第2話:錬金術師シュヴァル
今でこそ学院内で噂になっているが、三か月前まで錬金術師シュヴァルの名を知る者は誰も居なかった。
彼は友達も居ないし、錬金術師としては三流だった。
少し前に学院内でシュヴァルの名を聞けば、「そんな奴いたっけ?」とほとんどの人間が返すだろう。
そんな彼に転機が訪れたのは、三か月前にトシアキ……と呼ぶと怒るので旧アナスタシア。
現在のアナスタシアを異界から召喚した事がきっかけだった。
余談だが、アナスタシアは旧アナスタシアが自分で勝手に付けた名前である。
シュヴァルは小さな村で育った何の変哲もない平民だ。
村の中では比較的裕福な家庭に生まれた事と、体力より知力のほうに特化した人間だった。
シュヴァルは両親の農家の手伝いをしながら、二十歳になると上京し、グルナディエ錬金術学院の門を叩いた。独学で錬金術を学ぶのは無理があったし、シュヴァルにはある目的があった。
――それは、錬金術でゴーレムと呼ばれる動く人形を作り出す事だ。
畑仕事は重労働だ。苦労する村人達を助けられないか、より効率的に作業を進める道具はないかと考えた。そうして色々と調べていった結果、中央都市の学院に『ゴーレム専門学科』なる物がある事を知ったのだ。
もしも自分がゴーレムを自由自在に精製出来たなら、必ずや多くの人の役に立つだろう。
両親に頼みこむと、苦しい家計の中、シュヴァルの意志を尊重してくれた。
こうしてシュヴァルは錬金術師としての道を歩み始めたのだ。
だが、待ち受けていたのは厳しい現実だった。
意気揚々と上京したシュヴァルは、ゴーレム専門学科のあまりの人気の無さに愕然とした。
錬金術師と言っても一枚岩ではなく、薬学、合成獣学、生命倫理学……様々な部門がある。
その中でも、ゴーレム部門はかなりマイナーな部類だった。
理由は単純。地味だからである。
戦争でも起こっている時代なら、土くれからいくらでも精製できる兵隊は需要があったかもしれない。だが、現代は極めて平穏な時代だ。究極的に言ってしまうと、ゴーレム錬成は現在ほとんど需要の無い技術だった。
需要の無い物に金を出す人間はいない。ましてシュヴァルは田舎から強引に割り込んで来た平民だ。
特別優れた技術も無く、この世界の人間のほとんどが所有している『魔力』も並程度だった。
ろくに成果も出せないまま、シュヴァルは二十五歳で全ての課程を終え、独立せねばならなかった。
錬金術学院は、卒業後も三年間は研究資金を支給してくれる。逆に言えば、三年経てば、後は自力でやれという事でもある。その間にパトロンを見つけるなり、新しい発見をして論文を発表するなりして安定した収入を得られればいい。
だが、シュヴァルが選んだのは、ゴーレム錬成――金にならない専門分野である。それはまさに茨の道だった。
学院在籍中に成果を挙げられた者達ほど、施設の整った中央に近い場所に研究所を持つ事が出来る。在学中にろくな実績を挙げられなかったシュヴァルは、都市から遠く離れた森の中、廃墟同然の研究所を与えられた。
それでもシュヴァルは諦めなかった。
優れたゴーレムを作り出す事が出来れば、必ずや貧しい人々の役に立つ。
そう考え、不安に駆り立てられながら、一人黙々と研究を続けた。
しかし、高尚な信念だけではどうにもならないのが現実である。
結局、シュヴァルの研究を認める者は誰もおらず、シュヴァルは二十八歳になっていた。成果を出さねば学院の資金援助はあと数カ月で打ち切られる。
「……召喚術を行おう」
暗闇に閉ざされた廃墟の中、シュヴァルは一人そう呟いた。
召喚術とは、錬金術師とはまた別の魔力を扱う者、『魔術師』と呼ばれる人間が使う術だ。
魔術師の説明は一旦横に置いておくが、錬金術師と魔術師はベースの部分は同じなので、シュヴァルも最低限なら術を使う事が出来る。
だが、これは本当に大博打だ。
召喚術は大量の魔力を消耗する。魔力の消費量によって、召喚できる存在の格も変わってくる。シュヴァルの魔力保持量は並程度。召喚術に関しては素人に毛の生えたようなものだ。
大量の魔力を使い、どこの世界の物か分からぬ石ころ一つ呼び寄せたなんて事もザラである。
細かい理屈までは分かっていないが、どうも異世界は複数存在し、そのそれぞれに『抵抗力』のような物があるのではと考えられている。
他国の者に有益な資源を取られないため、人間が領土を取り決め守るように、異世界から強力な力を持った者は容易に呼び寄せられない。
その抵抗力を超える魔力を持ち、強大な存在を使役する人間を、人は『魔術師』と呼ぶ。
だが、シュヴァルは魔術師ではない。
魔力が枯渇してしまえば、ゴーレムの錬成実験もしばらく出来なくなる。もう時間が無い。失敗すれば全てが終わってしまう。だが、シュヴァルは分かっていても召喚を実行した。
何故そんな暴挙に出たかというと、異世界の知識を求めたからだった。
今の自分の研究が必要とされないなら、新しい理論か、最低でも論文のネタになる何かが必要だった。
成功する可能性は極めて低い。でも、どうせ失敗するなら最後まであがきたい。
それが駄目なら故郷へ錦ではなく、白旗を挙げて帰還する。そう決めた。
だから、シュヴァルがうろ覚えの魔法陣を地面に描き、ありったけの魔力を注いだ時、魔法陣から人型の知的生命体が呼び出されたのは、信じられない奇跡だった。
素人が異界の生物を、生きた状態で呼び出せるのは極めて稀な事だ。
しかも、自分達とほとんど同じ外見。間違いなく『異世界人』であった。
呼び出された生体は困惑した様子だったが、シュヴァルが話しかけると、きちんと挨拶をしてくれた。
召喚に適合した生物は、意志疎通が可能な場合が多い。この異世界人もそのタイプだったので、シュヴァルは歓喜した。
異世界人の召喚に成功した事だけでも、論文を一つでっちあげる事が出来る。
そうすれば、ゴーレム研究の首の皮が一枚繋がるのだ。
困惑する異世界人に、シュヴァルはなるべく優しい口調で状況を説明した。
ここがそちらから見て異世界である事。
自分は錬金術師という職業であり、研究に詰まって無理矢理召喚してしまった事。
そして、今までの生活を壊してしまった事を謝罪した。
異世界人――旧アナスタシアは別に構わない、むしろ歓迎だと笑ったので、シュヴァルは少しだけ罪悪感が薄れた。
「僕の都合で呼び出してしまったんだ。あなたがこの世界で快適に生きられるよう、出来る限り協力させてもらうよ」
「ん? 今、何でもするって言ったよね?」
別に何でもするとは言ってないのだが、まあ、理不尽な召喚をしてしまった事は確かだ。
出来る限り要望に応えると、シュヴァルは頷いてしまった。
それは大きな過ちであり、同時に大正解でもあった。
「じゃあ、俺を美少女にしてくれよ! そういう事も出来るんだろ!?」
「……は?」
一体何を言い出すんだこいつは、とシュヴァルは目を丸くした。
これがシュヴァルと後のアナスタシアの最初の出会いである。
この時、シュヴァルは成果を追い求めるあまり、ある基本的な事を見落としていた。
自分の魔力が並程度で、召喚術も素人である事。
そして、異世界から呼び出せるのは、その世界で大事にされない物である事。
簡単に言ってしまうと、異世界フィルターで「地球にこいつはいらん」と送りつけられたのが、旧アナスタシアだったのだが、それに気付くのは、元・トシアキがアナスタシアに変貌を遂げた後だった。