第39話:帰郷(3)
レッキスは、まるで猫の住む家に潜入したネズミのように、細心の注意を払いながらシュヴァルの家へと向かっていた。
「別にどうという事もない田舎のように見えるが……」
村の規模はそれほど大きくもなく、村人たちは農作業にひと段落着いたのか、昼飯を食べたり、あるいは談笑したりしている。レッキス自身はあまり出向かないが、一般的な田舎とあまり変わらない。
だが、レッキスはかぶりを振って考えを改める。
村そのものはそうかもしれないが、少なくともシュヴァルが常軌を逸している人間なのは間違いない。
どちらかというと常軌を逸してるのは周りの連中で、比較的まともな人間はシュヴァルなのだが。
いくらも行かないうちに、レッキスはシュヴァルの家の扉の前に辿りついた。
このまま引き返してしまおうかとも思ったが、なけなしの勇気を絞り扉をノックする。
「どなたですか? ……おや、あなたは」
「今回ラウレル様から派遣された赤銅のレッキスと申します。シュヴァルさん。まともにお話しするのは初めてですね」
レッキスはなるべく好印象を与えようと微笑んだ。営業スマイルは実家にいる際に学んでいた。
父の敷いたレールから逃れたくて錬金術師になった身だが、この時ばかりは豪商の父に感謝した。
「おお! あなたが赤銅のゴーレム専攻の方ですか! お会いできて実に嬉しいですよ!」
営業スマイルが利いたのか分からないが、シュヴァルは満面の笑みを浮かべ握手をした。
とはいえ、それを真に受ける程レッキスは馬鹿ではない。
(こちらも笑顔を作るくらいできるんだ。向こうだってそれくらいは簡単だろう)
表面で仏のような笑みを浮かべつつ、内心で不良在庫を高額で売りつける父を見ているので、レッキスはすっかり疑い深い性格になっている。
もちろんシュヴァルにそんな腹芸など出来やしないのだが、レッキスがそれを知るはずもない。
シュヴァルはレッキスを嬉しそうに自宅に招き入れたが、レッキスは背中にびっしょりと汗をかいていた。彼は今、獅子の口に頭を突っ込むような真似をしているのだ。
「ちょうど父も母も出掛けていましてね。あと、周りにうるさいのもほとんど居ないので、落ち着いてお話が出来ますよ」
シュヴァルは嬉しそうにそう言いながら、使い古した椅子にレッキスを座らせた。
さらにレッキスからすれば随分と安物の茶を出したが、それには口を付けなかった。
何が入っているか分からないからだ。
「お互いゴーレム研究の同志ですからね。仲良くしたいところです」
レッキスは同志なので仲良くしたいという部分を強調した。
シュヴァルがゴーレムを研究しているのがカモフラージュだとラウレルから聞いてはいるが、友好的に振る舞っておけばプラスにはなるだろう。
「ところで、あちらに寝そべっている少女は?」
まずレッキスの方から切り出した。シュヴァルの言うとおり、彼の父も母も出掛けているようだが、一緒に着いてきた魔獣ユニコーン、それに侯爵令嬢と奴隷の少女の姿は無い。
その代わり、部屋の隅のほうで、ぺらぺらのじゅうたんを敷いて寝転んでいる猫耳吸血鬼アルマがいた。
彼女は毬鼠を相手に猫じゃらしで遊んでいて、こちらの事は気にしていないように見えた。
「え? ああ、あの子は居残りですよ。他のメンバーは畑仕事に行っていましてね。アルマは吸血鬼だから日中が苦手なんです」
(……抜け目のない男だ)
シュヴァルは苦笑しながら事実を喋ったが、レッキスは警戒レベルを逆に引き上げた。
奴隷の少女はまだしも、魔獣や侯爵令嬢をまるで下僕のように使役している。さらにその上で、吸血鬼をしっかり護衛役として自分の近くに置いている。
レッキスはシュヴァルと違い正式な赤銅だ。ゴーレム専門ではあるが、他の錬金術も並以上にこなせる。誰も居なければ手近にあるものを武器として錬成し、シュヴァルを殺害することも視野に入れていた。
しかし、それをさせないために戦闘力の高い吸血鬼を置いているのだろう。
奴隷の少女や侯爵令嬢では護衛にならないし(侯爵令嬢はなる)、大型の魔獣ユニコーンでは狭い屋内では自由に動けない。
その点、吸血鬼アルマなら、レッキスが術を発動させる前に首をねじ切ることくらいは容易だろう。実にいい采配だ。
単にアルマが農作業に行きたくなかっただけなのだが。
「ところで、シュヴァルさんは何のためにここに来られたのですか?」
「何のためって、当然帰省ですよ」
「……本当にそれだけが目的ですか?」
「レッキスさんのおっしゃる意味がよく分かりませんね。実家に帰るのにそれ以上の理由がありますか?」
普通に考えたら無い。
だが、この男が打算抜きでそんな事をするはずがない。その辺りを少しでも探ることが出来れば、ラウレルに報告することだって出来る。そうすればさらに高い地位を得られるかもしれない。
危険ではあるが、レッキスはさらに一歩踏み込んで探りを入れる事にした。
「この村の人々はあなたの事を『王』とか『皇帝』、あるいは『魔王』などと呼んでいるとのことですが。それに関連する何かがあるのでは?」
「はは、お恥ずかしい限りです。僕はそんな器じゃありませんよ」
(つまり、皇帝や魔王程度では満足いかないということか)
レッキスは恐怖にひきつりながらも、何とか気合で笑顔を取り繕った。
この男、純朴そうな外見とは裏腹に、噂通りとてつもない野望を秘めている。
レッキスも才能ある青年だ。何かの道で一旗上げたい気持ちはあるが、皇帝や魔王という称号ですら足りないとは思った事は無い。
だとしたら、シュヴァルはそれを超える何かを求めて今も行動しているはずだ。
帰省したのも何かしら理由があるだろう。そこを突きとめねばならない。
「ちょうどいい。赤銅の先輩レッキスさんに相談したいことがありまして」
どうやってこの男から情報を引き出すかとレッキスが頭を回転させていると、逆にシュヴァルの方から語りかけてきた。
「先輩、ですか」
「ええ、僕は赤銅になったのは二十八歳で落第ギリギリでしたからね。レッキスさんはもっとお若いでしょう」
「来月で二十二になります」
「すごいですねぇ。僕なんか赤銅どころか、あと数カ月で錬金術師を名乗れなくなるところだったのに」
(この男……! 皮肉か!)
シュヴァルは純粋に賛辞を述べたのだが、レッキスは言葉通りに受け取らなかった。
赤銅になる年齢として、レッキスは並といったところだ。一方、シュヴァルは本当に追放寸前まで頭角を現さなかった。
シュヴァルがそこまで実力を隠していたのは、ぎりぎりまで潜伏しつつ、錬金術師としての支援を受けるためだったというのがラウレル達の解釈だ。レッキスもその説を推している。
必死になって赤銅の貴様と違い、その気になればいつでも錬金術師の色付き程度余裕だという風にレッキスは捉えた。もちろん、んなこたーない。
「それで、シュヴァルさんが俺に何の相談でしょう? あなたが俺に聞く事なんて無いでしょう」
「いや、お恥ずかしながら、どうしても知りたいことがありまして」
「俺に答えられる可能な範囲であれば相談に乗りますが」
レッキスは踏み込めない一定のラインをキープしつつ、シュヴァルにそう答えた。
すると、シュヴァルは少し口ごもった後、小声で呟く。
「実は、ゴーレムの錬成について教えていただきたいのです」
「……は?」
一応、ゴーレム専攻かつ同格のはずである。何故、自分にそんな質問をするのか。レッキスは理解出来ず、思わず空気が漏れるような間抜けな返事をした。