エピローグ:最強賢者は料理する
赤龍を倒したことで、学院に平穏が戻った。
半月同盟に関する詳しい調査は学院のほうで行うという。
この事件で魔法学院は一週間の休校措置が取られた。
「なあ……ちょっと近いんだが」
「し、仕方ないじゃない!」
その……エリスの柔らかな胸が俺の腕に食い込むのだ。
決して嫌な気持ちではない。嫌ではないのだが……リーナの目線が痛いのでやめてほしい。
「ユーヤ! 激しい! 激しい!」
「ん、じゃあこうか?」
「ひゃああああ! 馬鹿なの? ねえ馬鹿になったの!?」
むう。そんなことを言われても仕方ないじゃないか。俺だって経験豊富というわけではないのだ。
俺とリーナの部屋で何をやっているのか。
もし誰かが見ていたとすれば微笑ましい気持ちになるだろう。
「千切りにしろとは言ったけど、それじゃあ粉よ、粉!」
「し、仕方ないだろ……料理はできないって言っただろ?」
「できないって言っても限度があるってものよ!」
俺はエリスに料理を教えてもらっていた。
食事に関しては学院の食堂でも美味しいものが食べられるのだが、自炊ができるに越したことはない。
料理スキルだって低いまま放っておくのはどうにも気持ち悪かった。
そこで料理が得意なエリスに教えて乞うているという次第だ。
玉ねぎの切り方について教えてもらっていたのだが、千切りにしろと言われて千切りにしたら細かすぎると怒られてしまった。自分でもどういう結果になればいいのか頭では理解できているのだが、いざ実際に手を動かすと失敗してしまうのだ。
これが料理スキルの壁なのだろう。練習を積み重ねることで段々とレベルは上がっていくのだが、そのスピードも【賢者】は遅い。
あまりにも上達しない俺を見かねて、エリスは手取り足取り教えてくれていた。
エリスはそこそこ胸が大きいので、俺の腕を後ろから掴むと、胸が当たってしまうのだ。これは事故であって俺が楽しんでいるわけじゃない。
それなのにリーナは崩れた笑顔で俺たちを睨むのだ。
「そ、それよりリーナはできたのか? にんじんの皮むき」
俺たち三人は共同で料理を作っている。エリスは俺につきっきりで教え、リーナは割り当てられた仕事をこなしている。
リーナにはにんじんの皮むきが命じられ、包丁で剥いてもらっていた。
「ユーヤがゆっくりやってる間にとっくに終わったわよ。案外簡単なものね」
どれどれ……。
と確認してみるが、どこにもにんじんの姿がない。
「あれ? にんじんはどこに行ったんだ?」
「ここだけど?」
リーナが指さしたのは、まな板ではなくボウルの中だった。中を覗くと、少し厚めに切られたにんじんの残骸だった。
「リ、リーナもしかして全部剥いちゃったの!?」
「にんじんって皮が多くてほんとムカつくのね」
違う! それ皮じゃないところまで剥いちゃってるぞ!
「もしかして、リーナも料理が苦手なの?」
「得意な方ではないわねっ!」
リーナは少し胸を張って答えた。豊満なバストが揺れる。
「これは……苦労しそう」
はっきり言ってこれは料理以前の問題な気がする。
玉ねぎの切り方やにんじんの剥き方で躓いているようでは、いつまでたっても料理に取り掛かれないのだ。
ここが日本だったらと考える。
人間には誰しも向き不向きがある。誰でも玉ねぎを千切りする方法、誰でもにんじんの皮がむける方法があるはずだ。
あれ? そう言えば。
「リーナはにんじんの皮を包丁で剥いていたのか?」
「そうだけど……それがどうかしたの?」
「いや、なんでもない」
包丁でにんじんの皮を剥くのが常識だと思っていた。十五年もこの世界にいると、常識に染まってしまうのだ。しかし、日本には百円均一のお店にいけば便利なものが置いてあったじゃないか!
この世界に百均はない……だけど、作ることはできる!
「ちょっと休憩を取らせてくれ! すぐに戻る!」
俺は、部屋の片隅にあった金属片を取り出して、イメージを形にしていく。
「ここに刃があって……確かこんな感じで……」
途中で口ずさみながら。
工作は料理より得意らしい。思ったものがどんどん形になっていく。構造自体はシンプルなものだから、すぐに完成した。
後は玉ねぎの千切りだが……確か実家の台所で見たことがある。
実際に使ったことはないが、使っているところを見たことはある。母さんがよくキャベツをあの機械で細かくスライスしていた。少し小型のものできゅうりをスライスしていた様子もみたことがある。
その辺は刃の部分の加工でどうにでもなりそうだ。
真ん中に刃を取り付け、その周りは板のようにしていく。
「これで完成だ」
俺は出来上がった道具を持って二人のもとに戻った。
「待たせたな」
「ユーヤ、それは?」
エリスが早速尋ねてきた。
「まあ、実際に見せた方が速いな。俺がいまから玉ねぎを千切りにするところを見せてやるよ」
俺は大仰に宣言し、その道具をボウルの上にのせ、玉ねぎをスライドさせる。
俺はそのまま何度もスライドさせていく。
すると、みるみるうちに玉ねぎが小さくなっていった。
これ以上小さくならないというところまで使い切り、道具を退けてボウルの中を見せる。
「す、すごい! 完璧な千切りになってる!」
「ハハハッ 名付けてスライサーだ。これなら料理スキルに関係なく千切りができる!」
エリスは目をぱちくりさせながら何度もボウルと俺を交互に見た。「すごい……」と何度も連呼した。
「ユ、ユーヤ……こんな感じでにんじんの皮を剥く道具とかないの……?」
リーナは期待の眼差しで俺を見つめてくる。
やれやれ、俺が二つ道具を作ったことがリーナに見られていたらしい。
「もちろんあるさ。これを使ってみな」
「これはどうやって使うの?」
「にんじんの皮の部分で少し力を入れてキュッと滑らせるんだ」
言われた通りに、リーナは滑らせていく。
すると、みるみるうちににんじんの皮が薄くはがれていく――。
「す、すごい! こんなに簡単に……! これって一体!?」
「まあ今作ったんだが、名前はピーラーだな。これならリーナでも皮むけるだろ?」
「ユーヤすごい! こんなことができるなんて!」
「まあ、ちょっと不便だと思ったから作ったまでさ」
……まあ、俺のアイデアというわけではないのだが。
これを最初に作った人は本当に尊敬するよ。
「よし、道具も手に入れたことだし、続きをやっていこう! ピーラーを使えばジャガイモの皮も簡単に剥けるはずだ。芽の部分は少し工夫して、横の突起でほじるようにして取り出せばいい。……できそうか?」
「こんなに便利なものがあれば簡単よ!」
「そうか、じゃあそっちは頼んだ!」
そうして、俺たちは各々が分担して料理を進めた。
ぐつぐつと煮込んでしばらくが経ち――。
「「「美味しそう!」」」
三人の声がハモる。
食べなくてもわかる。美味しそうなシチューだ。
俺が頑張って千切りにした玉ねぎは溶けてしまって見当たらないが、細かく切られたにんじんとジャガイモはあちらこちらに浮いている。
完璧なシチューだ。
「なんか、ちょっと料理ができるようになった気がする!」
「まさか。そんなに簡単に料理はできるようにならないわよ?」
リーナの呟きにエリスが指摘する。
しかし、リーナの感覚は正しい。料理スキルの経験値というのは、料理が出来上がった時に一番多くもらえるのだ。きっとレベルが上がったのだろう。俺も少し、腕を上げた実感がある。
「じゃあ、さっそく食べようか」
出来立てのシチューを人数分にとりわけ、スプーンで掬って食べていく。
――美味しい。
ああ、こんな平和がずっと続けばいい。
学院が襲撃されて、初めて平和のありがたみを知ったのかもしれない。俺は平穏な毎日が少しつまらなく感じていた。でも、そんな平穏こそが俺にとってかけがえのないものだったのだ。
きっと、俺だけじゃなくリーナとエリスにとってもそうに違いない。