第20話:魔の森
前回のあらすじ:適当な事を言ってたら、死人を生き返らせろと無茶ぶりされた
重厚な鎧に身を包んだ騎兵隊が、円陣を組んで街道を進んでいく。
ブロッシェ侯爵夫人お抱えの私兵達で、主の乗った馬車を護衛している。
だが、今日の主役はブロッシェではなく、同じ馬車に乗る錬金術師ご一行だ。
「あの……シュヴァル様、アムリタの遺骨を持っていかれるとの事ですが、一体どのような方法で娘を蘇らせて下さるのですか?」
「そ、それは……その、聞かない方がいいでしょう」
ブロッシェ婦人の問いに対し、シュヴァルはぼそぼそと答えた。
「でも、死者を蘇生するなんて聞いた事が無いので……」
そりゃあそうだろう。シュヴァルだって聞いた事が無い。
シュヴァルは答えなかったのではない。答えられなかったのだ。
アナスタシアの無責任な発言でとんでもない依頼を受け、二日ほどシュヴァルたちはどうしたもんかと頭を抱え、やっぱりどう考えても無理という結論に至った。
だが、とてもじゃないが断れる雰囲気ではなく、シュヴァル達は苦肉の策を取ることにした。
「ご婦人、お気持ちは分かりますが、ご主人様はあなたの事を思って言っているのです。ここから先は闇の領域です。知ればあなたにも死神来るかもしれません」
「そ、そうなんですか?」
「そ、そうなんです。くれぐれも念を押しておきますが、これはかなり難しい行為です。なにせ、生と死を逆転する神技ですからね。いいですか? 失敗する確率の方がずっと高いと思って下さい」
アナスタシアが適当にごまかしたので、シュヴァルもブロッシェにダメ押しで「失敗しても仕方ないよ!」と伝えておく。
今、馬車は吸血鬼の住まう『魔の森』へ進んでいる最中だ。
馬車を用意してくれたのはブロッシェ婦人で、シュヴァルとアナスタシア、それに彼女の膝の上に乗っているモチョを輸送中だ。
ハイエースは体格の関係で、馬車の横で徒歩だ。
あからさまに不満そうだが、馬車馬からしてみれば、馬が馬車に乗らない方が正常に思えるだろう。
「魔の森まで送って貰わなくてもいいんですよ? あなた方は入らないとはいえ、街道も安全とは言えませんし、なんならここで下ろして帰ってもらっても……」
「何をおっしゃるんです! 娘のために吸血鬼の住処に行かれるシュヴァル様達に、私達は足を提供する程度しか出来ないのです。可能な限りお手伝いをさせていただきます」
「はぁ……」
シュヴァルは溜め息とも相槌とも取れる呟きを漏らす。
出来る事なら、この場で置いていって欲しかったのだ。
シュヴァル達が考えた作戦は、『頑張ったけど、頑張りきれませんでした作戦』である。
要するに、とりあえずアムリタの遺骨を預かっておき、なんか色々やった事にする。
でもやっぱり無理でしたと言って、ごめんなさいして依頼料を返すのだ。
最初から無理と言えない以上、何か頑張ったふりをしないとまずい。
というわけで、最初は郊外で数日間適当にキャンプでもして潜伏しようとしていたのだが、遺骨を借りて出発すると伝えたら、ブロッシェ婦人が気を利かせ、魔の森まで送ってくれるという、大変ありがた迷惑な状況になってしまった。
お陰でシュヴァル達は、強制連行される形で魔の森に入らざるを得なくなった。
二日ほど掛けて、シュヴァル達は魔の森の入口に辿り着いた。
何百年も前に、異世界から召喚された吸血鬼が住まう森で、鬱蒼と茂る木々が日光を遮り、暗闇が口を開けて獲物を待っているような、入口からしてやばそうな雰囲気だ。
「で、では、行ってきます。ブロッシェ様はここで待っていてください。後は僕たちで何とかしますので」
「本当は私も付いていきたいのですが……非力な私達をお許しください」
「心配するな。貴様の連れている兵士達より、私の方が遥かに強いからな。護衛は私一人で充分だ」
侯爵夫人に対し、ものすごい上から目線で喋りかけたのはハイエースだ。
性癖と性格は歪んではいるものの、ハイエースは高位の魔獣である。
吸血鬼を除き、魔の森に住まう獣でもハイエースにとっては敵ではない。
「分かりました。では、我々はあなた方が帰るまでここで野営をしています。シュヴァル様、どうか、どうか娘を……」
「ぜ、善処します」
ブロッシェ婦人はものすごい力でシュヴァルの腕を両手で握るが、シュヴァルは笑ってごまかした。そうして、ブロッシェ婦人と兵士達は、馬車に積み込んでいた資材で野営の準備をしていく。
「ああもう、本当に魔の森に来ちゃったよ。ここ、冒険者ですら怖がって来たがらないんだよ? 嫌だなあ嫌だなあ……」
心底嫌そうにシュヴァルは文句を言う。
本当は魔の森に行ったふりをしたかったのに、ここで陣取られていては入らざるを得ない。
荒くれ者ですら恐怖する吸血鬼の森に、戦闘能力皆無の自分たちが行くなんて思いもしなかった。
「うう……こんなにいたいけな美少女まで死地に連れ込むなんて、なんてひどい奴らなんだ」
「言いだしっぺは君だからね?」
シュヴァルは半ギレだった。
護衛役としてハイエースは来ざるをえなかったが、アナスタシアとモチョは来る必要が無い。
なので、アナスタシアは工房で待っていると言い張ったのだが、お前が言い出したんだから道連れだとシュヴァルとハイエースが猛反発し、拉致される事になった。
そうなると、世話係が必要なモチョも芋づる式に来る事になる。
つまり、お互いに地獄に引きずり込みあっていた。
一番の被害者は多分モチョである。
「もちゅ!」
「何? 『こうしていても仕方が無い。魔の森に入ってなんとかやり過ごすしかないだろう』だと? 確かに、モチョの言うとおり現状そうするしかないだろうな」
例によって圧縮言語を翻訳したハイエースが言う。
魔の森でシュヴァルが娘を復活させる事を信じて待っているブロッシェ婦人のキャンプは、シュヴァルからすると敵の包囲網に見えた。
かといって、魔の森に入ると獰猛な獣やら、恐るべき吸血鬼が待っている。
どちらに進んでも地獄しかない。
シュヴァル一行は観念し、まるでそこだけ夜になったような魔の森の闇へ足を踏み入れる。
「うう……じめじめして気持ち悪い。妙に暗いし、ここは私のような美少女が来る場所じゃない……私はオシャンティな街のカフェとかにいるべきなんだ」
アナスタシアは入って五分もしないうちに愚痴をこぼす。シュヴァルも同感だった。
ここは明らかに自分達が立ち入るレベルの場所では無い。
「まあ、三日間くらいはこの森の中で耐え忍ぶしかないだろう。大抵の魔物は私が何とか出来るだろうが、吸血鬼となると少し厄介だな」
ハイエースが呟く。
この態度がでかいエロ馬ですらそう言うからには、吸血鬼はよほど強力な存在なのだろう。
シュヴァルはごくりと唾を飲む。
「そ、その、吸血鬼っていうのはそんなに強いのかい?」
「言うまでもないが、私は高貴なる聖獣であり、光に属する存在だ。だが、吸血鬼は闇の住人だ。あまり相性がいいとは言えん。それに、奴らは不死身の存在だ。そもそも殺すことができん」
「あんまり森の奥に行かなければ大丈夫じゃないかな? なるべく出口に近い所で、目立たないように三日くらい潜伏しよう」
「それがいいだろう。だが、ここが奴のテリトリーである以上、既に侵入者として察知されているかもしれん。奴の逆鱗に触れていないといいが」
「怖い事言うな! そのためにお前を連れて来たんだぞ!」
「黙らっしゃい親父小娘。誰のせいで私がこんな美少女のいない場所に来る羽目になったと思っている。美女の残り湯があれば生き返せるくらいの嘘を言えばいいものを」
「嘘じゃない! インターネットでそう言ってたんだ!」
「そのインターネットとやらは無能だな。完璧な美少女を呼び出す方法すら見つからんとは」
ハイエースとアナスタシアが不毛な論争を始めたので、シュヴァルとモチョはさっさと野営の準備を始める事にした。まだ入り口からちょっとしか進んでいない場所なので、火を起こすと煙でブロッシェ婦人達にバレてしまう恐れがある。
「本当は獣除けに火を起こしたいんだけど、仕方ないな」
シュヴァルは溜め息と共に、背負っていた大きなリュックを下ろす。
中には携帯用のナイフや保存食、傷薬、そしてアムリタの遺骨の入った箱が入っている。
本当は骨なんか背負ってきたくなかったのだが、何か儀式をやっているように見せるために仕方なく拝借したのだ。墓を暴いてしまったので、再び手厚く埋葬せねばならないだろう。
「まあまあ、魔の森って言ったって、吸血鬼以外はハイエースがぶちのめすみたいだし、なっちゃったもんは仕方ないじゃん? 何とか三日間生き残ればいいだろ。楽勝楽勝」
「君が言い出したせいでえらい目にあってるよ。この辺りは凶暴な魔物も多いっていうし……」
「キシャアアアアアアア!!」
「うわぁ!? 出た!」
フラグ回収が早かった。
シュヴァル達の前に、突如、巨大な蜘蛛が現れた。
毒々しい紫色に黒いまだら模様の入った姿は、見るからに凶悪そうなフォルムをしている。
八つの複眼はシュヴァル達をしっかり捉えており、鋭い顎で噛みつかれれば、人間の頭など簡単に砕けてしまう鋭さを持っている。
「で、出た!? これだから危険地帯は嫌なんだ! ど、どど、どうしよう!?」
元々臆病なシュヴァルは、露骨にビビっている。
だが、アナスタシアは何故かむしろ得意げで、表面上可愛らしい姿で両腕を組み、前衛に立つ。
そして、蜘蛛の化物相手にびしっと人差し指を向ける。
「いけっ! ハイエース! でんこうせっかだ!」
「やだ」
「えっ」
ハイエースは、いうことをきかない!