90.服従
「ふふっ、よく分かりましたわね」
開口一番、賛辞の言葉が出てきたが、彼女の笑みは嘲笑の色を多分に含んでいたように思える。
まるで出来の悪い子どもを讃えるようなその口調は、見るものをイラつかせる。
きっと今まで色んな人間をおちょくってきていたのだろう。
そう感じるぐらいには彼女の存在が不誠実に感じた。
……こういう手合いは無視に限るな。自分のペースで淡々と語ることに集中するべきだ。
俺は深呼吸をひとつして、会話を進める。
「よく分かったな、と言われましてもね……そもそも貴方はご自身の姿を隠しているようには見えませんでしたが?」
彼女は……いやセンコは、最初から俺の目の前に堂々と姿を現していたーーーカイリの侍女として。
最初は本当にただの侍女だと思ってた。
でも、話を進めるにつれてこいつがただの侍女なんてわけがないと分かった。
狐耳に狐の尻尾、衣装は侍女服だったが、胸元にある奇妙な目玉型をしたネックレス。
これが決定だったと言ってもいい。
そんな珍妙なものを身につける女性なんてそんなにいるはずがないからな。
ただ、一つ疑念があるとすればーー
「何故、わたくしのことを誰も疑問に思わないのか?ということですわよね?」
「まぁ……そうだな」
結局のところ、疑念はその一つに尽きる。
あんな目立つ見た目をしているのに、それを装うこともなく、自然体でいる。
普通なら正体に気づかれてもおかしくはない。
なのに何故、誰一人として彼女に疑念を抱かなかったのか。
「それはこの神器の力ですわ」
そう言って、彼女は胸元のネックレスに触れる。
「貴方が異能と呼んでいるこれは、わたくし達の一族の間では神器と呼称されているもの。わたくしには生まれて間もない頃にこの力に目覚め、その村で巫女として祀られていましたわ」
「巫女、ねぇ……」
悪魔憑きだと恐れられたり、異端だと遠ざけられたりするよりはマシだが……。
「まぁ、貴方の想像通りこの力を彼ら恐れていましたわ。……正確には畏怖という感じでしょうか。一族はわたくしの力を恐れ慄き、祀ることでわたくしをあの狭い箱へと閉じ込めたのですわ。表向きは名誉なこととして」
「まぁ、そうなるだろうな」
結局、皆他と違う力を恐れてしまうものだ。
彼女の力がどんなものであれ、他と違うというだけで恐れられることに変わりはない。
「話を戻しますわ」
コホン、と咳払いを一つして、彼女の異能について話した。
「この目玉は人の心を透かし、奪い、歪める。そういう力を宿しているのですわ」
「それはまた……禍々しい能力だな」
「……正直ですわね」
そう言って、少しだけ悲しそうに微笑むセンコ。
「敵かもしれんやつに同情なんてしないさ。……それで?心を操れることはなんとなく分かったが、それがどうして正体の露見を避けれることにつながる?」
「そういう風に認識させたから、ですわ」
センコが言うには、物の認識にはその人間の感情が大いに関係するらしい。
例えば、りんご。りんごを見れば赤くて美味しそうというイメージと共にその物を見る。
その認識を歪めることができる能力だということらしい。
「りんごを見て毒だと感じるものはいないでしょう?しかし、わたくしならばそのりんごを見ただけで悍ましいと感じさせるように仕向けることができるのですわ。そして、その逆も然り」
「つまりは狐人族ではない、という認識を彼女らに植え付けた、ということだな?」
「その通りですわ。……まぁ、わたくし正確には狐人族ではなく妖狐族なのですけれど」
そう言って、センコはまたクスクスと笑い始める。
「だったら、なおさらわからないな?何故、俺にだけそれをしない?俺にもしておけば完全に露見することはない。お前が何を考えているかは知らないが、少なくとも俺に正体がバレることはリスクが生じることでしかないと思うが?」
「ふふっ、ふふふふふふっ、あはははははははっ!!!」
俺がそう尋ねると、彼女はいっそうを声を上げて笑った。
いや、それは笑いというよりも狂人の奇声に近いものなのかもしれない。
そのくらい狂った笑い声だった。
「ふふっ、リスク?リスクですって?貴方のような“男”が……わたくしにとって、リスクになり得るとは笑わせてくれますわね」
「どういうことだ?」
「貴方など最初から相手にされていないと理解できないのですか?いや、理解できないからわたくしに毅然とした態度を見せられるものなのですわね。なんと愚かしい!なんと愚かしい生き物なのでしょうね!貴方たち男というものはッ!!」
一呼吸おいて、「これを見なさい!」と勢いよく胸元を晒した。
「うおっ」
思わずそんな間抜けた声が出てくるほどに俺は驚愕した。
それも当然といえば当然だ。
今までただの会話をしていた女がいきなり胸を見せつけてきたのだから、驚きもする。
だが、不意をつかれたということだけが俺の驚愕の理由ではない。
それはーーー彼女の胸が予想以上に大きかったのだ。
プルン、と音が聞こえそうなほどに大きさと丸みを伴ったベージュ色の果実。
その頂点にちょこんと置かれたピンク色の蕾が二つ。男なら誰もが吸い付きたくなる感じてしまうほど立派なそれを前に、俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「わたくしの力は、無から有を生み出せるものではありません。皆が感じたことのある感情を奪い、別の感情へと差し替えることしかできませんの。故に、その者が感じ取ったことのない感情、認識を植え付けることはできませんの」
で、す、がーーー
そう言って、プルンと胸を張ってみせる。
「逆に言えば、その者が感じた感情は自由自在に付け替え可能ということ。貴方が今わたくしの胸に感じている感情を、わたくし自身に差し替えることは可能ということですわ」
「……?」
「つまりはこういうことですわ!」
そう言って、さらけ出していた胸を仕舞い込むと、俺に視線を合わせてきた。
「……ッ!?」
すると、突然何かが切り替わるような感覚を覚えると共に、目の前にいるセンコという存在がどうしようもなく淫らで、美しく、愛おしいものに思えた。
「な、なんだコレは……」
「貴方が今、わたくしの乳房に感じた感情をわたくし自身に抱いているのですわ。男は皆、わたくし自身には警戒心を感じていたとしても、わたくしの乳房そのものには警戒など払わないでしょう?ですから、その感情を差し替えてやれば、わたくしに警戒心ゼロ好感度マックスの腑抜けができるということですわ」
そうやって、センコはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「く、くそ……」
俺は思わず悪態をつくが、あくまでそれは上辺だけの話。
内心は、センコにドキドキしっぱなしだった。
「ふふっ、それにしても貴方は余程のおっぱい好きですわね。ここまで効果が顕著に出る殿方は見たことがありませんわ」
おほほっ、と天を仰いで俺を嘲笑うと、視線を俺に戻して言った。
「これで分かったかしら。貴方達男という存在が如何にわたくしにとって無力であるということを。分かったら、さっさとわたくしに頭を垂れて服従なさい。貴方のことはわたくしが有効に使い潰してあげますわ」
「……具体的には何を?」
「そうですわね。とりあえずは、カイリの言うことを聞きつつ大会までは様子見ですわね。大会には当然、負けていただく形で。できれば、あの軟弱すぎる大臣の息子さんに負けてもらうのが良いかしら?貴方随分とカイリに期待されているみたいですものねぇ。あの雑魚に無様に負けてもらって、あの娘の失望する顔が見たいですわ!おほほほっ」
「そうですか……その後は?」
「貴方はもう用済みですわ。後は、あの雑魚に優勝してもらいましょう。あの雑魚は実力はともかく生まれは良いですからね。中央のお役人さんも殆ど掌握しましたし、これで名実共にこの国のトップに君臨してもらえることでしょう。この国のありとあらゆる財を絞り切った後は、ゴミ箱にでも捨てるようにポイっと廃棄処分しませんと。おほほっ、今から楽しみですわ!!」
では、貴方は手筈通りに頼むわね?
そう言って、センコは室内へと戻っていった。
俺はしばらく跪いたままでいたが、彼女の気配が完全に感じなくなったところで大の字に寝転がった。
「……ふーん、なるほどねぇ。これは中々エグいことをするなぁ」
この一言で勘付いたやつもいると思うが、俺はセンコに操られてはいなかった。
いや、途中まではマジでヤバいと思っていたし、センコのことを考えると胸がドキドキするのは全く解消されていないが……。
俺には精神を閉ざすハートの鍵がある。
あまりこういった使い方をしたことがなかったので、どうなるか予想できなかったが、結果はうまくいった。
俺は自分自身にハートの鍵でロックをかけ、心を施錠。その結果、センコに対して何の感情も抱かなくなった。
……が。
逆に言えば、全てのものに対して感情を失ってしまうようなものなので、ずっとこうしているわけにもいかず、彼女がいなくなると同時に解錠。
いつもの俺に戻したわけだ。
そうすると、また沸々とセンコに対しての恋心のような何かモヤモヤとしたものが再燃してしまう。
今は彼女が目の前にいないから、まだ耐えられるがもし目の前に現れたら、俺は一も二もなく彼女に服従してしまうだろう。
……これはかなりマズイ状況かもな。
相手はこの家にいつでも入ってこれるのに、俺たちは敵方に近づくこともできない。
一方的に情報だけ奪い取られる形になるわけだ。
こっちからも何か仕掛けたいが、仕掛ければ必ずセンコに勘付かれる。
そうなれば、彼女と俺でガチンコ対決か。
……あまり良策とは言えんな。
となれば、俺はセンコに従順なふりをしてカイリちゃんの訓練を受け、順当に強くなって当日で見事にケンリを討ち破り、あいつの野望を阻止する!……これが一番現実的かな。
なら、この現状を誰かに伝えることは無意味、いやむしろ足枷にしかならんな。
しばらくは俺一人で何とかしてみせるよう頑張るしかないな。
「よしっ、やるか!」
そう一念発起して俺は立ち上がった。




