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■ 落雷

 西の山の向こう側に白い雲が見えた時、すぐに家へと戻ればよかった。光と轟音と雨粒が交互に躍る中、私と美空は今まさに店じまいをしようとしていた川島商店に飛び込んだ。店番のおばさんは私たちにタオルを貸してくれるどころか、居間に上がり冷えた麦茶とお菓子まで出してくれた。


 川島商店は村に来て白丑家の次によくいる場所だった。白丑家では毎日のように集会が行われていた。たまたま今の時期にちょっとした問題が起こってるらしい。しかし廊下ですれ違う人たちの深刻そうな顔を見たら、問題がちょっとどころでないことは簡単にわかる。だから私たちよそ者は集会の邪魔をしないように外で遊んでいた。その遊び場といったらそれなりに決まってくる。川の浅瀬で遊ぶか、神社で涼むか。どちらにしても冷たいアイスや飲み物、暇つぶしの本や玩具がある川島商店にはほぼ毎日通っていた。


「ここ最近で一番激しい夕立よ。何にも起きなければいいけど」


 ビールの銘柄が描かれたグラスで麦茶を飲んでいた私たちと一緒におばさんが本当に困ったような顔で言った。ここに来て夕立は何回か体験したが、確かにここまで強いものは初めてだった。今までのは外にいても誰かの家や納屋の軒下にいれば防げる程度のものだった。しかし今日の夕立は横殴りの雨に小粒ながら雹まで交じり、嵐のような状態だった。雷が嫌いな美空はこれに怯え、我先に商店の中へと走って行ったのだ。


 いくら経っても夕立は通り過ぎそうになかった。それどころかさっきより激しさを増し、空には常に稲光が走ってた。


 ぴかりと光り、そして地面を揺るがすような重音が響いた。


「やー」

「……今のはちょっと近いかな」


 居間の縁側からは東の山々が見える。田んぼという何も遮るものがないここは、絶景の落雷観察ポイントだった。今の雷はその山のどこかに落ちた。幸い山火事になりそうな気配はない。


「だいじょうぶかなぁ?」

「大丈夫、大丈夫だって。ほら、ちょっと雷、大人しくなってきたよ」

「ほんとだ!」


 ご厚意で貸してもらった毛布から抜け出した美空が縁側に出た。雷の音も雨脚も少し弱くなってきた。さっきの雷が最後っ屁だったようだ。


 時計を見ると思っていたより時間が過ぎていた。日が暮れるか暮れないか微妙な時間帯で、私たちは急いでおばさんに暇を告げた。なんだかんだで、奈津さんに言われた注意は全て守っていた。急がなくても大丈夫、なんなら送って行くわよとおばさんは言うが、タオルや毛布を貸してもらったり、おやつをもらったりと結構お世話をしてもらった。これ以上迷惑をかけるのは心苦しく、私たちはその提案を丁寧に辞退した。


 走って行けば数分もしないで帰れる。靴を履いてガラス戸に手をかけたとき、突然目が眩むほどの閃光と身体を抉るような振動が私たちを襲った。吐き気にも似た感覚に襲われ、それから逃れようと私は美空を抱えてしゃがみこんだ。その爆発のような振動が音だったと気付いたのは、びりびりとした空気の震えが霧散してからだった。


「何、一体?」


 あまりのことに泣き出してしまった美空をあやしながら、私はゆっくりとガラス戸を引いた。濡れた土の香りの中に微かに焦げ臭い匂いが交じっている。風に乱されてその匂いの元はわからない。だが目が正常なら簡単な問題だった。


「――祠に落ちたぞッ!!」


 誰かの声が響いた。夕立の中、息をひそめていた村は次第に騒がしくなっていく。


「ああ、ああ……」


 私越しにその光景を見たおばさんは腰を抜かし、喘息のように引き攣った声を上げていた。声に呼びつけられた人たちも茫然と立ち尽くし、また水たまりだらけだというのに座り込んでしまっている。


 その中で一つだけ軽やかに踊っているものがある。村の入り口に近い、枯れた木立に囲まれた祠。それを食らう煙交じりの炎だけは狂ったように舞っていた。


 それからすぐに雨が上がってしまい人々は我に返った。炎は濡れた木々をものともせず高く高く燃え上がっている。人々は自分の家から消火器を持って来たり、近くに転がっていたバケツを使って祠の裏手を流れる川の水を運んだりと、芝居のような典型的な行為を繰り返しやっている。


 私も腰が抜けて動けないおばさんに代わって、店の消火器を持って祠に近付こうとした。だがその前におじいさんが私の消火器を奪っていく。バケツリレーは綺麗に出来上がり、私のできる消火活動はなくなってしまった。


 おばさんの元に戻り、土の床から立ち上がろうとしていた彼女を手伝う。なんとかおばさんを椅子に座らせ、彼女の提案で消火に勤しむ人たちのために飲み物を用意した。


 飲み物の準備が終わるころには火は鎮まった。祠であったものは無残に焼け崩れ、後片付けの必要がないくらいにぼろぼろになっていた。一方で周りの木立には燃え移らなかったのか、微かに煤と消火剤が付いているだけだった。それなのに用意した飲み物を受け取る人たちは皆重く口を噤んでいた。


 その夜、村に人たちはまた白丑家に集まり、急きょ用意された膳を囲んで話し合いをしていた。それが終わると今度は皆で神社へと向かっていった。あの祠は神社所有のもので、どうするにも神社の人たちに相談しなくてはいけないのだという。あの鳥居に提灯の明かりが消えていく光景は非日常的で、ほんの少し早い盆の祭りが来たようだった。


 その日の内には祠を建て直すということが決まったという。翌日は朝から白丑家に人が集まって祠を建て直す算段を話し合っていた。


 早めの朝食を終えてから、私と美空はいつものように外へと出かけた。まず川島商店へおばさんの様子を見に行く。私たちが帰る時もおばさんはつらそうに腰をさすっていた。腰を抜かした時、強く地面に打ち付けたと彼女は言っていた。心配させたくないと思って作られた別れ際の笑顔が昨日から頭の中に残っていた。


 案の定、今日商店に立っていたのはおばさんの旦那さんだった。腰を打ったことと火事が起こったことに対する心労で、今日は寝込んでしまっているらしい。


「昨日はありがとうね。おかげで助かったって家内が言ってたよ。これはほんの気持ち」

「わあ、ありがとーございます!」


 旦那さんはお菓子の詰め合わせとアイスを一本ずつ渡してくれた。少しおばさんの手伝いをしただけなのに結構な量のお礼だ。しかし突き返すなんてことも出来ずに、私も美空に倣ってお礼を伝えた。


「これから神社に行くのかい? 今日はちょっとおすすめしないな。ほら、昨日のあれで神社もあれこれ忙しいようだからね」


 アイスを食べ終わって散歩を再開しようとしたとき、旦那さんがそう言って送り出してくれた。祠再建のためのちょっとした工具を買いに来る人が多いので、今日はここでゆっくりできない。旦那さんの言う通り行こうと思っていた神社は止めて浅瀬がある川の方に行こうかと思った。だがそこに行くには焼けた祠の前を通らなくてはいけないのだが、祠の前は簡素な柵で塞がれていて通れそうにない。一旦通りを戻って向かうというのもなんだか面倒でつまらない。私たちは祠とは反対の道、つまり神社の方を通って帰ろうという選択をした。ゆっくり行けばこの距離でもお昼くらいに家に戻れるだろう。


 鳥居の前で参道から出てきた奈津さんと会った。旦那さんが言っていたように神社にも人が集まっているらしく、そこにお弁当を届けに行って来たのだという。


 奈津さんと話していると、やたらとかあかあ鳴いている烏が気になった。見れば鳥居からそのまま真っ直ぐ行った森の中で、烏が数羽集まって何かをつついていた。


「──きっと、昨日の雷に打たれて死んだ獣でもいるんでしょうね」

「……かわいそう」

「そう思っちゃだめよ。そう思っちゃうと彼らが成仏、天国に行けなくなっちゃうから。それに、ここじゃあよくあることよ。さあさあ家に帰りましょう。もうご飯は作ってあるからね」


 獣の死を悼む表情からにっこりと笑った顔に移ったほんの一瞬、奈津さんの顔にまた違った感情が見えた気がした。


 二日後には祠は完成した。以前のよりはシンプルだが、かえってそれが趣を出していると私は思った。

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