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■ 夏休み

 かあーかあー、かあーかあー。


 烏が鳴く。都会ではただの背景音だったそれも、ところ変われば主音になるらしい。


 赤く染まった山間に消えていく公共バスを見送り、私は錆びたバス停に視線を動かした。


 『三空洲みからす村』。名前の通り、山の中腹から見た村は、細い川に囲まれた三つの中洲にできていた。中州ごとに集落、田んぼ、畑と分かれていて、村の出入り口は真ん中の集落の中洲にある。


 山の斜面を下って村へと向かうアスファルトの道はとうの昔にその役目を忘れたように剥がれかかっている。バス停横にある急な階段の方が生き生きとして見えた。


「んー、おねえちゃん、ついたの?」

「着いた。着いたからみーちゃん、自分で歩こうね?」


 私の背中で寝ていた妹の美空(みく)が目を覚ました。家から電車とバスを乗り継いで約六時間。その旅は小さな彼女にとって大事で、最寄駅発のバスから更に小さなコミュニティーバスに乗り換えた時には、彼女は既に夢の中にいた。何故こんな辺鄙な山奥の村に来たのか、その理由も知らない楽しそうな笑顔で。


 妹の手を引きながら主要道となった階段を下りる。一段一段が高く、足を乗せる部分も狭いので、気を抜けば滑り落ちてしまいそうだ。寝ぼけた美空が足を踏み外してしまいそうなのが怖くて、握る手がほんの少し強くなる。美空は美空で、階段脇に咲いた都会では珍しい植物とどこからともなく響いてくる虫の音に魅了されていた。


 緊張と湿気を多く含んだ空気のせいか、木陰の中を歩いて来たというのに下に着く頃には汗だくになっていた。息苦しさを感じながら強張った筋肉をほぐしていると、田んぼの間を一人の女性がこちらに向かって走ってくる。


「ごめんね! ばあちゃんと話してたらバスの時間忘れちゃって」


 淡い茶色の髪をした女性は私たちに笑顔を向ける。父さんの妹、私たちの叔母である白丑しろうし奈津さんだった。父方の祖父母の家はこの村にある。私たち姉妹は夏休みの間、この白丑家にお邪魔することになっていた。お父さんが家出のように飛び出して行ってしまったから、白丑家とうちとの仲はあまり良くない。ただ母方の祖父母は私が生まれる前には死んでいている。お金をかけずに未成年の子供たちの面倒を見てもらえるのはここしかなかったと言える。


「おかーさんもおとーさんもくればよかったのに……」


 とても残念そうな声で美空が呟いた。それには私も事情を知っている奈津さんも苦笑いするしかない。離婚調停中、なんて言っても美空にはきっとわからない。キャリアウーマンであるお母さんと、定員割れした大学で無益な研究しているお父さんはこのところ喧嘩ばかりしている。理由が金銭面というくらいしか私にもわからない。ただ多分普通に離婚して、私たち姉妹はお母さんに引き取られる。そういう未来であることだけはわかっていた。


「さあ早く帰りましょう。ご飯が用意してあるわよ。都会の子の口には合わないかもしれないけど……」


 暗くなった空気を取り繕うように奈津さんが美空を促した。彼女は奈津さんの提案に表情を明るくした。美空とって食事は大切だ。大好きなアニメのごっこ遊びをしていても食事の時間には終わりにして、準備の手伝いをしてくれる。


「さあ、行きましょう」


 奈津さんの声を合図に美空が私の手を引いて歩き出した。バスから降りたときとは反対に元気だ。


 そんな彼女に元気をもらいつつ、私は頭を切り替えた。ここで家のことを考えることはしない。両親の怒鳴り声ではなく、穏やかなせせらぎを聞こう。


 幾分か軽くなった頭で足を踏み出す。


 ふと、視線を感じた。だが、気になって振り返ってみてもいるのは鳴いている烏だけだった。


「どうかしたの?」


 先を歩いていた奈津さんが動かない私に気付いて声をかけてきた。私は「何でもないです」と首を振って、彼女たちに追い付く。


 奈津さんに連れられ、村の中心を通る道を歩く。アスファルトの塗装は村の入り口の少し先で途切れていた。土がむき出しで遊び心を刺激されたのか、美空は物欲しそうな顔で地面を見ている。しかしいきなり服を泥まみれにするわけはいかなく、美空が地面に触ろうとするその前に抱き上げた。美空は初め自分で歩けるとお姉さんぶったがその快適さにほだされ、また眠そうな顔をして私の首に抱き着いた。


 他愛のない話をしながら奈津さんたちの家へと向かう。奈津さんは私たち学校や今日の旅路での話をとても楽しそうに聞いてくれる。誰かに自分の話を聞いてもらったのは久し振りで、最初は戸惑っていた言葉も段々と流れ始めた。ただもっと詳しく話したいと思ったときにはもう白丑家に辿りついていた。


 そしてそこで私は目を見張った。他の家にはない立派な門と塀がそこにはあった。修学旅行先で見た武家屋敷、とまではいかないが、それでもこの家の持ち主は随分良い身分なのだろう、そう考えられた。


「そうそう、言っとかないといけないことがあったんだわ」


 門をくぐろうとした奈津さんが慌てて引き返して、いくつかの場所を指差した。


「明日から一杯遊んでいいんだけど、太陽があの山に沈む前に帰ってくること。それから山の中は急に崖があったり獣がいたりして危ないから入っちゃダメ。町に出るときはちゃんと私に言ってから行ってね。それから」


 次々と注意点を挙げていく。ほとんどは常識みたいなもので何の違和感もなく頷いた。美空も眠そうながらもちゃんと答えた。ただ、


「ああ、神社に行っても大丈夫だけど……そこで喋ったり神社の人と話したりしちゃ絶対ダメよ」


 最後の注意は奇妙なモノだった。神社の人、多分宮司や巫女という神職の立場の人と話すな、と。優しそうな奈津さんがそんな差別的なことを言うのか。しかも神社といったらそれなりに高い地位の存在でないのか。


 奈津さんの真意が気になって彼女の表情を窺った。彼女はただ真剣に、そしてそうでなくてはいけないといったような強い意思で私たちの顔を見つめていた。


「えっと……あの――」

「はあい」


 奈津さんに尋ねようとしたが、その前に美空が返事をしてしまったため言葉を続けられない。固まってしまった私を無視して、奈津さんは家に入るよう私の肩に手を回して軽く押した。


 奈津さんは家の中から漂ってくる炊き立てのご飯の匂いを味方に付けていた。そんな彼女に勝てるはずもなく、おそるおそる私は立派な門を潜り抜けた。

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