第51話:決戦
「チッ、思ったより厄介だな」
グラナダとリーデルから一時撤退したバフォメットは、即座に街を蹂躙し始めた。轟音と共に建物が崩れ、街の人々は逃げまどい、悪魔の降臨に震えあがった。
……が、思いのほか被害は大きくない。多少の怪我人や街の崩壊は起きているが、阿鼻叫喚の地獄絵図とは程遠い有様に、悪魔バフォメットは舌打ちする。
原因は三つ。まず一つはヴィオラとの契約だ。錬金術師シュヴァルを殺さない限り、バフォメットはヴィオラの肉体からフル出力で魔力を出す事が出来ない。
肉弾戦では少女の身体では到底戦えないので、ヴィオラの術式を借りる形で魔力を主体とした攻撃となる。
ここで被害が大きくならない二つ目の理由になる。これまで敵対関係だったはずの魔術師と錬金術師たちが、共同戦線でバフォメットを食い止めているからだ。
魔術師の方が錬金術師より圧倒的に数が少ないが、逆にそれが功を奏し、一人の魔術師の放出する魔力を、複数の錬金術師の術式で制御するという方式を取っている。
これにより、かなり強固な魔力の障壁が作れるのだ。魔力を主体として戦っているバフォメットには、防御効果はかなり高い。
そして最後の三つめは、冒険者ギルドの存在だ。錬金術師ヴィオラの身体を乗っ取ったバフォメットには、同じ錬金術師と、それに近い適性を持った魔術師が迎撃に当たっている。
冒険者ギルドの人間達は、街の人々の避難に集中する事が出来る。
魔術師と錬金術師、そして冒険者の連携。これらは全てラウレルによって伝達されたものだ。魔術師と錬金術師の連携方式は、グラナダとリーデルの話を聞いて即興で思いついたものだが、思っていた以上に有効だ。
いがみ合っていた錬金術師と魔術師は、皮肉にもバフォメットという悪魔の降臨によって手を組む形となった。敵の敵は味方というわけだ。
「小うるさいハエどもめ!」
バフォメットは苛立ちながら魔力の塊をぶつけ続ける。魔力に関して言えば人間と悪魔では比較にならない。確かに足止めは喰らっているがバフォメット自体は無傷。持久戦に持ち込めばまず負けないだろう。
ただ、とにかく鬱陶しい。ハエが大量に飛び回っても死ぬわけではないが、一匹一匹叩きつぶすのは骨が折れる。
(シュヴァルという錬金術師の特徴を聞いておけばよかったな)
バフォメットはハエ共の妨害を軽くいなしながら、内心でそう考えていた。錬金術師という事は聞いているが、具体的な特徴を聞いておけばもっと手軽に契約を遂行出来ただろう。
「ならば……人間のくだらん『情』とやらに訴えかけるとするか」
大分ヴィオラの身体の操作にも慣れたのか、バフォメットはゆっくりと宙に浮かびあがる。そして、風の魔力を増幅させ、街全体に響き渡るように高らかに宣言する。
「愚かな人間どもよ聞こえるか! 我は悪魔バフォメット! 我は契約を履行するためこの世界にやってきた! 錬金術師シュヴァルを殺すためだ! それさえ終われば我はすみやかにこの世界を去ろう! 出てこなければ女子供から先に殺すぞ!」
バフォメットは文字通り悪魔の笑みを浮かべ、街のどこかにいるであろうシュヴァルという男に呼び掛ける。
無論、バフォメットはこの世界から去る気は無い。だが、これまでは錬金術師を集中して攻撃していたが、こうして発言すれば普通の人間ならば姿を表すだろう。
「人間とは愚かな生物だ。情にほだされ、のこのこ死にに来るのだからな」
バフォメットはあざ笑う。ヴィオラもそうだが、なぜそんなくだらない感情に振り回されるのか。己さえよければいいではないか。バフォメットはまさに悪魔そのものの考えしつつ、シュヴァルの登場を待っていた。
◆ ◆ ◆
「なんで僕が呼ばれるんだ!?」
シュヴァル工房の奥では、シュヴァルがベッドの下に潜り込みながら頭を抱えていた。悪魔が襲来して街で暴れているという伝達はすぐに入った。そして、少しでも腕のある錬金術師は防衛に力を貸して欲しいという報告も入った。
その連絡を入れてきたのはレッキスだ。アマリアとレッキスも現在防戦に入っているが、シュヴァルは家で待機していた。
なぜなら、シュヴァルは自分を腕のある錬金術師では無いと思っていたのでいても邪魔になるし、第一悪魔と戦うなんて正気の沙汰ではないからだ。
「嫌だ! 僕は逃げるぞ!」
「チャンスだ! 錬金サーの姫を叩きのめすぞ!」
「美少女の身体を乗っ取るとはうらやまけしからん! 私が成敗してくれよう!」
「悪魔相手なんてとんでもない! シュヴァルさんを危険な目に遭わせられません!」
「ほっとけばいいじゃない」
シュヴァル、アナスタシア、ハイエース、アムリタ、アルマの五名は各位の意見を述べた。最終局面だというのに、相変わらず噛み合わない連中だった。
「いやいやいや! 君たちちょっと待って。相手は悪魔だよ?」
「だったらどうした! 第一、向こうがシュヴァルを指名してきてるじゃん」
「何で僕なんだよォ! 僕、ヴィオラ様に殺されるほど憎まれる事してたっけ!?」
「それはほら……生理的に無理とか」
「えぇ……」
ベッドの下から引きずり出されたシュヴァルは、アナスタシアの意見を聞いてげんなりする。確かに自分は冴えないし、向こうから嫌われているのもなんとなくは理解している。
しかし、悪魔を呼びだしてまで殺そうとするのはやり過ぎではないだろうか。
「とにかく、向こうが来いって言ってるんだから行くしかないだろ!」
「嫌だよ! なんで悪魔相手に殺されにいかなきゃならないんだ!」
「ここには無駄に力の強い令嬢とか、エロ馬とかあざとい吸血鬼とかいるだろ!」
「私、暴力は反対ですけど、ヴィオラさんは止めないといけません! シュヴァルさんを殺そうとしているのも許せないし、街の人たちもこのままじゃ危険ですし」
最初に名乗り出たのはアムリタだ。今でこそ人間を辞めてしまったが、もともと彼女は福祉などに力を入れていた心優しいご令嬢である。それにパワーも尋常ではないし、これ以上死にようがないから恐れる必要も無い。
「そこの親父小娘はさておき、私も今回は参戦したほうがいいな。あのヴィオラという美少女を悪魔に乗っ取られるのは非常にもったいないからな」
「君は相変わらずそこなんだね」
ハイエースも珍しくやる気のようだ。彼は美少女がらみの事柄ならちょっとだけ真剣になる。
「アルマは……乗り気じゃないよね?」
放っておけばいいと発言したアルマは、部屋の隅の椅子に座りながらモチョに餌をあげていた。シュヴァルは救いを求めるようにアルマに声を掛ける。なんか全体的に悪魔と一戦交えるっぽい空気になっているし、反対派の意見が欲しい。
「仕方ないわね。あたしも行くわよ」
「えっ」
普段はほとんど寝てばかりいるのに、何故かアルマは椅子から立ち上がり、モチョを巣箱に戻した。
「……なんで?」
「だって、街がこれ以上壊されたら、お洋服屋さんとかお菓子屋さんが無くなっちゃうじゃない。あたし、街に憧れてここに出てきたんだし」
そう言って、アルマはあくびを噛み殺し、伸びをしてさっさと部屋を出ていこうとする。
「いやほら、昼間だし……」
「別に問題無いわよ。ちょっと眠いだけで、活動に問題は無いわ。もともと私、ハーフだし」
「えぇぇ……」
シュヴァルは頭を抱えてうずくまった。みんな人間離れしてるけど、自分だけは人間なのだ。しかも向こうはシュヴァルをご指名だ。こいつらが突っ込んだら、むしろ自分が丸裸になる。
「分かったよもう! 行けばいいんでしょ行けば!」
「よっしゃ! そうと決まれば話は早い! さっさと錬金サーの姫をぶちのめして、格付け完了しとかないとな!」
アナスタシアはノリノリだ。何でかは分からないが、ヴィオラが暴走して株が大暴落してくれるのは非常にありがたい。何故なら、国で一番の聖女を目指すアナスタシアにとって、若くて才能があるヴィオラは早々に潰しておかねばならない。
それに、バフォメットととかいう悪魔も気に入らない。人が肉体改造をして頑張って美少女になっているのに、出来あいの才能ある身体を奪うとはインチキにも程がある。
要するに、アナスタシアは完全な私怨だった。
いずれにせよ、ここにいるメンバーはバフォメットとの対峙を決めたらしく、連れだってシュヴァル工房から出ていった。シュヴァルはハゲ上がるほど後ろ髪引かれつつ、集団の後ろを仕方なさそうに付いていった。
「やはり来たか。貴様がシュヴァルだな」
バフォメットは他の錬金術師や魔術師たちをあしらいつつ、ぴたりと動きを止めた。それと合わせて他の戦闘に参加していた者たちも動きを止める。
悪魔バフォメットと人間達の視線を浴びるのは、錬金術師シュヴァル率いる工房に属する集団だ。
「探したぞ。思っていたよりも貧相な男だな」
「はいはい。そりゃどうも」
「ほぉ……我を前にして恐怖せぬか。意外と胆力のある男だ」
悪魔バフォメットは面白そうに空中に浮かびながら笑っている。シュヴァルは別に度胸がある訳ではない。ただ、死刑執行で公開処刑場まで連れてこられたので、今さらじたばしても無駄だと諦めているだけだった。もうどうにでもなーれ。
(あの男、悪魔相手にあんな態度を取るなんて!)
シュヴァルの態度に驚いたのはバフォメットだけではない。防衛の一人として駆り出されていたレッキスは驚愕した。そして、他の錬金術師も魔術師も、その場にいる全員が同じような気持ちだった。
自分達がこれだけ苦戦して傷一つ付けられない悪魔相手に、あのように平静に居られるなど並の人間では出来る事では無い。
「皆さん! 離れていた方がいいですよ! 被害が周りに広がる危険がありますから!」
そう叫んだのはアムリタだった。侯爵令嬢としての気品あふれるその声は、戦場に似つかわしくないがよく通った。
「あなたも避難した方がいいのでは?」
「大丈夫です。私はシュヴァルさんを守る必要がありますから」
(なるほど……ここまで令嬢を心酔させるとはな)
レッキスはアムリタに避難を促したが、アムリタは平然と断った。つまり、シュヴァルと共にいれば自分は安全だという確信があるのだろう。
「みんな聞こえただろ! 俺たちはとっとと撤退した方がいい! 悪魔の巻き添えになりたくないならな!」
レッキスはそう言うと、我先にとその場を走り去った。ヴィオラが暴走した時はどうなるかと思ったが、シュヴァルが出てきたのなら勝算があるのだろう。
(第一、こんな所にいられるもんか!)
悪魔と戦うなんて人間のする事じゃない。レッキスが逃げ出すや否や、他の者たちも引きずられるように逃げ出した。皆、使命感でなんとか恐怖をねじ伏せていただけで、悪魔の目的らしきシュヴァルが出てきた以上、一刻も早くこの場を去りたいのだ。
街の一角は即座に無人となった。
後に残るのは、シュヴァル率いる工房メンバーと、それを見下している悪魔バフォメットのみ。
「さてと、余計な連中も混じっているようだが、蹂躙する前に名乗りくらいは上げておこうか。我は偉大なる悪魔バフォメッ……どぉっ!?」
バフォメットが余裕の笑みを浮かべ喋っている間に、アルマが跳躍し、ヴィオラの身体のみぞおちに強烈な蹴りを叩きこんだ。バフォメットはきりもみ回転をしながら宙を舞い、十数メートルぶっとんで瓦礫の山に突っ込んだ。
「グダグダうるっさいのよ! さっきデカい声で名乗ってたから知ってるし、面倒だからさっさと倒しちゃうわ」
「……もうあいつ一人でいいんじゃないかな」
アナスタシアがそう言うと、ハイエース達は頷いた。