第29話:巨悪
「以上が、魔の森で赤銅のシュヴァルが起こした事の報告になります」
「ふむ……」
グルナディエ錬金術学院本館、その学長室の中で重々しい声が響く。
室内に居る人物は三名。
老練の錬金術師であり学長ラウレル。若き俊英グラナダ。
そして、最年少で「銀」の称号を得たヴィオラ。
報告書を読みあげたグラナダに対し、ラウレルは溜め息のような生返事をした。
錬金術師がギルドの依頼を解決した場合、錬金術学園にも報告が上がるようになっているが、ここまで分厚い報告書は初めてだった。そして、その報告書の厚みが薄く感じるくらい、濃厚な内容だった。
「信じられません。死者を生き返らせるなんて、何かカラクリがあるに違いありません!」
「そのカラクリとは?」
狼狽するヴィオラの声に対し、ラウレルが鋭い目つきで彼女を見る。
「そ、その……例えば、アムリタさんの影武者を用意しておいた、とか」
「それは無い。ヴィオラの信じたくない気持ちは僕も理解出来る。だから、僕はアムリタさんの所に直接出向いて確認した。紛れもなく本人だよ」
ヴィオラの答えを否定するように、グラナダが呟く。
仮に影武者を用意したとしても、魔力までも真似る事はまず不可能だ。
アムリタは癒しの力を持っていて、それは今も使う事が出来た。
それこそが本人である何よりの証明である。
「で、でも! 一体どうやって!? そんなの、おとぎ話や神話でしか見た事がありません!」
「だが、事実アムリタさんは蘇った。これは紛れもない事実だ。だが、シュヴァルは決してその方法を口にしないそうだ」
そう言いながら、グラナダは重くて持つのも大変なギルドの報告書のページをぱらぱらとめくる。
アムリタを生き返らせたものの、シュヴァルは決してその方法を漏らさないという。
もちろん、シュヴァルからすると、スケルトンにしちゃった上に肉をかぶせてごまかしたなんて死んでも言えなかっただけなのだが。
「まあ当然じゃな。そのような奇跡をおいそれと他人に教えるわけがない。錬金術師にとって知識とは、武器でもあるのだからな」
学長室の机に両肘を突きながら、ラウレルはそう述べた。
一体どのような手段を使ったのかは分からないが、事実は事実として受け入れるしかない。
だからこそ、ギルドに頼みこんで異常に細かい報告書を作成してもらったのだ。
あの恐るべき赤銅の錬金術師が、どのような絡め手を使い、何を企んでいるのかを知るために。
そして、ラウレルはその手掛かりと、シュヴァルの目的を少しずつ解き明かしていく。
「報告書によると、確か、シュヴァルの奴隷のアナスタシアが『死人の出ていない家から豆を貰ってくれば復活が可能』と言っていたらしい。これは間違いないな?」
ラウレルがグラナダに再確認すると、グラナダが首を縦に振って肯定する。
「そして、その結果、死人を出していない家はゼロだった。だから、シュヴァルは不死の吸血鬼の住む森に潜入し、アムリタを蘇生させた。これも間違いないな?」
グラナダは再び無言で肯定する。
「ふむ……なるほど、少しだが謎が解明した」
「ラウレル様、僕もなんとなく理解出来た気がします」
「え? え? ど、どういう事ですか?」
ラウレルとグラナダはシュヴァルの思惑に気がついたようだが、ヴィオラは未だにさっぱり分からない。ヴィオラに解説するのと、意見の交換のため、まずラウレルが口を開く。
「ヴィオラ、冷静に考えてみたまえ。死人のいない家族など、存在すると思うかね? また、たかが豆で、人一人が生き返ると思うかね?」
「どちらもあるわけがないと思います」
「その通り。そこでわしから問題を出そう。では何故、ブロッシェ婦人に対し、シュヴァルはそんなありえない行動を取ったのかね?」
「それは……」
ヴィオラが答えあぐねていると、横に居たグラナダが代わりに口を開く。
「最初からシュヴァルは、吸血鬼に会いに行くのが目的だったのでしょう」
グラナダがそう言うと、ラウレルはその通り、と目で答えた。
「で、でも、何故シュヴァルはそんな回りくどい事をしたんですか? 吸血鬼に会いに行くだけなら、個人で行けばいいでしょう?」
「それだけが目的ならな。だが、奴はそんな生半可な輩ではない。ブロッシェ婦人を挟む事で、メリットが3つ生まれるからだ」
「3つ、ですか?」
グラナダの言葉にヴィオラが目をぱちぱち瞬かせると、今度はラウレルが言葉を紡ぐ。
「まず1つは、ブロッシェ婦人の依頼という形を取ることで、侯爵に恩を売る事が出来るからだ。シュヴァル個人が動くより、はるかに強固な後ろ盾を得る事が出来るだろう」
「で、ですが、豆を使って死者を生き返らせるというのは?」
「それはハッタリさ。シュヴァルは、元から何らかの手段で人の生死を逆転させる手段を見つけていたのだろう」
「そ、そんな! ありえません!」
「確かにな。だが、シュヴァルを普通の錬金術師と考えるのは愚かだ。あの男は、異世界人トシアキを平気で実験材料にし、今もアナスタシアという魔無しの少女を犠牲にしている。我々の思いも付かない何かを掴んでいる可能性が高い」
「そんな……」
なんという事だ。あの痛々しい首輪を嵌められた少女が、そのような恐るべき実験までされていたとは。ヴィオラは同性として、腸が煮えくりかえりそうだった。
「落ち着きたまえ。ヴィオラ、まだ話は終わっていない。次に2つ目のメリットだが、これは最初に述べた通りだ。奴は吸血鬼と同盟……ないし配下に加える事が出来た」
ラウレルの言葉に、グラナダは再び報告書をめくり、最後の方のページを読みあげる。
「ええ、学長のおっしゃる通りです。シュヴァルは魔の森に入っても傷一つ負わず、アールマティーという吸血鬼と契約をしたと言っています。こちらも契約内容は伏せておりますが」
これもまたシュヴァルにとっては悩みの種なのだが、アルマとモチョの契約を話してしまうと、芋づる式にアムリタスケルトンの正体がばれてしまうので、ひたすら黙っているだけである。
だが、残念ながら頭脳明晰な集団には、間抜けすぎて逆に想像が付かなかった。
「お二人のおっしゃっている事は理解出来ました。私もまだまだ未熟です。ですが……もう一つだけ教えて下さい。3つ目のメリットとは?」
ヴィオラは錬金術師としては優秀であるが、まだ年若い少女だ。
権謀術数には疎い。
ラウレルはグラナダの方を振り向く。ヴィオラに話してやれという合図だ。
「……国民の錬金術学院への不信感を煽ることだ」
「な、なんですって!?」
ヴィオラは目を見開いた。
何故、シュヴァルは自らが属している組織を貶めるような真似をするのか。
それ以前に、シュヴァルがアムリタを生き返らせる事が、何故、錬金術学園の不信へと繋がるのか。
「いいかい? 僕たちはシュヴァルに対し『赤銅』の称号を与えた。これは、シュヴァルにあまり権限を与えてしまうと、何をしでかすか分からないからだ。それは君も分かっているだろう」
ヴィオラは頷く。これはヴィオラも把握している情報である。
だが、さらにグラナダは言葉を紡いでいく。
「さて、今回シュヴァルは前人未到の奇跡をやってのけた。そう、ラウレル学長も、金のグラナダも、銀のヴィオラもやれないような事をね。そんな人間に対し、赤銅の地位しか与えない組織を、何も知らない国民はどう思う?」
「あっ……!」
そこまで言われ、ヴィオラはようやく合点が行った。
シュヴァルは、自ら訴えるのではなく世論を味方につけようとしているのだと。
「そういう事だ。わしらがこのままシュヴァルを赤銅のままにしておけば、世間はなんてケチな集団なんだと上位陣を責めるだろう。そうなればシュヴァルは権力に媚びない人間として平民達の英雄になる事が出来る。かといって、わしらが奴を安易に上位の位にしてしまえば、奴は組織内でさらなる力を得ることになる」
「そんな……なんて事なの……」
どちらに転んでもシュヴァルの権力を強化してしまうではないか。
「さらにそれだけではない。先ほども言ったが、シュヴァルは既に聖獣ユニコーンと吸血鬼アールマティーを配下に加えている。奴は、少しずつその勢力を拡大しているのだ」
ラウレルは嘆息しながらそう呟いた。
それは、光の差す美しい海はほんの表層で、暗黒の深海では恐るべき量の水が渦巻いているのに似ている。表には決して見せないが、その闇は計り知れない。
「巷では、奇跡を起こしたシュヴァルを『奇跡の錬金術師』と呼ぶ者もおるそうだ。だが、わしらからすれば、奴はとてつもない『悪魔の錬金術師』だ。わしですら、奴が何を考えているか、ごく一部しか分からん」
何十年もの間、学長として多くの錬金術師を見て来たラウレルが、そんな事を呟くのを見るのはグラナダもヴィオラも初めてだった。
「いずれにせよ、このままでは錬金術師や魔術師などという争いでは済まないだろう。シュヴァルは、それ以上の物を狙っているに違いない。でなければ、聖獣や吸血鬼などと手を組む理由がない」
「まさか……あの男は、世界を狙っている?」
ヴィオラは大真面目にそう言った。
他の者がそんな事を企んでいたら、子供かと馬鹿にするだろう。
だが、あの得体の知れない男が絡んでいると、何故か急に現実味を帯びてくる感じすらある。
「では、具体的にどうされるのですか?」
「……しばらくは泳がせておくしかないだろう。まだ調査をしていない物も多いからな」
「そんな! あの男を、これ以上野放しにしておいては危険です!」
「急いては事を仕損じる。ヴィオラ、くれぐれも勝手な行動をするでないぞ」
ラウレルの言葉に、ヴィオラは身を乗り出しそうになるが、グラナダがそれを右手で制する。
そして、とりあえずの情報のすり合わせが終わり、二人は学長室を後にした。
「グラナダ様、ラウレル様の意見をどう思われますか?」
「僕はラウレル様の意見に賛成だ。シュヴァルを相手にするのは、恐らく想像以上に難しいだろう」
グラナダはそう言うと、疲れた様子で一足先に廊下を進んでいった。
ヴィオラはというと、学長室の扉の前で立ちつくしている。
「……確かに、ラウレル様やグラナダ様の意見も分かるけれど」
自分よりもずっと優れた二人だ。きっと、彼らのほうが正解に近いのだろう。
「でも、やっぱりこのままにしておけない!」
頭では分かっていても、ヴィオラは衝動を抑える事が出来なかった。
娘の死に嘆き悲しんでいる母親の弱さにつけ込み、弱者を平然と実験材料にする悪魔。
奴を野放しにしておけば、それだけ被害が拡大する恐れだってある。
「私が……なんとかしなきゃ!」
巨悪に立ち向かうのは恐ろしい。だが、錬金術師としてシュヴァルを放置してはおけない。
ヴィオラは、悲壮な決意と共に、たった一人で行動する事を決意した。