第43話:悪魔との取引
シュヴァル一行は特筆する事もなく無事に帰郷を終え、首都のホームグラウンドへと辿り着いた。
「やはり田舎など行くべきでは無いな。山と森しかない上に野良仕事ばかり。お陰で私の美少女計画が遅れてしまったではないか」
「エロ馬の言うとおりだ。私の究極美少女計画になんの進展も無かったし」
「はぁ、やっと街に帰ってこれたわね……私、昔っから深い森に住んでたし、やっぱり都会が一番だわ」
ハイエース、アナスタシア、そしてアルマは工房に着いた直後、シュヴァルの故郷をボロクソにこきおろし、さっさと工房に引っ込んでいった。
「君達さぁ……勝手に付いてきて、人の実家を馬鹿にしないでくれる?」
「私は楽しかったですよ。畑仕事も久しぶりにやりましたし」
「ありがとう。そう言ってくれるのはアムリタさんだけですよ」
「私だけ……? キャッ! 照れますね!」
そう言ってアムリタは照れ臭そうに頬を赤らめた。実に乙女チックで可愛らしい動作である。これで人間辞めてなかったらもっとよかったのだが。
「シュヴァルさん、これで俺の役割は終わりです」
「レッキスさんには本当に感謝していますよ。お陰で僕もスムーズに予定を済ませる事が出来ました。それにしても、随分とやつれていますね。やっぱりラウレル学長からの命令ですし、責任も大きいのでしょうね」
「ええ、でも無事に終えらえて肩の荷が降りましたよ」
お前のせいでろくに寝られなかったんだよ、という言葉を喉の奥に押し込みつつ、レッキスは愛想笑いで答える。
シュヴァルとしては、レッキスが寝ずの番をするほど熱心に自分達を護衛してくれたと思っているが、単にレッキス自身が不安で目を離せなかっただけである。
結果、街に辿り着いた時にはレッキスの眼の下には大きな隈が出来ていた。
「何か少しでもお返しが出来ればいいんですが……せめてうちでお茶でも飲んでいってはどうですか?」
「いや……俺は学長へ報告があるので」
「もう夕刻ですし、報告は明日でいいじゃないですか。私がお茶を淹れます。自慢じゃないですけど、私、お茶を淹れるのは得意なんですよ」
シュヴァルとアムリタは100パーセント善意でレッキスを気遣っているのだが、レッキスとしてはこの異常集団……とりわけシュヴァルから一刻も早く離れたい。
とはいえ、件の錬金術師シュヴァルと貴族の令嬢アムリタからの誘いである。下手に断って不興を買うのもまずい。
(さすがに街中で危険な行為はしないだろう……仕方ない)
レッキスはシュヴァルの工房に立ち寄る事にした。不本意ではあるが、断った方がリスクが大きいと判断したのだ。
「シュヴァル様、客人を招き入れる前に少し報告が」
「ん? どうしたの?」
シュヴァルがアムリタとレッキスを引き連れて工房に入ろうとすると、猫を二十枚くらい被ったモードのアナスタシアが立ちはだかった。そのままシュヴァルの外套の裾をくいくい引っ張り、シュヴァルだけ入れと合図をする。
「すみません。ちょっと部屋の様子を見てきます」
シュヴァルはレッキスとアムリタに一言断りを入れ、そのまま工房に入り込む。
「うわ!? なんだこれ!?」
そしてシュヴァルは仰天した。工房に入るや否や、巨大な動物の頭骨が置いてあったのだから無理もない。
「何これ? 誰かの嫌がらせ?」
「多分、パパとママのお土産よ。ちょっとだけ魔力が残ってるし、似たような骨を森の中で見た事があるの」
「えぇ……まいったなぁ、もう」
シュヴァルは頭を抱えた。吸血鬼と野獣夫妻の気遣いらしいが、はっきり言って困る。特に今はレッキスを招いているのだ。ちょっとお茶でもいかがと家に呼ばれ、部屋のど真ん中にクソでかい動物の頭蓋骨が置いてあったら誰だって引くだろう。
「何かあったんですか?」
「あ、ちょっと待ってください!」
頭蓋骨をどっかに持ち去る前に、アムリタとレッキスが中に入ってきてしまった。そして、巨大な動物の頭骨を見たレッキスが固まる。
「こ、これはぁぁぁぁあ!?」
「ど、どうしたんですか!?」
レッキスはしばらく固まった後、急に大声で叫んだ。シュヴァル達からしたら、レッキスは年齢の割に随分落ち着いているように見えたので、逆にシュヴァル達の方が驚いたくらいだった。
「いや、すみませんね。せっかくお誘いしたのに、こんなものが家に置いてあって……」
レッキスが固まっていたので、シュヴァルは謝罪した。こんな化け物みたいなものがあったら誰だって驚くだろう。結果的に世話になったレッキスにドッキリをしかけるような形になってしまった。
「こんなもの!? こんなものですって!?」
「何か問題でも?」
「い、いや……問題と言いますか」
「もしかして、レッキスさんはこれが欲しいのですか?」
「えっ」
しばらくレッキスの様子を見ていたシュヴァルだったが、どうもレッキスは怒ったり怯えたりというより、骨に対して強い興味を持っているように見えた。なんとなく、シュヴァルが完成度の高いゴーレムを見た時の態度に似ていたので、そう推測したのだが。
「それは確かに欲しいですが……」
「なら持っていっていいですよ」
「ええっ!?」
再びレッキスは叫ぶ。そんなに驚くことかとシュヴァルは不思議に思ったが、家にこんなものがあっても困るし、レッキスが欲しがっているならお礼も兼ねて一石二鳥だ。
「いくらですか?」
「もちろんタダですよ。レッキスさんには世話になりましたし、同士としてこれからも仲良くしていきたいですからね」
シュヴァルは屈託のない笑みを浮かべながら、かなり重量のある頭骨をレッキスに手渡した。レッキスは、まるで宝石でも扱うかのようにそれを抱え込んだ。
「それはつまり、俺を引き入れたいという事ですか?」
「言っている意味がよく分かりませんが、どう捉えてもらっても構いませんよ」
シュヴァルは首を傾げるが、レッキスはなぜか神妙な表情になった。
それからアムリタが淹れてくれたお茶を勧めたが、レッキスはほとんど無反応で、茶を胃に流し込んだ。
「では、改めて俺はこれで失礼します。本当にこの頭骨は貰ってもいいのですか?」
「もちろんです。ただ、あまり周りには言いふらさないで貰えると助かります」
「……分かりました」
レッキスは一礼すると、馬車に乗り込みシュヴァル工房を後にした。その姿を、シュヴァル達一行は見送った。
「なるほど……あのレッキスとかいう奴、ロリコンじゃなくて骨フェチだったのか。どおりで超絶美少女アナスタシアちゃんに欲情しないわけだ」
「そう言うな。多少性癖が歪んでいたとしても人格を否定してはならんだろう」
「君達は人の事言えないでしょ」
ハイエースとアナスタシアの中で、レッキス=骨フェチという構図が出来ていたが、この二人が突っ込む資格は無かった。
◆ ◆ ◆
「驚いたな……まさか幻獣の頭骨がまるごと手に入るなんて」
馬車の中、レッキスは未だに興奮冷めやらぬ様子で、巨大な獣の頭骨を撫でた。シュヴァル達は知らなかったが、これは幻獣と呼ばれる、はるか昔に絶滅した獣の骨だった。
魔力的な効果は無いが、角一本でも骨董品のコレクターには目玉が飛び出るような値段で取引されている。それを丸ごと、ほぼ完全な形であの男は持っていた。
「しかも、その代物を『こんなもの』で片付けるとは……」
シュヴァルにとって幻獣の頭骨はその程度の価値しか無いということだ。ということは、あの男はどれだけの価値ある物を抱えているのだろう。
レッキスは逡巡する。ここでラウレルに報告義務を終え、二度と関わり合いになりたくないといえば、恐らくレッキスはシュヴァルと縁を切る事が出来るだろう。
ラウレル学長とて馬鹿では無い。スパイの嫌疑の掛かったレッキスを二度登用するとも思えない。つまり、まだ引き返せる場所に居るという事だ。
「だが、それで本当にいいのか?」
レッキスはさらに思考を巡らせる。もともとレッキスが錬金術師を目指したのは、優れた商人である父への反発からだ。親の七光りと言われ、商人の跡継ぎとして生きていく事も出来た。
だが、それはレッキスにとって敗北を意味した。お前は父を超えられない。自分の才能の限界を突きつけられた事になる。だから彼は、技術を学ぶ事で奇跡を起こす錬金術を学んだ。
その結果、レッキスは赤銅の地位に就く事が出来た。色付きの時点で錬金術師の中では上位に入るが、上位の中で下位である。商人である時と何も変わってはいない。
結局、レッキス自身はそれなりに才能はあるが、決して何かの頂点に立つ事が出来ない。それを自分自身でも自覚していた。恐らく、このままいけば赤銅のまま上がる事も落ちる事も無いだろう。
「……だが、悪魔と取引をしたら?」
悪魔の錬金術師シュヴァル。正直、関わり合いになりたくない。だが、同時に惹かれるものがあるのも事実である。既成概念とは程遠い位置にいるあの男と手を組めば、この停滞した状況を変えられるかもしれない。
レッキスの中で、シュヴァルの言葉が脳裏に浮かぶ。
『どう捉えて貰っても構いませんよ』
『あまり周りには言いふらさないで貰えると助かります』
幻獣の頭骨を受け渡した時、あの男はそう呟いた。それはつまり、この取引を内密にして欲しいという事だ。単に礼として渡したと処理してもいいし、その先に進んでもいいという事だろう。
「……ラウレル学長には、『ありのまま』の報告をするとしよう」
レッキスは、悪魔と取引する道を選んだ。
シュヴァルとしてはこんな骨が家にあったらますます変人の巣窟として見られてしまうので、あんまり言いふらさないで欲しいなと頼んだだけなのだが。