第36話:シュヴァル工房の罠
吸血鬼ダンディーと巨獣エリザベートの人外夫妻は、ドアを破壊しながらシュヴァルの工房に足を踏み入れる。エリザベートの発言通り、中には誰もいない。
「やっぱり誰もいないわねぇ。みんなで旅行にでも行ってるのかしら」
「まあいいじゃないか。アルマはあまり外に出たがらなくて困っていたからな。シュヴァルさん達と暮らす事で、あの子も社交的になってきたのかもしれないな」
「それは素晴らしいわね。やっぱりシュヴァルさんが預かってくれてよかったわぁ」
夫妻は微笑ましげに笑いあった。アルマは芋づる式に田舎に強制連行されただけだし、そもそもシュヴァルは預かったというより押し付けられたという方が正しいのだが。
「さっきから変な魔力を感じるな。ふむ、この巻貝か」
熟練の魔力探知能力でも無い限り見つけられないはずの録音具を、ダンディーは壁の隙間からあっさり発見した。ダンディーにとって、人間が作り出した魔力の隠ぺいなど、白い壁に塗られた黒ペンキを見つけるより簡単だ。
「駄目よあなた。それはシュヴァルさんが使う道具かもしれないじゃない。勝手にいじらない方がいいわよ」
「そうだな。では、手土産を置いて……」
「ウオオオオオオオオオオオオーーーーッ!」
ダンディがセリフを言い終わる前に、エリザベートがけたたましい咆哮を上げた。その衝撃で空気が振動し、置いてあった陶器のいくつかがひび割れる。
「いきなりびっくりするじゃないか! とっさに防音障壁を貼ったが、夜中に近所迷惑だろう」
「だってあなた、クモがいたのよ! いやぁねぇ。あんなに恐ろしい生き物がなんでこの世にいるのかしら」
エリザベートは鋼鉄すら噛み砕きそうな牙をむき出しながら、小さなクモを恐ろしげに指差す。ダンディは溜め息を一つ吐き、そのクモを手で追い払う。
「まったく。クモくらい森にたくさんいるじゃないか。まあ、そんなギャップも魅力的ではあるのだけどね」
「あらやだ、照れるわぁ。うふふ」
うふふじゃないが。取り合えず気を取り直し、エリザベートは最初の用事――シュヴァルへの手土産を机の上にどかりと置いた。
「食べ物は好き嫌いがあるけど、これならきっと喜んで貰えるわ。苦労して選んだ調度品だものね」
「うむ。なかなかいいセンスだと思うぞ。おっと、帰る前に書き置きを残さないと」
「困ったわね。紙が見当たらないわよ」
「仕方ない。これを使おう」
そう言ってダンディが持ってきたのは、先ほどエリザベートがねじ切った入口のドアだ。それなりに重量があるはずだが、ダンディは人差し指と親指でつまんで持ち上げた。
「そうねぇ、どうせもう壊れちゃってるし、これに書いてもいいわよね」
ダンディがうなづくと、エリザベートは、ちょうど人間が人差し指の先で文字を書く要領で、壊れたドアの裏側に爪で文字を刻んでいった。その爪の鋭さと巨大さは、人差し指というより人刺し指と言うにふさわしい。
『親愛なるシュヴァル様。まずはドアを壊してしまい申し訳ありません。しばらく人間の街に来ていなかったのですが、いつもお世話になっているお礼の品を持ってくるためにやってきました。古城で見つけた骨董品です。これを飾っておけば、シュヴァル様の工房も箔が付くのではないでしょうか。それではまた後日、改めて挨拶に来ます』
「……こんなものかしら?」
エリザベートはドアの裏に刻んだ文字をダンディに見せると、彼も納得したようだ。
「アルマやシュヴァルさんや、他の皆さんに会えなかったのは残念だが、まあ仕方あるまい」
「残念だわぁ。とはいえ、私たちが真っ昼間に来たらきっと大騒ぎでしょうし」
「まあ、アルマも打ち解けてきているようだし、シュヴァルさんならきっと我々のフレンドリーさも上手く伝えてくれるだろう」
「そうね。あとちょっとの辛抱ね」
そんな会話をしながら、夫婦は工房をそっと後にした。現状で吸血鬼と巨獣が人間の街をうろつくのが厳しいのは彼らも理解している。だからお忍びという形で夜に来るしかない。それに、生きている年数を忘れる程長生きな彼らにとって、シュヴァルが誤解を解くのに数年掛かったとしても、人間でいえば数日程度の感覚である。
シュヴァルの誤解はむしろ深まっているのだが、そんな事とはつゆ知らず、人外夫妻は街を後にした。
その翌日、グラナダとヴィオラは、強張った表情でシュヴァルの工房の前に立っていた。
「魔道具が破損したから様子を見に来たが……これは一体……」
錬金術師として最上位の能力を持つグラナダであるが、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。シュヴァルの工房に録音用の魔道具を設置したその夜、突如として道具が破損したのだ。
魔道具は巻貝を加工して作るもので、録音用と再生用の二種がある。お互いは共鳴しあっていて、遠く離れていても録音が発動すれば、色が変化したり、振動したりする事で機能している事が分かる。
だが、錬金術学院で厳重に保管されていた再生用の魔道具が、なんと破裂したのだ。ほとんど原形を留めておらず、機能はほぼ停止している。
グラナダは巻貝の破片を手に握り、魔力を流す。
『……ォォォォオォ!』
何かおぞましい獣の咆哮のようなものがわずかに聞き取れた。恐らく、この異形の発する能力で録音具は破壊されたのだろう。
なお、能力ではなく、単純にエリザベートの声の衝撃波で壊れていただけである。
「シュヴァルはユニコーンと吸血鬼の娘以外にも、何かと契約しているのでしょうか」
「分からないが、そう考えるのが妥当だろう。あるいは、自分が留守中に不審者が現れると発動するトラップかもしれない」
グラナダはそう推測した。自分の研究所に何かしらの防衛手段を貼るのは優れた研究者の基本だ。シュヴァルほどの錬金術師なら、対策していない方がおかしいと考えるべきだった。
「ラウレル様が最初に調査をした時には、特に怪しい点は無かったらしい」
「ノーガードのふりをして、上位の敵対者をあぶり出すつもりだったと?」
「そうかもしれない。ヴィオラ、君はこの工房に入らない方がいい。どのような怪物が出てくるかわからない」
「いえ! 上司であるグラナダ様を危険にさらすわけにいきません! 私とて銀なのです!」
「君はあまり戦闘向きじゃない」
「私の魔法生物、カラドリウスは癒しの力を持っています。お役にたてるかと」
グラナダはヴィオラを制止するが、ヴィオラは頑として譲らない。結局、折れたのはグラナダの方だった。
「分かった。ただし、本当に危険だと思ったら僕に構わず逃げる事が条件だ。それなりに実力はあると自負はしているが、シュヴァルの使役する異形の戦闘力次第では、君をかばう余裕が無い」
「分かりました」
こうしてグラナダとヴィオラは、まるで伝説の魔獣の住むダンジョンに挑むような心構えでシュヴァルの工房に潜入した。といっても、シュヴァルの工房は何のトラップも無い単なる民家だが。
「とりあえず、怪物の気配は無いが……」
グラナダは工房をぐるりと見るが、何の変哲もない赤銅に相応しいシンプルな工房にしか見えない。それが逆に不信感を煽る。
「グラナダ様! あ、あれはなんでしょう!?」
ヴィオラは思わずグラナダにしがみつきながら、彼の背中から、シュヴァルが普段使っている研究机の上を指差した。
「あれは……何かの動物の骨か? それにしても大きいな」
シュヴァルの机の上には、巨大な角を持つ山羊のような動物の頭骨が置いてあった。これほどまでに巨大な動物の頭骨を、グラナダは見た事が無かった。
それもそのはず、この動物は古城の主が持っていた、とうの昔に絶滅した動物の骨だからだ。要するに、ダンディーとエリザベートはセンスが悪かった。
「……何か記されているな。入口のドアを利用したのか?」
「グラナダ様、あまり近寄ると危険なのでは?」
「近寄らなければ調べられないだろう。君は離れていた方がいい」
グラナダはそう言ったが、結局、ヴィオラも恐る恐る、その気味の悪い動物の骨と、そのすぐ脇に置いてある、何か文字らしきものが刻まれたドアを調べる。
「見た事のない文字ですね」
「これは古代文字だな。数百年前に使われていたものだ」
「古代文字!? なんでそんなものが!?」
「分からない。少なくとも、これを記したのは数百年前の知識がある異形という事くらいか」
ダンディー夫妻は森に数百年引きこもっていたせいで、今使われている公用語を知らなかった。だから、ナチュラルに自分達の時代の文字で言伝をしていた。
「読めるのですか?」
「少しはね。といっても、なにぶん昔の文字だから完全には訳せないかもしれないが」
聡明なグラナダにとっても、古代文字は訳すのが難しい。かなりの時間と集中力を使い、彼はその古代文字を読み解いた。
『偉大なるシュヴァル。まずは封印の門を破壊した事を謝罪しよう。我らは長らく人の世に来られなかったが、貴殿のお陰で我らは再び返り咲こうとしている。その礼として、この呪具を置いていく。これを使用する事で、貴殿の拠点はより盤石になるであろう。後日、また合間見える日を楽しみにしている』
読み上げた後、グラナダもヴィオラも顔を蒼くした。
「これって……もしかしてシュヴァルは魔王を召喚しようとしている!?」
ヴィオラは恐れおののきながらそう呟いた。魔王とは、異世界から呼び出される中でも一線を画す強大な力を持った者の事だ。その力は魔獣や吸血鬼をも凌駕する。おとぎ話レベルだが、現にその痕跡が残っている。
「いや、まだ召喚には成功していないと見るべきだろう。後日、と書いてあるし、呪具を寄代として顕現するつもりなのかもしれない」
「拠点を盤石にというのは、つまり……」
「シュヴァルは、世界を狙っているのかもしれない」
世界征服。それは子供じみた馬鹿げた野望。だが、あの男、本当にそれを実行しようとしているのか。鼻で笑うべきなのだが、どうにもそれが出来る雰囲気ではない。
シュヴァルには、それを成し遂げられる妙な説得力がある。少なくとも、錬金術学院の上位陣はみなその認識だ。
「……とにかく、呪具は回収する。録音用の魔道具も全てだ」
「あの男、一体なぜ帰郷など」
「それはまた後で話そう。ここから早く出た方がいい」
何の変哲もない工房だが、今度は自分達の動きを見られている恐れがある。グラナダはそう判断し、危険――実際には単なる骨の飾りの骨董品を、厳重に封印の術式を施して回収した。
これ以上ここにとどまると危険と判断し、グラナダはヴィオラを引き連れて早々に錬金術学院へ引き返す。自分の考えている事をラウレルとすり合わせねばならない。
「シュヴァル、あの男……一体何を考えている」
グラナダには多少、シュヴァルの考えを想像する事が出来たが、それを軽々しく口にするのははばかられた。
「もう少しでうちに着くよ。久しぶりの故郷でのんびりできるといいなぁ」
一方、何にも考えてない里帰り中のシュヴァルは、いよいよ実家に近付いていた。