第44話:悪魔の誘い
シュヴァルの監視役として派遣され、無事に帰還したレッキスは、数日かけてその様子を書類に纏めた。向かう先は当然、ラウレルとグラナダ、そしてヴィオラの居る錬金術学院だ。
「……というわけで、俺からの報告は以上になります」
「ふむ……」
理路整然とまとめられた報告書を、ラウレル達は目を皿のようにして読む。レッキスがまとめた報告書を要約すると、シュヴァルはあくまで両親に顔見せするために帰郷しただけで、それ以上の意味は無いという事だった。
無論、レッキスが感じているのとは真逆だが、真実が書かれた虚偽報告という、よく分かんない状況である。
「確かに目立った痕跡は無い。どう見てもただの帰郷のようにしか思えないな」
グラナダが資料に目を通しながらそう言うと、レッキスは間髪入れずに追撃を入れる。
「グラナダ様、こう言ってはなんですが、我々はシュヴァルという人間を少々買い被りすぎではないですかね? 俺が見た所、牧歌的でありふれた片田舎でしたし、奴は何も怪しい行為をしていませんでしたよ」
レッキスは嘘を吐いた。そもそも、あの異常な連中と同じ釜の飯を食っている時点でおかしいのだ。シュヴァルは凡人なのだが、あまりにも周りが異常すぎてその状況に慣れてしまっているだけなのだが。
「では、これにて俺はお役御免という事でよろしいですね。俺も慣れない仕事をしたもので、少々休息が欲しいのですよ」
これでラウレル達から頼まれた依頼はこなした。これ以上、錬金術学院サイドに立つつもりは無い。あとはいかにして悪魔の錬金術師と取引を進めていくか。そちらの方にリソースを使いたかった。
レッキスは恭しく三名に頭を下げ、その場を去ろうとする。
「レッキス、一つだけ聞きたい事があるのだが」
「何でしょう?」
扉の取っ手に手を掛けていたレッキスは、グラナダの言葉で振り返る。すると、グラナダの横に居たヴィオラが口を開いた。
「報告書にはシュヴァルを家まで送り届けたとあります。その際、妙な物が家にありませんでしたか?」
「妙な物……ですか?」
「巨大な山羊の頭骨のようなものです」
ヴィオラの言葉にレッキスはどきりとしたが、表情には出さなかった。彼も錬金術を始める前は商人としてある程度下積みをしていた。交渉の際にポーカーフェイスを取り繕うのは得意だ。
「……ええ、ありましたよ。今は俺の家の倉庫に保管してあります。あれは非常に珍しいものですが、彼が俺に譲ったんですよ。俺は商家と繋がってますし、あれだけの代物は個人の家で保管は難しいですからね」
少し考えた後、レッキスはそう答えた。変に勘繰られるより、商人という部分を盾にした方がいいと判断したらしかった。
「なるほど。他に何か違和感は? 禍々しい気配がしたとか、そういう事は?」
「特に感じませんでしたね」
ヴィオラの問いに、レッキスは平然と大嘘を吐く。幻獣の頭骨自体が、場合によっては呪術に使われる道具であるのは知っている。だが、あえて知らない振りをした。
「……分かった。任務、御苦労であった。下がっていい」
「では失礼いたします」
さらに問いただそうとするヴィオラの前に手をかざし、ラウレルはレッキスに退出を許可した。改めてレッキスは一礼し、院長室を出る。
そして、ふう、と溜め息を吐いた。
「うまく誤魔化せたようだな。さてと、これからやる事が満載だ」
レッキスは想定通りに事が運んだことをほくそ笑む。シュヴァルを監視するスパイとして送り込まれた自分だが、今日からはシュヴァル側に着くつもりだ。今日の報告でシュヴァルの肩を持ったのも、彼に好印象を持たれるためだ。
(とはいえ、ラウレル学長とグラナダは警戒しないとな。あえて騙されている振りをしている可能性もある。ヴィオラは……優秀だが小娘だ。だが、あいつと懇意にしている貴族の魔術師がいるとは聞いている。そっちのほうが厄介か)
誰も居ない廊下を戻りつつ、レッキスは今後の立ち振る舞いを考えていた。シュヴァルにとって自分が有用な存在だとアピールできれば、自分も利益を得られる。悪魔のように知恵の働くあの男は、優秀な手駒なら捨てないはずだ。
「シュヴァルとより関係性を深める必要があるが、街中のあの場所では機密性が薄いな……どこかいい場所は……あるな」
そこまで考え、レッキスは今後の行動方針を決めた。考えがまとまるとすぐに、レッキスは報告を終えたその足でシュヴァルの工房へと向かう。
◆ ◆ ◆
「うまく誤魔化せたようだな。さてと、これからやる事が満載だ」
レッキスと全く同じセリフを口にしたのは、院長室にいたグラナダだった。彼のセリフに、ラウレル学院長とヴィオラも首を縦に振る。
「レプリカを精製して正解だったな。レッキスも特に違和感は感じなかったようだ」
シュヴァルが帰郷している間、グラナダとヴィオラは既に本物の頭骨を回収し、封印して保管してある。シュヴァルが帰還した際に道具が無くなっていては怪しまれる。かといって放置する訳にも行かない。
なので、ラウレルとグラナダ、そしてヴィオラが急ピッチで本物そっくりの頭骨を作り上げたのだ。よほどの実力者か目利きの出来る商人でない限り、まず見破られない出来上がりだった。
「しかし、レッキスは騙せたかもしれませんが、シュヴァルが気付いていない可能性は低いのではないでしょうか?」
「もちろんそれは理解しているさ。ただ、これでシュヴァルの行動はある程度制限出来る」
「どういうことですか?」
ヴィオラの疑問に対し、グラナダはそう答えた。レッキスのレベルでは看破出来なかったが、シュヴァルはほぼ偽物だと気付いているだろう。
「だが、大っぴらに『これは偽物だ!』とは言えないだろう。偽物だと騒ぐ事は、本物を手元に置いていたという証明になるからね」
「レッキスも言っていたが、幻獣の頭骨はおいそれと手に入るものではない。シュヴァルが何かを召喚しようとしていても、触媒が無ければ向こうも応じないだろう」
ラウレルがグラナダの言葉を補足するようにそう付け加えた。レッキスがレプリカの頭骨を持っていたら、例えシュヴァルがこちらの動きに勘づいていても動きづらくなる。
現物はこちらに保管されていると分かっていても、錬金術学院側はレッキスが持っているのだから、彼から返して貰えと突っぱねればいい。けれど、レプリカはあくまでレプリカ。機能はしない。
レッキスは錬金術学院サイドを裏切ろうとし、ラウレル達の錬金術学院サイドは、レッキスという動かしやすい駒を使って様子を見るという行為をしている。
つまり、レッキスとグラナダは、お互いに一部ずつ騙し合っている形になった。ここまでは両サイドの思惑通りである。
唯一彼らが見落としているのは、シュヴァルが一番何にも考えていないという点であるが。
◆ ◆ ◆
「おーいシュヴァルー! 例の骨フェチがまた来てるぞ」
「骨フェチって……レッキスさんに失礼じゃないか」
学院でのやりとりから数時間後、シュヴァルの工房でそんなやりとりが繰り広げられていた。突如レッキスが現れたので、工房の奥にいたアナスタシアは失礼な呼び方で彼を読んだ。
もちろん、アナスタシアは表面を美少女奴隷として取り繕っているので、応対の際は実に丁寧に相手をしていたが、見えないところだとレッキスの事を骨フェチと呼んでいた。
可愛い美少女である自分に手を出さず、骨を大事に抱える変態野郎――それがアナスタシアのレッキスに対する評価だった。アナスタシアも人の事言えないのだが。
「でもまあ、ちょうどいい時に来てくれたよ。レッキスさんはいい人だし、今は静かだからね」
今日はアムリタは来ていないし、アルマは昼寝をしている。モチョとハイエースは外でチェスをやっている。ちなみにハイエースはナイトをどうしても活躍させたがるので、モチョの方が優勢だ。
シュヴァルはゴーレム研究のために術式を書いていた筆を止めた。ちょうど研究が行き詰っていたし、赤銅かつゴーレム研究者という貴重な同士である。出来る限り彼とは友好的に接したかった。
田舎に付いてきてくれた時、寝ずの番をしてくれるほどの好青年である。ここ最近、異常な連中に悩まされている中、レッキスは久しぶりに現れた救世主である。
数日ぶりにみたレッキスは、以前の隈だらけの疲れた様子は無く、随分と生気を取り戻していた。こうしてみると、なかなかに整った顔立ちをしていて、シュヴァルはちょっと羨ましくなる。
おすましモードになったアナスタシアが紅茶を入れ、シュヴァルとレッキスはお互い向き合う形で、テーブルを挟んで対面する形になる。
「お久しぶりですシュヴァルさん。ちょうど今、学院の方に報告に行ってきた所です。まあ、大きなミスは無かったと思います」
「そうですか。重ねがさね苦労を掛けて申し訳ありません」
「いえいえ、これから長い間お世話になりたいと思っていますし、お安いご用ですよ」
レッキスの言葉に、シュヴァルは思わず感動してしまった。なんていい人なんだ。自分の周りだと、比較的まともに振る舞ってくれるのが、人間をやめたアムリタくらいだ。それ以外は変なのしかいない。
「こちらこそ。レッキスさんとはこれからも付き合って行きたいと思っています」
(よし! 第一段階は上手く行ったようだな!)
レッキスは表情には出さず、内心でガッツポーズを取った。ここで拒否されてしまったら全ての計画が台無しである。この男に利益を与え続ければ、それ相応の得る物はあるだろう。
さて、ここからが本題だ。レッキスは襟を正し、シュヴァルを真っ直ぐに見つめる。シュヴァルは平然と茶を飲んでいるが、レッキスとしてはここが正念場である。ごくりと唾を呑む。
「今日は、俺の方から提案。いや、お願いがあってここに来ました」
「お願いですか?」
シュヴァルがオウム返しにそう答えると、数秒の間を置き、レッキスはこう呟いた。
「シュヴァルさん、俺の……いえ、俺達の研究所に入る気はありませんか?」