第32話:研究室の攻防
グルナディエ錬金術学院本館、実力者と認められた者だけが出入りを許される叡智の建物。その中で研究室を持てる者はさらに限られる。銀のヴィオラはまだ年若い乙女だが、彼女はここに個室を持っている。
シュヴァルは本館に入るだけで緊張するのだが、アムリタの方は初めて来たというのに平然としている。
「アムリタさん、よく緊張しないね。錬金術師の僕でも、ここに来ると身が引き締まるのに」
「私は貴族のパーティーなどによく呼ばれていましたので。それに、今の私には引き締まる身がありませんから」
アムリタはニコニコ笑って冗談を言うが、シュヴァルとしては反応に困る。本館はごく少数の人間が出入りしているだけなので、辺りはしんと静まり返っている。
その静謐に満ちた廊下を歩いていくと、とある研究室に辿り着いた。歴史を感じさせる木製の扉には、ヴィオラ研究室と書いてある。
「うう……ついに来てしまった。どうせろくな事じゃないんだろうな……一応、ゴーレムの研究レポートは持ってきたけど」
せっかくゴーレム研究が認められたというのに、魔獣討伐させられたり、吸血鬼の森に突っ込まされたりでろくに研究が進んでいない。先輩であるヴィオラが怒って呼び出すのも無理はない。
もっとも、シュヴァルはゴーレム研究が認められて赤銅になったわけではないのだが、それは本人も知らない。
「大丈夫ですよ。シュヴァルさんは悪い事は何もしてないですし、私がきちんと自己弁護しますから」
「だといいんだけどね」
出来ればこのまま回れ右で帰りたいが、そうもいかない。シュヴァルは覚悟を決めると、ヴィオラの研究室のドアをノックする。
「どうぞ」
ドアの向こうから、くぐもった少女の声が聞こえてくる。シュヴァルは深呼吸を一つして、ドアノブを捻る。
「ようこそ私の研究室へ。お忙しい中、出頭に応じていただき感謝しております。最近、ずいぶんと街で活躍をされているようですね。赤銅のシュヴァル」
「え、ええ……僕はゴーレムの研究に専念したいんですけどね」
シュヴァルは愛想笑いを浮かべるが、ヴィオラの方はにこりともせず、睨むようにシュヴァルを見据えている。
(やっぱり滅茶苦茶怒ってる……)
シュヴァルは背中に冷たい汗をかいていた。そりゃ、研究ほっぽりだして冒険者まがいの事をしていたら錬金術師失格だ。色つきの称号を与えたラウレルにも影響が及ぶかもしれない。
(相変わらず飄々とした男ね……)
だが、ヴィオラが厳しい表情をしているのはまったく別の理由だ。今回の出頭は、ヴィオラが個人的に呼び出したものだ。つまり、彼女一人で悪魔の錬金術師と対峙せねばならない。
ヴィオラは才能はあるが、あくまで才気あふれる少女でしかない。その身一つでこの男から情報を引き出すのには勇気がいる。
要するに、シュヴァルもヴィオラもお互いにビビっていた。
「アムリタ様もご同行していただき感謝しております。今、お二人にお茶の用意を……」
「いえ、お気遣いは結構です。それよりも、単刀直入に用件をお話してはいかがでしょう」
ヴィオラに対し、アムリタは毅然とした態度でそう言い切った。どうも、シュヴァルに対して険しい表情をしているヴィオラに対し、あまりいい感情を持っていないようだった。
「……分かりました。立ち話もなんですので、そちらの椅子へ」
ヴィオラは少し面喰ったようだが、すぐに背筋を伸ばし、シュヴァルとアムリタを、研究室に備え付けてある椅子に腰かけさせた。ヴィオラは自分専用の机に陣取り、面接のような形になる。
「単刀直入に言います。赤銅のシュヴァル、あなたがどうやってアムリタ様を生き返らせたのか、その方法の情報開示を求めます」
さあ困ったぞ。ゴーレムの研究が遅々として進んでいない事を追及されるのも不安だったが、もっとめんどくさい部分に触れられてしまった。
吸血鬼の森に行って生き返らせてもらったら、中途半端に成功して骨だけになったので、コカトリスの肉を使ってアムリタを再現しました!
……なんて冒涜的な話を出来るわけが無い。ましてヴィオラは生命倫理を研究している。こんな話したら研究室にある器具がシュヴァルの顔面に間違いなく飛んでくる。
「情報を開示する必要はありません」
シュヴァルがどう答えるか頭を抱えていると、意外な所から意外な発言があった。シュヴァルの横に座っているアムリタだ。
「……情報開示をする必要が無い? それは無理です。色つきである彼は、錬金術師学院に研究対象の報告をする義務があります」
「研究対象というとデータを残し、論文にする題材ということですよね」
「錬金術師の中での定義はそうなっています」
アムリタが何を言いたいのか、ヴィオラはいまいち理解出来ない。だが、アムリタはそのまますらすらと言葉を紡いでいく。
「なら、私に関しては研究対象とはなりません。なにせシュヴァルさんは、私のデータをまったく残していませんから」
「データを……残していない!?」
ヴィオラは目を見開く。錬金術師とは研究職だ。自分の限りある時間を割いて研究し、膨大なデータをかき集めて実績を認められたがるのが常識だ。それをシュヴァルはしていない。つまり、錬金術界隈での功績をまるで求めていないという事になる。
「その発言、本当ですか?」
「ええ、まあ……アムリタさんに関するデータはまったく取っていません。疑うなら、うちの工房を全部探してもいいですよ」
シュヴァルとしては絶対にこんな事知られてはならないので、アムリタのデータはまったく取っていない。そもそも、大部分は吸血鬼一家がやっただけで、シュヴァルはアムリタの形を整えただけだから、ゴーレムとしての研究価値も無いのでデータを残す理由も無かったのだ。
「そんな……! 錬金術師ならデータを取るのが当たり前でしょう! なぜ死人を生き返らせるほどの研究成果を残さなかったのですか!」
「僕の専攻はゴーレムですから」
(この男……! ぬけぬけと……!)
ヴィオラは怒りと恐怖が同時に噴き出しそうになるが、なんとか表情には出さないよう平静を保つ。確かに、シュヴァルの専攻はゴーレムだ。だから研究対象として報告義務があるのは、現状だとゴーレムだけという事になる。完璧に煙にまかれた。
「アムリタさんは現状に満足なのですか?」
「はい。私は極めて快適に生活できていますし、何の問題もありません」
こっちも駄目か、とヴィオラは内心で舌打ちした。せめてアムリタの方から助けを求めてくれれば、倫理的な面からシュヴァルを告発する事も出来る。だが、本人が納得している以上、ヴィオラに出来る事は何もない。
(……あるいは、そういう風に仕向けられているか)
アナスタシアの扱いの時もそうだったが、アムリタもシュヴァルに脅迫されている可能性は捨てきれない。だが、それを確かめる術が現状無い。
「お話は以上ですか? では、私たちはこれで失礼させていただきたいのですが」
「……許可します」
ヴィオラは絞り出すようにそう言った。そう言うしかなかった。この男、技術的な面でも天才かもしれないが、根回しにも悪魔的な知恵が回る。ヴィオラは、改めてシュヴァルという男の恐ろしさの片鱗に触れたような気がして、身震いしそうなのをなんとかこらえる。
「あ、せっかくなんでゴーレムの研究レポートを置いていってもいいですか」
アムリタはさっさと部屋を出ていこうとするが、シュヴァルは慌ててヴィオラに数枚のレポート用紙を差し出した。ろくに研究も進んでいないアームゴーレムの殴り書きで、とてもレポートなんて呼べる代物ではないが、何も出さないよりはマシだろう。
ヴィオラはシュヴァルからレポート用紙を受け取るが、終始無言だった。
(やっぱり、こんなの出さない方がよかったのかな……)
結局、ヴィオラは特に何も追求しなかったので、シュヴァルはアムリタと、ゴーレム研究の遅延に言及される前に、逃げるように部屋から出ていった。
部屋の中に残されたのは、敗北感に打ちひしがれるヴィオラ一人。
「駄目だわ……私一人じゃ、あんな狡猾な男に立ち向かえない!」
ヴィオラは机に突っ伏した。アムリタを生き返らせた方法だって、どうせまっとうな手段であるわけがない。そこから倫理を追求し、シュヴァルの首根っこを掴もうとして出頭命令を出したのだ。
だが、シュヴァルはそれをあっさりとすり抜けた。しかも、ほとんどはアムリタという随伴に喋らせていた。つまり、奴は錬金術学院内で、可能な限り自分の痕跡を残さないように立ち回っている。
倫理観の壊れた天才ほど恐ろしいものはない。なんとかしてあの男を止めなければらならないのに、空回りばかりしている自分が不甲斐なかった。
その時、再びドアをノックする音が聞こえた。シュヴァルが戻ってきたのかと思い、ヴィオラは慌てて居住まいを正す。
「どうぞ。鍵は空いています」
そうして入ってきた人物は、ヴィオラにとって意外な人物だった。
「よっ、ヴィオラちゃん。久しぶりだな」
「あなたは……」
ヴィオラの前に姿を現したのは、以前に情報交換をした、魔術師リーデルだった。