第35話:夜の来訪者
「いやぁ、まさかこんな快適な旅になるなんて」
シュヴァルは馬車内でそう呟いた。今、シュヴァル一行は帰郷の真っ最中だが、彼らの乗っている馬車はぎゅうぎゅう詰めの乗り合い馬車ではなく、錬金術学院でも最上級のものだった。
「ラウレルさんっていい人ですね。赤銅の錬金術師にこんな豪勢な物を貸し出してくれるなんて」
アムリタは上機嫌だ。彼女の言うとおり、この馬車は錬金術学院長ラウレルがシュヴァルに貸し与えたものだ。シュヴァルが帰郷する旨を錬金術学院に報告すると、即座にラウレルはこの馬車を用意し、護衛役まで大量に付けてくれた。
「僕も驚いたよ。田舎で色付きになる人間ってなかなかいないし、話題性として学院側が僕を推してくれているのかもしれない」
シュヴァルとて己の実力は把握している。ゴーレム研究の新鋭として期待している部分もあるのだろうが、魔術師に人気が劣りがちの錬金術師の広告塔として利用しようとしているのかもしれない。
もちろんそんなはずはなく、この仰々しい馬車と人員は全部シュヴァル一行の監視役なのだが。
「こんな豪華な馬車、私でも初めて乗りますよ。全然揺れないし、扉も閉められるから外を気にせずのんびりできますし、なんだかワクワクしますね!」
「アムリタさん、首、首」
アムリタは綺麗にめかしこんだ薄地のドレスを着こんでいて、完全に華やかなお嬢様という出で立ちでとてもいい感じだ。首がぐるんぐるん回らなければもっといい感じだ。
「あらやだ私ったら。ほら、可動部分が増えると、つい動かしたくなっちゃう事ってあるじゃないですか」
「僕は首が回らないから分からないなぁ」
アムリタとシュヴァルは馬車内の椅子に並んでそんな会話をしている。その眼前で、ハイエースとアナスタシアがテーブルの上でチェスをやっていた。
ハイエースは馬の癖に馬車に乗ると言い張ったのだが、平民が乗り継ぐ馬車にはそんなスペースは無いので、ラウレルにこの馬車を用意して貰えて本当に助かった。
「どうしたエロ馬! 脳みそまで筋肉なのか?」
「くっ……! 親父小娘が調子に乗りおってえええええ!」
チェスはどうやらアナスタシア側が優勢らしく、体力で勝てないアナスタシアはここぞとばかりにハイエースを煽っていた。
「これでどうだ! チェック……メイト!」
「待て」
「なんだ?」
「なんで初期配置のナイトがいきなり王の前に飛んでくるわけ」
ハイエースは蹄で器用にナイトの駒を持ち上げ、アナスタシアのキングを取れる位置にワープさせた。チートである。
「決まっている。馬は史上最強の生物だからな。貴様の貧弱な軍勢など一瞬で蹴散らしたという設定だ」
「ルールを無視するんじゃない! 第一、普段は馬じゃないユニコーンだって言ってる癖に!」
「うっ……! うぅ……! うおおおおおおおおおおおおおお!!」
痛いところを突かれて敗色濃厚のハイエースは、チェスの盤をちゃぶ台のごとくひっくり返した。ハイエース怒りのちゃぶ台返し。
「ああっ!? エロ馬! 勝てないからってゲームを破壊するな!」
「うるさい! こんな盤面のおもちゃの戦場などやっていられるか! 私の本領はリアル戦場にあるのだ!」
「なんだとォ……」
「あんたたちうるさーい! 眠れないしモチョが驚くでしょ!」
ハイエースがごろりと不貞寝し、馬車ですみっこぐらしをしていたアルマがぶち切れる。
「皆さん、元気で仲良さそうで微笑ましいですね」
「元気以外当てはまってない気がするなぁ」
目の前で繰り広げられる混沌を見て、シュヴァルの脳裏に暗雲が立ち込める。自分の家はいたって普通の農家なのに、こんな連中連れていって大丈夫なのかと。
「大丈夫ですよ。侯爵令嬢として、私がしっかりと皆さんに優雅な振る舞いを教えますから」
「いや、うん、まあ、お願いします」
「お任せあれ! あらやだ、胸がずれちゃったわ」
アムリタはどんと胸を叩いたが、その拍子におっぱいの位置が腹の方にずれたので、赤面しながらダイナミックパイポジ直しをした。
シュヴァルは全ての思考を放棄し、後は野となれ山となれと祈った。
◆ ◆ ◆
さて、シュヴァルの帰郷という報告を受けたラウレルは、彼が独自に動き出す前に、ものすごい勢いで学院側から田舎までの直行便を用意した。
あの男の動きには全て意味がある。錬金術学院で目が届かない上に、土地勘のある場所で何をやらかすか想像もつかない。かといって、名目上は『帰郷』である。研究でも何でもない上に、先日に報告義務は終わらせているので、錬金術学院側で拒否をする事は不可能だ。
「念のため護衛という名目で密偵を付けた。奴と同じゴーレム研究部門の赤銅。同じ位の輩なら多少は警戒心を緩めるかもしれん」
無論、ラウレルとてそれほどシュヴァルを軽視していない。あくまでなったらいいな程度の動きである。それよりも、ここはチャンスと捉えるべきだろう。
「シュヴァルの工房は現状もぬけの殻だ。今のうちに調査を進める事も出来るかもしれんし、細工をしておく事も出来るかもしれん」
老練ラウレルは研究室で思考を巡らせる。魔道具の中には、一定時間会話などを保存しておける道具もある。現代のレコーダーのような道具だ。これを設置したり、あるいは誰もいない間にガサ入れをして、シュヴァルの真の目的をはかる事も可能かもしれない。
「あまり盗賊のような真似は好まんが、かといって国が傾く片棒を担ぐわけにもいかんのでな」
ラウレルとしては禁忌に挑むシュヴァルの事を買ってはいる。むしろ、応援していると言ってもいいくらいだ。馬車を用意したのはそういう面もある。
とはいえ、ラウレルはテロリストを育成するつもりはない。シュヴァルが悪魔的錬金術師なら問題無いが、悪魔そのものになっては困る。もっとも、シュヴァルは三流錬金術師なのだが。
こうしてラウレルは、シュヴァルに対する監視役の付与と、冒険者ギルドに裏から手を回し、工房に対する調査と加工を秘密裏に行った。
「倫理的に問題のある証拠はさすがに残しておらんか……流石だな」
結果としては、工房には基礎的な錬金術の実験と生活の跡のみで、それ以外は何も見つからなかった。だが、録音用の魔道具を複数設置はした。よほどの実力者でも無いかぎり、気付く事すら困難な逸品だ。
研究成果は残さなくても、会話から何か重要な情報が得られるかもしれない。シュヴァルが工房から離れてくれた事は、ラウレル達にとって必ずしもマイナスではない。少なくとも、この時点ではそう考えていた。
魔道具を設置したその日の夜、普通の人間なら光源なしではとても歩けない夜道を何の苦も無く歩く二つの影があった。一つは背の高い人間の物だが、もう一つは怪物のように巨大なシルエットだ。
巨体であるにもかかわらず、完璧に気配を殺しているせいで、寝静まった人間達は誰も気付いていない。
「シュヴァルさん、いらっしゃいませんか?」
それまで息を殺して歩いていたが、唐突に影の一つがシュヴァルの工房をノックした。返事が無いので再度ノックするが、それでも返答は無い。
「誰も居ないみたいね。中からアルマやシュヴァルさん達の匂いがしないもの」
後ろに立っていた怪物が、体格にまったく似合わない美しい女性の声でそう答えた。鼻をひくひくと動かし、当たりの匂いをかぎ取っているようだった。
「さすがはエリザベートだ。私は夜目は利くが、それほど鼻が利かないのでね」
「いやだわあなたったら、そんなに褒めないでちょうだい」
照れながら巨体をくねくねさせたのは、ご存じ巨獣エリザベートだ。そして、もはや言うまでも無いが、もう片方の壮年は吸血鬼ダンディーである。
「久しぶりにアルマの様子を見に来たのだが、どうやら留守中らしいな」
「あらまぁ、残念ねぇ。人間の街に来たのなんて500年前の侵略戦争ぶりね」
「はっはっは、あの頃は血気盛んだったからなぁ。今日は挨拶に来ただけだ」
「困ったわねぇ。じゃあ、森のおみやげだけ置いて帰ろうかしら」
そう言うと、エリザベートはシュヴァルの工房のドアノブを軽くひねる。すると、ドアごとねじ切れた。
「大変! ドアが壊れちゃったわ!」
「ふぅむ、人間の街の道具は壊れやすいな。仕方が無い。帰ってきたら謝ろうじゃないか。とりあえずドアは開いたのだから、お邪魔させてもらおう」
そうして吸血鬼ダンディーと森の巨獣エリザベート夫妻は、暗闇の工房へ足を踏み入れた。