第25話:吸血鬼と過ごす夜
月明かりのみが闇を照らす室内で、アルマはくすくす笑う。
その視線がベッドに注がれているのを、アナスタシアは目を閉じていても感じ取れた。
「ううん……」
アナスタシアは寝返りをうつふりをして、うなじの部分をアルマの方に向けた。
さあ、思う存分私の血を吸うがよい、という行動の表れであった。
現状でも美少女ではあるが、吸血鬼の眷属というチートパワーは是非手に入れておきたい。
究極の美少女を目指すアナスタシアとしては、属性と能力は多ければ多いほどいい。
最終的にその場の状況に応じて外見をフォルムチェンジ出来るようになるのが理想である。
そんなアナスタシアの考えに気付かず、アルマは足音を殺しながらベッドの枕もとに立つ。
「うふふ、本当に愛らしい寝顔だこと……」
小さくそう呟き、アルマはゆっくりとアナスタシアの顔に手を伸ばす。
「もちゅちゅー!」
そして、アナスタシアの枕の横で丸くなっていた、モチョを優しく抱き上げた。
「待てぇい!」
その瞬間、アナスタシアが飛び起きる。クール系美少女を演じる事すら忘れていた。
「何よ? うるさいわね」
「いや、それ、ネズミだよ?」
「見ればわかるわよ」
「そうじゃなくて、その、ほら、こういう時にする事があるんじゃない?」
「えーと……ああ、起こしてごめんなさいね。ほら、謝ったわよ」
「違ぁう!」
アナスタシアはつい大声で否定してしまった。
この状況はおかしい。あってはならない。
「だから、アルマは吸血鬼なんでしょ? こういう時、美少女の血を吸うのがセオリーじゃない?」
「知らないわよそんなの。私、血は嫌いって言ったでしょ。それに何より、あんた、普通の人間じゃないでしょ」
「確かに、私は普通の人間じゃなくて、美少女ではあるけど……」
「ウソ付かないで。私、吸血鬼と獣のハーフだから、ママほどじゃないけど鼻は結構利くの。あんた、なんか血の匂いが古臭いのよ」
アルマの指摘に、アナスタシアはベッドから転げ落ち、そのまま床の上で絶望した。
現状、アナスタシアは外見を無理矢理美少女に整えているだけで、パーツの大部分はおっさんのままだ。チェーン店の牛丼の肉をいくら上手に加工しようと、A5ランクの霜降り牛にはならない。
「ううっ……! シュヴァルの野郎、手抜き工事しやがって……!」
アナスタシアは涙を流しながら、両手で床をどんどん叩く。
そんなアナスタシアの言動を不可解に思いながら、アルマは腕の中で丸くなっているモチョを優しく撫でていた。
「うるさいなぁもう。夜中に騒がないで欲しいな」
そうこうしているうちに、シュヴァルとハイエースがアナスタシアの部屋に入って来た。
その瞬間、アナスタシアは涙ながらにシュヴァルに対し訴える。
「シュヴァル! このあざとい女が、私の匂いが古臭いって! うわーん!」
「……ごめん、状況がよくわかんないんだけど」
「私もよく分からないんだけど、その子、ちょっとアレなんじゃない?」
アルマが人差し指で自分の頭を指し、くるくると回した後、パーを作る。
「その点は僕も同意するんだけど、なんでこんな状況になってるのかな?」
シュヴァルに促され、アルマはこの部屋に忍び込んだ理由を説明しだす。
「うちに来る途中で散々見たと思うけど、魔の森にはごつくて可愛くない動物しかいないのよ。コカトリスもそうだけど」
「この森で魔獣以外の生物が野生で生きていくのは難しいだろうな。私とて警戒が必要だ。か弱くて愛らしい動物など捕食対象にすぎん」
ハイエースの言葉に、アルマは頷く。
「そう、それで初めてこの子を見た時、ときめいちゃったのよ。ああ、こんな可愛い生き物がこの世界にいるんだって」
「もちゅ~……」
アルマは実に嬉しそうに、両手で抱えたモチョに頬ずりする。
モチョはなんだか困っているようだが、抵抗せずにされるがままになっている。
「でも、私って昼があんまり得意じゃないのよ。だから夜のうちにこっそり遊ぼうかなと思ったのよ。ねえ? この子、もらっちゃダメ?」
「も、もちゅ!?」
アルマの発言に、モチョは困ったように鳴いた。
「うう……ネズミに負けた……ネズミに負けた……」
一方、さっきからアナスタシアは部屋の隅っこで体育座りをしながら泣いていた。
心なしか、アナスタシアの周辺だけ瘴気が漂っているような気がする。
「それは困るな。モチョは私にとって大事な友人だ。代わりにあの小娘ならやってもいいが」
「あれはいらない」
「そうだな。モチョに対して失礼な事を言ってしまった」
勝手に取引材料にされ、しかも取引拒否されたが、アナスタシアは落ち込んでいる真っ最中だったので、話がスムーズに進む。
「そっか……でも、仕方ないわね。この子だって、ご主人様と別れたくないもんね……」
アルマは寂しそうに、モチョのぷにぷにするお腹を撫でていた。
落ち込むその姿は、欲しいものが手に入らない人間の少女と変わらないように見えた。
「じゃあ、こういうのはどうかな? モチョはあげられないけど、代わりの毬鼠を僕が買ってきてあげるよ」
「えっ!? い、いいの!?」
「うん。もともと毬鼠は実験用の動物だけど、ペットとして飼う人も多いんだ。丈夫で温厚だし、良く懐くからね。僕もモチョは研究用として買ったんだけど、生命倫理とかと違って、僕の専攻はゴーレムだからあまり必要無いし、飼ってるうちに愛着が湧いちゃってね」
「ネズミに負けた……ネズミに負けた……」
「ほ、本当にいいの!? あ、ありがとうシュヴァル!」
「大丈夫だよ。泊めてもらったし、コカトリスの肉なんてごちそうも振る舞ってもらったしね。毬鼠は子供でもおこづかいを貯めれば買えるくらいの値段だし。魔の森の入口まで引き取りに来てくれるならだけど……」
「行く行く! 絶対行く!」
アルマはやったー、と片腕でモチョを抱きながら、もう片方の手を天に伸ばし目一杯の喜びを表現した。その純粋な喜びっぷりに、シュヴァルとハイエースの頬も思わず緩む。
「じゃあ、何かお礼をしてあげるわ。そうだわ! あんた達、確か死者を生き返らせにここに来たんでしょ?」
「厳密に言うと、断る理由づくりだけどね」
「じゃあ、私が反魂で、そのアムリタって子を生き返らせてあげる」
「ええっ!?」
シュヴァルは仰天した。
ネズミ一匹をペットに差し出すだけで人間の命と交換とは、レートが違いすぎる気がする。
「いいのよ。パパとママに、『恩を受けたらきちんと返しない』っていつも言われてるし、パパほどじゃないけど、私だって誇り高き吸血鬼なのよ。ハーフだけど」
「うーん、何だかこっちが得をし過ぎている気もするけど……」
「もちゅ!」
「モチョは、『この娘は邪悪な存在ではない。私の同胞もきっと気に入るだろう。ブロッシェ婦人の事を思えば、好意に甘えるべきではないか?』と言っているぞ」
相変わらずの圧縮言語をハイエースが翻訳すると、シュヴァルは少し逡巡し、アルマをまっすぐに見つめる。
「じゃあ、お願いしようかな。もしもアムリタさんが生き返るなら、それが一番ブロッシェ婦人も喜ぶだろうからね」
「交渉成立ね。じゃあ、早速儀式を開始しましょ。月の出ている夜の方が、私の力も発揮しやすいからね」
そう言って、アルマはモチョを抱っこしたまま、スキップしながら部屋を出ていく。
シュヴァルとハイエースは、苦笑しながらその後を追う。
「ところでシュヴァルよ、あれはどうする?」
「あれ?」
ハイエースが首を向けると、相変わらず部屋の隅っこでアナスタシアが体育座りで固まっていた。
「しばらく放っておけばいいよ。どうせすぐ立ち直るから」
「そうだな。では、さっさとアムリタを生き返らせてもらうか。癒し系美少女がどのような姿か、私も興味があるからな」
アナスタシアを放置し、シュヴァルとハイエースは部屋を出ていった。