80……achtzig(アハツィヒ)……空から舞い降りた光
那岐の運転する車の後ろを、雅臣が運転する車が追いかける。
落ち着いたように走らせるのを、瞬は問いかける。
「雅臣さん、行く場所分かっているんですか?」
「うん。先着順だからね。いい場所取りたいし」
「えぇぇぇ、楽しみ〜。瑠可ちゃん、昶さん、クリスお姉さん知ってます?」
「僕は見るの初めて。ルカとクリスは毎年だよね」
「そうそう」
山と川の間のクネクネとした道を進み、そして、あれ? ここ、知ってると言う場所を通り抜けしばらく走ると、那岐の車が止まった。
荷物を下ろし、バックで駐車場に止めると、雅臣は注意深くその横に止める。
そして、後ろの3人が下りると、扉が開き、雅臣が那岐が準備した車椅子に座らせる。
「こっちだよ。こっちの方が綺麗だと思う。橋の下に歩道橋があるんだ。でも、瞬ちゃん、せいちゃん、あいちゃん。しばらくここでこっち見てて」
「えっ? 蛍、川にいるよ?」
「……見てて。乱舞が見えるよ。今日は晴天。空も綺麗だから……ほら!」
「えっ……」
森の中からキラキラと瞬くもの……。
それは空で天の川と一体になったかと思うと、キラキラと川に舞い降りてくる。
そして、その光を身を乗り出して瞬は見る。
「綺麗です……キラキラ……天の河の滴が地上に降り注いでいるみたいです。これがホタルですか?」
「そう。那岐は詳しいんだけど、兄さん達に聞いたら、ホタルのオスは昼間は森で休み、メスは、川の草や木の陰で休んでるんだ。この時間から一、二時間かな……」
「凄いです。あれ?」
瞬が身を乗り出そうとするのを抑えると、
「どうしたの?」
「あの、あの光……小さいなぁって。他の光は大きいのに」
「あれ? 本当だね」
「あれは、多分ヘイケボタルですよ。大きい方がゲンジボタル」
昶は、瑠可の手を引き微笑む。
「へぇ……凄い! でも、何で、ゲンジボタルとヘイケボタルって言うの?」
「あぁ、それは、平安時代末期の源平合戦の源氏と平家からだそうです」
「それと、別の説ではゲンジボタルは、紫式部の書いた長編小説『源氏物語』の『光源氏』からだとか」
「昶さんも雅臣さんも詳しい! 知らなかったです」
「あ、それだけやのうて、平家打倒の夢が破れて無念の最期を遂げた、源頼政の思いが、夜空に高く飛び舞う蛍に喩えられたと言われとりますわ。 源頼政が蛍となって戦うと言う伝説があるそうどす」
教護は、空を見上げる。
「源頼政……えっと、あ、鵺退治!」
「よう知っとりますなぁ。瞬はんは。日本史でも知ってはるやろうけど、源三位とも呼ばれとります。歌人としても武士としても知られた頼政はんは、以仁王の変に出兵し、その後の非業の死を悼んでつけられたとも言いますわ」
「教護お兄ちゃんは詳しいですね」
「醍醐おいはんは、あてらの実家の先祖を調べたい言うて、こちらの大学に来ましたんや」
「ご先祖?」
微笑む。
「あてのご先祖は、京に住んどりましたけど、分家がこちらの地域に荘園をもってはりましたんや。地名に残っとります。そうやさかいに調べようおもとりましてん」
「凄い。そうなんですか?」
「えぇ。ある程度は実家に残っておりますんや。まぁ、櫻子はんの実家の方がはっきりと残っとりますわ」
「櫻子さんの実家は……?」
「賀茂家どすわ。下鴨神社と縁がありますんや」
三姉妹と昶はギョッとする。
賀茂家と言えば、大和でも有力な豪族の家系で、現在の京都の辺りを支配していたとされている。
それに、伊勢神宮で天皇の息女が天皇の先祖である天照大神を祀る斎宮となるように、こちらも天皇の息女が一時期、斎王として上賀茂神社……賀茂別雷神社、下鴨神社……賀茂御祖神社にて祭祀を行っていた。
上賀茂神社は賀茂別雷大神、下鴨神社はその母の玉依比売命と、その父の賀茂建角身命がそれぞれの祭神である。
現代の葵祭では斎王代……斎王の代理として選ばれた女性が、祭祀を行う。
この祭祀の内容は門外不出で、見ることは許されない。
他にも、平安時代中期、陰陽師の賀茂忠行、保憲親子は安倍晴明の師匠で、保憲の息子の賀茂光栄は晴明の兄弟弟子。
慶滋保胤は忠行の息子で、文学者、儒学者。
慶滋姓は、賀茂を訓読みした『よししげ』を、別の漢字を当てたと言われている。
平安時代末期の随筆家であり歌人の、鴨長明もしくは鴨長明は下鴨神社の禰宜の家系で、『方丈記』を遺している。
名家である。
「それに、あての大叔母……おじいはんの従妹で、櫻子はんのおにいはんの奥さんの紅葉はんは、栂尾の辺りにあるお寺はんのお嬢はんどすのや」
「……『三尾』と言う京都の紅葉の名所の一つですね。京都の紅葉の名所である高雄の神護寺、栂尾の高山寺、槇尾の西明寺でしたっけ?」
「ようご存知ですなぁ。せいはん」
「行ってみたいんですけど、京都はそれぞれ春夏秋と行事の時期に、ホテルとか宿泊施設一杯ですよね。斎王代に時代祭、大文字焼きに……」
「櫻子はんと紅葉はんと、紅葉はんの娘の優希ねえはんが、斎王代どすわ」
「べっぴんはん、言いますねぇ」
歴史好きな睛は、食い気味に暗くなりつつあるのにノートを出そうとする。
「せいちゃん。後で聞きや。ここは今、ホタルの時間や。ライトで照らすんも最小限。ホタルがどこか行きよったら、まどかちゃんが悲しむで?」
「記憶しときます!」
「じゃぁ、行こや。こっちの方がよう見える」
那岐は睛と手を繋いで歩いていく。
「教護、駄目だろ」
苦笑するのは、ロナウド。
「那岐、彼女のこと本気なんだから」
「そうでしたんでっか? あきまへんでしたわ、後で言うときますわ」
「多分、逆に言わない方がいいですよ。せいちゃんは探究心旺盛。那岐さんが心が広くないと。ね。ルカ、どう?」
「いーちゃん。とっても綺麗です。毎年、来れる時に来ていますが、違ったように見えます。それに、まどかちゃんが言った『天の河の滴』と言う言葉……まどかちゃんは私より年上ですが、とても素直で優しくてキュートです。今度、仕事する時に役柄には、まどかちゃんをイメージしてみようと思います」
「素直に演じてもいいと思うんだけど……」
昶の言葉に、
「未熟な私が演じても、雅臣お兄さんは芸歴が長いですから絶対にサラッと演じます。私が本気になってアストリットにならないと駄目だと思うのです。見て下さい」
ルカの声に振り返ると、車椅子に乗った瞬の周りにホタルが数匹、その飛ぶ様子を目で追いかける瞬を愛おしそうに見つめる雅臣がいた。
「雅臣お兄さんがあんなに優しく穏やかに見る人なんて、ごくわずかです。いーちゃんは、ゲームの中の二人を知ってるでしょう?」
「そうだね。臣さんを本気にさせなきゃ駄目だね」
どう見ても歳の差は感じない、恋人同士に見える二人をチラッと見た昶は、
「じゃぁ、行きましょうか? ルカ。どこが凄いか分かる? 僕も見たいな」
「あっち行きましょう! いーちゃん。早く早く!」
ルカは昶の手を引っ張って、那岐の行った方角に向かったのだった。




