第22話:吸血鬼の住処
「お客さんなんて何百年ぶりでしょう。大したおもてなしは出来ませんが、是非うちへどうぞ」
吸血鬼ダンディーは満面の笑みを浮かべ、ほとんど光の差さない森をすいすい案内する。
吸血鬼の誘いを断る勇気もなく、モチョ以外にリーダーの資質を持った存在がいないので、暫定リーダーのシュヴァルは、仕方なくダンディーについていく選択をした。
魔の森では凶暴な魔獣が大量に湧いてきたが、ダンディーが全部ワンパンでぶっ飛ばしたので、シュヴァル一行は何の苦もなく森を奥へ奥へと進んでいく。
吸血鬼のテリトリーであり、かつ視界の悪い暗黒の森。
ここまで進んだ冒険者は恐らく皆無であろう。
前人未到の領域に、シュヴァルとアナスタシア、あとハイエースとモチョは踏み入れる。
冒険者たちも、まさかネズミに後れを取るとは思ってもみなかっただろう。
「この辺りは魔力が強いので森の雰囲気も陰気ですが、ここを抜ければ明るい開けた場所に出ますので、ご安心を」
あからさまに不安そうな表情をしているシュヴァルに対し、ダンディーは安心させるように笑いかけた。
「その、ダンディーさんは僕が思っていた吸血鬼と大分イメージが違いますね」
「そうでしょうか? まあ、確かに一般的な吸血鬼とは違うかもしれません。昔に比べて、大分イメチェンしましたからね」
シュヴァルの問いに、ダンディーは何故か嬉しそうに白い歯を見せて笑う。
「私もダンディーさんを見て驚きました。日焼けした吸血鬼なんて初めて見たもので」
アナスタシアもシュヴァルの意見に追随した。
日本育ちのアナスタシアとしては、やっぱり映画や漫画などのドラキュラのイメージが強い。
イメチェンしたと言っているし、やはり本来はそちらに近い存在ではあるのだろう。
「まあ、私の経歴はうちでお茶でもしながら話しましょう。時間はたっぷりとありますから。そろそろ私の家に着きますよ」
真昼なのに夜のように暗い森の先に、一条の光が差しているのが見えた。
恐らく、あの茂みの向こうにダンディーの家があるのだろう。
「もしかして、吸血鬼だから悪魔城に住んでたりして」
「そういう怖い事を言わないで欲しいな」
アナスタシアが軽口を叩くと、シュヴァルが表情を曇らせる。
ダンディーはさわやかな好青年といった感じだが、吸血鬼である事は間違いない。
ハイエースでもあまり相手にしたくないと言っているのだから、シュヴァルなど秒殺だ。
――そして、茂みを抜けた先には、巨大な古城があった。
かつてはさぞ荘厳であったのだろうが、現在は城壁は崩れ落ち、茨でびっしりと覆われている。
上空には巨大なカラスのような、コウモリのような魔獣が飛びかい、耳障りな鳴き声を上げながら徘徊している。いかにも闇の眷属が住まう場所のように見える。
「うわぁ……マジだった」
「ほら! やっぱり君がふざけた事言うから!」
「私が言っても言わなくても、古城はあったんだから私のせいじゃない」
シュヴァルとアナスタシアはドン引きしていた。
リアルお化け屋敷にリアル吸血鬼付きのこんな場所、死んでも入りたくない。
というか、入ったら絶対死にそうだ。
「ああ、それはただの古城ですから、気にしないでください」
「えっ?」
アナスタシアがきょとんとした表情でダンディーを見る。
ダンディーは、照れくさそうに頬をかいた。
「この古城は、数千年前に私を召喚した者たちが住んでいた場所です。ですが、見ての通り既に没落してしまいましてね、怪物以外は誰も住んでいませんよ」
「ダンディーさんは、ここに住んでいないんですか?」
「もちろんですよ。こんな陰気くさくて恐ろしげな場所に、愛しい妻と娘を住まわせられる訳が無いじゃないですか。第一、三人暮らしでは広すぎますしね」
至極まっとうな意見を言う吸血鬼に対し、シュヴァル一行はなんと答えたものか分からず、結局、はぁ、と曖昧な相槌を打つだけだった。
「私達一家は、裏手にある小屋に住んでいるんですよ。元々は城の使用人たちが住んでいた場所でしたが。私としては巨大な城より家族の暖かさがあるあちらのほうが好きです」
そう言って、ダンディーはおどろおどろしい古城をスルーし、裏庭に回った。
そこには、先ほどまでの世界とはまるで違う世界が広がっていた。
小屋といっても、ちょっとした屋敷くらいはある石造りの建物は、城と違ってピカピカに磨かれていた。緑の芝生は綺麗に整い、雑草が全く見当たらない。日の光がさんさんと降り注ぎ、屋根の部分が輝いて見えた。
そして、余ったスペースには、古城でかつて使われていたウシやニワトリ小屋が流用され、中には家畜達がのんびりと餌を食べている。しかも、家庭菜園らしき畑もある。
さらに、古城の噴水部分を利用したのか、澄んだ水の中には観賞魚まで放流されていたし、別のスペースには色鮮やかな花畑が作ってあった。
素朴ではあるが、貴族の庭よりも清らかな雰囲気を漂わせる素晴らしい環境だった。
「おお、これはすごい」
「でしょう? いやぁ、自慢しようにもお客さんが来ないので。これは全て私と妻が協力して整えたんです」
シュヴァルが嘆息すると、ダンディーは得意げに胸を張った。
「私達はここにこもりっきりで、ガーデニングや改装くらいしかやる事が無いものでして。今ではすっかり日曜大工のプロですよ」
「はぁ……それはすごいですね」
吸血鬼が日曜大工というのが妙な感じがして、シュヴァルは気の抜けた返事をした。
ただ、シュヴァルとアナスタシアの警戒心は徐々に薄れていく。
「もしかして、あれはただの噂だったんですか?」
「噂とは?」
「何人もの命を奪った、恐るべき不老不死の吸血鬼という噂のことです」
アナスタシアが聖女モードでダンディーに問い掛けた。
聖獣ユニコーンも実際に会ったら俗物だったし、ダンディーも噂だけが先行してしまった被害者かもしれない。
「いや、これもお恥ずかしい話なのですが、数百年前まではバンバン人を殺してましたね」
「えっ」
ダンディーが苦笑しながらそう言うと、シュヴァルとアナスタシアの緩んでいた警戒ゲージが再びマックスになる。
「数百年前、私はそれはもう邪悪な吸血鬼でした、この古城を拠点とし、城主と契約し、夜な夜な人を襲いました。ここの城主は冷酷な人間で、歯向かう者には私をけしかけました。私としても、殺人衝動を発散できたので、ある意味でよき関係だったのでしょう」
そんな血なまぐさいよき関係は嫌だと突っ込みたかったが、シュヴァルとアナスタシアは黙っていた。
「しかし、それなら何故、ダンディーはその生き方を変えたのだ? 別に力が衰えた訳ではないのだろう?」
皆の疑問を、ハイエースが代表して口に出した。
もしかして好青年を演じていて、実はテリトリーに入った人間を誘い込む寸法だったのかもしれない。ならば警戒せねばと考えたらしかった。
「実は妻と出会い、私は変わろうと決心したのですよ」
「妻?」
「あら、あなた? 薬草を取りに行ったんじゃなかったの? 随分と帰るのが早かったわね」
ダンディーが言葉を続けようとすると、不意に美しい女性の声がした。
そして、その声のした方向に全員の視線が釘付けになる。
声の主は、恐るべき野獣だった。
獅子の頭を持ち、全身が黄金の毛皮に覆われている。毛皮の下にははちきれそうな筋肉が付いているのが見てとれる。人間のような手足を持っているが、鋭いかぎづめがある。
だが、外見とは相反するような愛らしいヒヨコのイラストが描かれたエプロンを付けていて、それがかえって不気味だった。
身長は2.5メートルくらいあるだろう。ダンディーも長身だが、並ぶと大人と子供のような体格差がある。
「こちらが私の愛しい妻、エリザベートです」
「ンマー!? お客様!? ようこそ我が家へ。早速おもてなしの準備をしなきゃ!」
「え、ええと……エリザベート……さん?」
「はい、なんでしょう?」
エリザベートと名乗る野獣は、透き通るような声でシュヴァルに話しかけた。
もう、次から次へと想定外の事態が起こり、シュヴァルは泣きたい気持ちだった。
「ええと、エリザベートさんはダンディーさんと、どういう風に知り合ったのかなと」
「あらまぁ、お兄さんってば、照れくさい事聞くのねぇ」
まんざらでもない様子で、エリザベートは巨大な牙をむき出しにして笑った。
「実はね、私は数百年前、この森の長だったの。そこにあの人が出てきて、いきなり襲いかかってきたのよ。そりゃあもう、あの時は、私も全身の毛が逆立つくらい怒ったものよ」
「私も昔は血気盛んだったので、強者との戦いを求めていたんです。だから、雑魚の人間を狩り尽くした後、エリザベートに戦いを挑んだのです。彼女はとても勇ましく、強力でした。戦いは三日三晩続きました。ですが……」
そこまで言って、ダンディーは逡巡し、口を開く。
「その時、私達はお互いに気付いたのです。二人とも、絶対的強者であるがゆえに孤独だった事を」
「そう! それで私達は恋に落ちたのです! ラララ~!」
「嫌だわ。あなたったらお客様の前で! 恥ずかしい。きゃっ♪」
まるでオペラのように巨獣と吸血鬼カップルがダンスしながら歌い出したので、シュヴァルとアナスタシア、ハイエースとモチョまでもが突っ立っている。どう反応しろというのか。
「おっと失礼。こうしてはいられませんな。さっそくお茶の準備をしなくては! すみませんが、もう少し待っていて貰えますかな? なにぶん準備が出来ていないもので、妻と娘とすぐに部屋を掃除しますので! あ、ここは私たちの結界の中ですので、魔獣も入ってこられません。ごゆるりと」
そう言い残し、美男と野獣は彼らの住まいに消えていった。
後に残されたシュヴァル達は、しばし呆然と立ち尽くす。
「シュヴァル、帰っていい?」
「……僕もそう思っていた所だよ」
アナスタシアとシュヴァルの意見が珍しく合致した瞬間だった。
道中危険なのは分かっているが、なんというか、この変な空間に居たくない。
「待て。私は反対だ」
だが、二人の意見をハイエースが遮る。
「ハイエースに負担が掛かるかもしれないけど、でも、相手は吸血鬼と、それと同格の野獣だよ? 万が一彼らの機嫌を損ねたりしたら……」
「そうではない。私の『美少女アンテナ』が、あの屋敷の中から反応しているのだ。うおお! す、すごい美少女度だ!」
ハイエースにはどうやら美少女アンテナなるものが実装されているらしい。
ゲゲゲで始まり太郎で終わるキャラのように、近くに美少女がいるとアンテナが立つのだ。
なお、どこが立つかはあえて記載しないでおこう。
「な、なんだと!? 私以上の美少女がいると言うのか!? クソッ! 錬金サーの姫に加え、また強敵が出現か!?」
「貴様はカテゴリーエラーだ。それはそれとして、美少女がいる以上、確認するまで私はここを動く気はない。それに、道中見た通り、戻るにしても危険なのは確かだろう?」
「そりゃそうだけど……とほほ」
「もちゅ!」
シュヴァルが肩を落としていると、モチョがよじ登ってきてシュヴァルの頬を優しく舐めた。
「ああ、慰めてくれるんだね。ありがとう、モチョ」
実験ネズミ以外、異常者しかいない空間で唯一普通の人間のシュヴァルは、なんかもうやるせない気持ちで一杯だった。なんとかしたいが、自分一人でどうこう出来る状況でも無い。
「お待たせしました。部屋の片づけとお茶会の準備が整いましたので、さあ、どうぞどうぞ!」
あまり時間が経たないうちに、ダンディーが戻ってきてシュヴァル達を手招きする。
こうなったらもう、観念して吸血鬼のおうちに突撃するしかない。
「分かりました。では、ご好意に甘えるとします」
シュヴァルは観念し、絞り出すような声でそう返事した。