第31話:路地裏の化け物
錬金術学院から急きょ出頭命令を受けたシュヴァル。そしてコカトリスゴーレムスケルトンメイドのアムリタは街中を進んでいくが、シュヴァルの足取りは重い。
「嫌だなぁ……ゴーレム研究がろくに進んでないし、銀のヴィオラ様は僕の事嫌ってるみたいだし」
銀のヴィオラは若くして錬金術師達のトップクラスに君臨する俊英だ。一方、シュヴァルはここ最近、ようやく赤銅の称号を得られた、お世辞にも若いとは言えない田舎出身の錬金術師だ。
「まあ僕が好かれる理由が無いよね。自覚してるけどさ」
シュヴァルは溜め息を一つ吐き、肩を落としながら歩む。三流……最近だと赤銅になれたから一流半くらいにはなれたのかもしれないが、いまいち実感が湧かない。若き天才ヴィオラからすれば、シュヴァルは格下の凡才に見えるだろう。それくらいはシュヴァルも理解している。
「私はヴィオラという方と面識はありませんが、人を社会的な身分や能力だけで判断するのはどうかと思いますよ」
落ち込むシュヴァルを励ますように、アムリタが語気を強めてそう言った。その声には、少なからず怒気を孕んでいた。
なんやかんやあってシュヴァルに命を救われた……かどうか微妙だが、とりあえず本人が満足する状況にはなれたのだ。たとえ人間をやめたとしても、アムリタはやはり心優しい貴族令嬢なのだ。
それが仮にコカトリスゴーレムスケルトンメイドと化したとしてもだ。
「ありがとうございます。でも、アムリタさんは僕を買い被りすぎですよ。僕は形を整えただけだし、今のアムリタさんがいるのは工房の仲間……だと思う連中のお陰ですし」
「それでも、シュヴァルさんが私を助けて下さったのは事実です。私も呼ばれたという事は、恐らく私に関連する事なのでしょう。きちんと弁護しますから安心して下さい」
そう言って、アムリタは笑顔で拳をぎゅっと握った。元々アムリタは奉仕精神に溢れた人間であるが、今はその心はシュヴァルに注がれている。シュヴァルも男性なので、美しい高貴な女性に慕われるの悪い気はしないが、正直、普通の人間の女性がいい。
「シュヴァルさん、錬金術学院に向かうならもっと近い道がありますよ。裏道を通っていきません?」
「そこは僕も知ってるけど、あんまり治安が良くないから、やめた方がいいんじゃないかな」
今、二人は人通りの多い中央通りを人ごみに紛れて進んでいるが、アムリタは薄暗い路地の方を指差した。
「私、もともと治癒の力で貧民街に出入りしてますし、大体の道筋は分かるんですよ」
「うーん……緊急って言われてるし、遅刻したらまずいしなぁ」
シュヴァルは少し逡巡したが、結局、アムリタの提案に従うことにした。今はまだ真っ昼間。活気づいた市場のある中央通りで、人ごみの中を抜けていくのはなかなかに骨が折れる。
そうして一歩路地裏に踏み込むと、空気ががらりと変わる。辺りは薄暗くて物盗りなどの被害も出ている地域だ。何年もこの近くを行き来したシュヴァルも、一人の時は極力通らないようにしていた。
「大丈夫ですよ。今の私は、大抵の悪い人なら撃退できますから」
「そりゃ、ベースが魔獣コカトリスだからね」
「違います! 私はあくまで侯爵令嬢アムリタです! 乙女ですよ!」
アムリタはちょっと不機嫌になったようで、頬を膨らませて抗議した。
「ごめんごめん。どうにも最近、変なのに巻き込まれ過ぎて正常な判断力が無くなりそうでね」
アムリタが激昂する前に、シュヴァルは慌てて謝った。何せ、今のアムリタの筋力は尋常ではない。万が一、アムリタがシュヴァルにビンタでもしたら、シュヴァルはその場で昇天する危険性すらある。
逆に言えば、細身の女性に見えるアムリタがいれば、不幸にも襲い掛かってきたならず者など瞬殺だろう。
(頼むから僕達を襲わないでくれよ……)
シュヴァルは心の中でそう祈る。自分の身の危険より、襲ってきた奴を殺してしまう危険性の方がはるかに高い。いくらならず者とはいえ、そんな事になったらさすがに心が痛む。
そうして薄暗くひんやりした路地裏を二人は歩む。中央通りと比べ、人の行き来は極端に少ない。一応、この辺りに住んでいる人間はいるのだが、大体が貧しいので、昼間は家族総出で働きに出ていたり、逆に夜に仕事をするために昼夜逆転の生活を送っている者も多い。
「おい、待てよ」
途中までは別段何事も無かったのだが、やはりというか、案の定絡まれた。相手は三人組の男達で、見るからに粗野な雰囲気を漂わせるザ・不良といった出で立ちだ。
向こうからすれば、貧相な格好をした細身の錬金術師と、たおやかな女性が歩いているのだから格好のカモに見えるだろう。
「すみません。僕たち、急いでいるんですが」
「んなこたぁどうでもいいんだよ。痛い目見たくなかったら、持ってる金目の物を全部出しな」
もうコテコテの犯罪者の常套句だ。シュヴァル一人だけだったら、とてもじゃないが不良三人に絡まれて反論する度胸は無い。大人しく持っている有り金を全部出していただろう。
だが、今は横にいるアムリタの方が心配だった。アムリタは見るからに不機嫌そうだ。どうもシュヴァルに乱暴な口調で絡んだ事が気に入らないらしい。
(仕方ないな……ここは少し警告しないと)
シュヴァルとしては怖いお兄さん達に面と向かって立ち向かうのは嫌なのだが、それでも惨劇を回避するために行動せざるを得ないだろう。アムリタを手で制しつつ、ごろつき三名に向き直る。
「一応警告しておきますが、あんまり僕達に絡まない方がいいですよ。大変な事になりますから」
「あぁ? 見た目の割に随分度胸があるな、お前。実は見かけによらず腕っ節が強かったりすんのか?」
「そうでは無いんですけど……」
「金を出したくねぇんなら、体で払ってもらってもいいんだぜ? な、そっちの綺麗なお嬢ちゃん」
ごろつきの一人がそう言うと、もう一人がアムリタに素早く近づいて羽交い締めにする。アムリタは特に抵抗する様子は無いが、そこで異変が起こる。
「へへ、姉ちゃん、綺麗な髪してんな……って、あれ!?」
アムリタを羽交い締めにした男は、恐らく彼女の綺麗な髪の匂いでも嗅ごうとしたのだろう、髪を引っ張ると、アムリタの首がごきりと折れた。
「えっ!? あ、あれ!? く、首が折れた!?」
「馬鹿野郎! いくらなんでもいきなり殺す奴があるか!」
「ち、違う! そんなに強く力は入れてねぇよ!」
「じゃあ何で首が折れるんだよ!?」
ごろつき達はパニックに陥っていた。彼らは基本的には悪人だが、余程の事が無ければ人殺しはしない。なので、いきなり女性の首がへし折れれば当然困惑する。
そんな中、一人だけ冷めた表情をした人間がいた。赤銅のシュヴァルだ。
「あーあ……」
シュヴァルはこめかみに指を当て、嘆息した。その様子を、悪人たちは畏怖の表情で見る。
(な、なんだこいつ!? 目の前で連れが殺されたってのに、なんでこんな平然としてやがる!?)
首の折れたアムリタは既に地面に放り出されていたが、シュヴァルがアムリタに一歩近づくと、男達は怯えたウサギみたいに後ろに飛んだ。先ほどまでの威勢は完全に消え失せている。
「大丈夫かい? 君はまだ不安定だから、立ち振る舞いには気をつけないと」
シュヴァルは地面に座り込むと、アムリタの首の位置をごきごきと直す。
「すみません。もう大丈夫ですから」
「い、生き返った!?」
悪党たちは目が飛び出るほど驚いた。折れた首を元の位置に戻しただけで、死んだはずの女は平然と動き出した。それはもう、怪異としか言えない現象だった。
シュヴァルはアムリタを助け起こすと、男達の方に体を向けた。その瞬間、男達はびくりと身を震わせる。もはやシュヴァルに対する感情は、得体のしれない恐怖のみだ。
「えーっと……その、なんと言いますか。今のは見なかった事にしてもらえると非常にありがたいんですが……」
シュヴァルは男達に懇願する。まずいところを見られてしまった。アムリタがゴーレムで体を誤魔化しているとばれると、シュヴァルは間違いなく追放されるだろう。とはいえ、放置しておくわけにもいかなかったし、見られてしまった物は仕方ない。
「も、もちろんだ。ぜ、絶対に喋らない! だから許してくれぇ!」
男達のまとめ役らしき輩が、泣き叫びながら地面に頭を擦りつけて絶叫した。急に態度が豹変した男にシュヴァルは眉をひそめたが、まあ、目の前であんなものを見せられたらホラーだろう。
「それならいいんですが。では、僕たちは急いでいますので」
そう言って、シュヴァルとアムリタは何事も無かったかのように通り過ぎた。シュヴァルを襲った男達は、ただもう恐ろしくてガクガク震えていた。
「ば、化け物だ……」
男の一人がそう呟くと、他の二人も同調するように首を縦に振った。あの男は人間じゃない。もっと恐ろしい何かだ。
「あのさ、アムリタさん」
「何でしょう?」
男達から大分離れた所に着いてから、シュヴァルはアムリタに向き直る。
「アムリタさん、なんで羽交い締めにされた時に振り払わなかったんですか? あなたの力なら簡単に出来たでしょ?」
「はい。でもほら、乙女としてシュヴァルさんに助けて欲しいな、なんて思っちゃってつい。まだ安定してないから首が曲がっちゃって、結果的にはしたない姿を見せちゃいましたけど……きゃっ、恥ずかしい」
きゃっ、とか言われましても。というのがシュヴァルの内心での感想だった。確かにアムリタは可愛らしい外見をしているが、やはり首が取れる侯爵令嬢とねんごろになるのはやめようと、固く決意した。
「さて、多少トラブルもあったけど、お陰で早く学院に着けた。これからが本番なんだけど……」
「大丈夫です。私、こう見えて意外と弁が立つんです。きっとそのヴィオラっていう人と上手くやりますから」
「だといいんだけど……」
妙なトラブルに巻き込まれたが、むしろこれからが本番だ。
シュヴァルは覚悟を決め、アムリタを引き連れて錬金術学院の門をくぐった。