77……sieben und siebzig(ズィーベンウントズィープツィヒ)……京言葉と京都弁は違うそうです。
瞳は、瞬の前で絶対に言うつもりのなかった言葉を言ってしまい、後悔とあの頃の家族の苦しみを思い出した。
「泣くもんか……まーちゃんのせいじゃない。分かってたのに……」
唇を噛みしめ歩いて行く。
すると、
「どないしました? あんさん」
と妙にはんなりとした喋り声が聞こえ、振り返る。
夏用の着物を粋にまとった青年達である。
下の子は完全に分かるが、上の子は同年代か、年下だろうか?
「なあに? お酒の匂い?」
「何言うてますんや。その唇どすわ。痛々しい。噛むのはあきまへん」
黒髪と黒い目の童顔の少年の横で、長身の方は何故かプラチナブロンドに瞳は青。
顔立ちは整った二人だが、兄はヨーロッパ系の顔立ちで、弟は日本系。
「ほな、口を開けて」
「えっ? 何?」
口の中に入るものに驚くが、すぐに、
「これ、金平糖?」
「そうどす。あては甘党やさかい、必ず何処かにお菓子をひそませとりますわ。いつもおとうはんに怒られますのや」
「ふふふ……いいじゃない、ねぇ? 男の子で甘党でも、女の子で酒豪でも」
「お酒は楽しんで飲む方が……何かあったんどすか?」
懐から綺麗にアイロンが当てられたハンカチを差し出す青年に、首を振る。
「良いよ。せっかくの綺麗なハンカチだもの」
「それなら、手当てしまひょ。祐次にいはんがおりますわ。行きまひょか」
「……祐次先生、知ってるの?」
「あての兄の一人みたいなもんどす。あては松尾教護言います。こっちは弟の暦。醍醐おいはん知っとりますか? あてのおとうはんはおいはんの兄どす」
「えっ、えぇぇ? 確か瓜二つの双子のおじさんよね? 空港でお別れした……どっち? シックなイケメンとチャラいおじさん」
教護は朗らかに笑う。
「あてのおとうはんは長い髪の方どすわ。紫野言います。双子の弟のおいはんは標野言います」
「え〜! じゃぁ、もしかして、声優の高凪光流の奥さんの兄妹?」
「弟どすわ。本当は進学せんでも良かったんですわ。でも、おかあはんが……幾つになっても変わらしまへんのや」
遠い目をする。
「それに櫻子はんも賛成しはったら、おじいはんも、普段は口数少ないのに……」
「この髪は地毛?」
「そうどすわ。昔は黒髪だったんどす。でも大きゅうなったら色が抜けて……ストレスで白髪になった……言うて、おとうはんが青ざめとりましたわ」
「白髪じゃないよ〜。綺麗綺麗。ほら、夕日を浴びてキラキラしてるよ。まーちゃんやせいちゃんも羨ましがるよ」
「まーちゃん? せいちゃん?」
首を傾げる。
「あ、教護くん、暦くん。ごめんね。酔っ払って挨拶は失礼なんだけど。私は結城瞳。瞳って書いてあいって読むの。あっちにそっくりな二人いるでしょう? 車椅子に乗っているのが、6歳下の妹の瞬。瞬間の瞬でまどか。まーちゃんって呼んでるの。その横でこっちを見てるのが、私の双子の妹の睛ちゃん。『画竜点睛を欠く』の睛ね。私達は二卵性双生児で、大学4年生よ」
「えっ? 双子?」
「そうよ〜。でも、せいちゃんもまーちゃんもあげないよ〜。私の可愛い妹達なの。で、私のパパの弟が、祐也叔父さんなのよ。よろしくね」
にっこり笑う。
本人は、睛や瞬は可愛い自慢の妹達で自分はきつい顔と思っているのだが、お酒も入りとろんとした目で笑うと無意識に色気をまき散らす。
「年上……」
「あら、そうなの? じゃぁ、教護くんと暦くんは大学何年生?」
「あては3年生、暦は1年生どすわ。しぃおいはんのところに住んどります。……暦はあてより賢いし、武道も習っとるんやさかいに、ついてこんで良かったのに」
「いやや。そのままにいはんが出てったら、あてがおかあはんを見なあかん。おばあはん……櫻子はんはええけど」
「戻るて」
微笑む兄を睨む。
「嘘や。にいはん、余り帰らへん。おとうはんもおかあはんが心配してはる。ねえはんとにいはんはおかあはんに似たんや。何で気にする必要があるんや。にいはんは『まつのお』の跡取りや。あんなに菓子が好きや言うとったやないか。何で辞めてしもたんや」
「……あては、そんなに器用やないし、このあてがあのおじいはんやおとうはんの跡を継ぐなんて荷が重いわ。暦も好きやろ?」
「にいはん!」
「ねぇねぇ。教護くんと暦くんはどんな漢字書くの? 英語名あるの?」
瞳が間に入り込み、にっこりと華やかに笑う。
「あ、あては……京都の東寺、知ってはりますか?」
「うん、京都駅から少し南西に行ったところのお寺でしょう? 弘法大師のお寺」
「そうどすわ。東寺は昔、京の都に入る羅城門を潜って、左右にお寺がありましたんや。東側、北に向かって右にありましたんが、東寺こと教王護国寺、左にありましたんが西寺。こちらはすぐになくなってしまいましたんや。おとうはんが教えを護ると書いて教護と。暦は……」
「京の鬼門を守る、延暦寺からや。伝教大師さんのお寺や」
「でんぎょうだいし?」
首を傾げる瞳を馬鹿にしたように、
「知りまへんのか? 天台宗の開祖の最澄はんや。清和天皇から諡号を866年に頂いたんどす」
「ふーん。物知りだねぇ。暦くんは。そうだ。じゃぁ、質問させて戴きます。四国八十八ヶ所巡りの時、お遍路さんの皆さんは杖をついていますが、ある場所では杖をついてはいけないと言われてます。そこはどこで、理由はなぜでしょう?」
「はぁ?」
「答えて?」
「知りまへん!」
ニヤッ……瞳は笑い、答える。
「知りまへんのか? あんさんは。真言宗の開祖の空海はんや。921年、醍醐天皇から弘法大師と言う諡号を頂きましたんや。お大師はんは、故郷の四国を巡り疲れて、今の愛媛県大洲市の橋の下でお休みになられたんどす。お休みになるお大師さんを起こしてはいけないと、大洲市の十夜が橋以外の橋でも杖をついたらあきまへんのや。これは常識どすえ?」
「おかしな京言葉使うな!」
「じゃぁ、年上馬鹿にすんな! それに、暦くん……くんいらんわ。暦! あんたは、お兄ちゃんを何やと思っとんで! お兄ちゃんを大好きだから? 歴史がどうの言い訳して束縛すんな! 教護には教護のしたいことも人生もある。戦前とか風習や何やと言われとった時代やあるまいし、長男が継ごうが、次男でも長女でもかまんやないか。アホか。今はまだ好きなことさせてあげたいと、あんたらのおとうはんやおじいちゃんは大学に行くといいと勧めたはずや。あんたが口出しすんな!」
瞳は教護の前に立ち、暦を睨みつける。
「兄弟でも言っていいことと悪いことがある! 教護に謝り!」
「えっと、瞳はん……あては気にしとりまへん。それより……」
「あきまへん! 暦、謝り!」
「オホホホ……暦が、暦が……」
爆笑するのは年齢未詳の美貌の着物の似合う女性。
「よう言うてくれはりました。瞳はんどしたな。あては松尾櫻子。教護達の祖母どすわ。よろしゅうに」
「あ、申し訳ありません。酔っぱらいの戯言と思って下さいませ。結城瞳と申します」
「かまいまへんのや。逆にもっと言うたって下さい。教護は昔はもっと、はっきりしとりましたんえ。今は優柔不断と言うか、こげな男になって、もっとはっきり言うたり! 言うてけしかけとるんどすわ。逆に、暦は甘えん坊で……」
「おばあ……じゃなかった、櫻子はん!」
櫻子にキッと睨まれ、言い直す暦。
櫻子のように年齢未詳の美魔女の孫には見えない。
「あぁ、教護は知ってますなぁ? 暦。あんさん、また茜の連絡を無視しましたんやな? 茜が泣いとりましたえ」
「えっ?」
「暦。茜と光流はんのところに、来年赤ん坊が生まれるそうどすわ。茜と結婚していたことも、子供が生まれることも光流はんが、お仕事の舞台上で公表したそうどすわ。結婚当初、すぐきちんと発表したいと光流はんが言うとりましたのに、茜が反対しとりましたな……仕事の迷惑になる言うて。せやのに、暦は光流はんが茜のことを隠そうとしてはる言うて、嫌ってはった……教護が何度も嗜めても喧嘩をふっかけて、光流はんは辛そうに何度も頭を下げて帰って……茜は『だんはんを悲しませる、あてらにあいとうない』言うて……雛菊も紫野も悲しんだか、暦は知りまへんのでっか? 教護が必死に、茜や光流はんとあてらの距離を保とうと、連絡を取り、光流はんのご両親や親族に頭を下げて回ったんも、知らへんのやろ? 何で姉や兄の気持ちも分かろうとしまへんのや!」
激怒する美魔女の背に鬼が……と思いよろけた瞳だったが、教護がさっと支え、
「おじいはん! すんまへん。あてが……」
「教護を怒っとらん。あては」
屈強な初老の男性は、櫻子を抱きしめる。
「さくら。聞いとらへん阿呆には、さくらの忠告も暖簾に腕押し、糠に釘や」
「でも、だんはん……」
「暦。紫野からや」
封筒を突きつけると、もう一人の孫の頭を撫でる。
「教護、大学の方から留学の話があったそうやな? ヴィヴィが引き受けたいそうや。後で挨拶しい」
「えっ……」
暦は絶句する。
「にいはん、留学……あても!」
その言葉に教護は苦しそうに眉を潜め、そして、
「暦。お前とおったら、あては辛いんや。しばらく距離を置かせてもらいます。それに、おかあはんの故郷に行ってみたい……あては、自由になりたい。おじいはん、櫻子はん。本当に、本当に堪忍してなぁ……堪忍や」
ボロボロと涙をこぼす教護に慌てて、受け取っていた綺麗なハンカチで瞳は涙を拭いつつ、
「あ、あの、櫻子さん、伯父様。申し訳ありません。教護を連れて行って良いですか? 私、お酒飲みすぎたみたいで、真っ直ぐ歩けないので……」
二人に頭を下げると、教護を支えながら去って行ったのだった。
その背を見送り、櫻子は、
「瞳はんは、べっぴんはんやなぁ、だんはん」
「さくらの方が上や」
嵐山は、長年連れ添う愛妻にいかつい相貌を緩める。
その横で、父親からの手紙を読んでいた暦は、
「な、何で……何でや! あてが25になるまで、敷居跨いだらあかんて……」
「茜も同じ歳に出て行ったやないか」
「ねえはんはあの男と……」
「光流はあてらの孫や! 茜の亭主や。あてらは認めとる。自分で働いてない坊主が、必死に努力してきた光流を、それを支えた茜に何言うとるんや!」
嵐山は厳しい口調で言い放つ。
「大学卒業するまで紫野が金出したる言うんや! たいがいにせんか!」
祖父の怒りにびくっとする。
「文句を言わんと反省しい! 行くで、さくら」
「反省しい」
暦は、去って行く祖父母を呆然と見送ったのだった。




