第3話:美少女アナスタシア
「なーなー、今日は美少女計画を進めないのか?」
くいくいと袖を引っ張られる感触に、シュヴァルは回想から現実世界に引き戻された。下を見ると、アナスタシアが不満げな表情でシュヴァルを見つめていた。
「美少女計画って……君はもう充分に美少女になってるだろ」
「いや、私が目指すのは究極の美少女なんだ。今は美幼女だから、美少女と美女もカバー出来るようにならないと」
「君の思考回路が理解出来ないよ」
シュヴァルは溜め息を吐いた。
旧アナスタシアが「美少女にしてくれ」と訳のわからない事を言いだしたが、シュヴァルは最初拒否した。旧アナスタシアが「異世界に来たのに、美少女になれないなら生きている価値が無い」と、本気で自死しそうだったので、シュヴァルはその条件を飲む事になった。
とはいえ、シュヴァルの専門分野はゴーレム錬成である。肉体の錬成に関してはあまり自信が無い。
グルナディエ錬金術学院は五年制で、最初の二年で各分野の基礎を学び、残りの三年で専門分野に進む。これは、入学当初に方向性が固まらない者や、最初とは違う分野に興味が湧いた錬金術師の卵に対する猶予期間である。
なので、シュヴァルも別分野の肉体錬成の基礎知識はある。だが、それはあくまで基礎の基礎。死ぬ可能性だってあると諭したのだが、旧アナスタシアは「死が怖くて美少女などやってられん」という超理論でごり押しした。
結論から言うと、アナスタシアは驚くほど簡単に美少女になる事が出来た。
「君の体は弄りやすいよ。君は魔法の無い世界から来たから、錬成時に邪魔が入らないんだ」
「何だっけ? 確か大体の人間に魔力があって、それが抵抗になるんだっけ?」
「そう。君の体はすごく魔力を通しやすいんだ。だから素人の僕でも成功した。それに、人から人への体の改造は、鉄を金に変えるよりは楽だからね」
そこまで言った後、シュヴァルは「でも」と付け加える。
「あくまで僕はゴーレム錬成師だよ。これ以上君の体を弄ると、元に戻れなくなるかもしれない」
「とりあえずオッドアイを試したいんだよね。ほら、両目で色が違う奴」
「人の話を聞けぇぇぇー!」
シュヴァルは思わず怒鳴った。せっかく施術のリスクを話しているのに、アナスタシアは遥か先を見通していたのだから無理もない。
「親から貰った大切な身体とか、自分が別者になっていく恐怖感とか無いの?」
「無いよ」
即答だった。
シュヴァルを真っ直ぐに見つめる瑠璃色の瞳には一点の曇りも無かった。
シュヴァルとしては、出来れば曇っていて欲しかった。
「私の居た世界では、おっさんはみんな美少女になりたがってるんだ。美少女になってキャッキャウフフする、なんていうか……こう、キラキラした人間になりたいんだ」
「み、皆がそうなの?」
「そうだよ」
違うよ。アナスタシアがおかしいだけだよ。
だが、所変われば常識も変わる。シュヴァルは納得しかねたが、そう思うしかなかった。
「何にせよ、今日やる気は無いよ。僕はこれからゴーレムの論文を書かないとならない」
「えぇー! 土人形より、絶対に美少女精製の錬金術師のほうが才能あるのに」
「そんな才能いらないよ。僕がやりたいのは優れたゴーレムの作成なんだ」
「もちゅ! もちゅ!」
「ほら、モチョだって『美少女を錬成しろ』って言ってるぞ!」
「多分、早く餌をよこせって言ってるだけだと思うよ」
いつの間にか、アナスタシアの足元には白い毛玉のような動物がすり寄っていた。
先ほど研究所の前でアナスタシアと遊んでいた奴である。
大きさはサッカーボールより一回り大きい程度。まん丸の体はふわふわの白毛で覆われ、そこから申し訳程度に手足が出ている。超肥満体のウサギという表現が最も近いのだが、ネズミの仲間の一種だ。
触るともちもちしている所と鳴き声から、アナスタシアが『モチョ』と名付けた。
外敵に襲われると短い手足を亀のように体毛に引っ込める。柔らかな毛の下には分厚い脂肪の層があり、衝撃を受けると毬のようによく跳ねる。足が遅い分、攻撃された衝撃を利用し逃げるので『毬鼠』と呼ばれている。
人によく慣れ、丈夫で繁殖力もあるので、主に実験動物として飼われる事が多い。
シュヴァルもそのつもりで飼ったのだが、愛らしい動物を実験に使う事が出来なかった。生体実験は、命を冒涜する行為に思えたからだ。
こういう点でも、シュヴァルは錬金術師に向いているとは言えない性質を持っていた。だから率先して人体錬成をねだってくるアナスタシアの思考は、シュヴァルとしては度し難い。
「もー、シュヴァルは分かってないなぁ。世界中に美少女が溢れれば、みんな幸せだろ?」
「分からなくていいよ。まあ、アナスタシアには感謝はしてるけど」
旧アナスタシアを召喚して一ヶ月ほど経ってから、シュヴァルはグルナディエ錬金術学院に書類を送った。召喚術を行った際には、必ず届け出をする決まりがある。
その際、シュヴァルは旧アナスタシアを『召喚獣』と記した。シュヴァルの生活費はカツカツだったので、ゴーレムに関するレポートと合わせて送ったのだ。
その結果、普段まったく見向きもされないシュヴァルの研究所に、即座に中央から何名か調査員が来た。
当時のアナスタシアはまだ男性だったので、簡単な質問をされただけだった。
だが、その時から何故かシュヴァルに対する出資額が跳ねあがったのだ。さらに今日に至っては、最高クラスの錬金術師が出向いてくる始末である。
「やっぱり、召喚術に成功したっていうのが大きかったのかな。君のお陰で僕の論文も読まれるようになったみたいだし。今日なんか『真の研究に期待している』なんて言われちゃったからな」
シュヴァルはグラナダに掛けられた言葉を思い出し、顔のにやつきを抑えられなかった。
確かに召喚術のインパクトは大きかっただろうが、シュヴァルの『真の研究』はゴーレムに関する事である。これはつまり、自分がやってきた研究が認められつつあるという事だろう。
「まあ、私は美少女になれて。シュヴァルもやりたい事が出来るならハッピーハッピーだな。というわけで、早速美少女に関する研究を……」
「だから僕の専門はゴーレムだって言ってんでしょ。それに、君の体の錬成は出来ても、それ以上の改造は僕の知識だと難しいと思う」
「えぇー、じゃあ、どうすりゃいいのさ」
「合成獣とか生命倫理の専門家なら何か分かるかもしれないけど。僕はコネが無いからなぁ」
「じゃあ、シュヴァルが成り上がって、そのナントカっていう専門家に会えるようになれば、私の究極美少女計画も先に進むって訳か」
「可能性はある……っていうか、究極美少女計画って何?」
「そりゃ、究極の美少女を目指す事だよ。残念だけど、美少女って劣化しちゃうんだよね。美幼女から始まって、美少女になるだろ? で、美女になって熟女になるけど、最後は老婆になっちゃうワケ」
「自然の成り行きだよ」
「でもそれじゃ駄目なんだ! 私は永遠に美少女でありたい! いや、美少女だけではない! 美幼女から美女まで、いつでも好きな時に好きな姿になれる、ハイブリッドな身体になりたいんだ」
「そ、そうなんだ……」
もう訳が分からないので、シュヴァルは曖昧に頷いた。
アナスタシアが幼女の姿をしているのは、成長を加味しているからだ。
大人だった旧アナスタシアの体なら、性転換するにしても美女あたりで留めた方が負担が少ない。
だが、アナスタシアはあえて幼女の姿を希望した。
子供から大人になる事は出来るが、大人から子供になるのは難しいからだ。
某ボールに入ったモンスターも進化は出来るが退化は出来ない。
「とにかく、私もシュヴァルには感謝してるぞ。うだつのあがらないおっさんから、美少女に変えてくれたシュヴァルは天才錬金術師だ。私が保証するぞ!」
「もちゅ! もちゅ!」
「ほら、モチョだって『シュヴァルは天才だ』って言ってるぞ!」
そう言って、アナスタシアはモチョを抱きかかえながら輝くような笑みを浮かべた。
アナスタシアは最近、本当によく笑うようになった。
多分、自分が本当に望んでいたものを手に入れたからだろう。
「はは、そうかい。ありがとう」
シュヴァルは苦笑する。自分にはまるで理解出来ないが、感謝されるのは悪い気持ちはしない。
「何にせよ、僕の真の研究に期待してくれてる偉い人のためにも、ゴーレムの研究を頑張らないといけないな」
「そうだ! シュヴァルならやれば出来る! そしてその暁には私を究極の美少女に……」
「それは後回しね」
シュヴァルがそう言うと、アナスタシアは頬を膨らませた。
一通り話が終わると、シュヴァルとアナスタシア、それにモチョは研究所の中に帰っていった。
――同時刻、帰路についているグラナダとヴィオラ達も、シュヴァルとアナスタシアについて話をしている最中だった。