知らず、あなたが死んだ事実を変えることは出来ない。あなたが彼女に言いたかった言葉を掛けたら、時間が歪む可能性があります。立ってください」
何でいえるうちに言っておかなかったんだろうか。死んでからこんな後悔するとは思わなかった。部屋にはいつの間にか、青の扉と赤というか緋色の扉があった。
「この部屋に来る前にした裁判の結果、貴方には邪淫の罪が適用されます。つまり、有罪判決です。ですが、望まれるのでしたら梨花さんの人生のその後くらいは見ておいてもいいかと思います。あまりいい結果になるとは思いませんが」
「どっちでも結局地獄行きなら、見ておくよ。多分、その方がいい気がするから」
「でしたら、青い扉へどうぞ」
深呼吸をして、青い扉に手を掛ける。聞こえたのは、俺が好きだったクラッシック。新世界だった。
「俺の葬儀か」
会社の同期、先輩、上司。高校や大学の時の同級生。家族。白いハンカチで目を覆う母親の肩を父親が支えている。その父も目じりが赤かった。自分自身が招いたこととは言え、突然一人息子を失ったわけだから。なんで怒ってるなんて思ったんだろうか。バカな息子だと怒っているかもしれないけれど、深く悲しんでくれている。
「あの、こんにちは。ご無沙汰しています。あの、なんて言っていいか。私もまだ心の整理がついてなくて…」
梨花だ。俺の記憶にある姿より、少しやせている。最後に姿を見たのがもう1年以上前なんだから、そりゃ多少変わってるか。
「いいの。あの子の死を悼んでくれてるなら」
「いえ、その。具体的な話を何もせず、私が彼を束縛してしまったから。…不自由を強いておいて、勝手に消えて。私が、彼を深く傷つけてしまったかも…しれません。申し訳、ありません」
言葉の最後は涙が滲み、とぎれとぎれだった。俺は束縛されたとも思っていない。不自由だとも思っていない、確かに傷ついたけど、梨花の所為なんて思ってなかったのに。
「貴女の所為じゃないの。あの子を思ってくれて、悼んでくれてありがとう…」
泣き崩れた梨花を母が抱きしめている。俺は最後まで、死んでなお傷つける事しかできなかった。責められるべきはミカでも、梨花でもなく、俺だというのに。なんで誰も責めないんだよ。女にだらしなくて、最後に女に刺されたどうしようもないクズだとののしられる方がマシだ。
苦しめたいなんて思ってなんかいなかったのに、俺は傷つけ苦しめただけだった。
「時間です」
その言葉と共にバタンとドアが閉まる音がし、俺はイザナといた部屋に戻された。目の前から青い扉が消えていた。
「俺は死んでもダメな男だな」
「いい結果になるとは思わないとお伝えしたはずです」
「うん。馬鹿さ加減が身に染みただけだった。でも、見ないで後悔するよりは、見て後悔する方がいいと思うから」
残っている扉は緋色の扉だけ。すでに隙間から禍々しさが漏れている。罰せられてよかった。ここでも許されたら、きっと次も同じ事をやってしまう。
「まあ、言っても軽い方です。態度次第では、既定より早くで許されるでしょう。お勤めで努々気を抜かぬよう」
最期までイザナは冷淡だった。コイツほんとうに筋金入りのフェミニストなんだな。
「もしも、あの時言えてたら、違う今があったかもしれない。でも、もしもとか意味ねぇよな」
「当たり前でしょう。感謝も何もかも足りてなかったんですよ。昨今の夫婦や付き合いだけ長いカップルの破局の理由のひとつは、長い関係に胡坐をかいた感謝の足りなさ。圧倒的に感謝が足りてない方が多いだけです。世に当たり前なことなどありません」
コイツの中に俺への慈悲や気遣いなんてものは最後まで見えなかった。俺は慈悲を与えるにも値しないということだろうか。考えても怖いだけだから、辞めておいた。
「赦される日が来て、次も人間に生まれ変われるなら、今度は誠実な人間になりたい」
「そうですか。では、そちらの扉どうぞ。贖罪後の来世では幸多からんことを」
俺は緋色の扉を押し開けた。
日高晴斗の本に完結の判を押す。最初からあれぐらいの殊勝さがあれば、大王様の恩赦があったかもしれないものを。人間は一度振り返らないと分からないことが多いものですね。だから振り返るのか。
「これを閉架書庫に。今回の未練は生者が関わってます。大王様の認可が下り次第、アフターフォロー及び未練の除去班を派遣します。各班に通達を」
「直ちに取り掛かります、主任」
「頼みましたよ。私は開架書庫にいますので、何かあったら来てください」
全く持って愛情と憎悪とは難しい。小さなため息とともに書架の重たい扉を押し開けた。




