66.決闘
目を疑う光景とは正にこの事。
先ほどまで菩薩の如き穏やかな笑みを浮かべて談笑していた彼女の表情が、一瞬で修羅の如き険しい表情へと姿を変えた。
「……っ」
そのあまりの温度差に、続けて言うつもりだった言葉が喉につかえて出ない。
結果、口を半開きにして少女にビビっている男という情けない構図が出来上がった。
「私の……聞き間違いですか?今の発言、どうにも眷属に相応しいものとは思えなかったんですけど……」
「いいえ、姫様。姫様のおっしゃる通り、この男は恩知らずのクズ野郎の発言をしていました」
後方から氷のように冷ややかな視線を向けてくる侍女長。
心なしか、背筋まで凍るような感覚を覚える。
……いや、気のせいなんかじゃない。
こいつ、実際に俺の背中に氷の魔導を発現してやがるぞッ!?
「勇者の攻撃から助け、傷を癒し、更にはあなたのために訓練までつけてあげているのですが……ただの魔人如きがこれほどの好待遇を受けていながら、何か不満でもあると言うのですか?」
「いや、不満ってほどじゃないけど……」
というか、勇者の攻撃から助けたって何の話?
俺、そもそも王国の生徒達にやられてたんだよな?
負った傷がデカすぎて、記憶が曖昧だから何とも言えんけど……少なくとも勇者には会った記憶すらない気がする。
とりあえず、何か弁解の一つでもして見せようと口を開いたところで、今度は呂律が回らなくなっていることに気付く。
「あっ……えっ……と」
「どうやら言い訳のしようもない程に図星だったようですね。どう思われますか、姫様?」
「……残念、です、マティスさん。私は私なりにあなたに尽くしたつもりです。そして、マティスさんもきっと私の味方になってくれていると思っていたのですが……」
「急ぎ決闘の準備をさせましょう。訓練場は……彼はカナ様に気に入られていることですし、容易に手に入りましょう。よろしいですか、姫様?」
「えぇ、お願い」
着々と話が進んでいく間、俺はバカみたいに口を半開きにして「あっ……あっ……」とカオ○シのように呻くことしかできない。
というか、カラクリがわかったぞ、このアマッ!
どうやら背中から俺の身体を魔導を使って半凍結みたいな状態にしているようだ。
最初は背筋の震えのみだったが段々手先や足先なども冷気で震えて立つのもしんどくなってきているのだ。
侍女長は、自分が仕組んだことであるということはおくびにも出さずに、淡々とした声音でもってシーフェに話をつけている。
「時間は……先ほど魔力を使い果たした後でしょうし、夕食後で良いでしょう。マティス、それまでにしっかりと英気を養っておきなさい。決闘は私が出ます」
「では、夕食後に。ということで、マティスさんはしばらく自室で休んでいてくださいね。時間になったらラルファが呼んできてくれると思うので」
「……」
こうして、俺が口を挟めぬまま決闘をすることとなった。
◆
魔族にとって力が全てである。
学力、魔力、武術、戦術、権力、財力……と様々な力を欲する強欲な人間とは違い、彼らが欲するは武力のみ。
つまりは、強い奴が尊ばれるのである。
そのため、決闘の勝者の言うことは絶対である。
「うむ。では、ラルファの要望から伺うのじゃ」
「四六時中の監視と護衛としての心構えの徹底です」
「では、マティスの要望は何じゃ?」
要望はそもそも決闘したくない……だが、それだけは避けては通れなさそうなので、本来の目的だった王国の帰還を願い出る。
「ふむ……成る程なのじゃ。では、お互い位置につくのじゃ!カナちゃんが合図を出すから、それに合わせて始めるのじゃ!」
ただの幼子のようにハツラツとした笑みを浮かべる緑色の少女。
初対面のときは騙されたが、色々と特訓を重ねた今となっては彼女から感じる底冷えする程の多量な魔力に、ビビってしまう。
俺は勿論の事、侍女長ですら足下にも及ばない程の魔力量は、凄いを通り越して異常に達している。
そんな化け物な彼女だからこそ、普段は慇懃無礼な態度である侍女長も、この時ばかりは素直に指示に応じる。
いつもの緑に囲まれた庭園とは違い、砂だけが設置された殺風景な決闘場の地面をザッザッと踏みしめてお互いに距離をとる。
もう充分だろうと思ったところで振り返ると、侍女長が氷のように冷たい視線をこちらに合わせた後、カナちゃん様に視線を向けた。
アイコンタクトを正しい意味で理解したカナちゃん様は、大げさな仕草で手を振り上げると、勢いよく振り下ろしながら宣言した。
「ーー始めなのじゃ!」