第47話:努力家と天才
君はこの計画から降りてもらう。その言葉を言われた翌日、ヴィオラはある喫茶店に来ていた。
飲み物を一杯注文したものの、一向に口を付ける気配は無く、ただぼんやりと紅茶が冷めていくのを眺めていた。
「よっ、どうした? シケた面してんなぁ。美人が台無しだぜ?」
「…………」
軽い口調でヴィオラに話しかけたのは、魔術師リーデルだ。彼はいつも通りのニヤけた表情でヴィオラの肩を叩く。いつものヴィオラなら睨みつけて払いのけるが、全く反応が無い。
リーデルは苦笑し、彼女の前に腰掛けた。コーヒーを一杯注文し、あらためて彼女に向き直る。
「で? 用事って? 君の方からお誘いなんて珍しいじゃないの」
「……されたんです」
「え?」
「私っ! グラナダ様にもういらないって言われたんです! でも、他に相談する人がいなくって……!」
ヴィオラは最初は絞り出すようにそう言っていたが、最後の方は涙ながらに叫んでいた。
そのまま子供のように泣きながらテーブルに突っ伏したので、周りが何事かと視線を向ける。
「やだ……魔術師が銀の錬金術師様を泣かせてるわ……」
「ち、違うんだ! 俺は今回は関係無い!」
どこかからひそひそとささやく声が聞こえたので、何故かリーデルは必死に弁解した。彼がこんなに狼狽するのも珍しい。
そうしているうちに、いい感じのタイミングでコーヒーが運ばれてきたので、リーデルにはそのウェイトレスが女神のように見えた。
ひととおり泣き終えたヴィオラは多少落ち着きを取り戻したのか、ハンカチで顔を拭っている。リーデルはというと、困ったような表情でコーヒーをすすり、彼女が喋り出すのをじっと待つ。
「今までグラナダ様のために頑張ってきたのに、もう君は抜けた方がいいって言われて……私、そんなに役立たずなんでしょうか?」
「細かい話を聞かせてくれる?」
リーデルに促され、ヴィオラは昨日の事を語り出す。レッキスという男がシュヴァルをゴーレム研究所に誘い、その直後、ヴィオラをシュヴァル制圧の計画から抜くという話だった。
「……あいつ、相変わらずだなぁ」
「相変わらず」
リーデルはコーヒーを飲みながらそう呟いた。そう言えば、この男は子供の頃はグラナダととても仲が良かった事をヴィオラは思い出した。
「あいつはな、君に危険な目にあって欲しくないのさ」
「危険は承知の上です!」
「うんまあ、そう言うだろうと思ったよ。でもな、危険にもランクってもんがある」
リーデルはさらに言葉を紡ぐ。
「残酷な言い方だけど、銀の君じゃ戦力にならない。そう考えたんだろう。あいつ、気を使う割にそういう配慮が出来ないからな」
「で、でも! 私は銀の称号を持っています! 確かに金程ではありませんが」
「あのな、色付きの錬金術ってのは格の違いがある。銅、銀、金。それは承知してるよな」
「馬鹿にしているんですか?」
ヴィオラは憤慨する。自分はその錬金術なのだ。海にはたくさん水があるみたいな話をされても意味が分からない。
「まあ聞きな。確かに銀は立派だ。錬金術師の中でも本当にごく限られたエリートだ。でも、天才じゃない」
「…………私は自分が天才だとは思ってません」
「うん。その通りだ。君は傲慢じゃない。でもな、天才にしか行けない領域ってのがある。それが金の錬金術師。あとは魔術師だな」
リーデルの言うとおり、魔術師とはごく限られた才能を持つ者のみがなれる存在だ。錬金術師でも金の称号を持っているものは、同時に魔術師としての適性もある。
その上で、庶民のために技術を普及させたいと術式を開発しているのが金の錬金術師だ。ラウレルもグラナダも、魔術師としてもやっていけるだけの力がある。
だからこそ、グラナダを裏切って魔術師サイドについたリーデルがヴィオラによく思われていない。
「銅と銀ってのはな、本人の才能と努力でギリギリなんとかなる範囲なのさ。だが、シュヴァルはそうじゃない。便宜上は赤銅になってるが、恐らくはグラナダやラウレルと同レベル……あるいはそれ以上かもしれない」
「だったら……なおさら少しでも戦力は多い方が!」
「言っただろ。天才にしか行けない領域があるってな。正直、グラナダとラウレルの爺さんは、シュヴァルの力量を見誤ったんだろうな。だから君は戦力としてカウントされていた」
「……つまり、銀の私では力にならないと」
「厳しいけどそうなる。むしろ守られる対象になるだろうな。シュヴァルと全面対決をするとなると、グラナダには君を庇っている余裕が無い。そう判断したんだろう」
つまり、ラウレルとグラナダは、ヴィオラの身を案じて計画から外したということだった。
「ま、あくまで俺の考えだがね。でもまあ、あいつの考えてる事は大体分かるよ。俺だって同じ立場だったらそうするだろう。シュヴァルは研究所っていう城を持っちまったからな。あとは向こうがボロを出した時に、隙を見て叩くしかない」
「私に出来る事はもう無いのでしょうか」
「君は生命倫理の研究をしていただろ。下手をすると怪我人が出たりするかもしれないが、そういう時にケアをしたりは出来る」
「それはそうかもしれませんが! でも……そうじゃなくて!」
「前線に立ちたいと。そりゃあ無理だ。実力が無い奴が前衛に出たら全体に被害が出る。グラナダだって望んじゃいない。もちろん俺もな」
そう言われ、ヴィオラは黙ってしまった。はっきりと戦力外通知を出されたことと、自分への不甲斐なさがない交ぜになり、再び目尻に大きな涙が浮かぶ。
「そう悲しむ事は無いさ。君は優秀だよ。それに美人だ。俺は美人が好きだし、君に危害が及ぶような事があったら、俺が飛んでいって守ってやるさ。つまり君が居る事で、この天才魔術師リーデル様が動くのさ」
リーデルは両手を広げ、おどけるようにそう言った。励ましてくれているのだろう。普段はこの魔術師が嫌いなヴィオラだが、涙を拭いながら少しだけ笑みを浮かべる。
「じゃあ、私が危険に陥った時は助けてくれるんですね」
「ああ、そりゃもちろんさ。俺はかわいい女の子との約束は命を掛けて守る男さ。それ以外は保証しないけどな。だからまあ、君に危険が及ばないようにしてくれるとありがたい。俺だって命を掛けるような真似はしたくないからね」
リーデルは軽口を叩きながら、ヴィオラの紅茶の分まで伝票を持ち、彼女に背を向けた。ヴィオラが落ち着いたと判断したらしい。
「……私はなんなんだろう」
喫茶店を出た後、ヴィオラは肩を落としながら錬金術学院にある自分の部屋へと向かっていた。精神的には大分落ち着いたが、だからと言って劣等感が消えた訳ではない。
リーデルは三流かもしれないが、魔術師の三流は錬金術師の天才に匹敵する。一方、自分は最年少で銀になった。うぬぼれが無かったと言えば嘘になるが、それでも一流の仲間だという自負はあった。
けれど、本当の意味で天才にはなれなかった。ラウレル学院長やグラナダ、そしてシュヴァルのように天性の才というものは無い。所詮、努力した凡才だったのだ。
「こんにちは。どうされました?」
とぼとぼと歩くヴィオラに、ぼそぼそした声が掛けられた。声の主は、あろうことか件の錬金術師シュヴァルだった。
「赤銅の……シュヴァル?」
「え、ええ。なんだか元気が無さそうだったので。何かあったのかと思いまして」
シュヴァルは心配そうに声を掛けたが、逆にヴィオラの腸は煮えくりかえった。この男、猫が鼠をいたぶるように神経を逆なでしてくる。
とはいえ、その怒りを表情には出さない。リーデルの言葉が心に刺さっていたからだ。グラナダの役に立てないのなら、せめて足を引っ張る事だけはすまい。そう考えたからだ。
「別に何でもありません。あまり研究が上手く行っていないもので」
「そうですか。気持ちは分かりますよ。僕もよく詰まりますからね。でも、最近はすごく進捗がいいんですよ」
「進捗がいい?」
ヴィオラがそう問いただすと、シュヴァルは満面の笑みを浮かべる。
「ええ! 実は研究所に入ってから、今まで計画していた事が形になりそうなんですよ。もう少しであっと驚くものを見せられると思います。いやぁ! 楽しみだなあ! あっ……」
シュヴァルはつい熱く語りそうになったが、慌てて口を閉じて表情を整えた。最近、研究所のお陰でアームゴーレムがまともに使えるようになりそうなのだ。
誰かに話したいのだが、アナスタシア達はそんな事より美少女だ! の一点張りだ。とはいえ、研究で行き詰っている相手に、意気揚々と自慢話をするのは失礼というものだ。
「なぜ途中で止めるんです? もう少しお話をうかがっても?」
「い、いやぁ。あははは! それほど大したことじゃないので。じゃあ、僕はこれで。研究、上手く行くといいですね」
ヴィオラが詰め寄ってきたので、逆鱗に触れたと勘違いしたシュヴァルは逃げるようにしてその場を去った。その背中を、ヴィオラは睨む。
「あの男……口を滑らせかけた?」
ヴィオラは思考を巡らせる。途中までやたら上機嫌だったのに、急に会話を打ち切り無表情になった。それはつまり、シュヴァルの計画はすでに最終段階まで来ていて、つい話してしまったのではないか。
奴とて人間だ。全くミスをしないという訳ではないだろう。実験をしていると99パーセント上手く行っていても、最後の1パーセントのミスで台無しになることがある。それはヴィオラも体験済みだ。
だとしたら、千載一遇のチャンスかもしれない。
「すぐにグラナダ様に報告を……! いや、もう無理ね」
ヴィオラは駆け出そうとしたが、すぐに歩みを止める。自分はもうシュヴァル対策要員では無いのだ。余計な口出しをするなとグラナダに怒られるかもしれない。
かといって、シュヴァルが見せたごく僅かな隙を逃していいのだろうか。もしかしたら、ここで動かなければ致命的な事になるかもしれない。
「でもどうしたら……いえ、方法は無い訳ではないわ」
確かに、自分は銀の錬金術師。天才では無い。だが、ほとんどの術式を使う事が出来る。ならば、今の自分に出来る、悪魔を打ち倒す方法がひとつだけあった。
「すみませんグラナダ様、ラウレル様……私は、見て見ぬふりは出来ません」
ヴィオラはある場所へ向かう事を決意した。