第15話:魔術師リーデル
「リーデル! この失態、どう責任を取るつもりなのだ!」
部屋全体を振るわせるような怒号が響く。室内には二名の人物がいた。一人は耳の脇だけに白髪が残った壮年、もう一人のリーデルと呼ばれた青年は、怒声を受け流すような気だるげな雰囲気を醸し出している。
「仕方が無かったんですよ。むしろ俺の力で制御不能な魔獣を呼び出せた事を褒めてもらえませんかね?」
「ふざけるなっ!」
へらへらと笑うリーデルに対し、壮年は顔を真っ赤にして机を叩いた。彼の部屋には豪奢な調度品が大量に設置されており、机も随分と上質なのだが、そんな事などお構いなしだ。
「お前が召喚した魔獣……ユニコーンと言ったか? それを制御出来ずに放置し、あまつさえその始末を錬金術共に尻ぬぐいされたのだ。お陰で我ら魔術師連合の信用はガタ落ちだ!」
憤懣やるかたないという様子で、壮年はどすんと椅子に腰を下ろす。怒鳴れば怒鳴るほど、彼の怒りは増していくように見えた。
「反省はしてますよ。ですが、召喚術はまれに自分の魔力以上の者も呼び寄せてしまいますからね。今回は残念ながらそうなってしまったんですよ」
「まったく……貴様が公爵家の長男で無ければ、即刻魔術師の座から追放しているところだぞ。それにしても、あの老いぼれにとどめを刺すどころか、塩を送ってしまったではないか……ああ、くそ! 忌々しい!」
壮年は魔術師連合の幹部の一人だった。彼はこの中央都市部を管轄している一人なのだが、彼の配下のリーデルが魔獣召喚を行い、制御しきれずに逃げ出したのがユニコーン騒動の発端だった。
魔術師連合は自分達の失態を隠すため、冒険者たちに多額の報酬を出して処理させようとした。自分達の尻ぬぐいのために人的リソースを割くのも嫌だったし、冒険者がユニコーンを討ち取れば、彼らは別の依頼を求めて街を去っていき、噂は風化していく、そんな算段を立てていた。
「ところがどうだ。ユニコーンを討伐するどころか従えて帰って来たのは、よりにもよって錬金術師。しかも色付きだ。今、街では『赤銅のシュヴァル』の噂で持ち切りだ」
「ええ、存じていますよ。そのお陰で錬金術師になりたがる子供が増えているのだとか」
「何を他人事のように言っておるのだ! いいか? 我ら魔術師は選ばれし人間だ。そのために愚民どもには愚民であってもらわねば困る。だというのに、錬金術師共はその特権を自ら捨てようという馬鹿共だ。そんな奴らに我らの利権を奪われてたまるものか」
平然とそう言い張る壮年に、リーデルは口の中で舌打ちをした。
「貴様の家柄と魔力を考え、今回は特別に許そう。ただし、今後このような事があれば、それなりの処置を下さねばならないぞ」
「あなた様の寛大な処置、まことに感謝しております。以後、このような事にならないよう、精進いたします」
「ふん、これで話は終わりだ。さっさと去れ」
リーデルは一礼をし、さっさと部屋を出て行った。彼が部屋を出ると、待ち構えていたように壁に背を預けていた少女が駆け寄って来た。ふんわりとした桃色の髪をした、大人しそうな少女だった。
「兄さん。大丈夫でしたか?」
「モニカ、お前、こんな所に居たら目を付けられるぞ」
駆け寄って来た少女――どうやらリーデルの妹らしいモニカを窘めるようにそう言うと、モニカは背伸びし兄を真っ直ぐに見つめた。
「心配するに決まってるじゃないですか! どうしてあんな事を……!」
モニカが抗議したが、リーデルは慌ててモニカの口を塞ぐ。
「とにかくここじゃ色々まずい。場所を変えながら話す」
そうして、魔術師連合の大きな廊下を、二人はゆっくりと歩いていた。辺りは魔術師希望の生徒達でごった返し、リーデルとモニカはその雑踏に紛れるように歩みを進めていた。
「兄さん。どうしてあの魔獣を逃がしたりしたんです?」
「前に言っただろ。俺の力が足りなくて制御できなかったってな」
「嘘です。兄さんなら、あの魔獣を拘束することだって出来たはずです」
「お前、ほんと勘が鋭いな」
「勘じゃありません。いつも見てるんだからそれくらい分かります」
モニカが頬を膨らませると、リーデルは降参したように肩をすくめた。建物を出て中庭に出ると、空いているベンチにだるそうに腰を下ろす。モニカも横に座る。
魔術師連合の有する施設は、錬金術師たちのものに比べて随分と豪勢だ。中庭の芝生は綺麗に刈り揃えられ、カフェまで用意されている。リーデルはその光景を眺めながら、ゆっくりと口を開く。
「なあ、ここに居る連中で、実際に魔術師になれる連中はどれくらいだと思う」
「ほぼゼロです」
モニカは即答した。そう、今、目の前でランチタイムを楽しんでいる魔術師になるために組織に入った一般人でそうなれる人間はほぼいない。
「ご名答。ここにいる魔術師の卵は、ほとんどが無精卵なんだよ。魔力の容量ってのは生まれつき決まってるんだ。後天的にどうなるものじゃない。それでも魔術師になれば奇跡が起こせるって吹聴して、多額の金を払ってここに来るんだ。そういう人間を餌にして俺達は支えられてる」
「…………」
リーデルの言葉にモニカは無言だった。さらにリーデルは一呼吸置き、言葉を紡ぐ。
「そんなのは間違ってる。だから俺の幼馴染は、両親から勘当されてまで錬金術師になる道を選んだ。でも、俺にその度胸は無かった。全部を捨ててまで戦えなかったのさ」
「……グラナダ様のことですね」
モニカがそう言うと、リーデルは頷いた。
「俺とあいつはガキの頃から仲が良くてな、小さい頃はよく一緒に遊んだ。ある日、俺達は興味本位で異世界召喚をした。出てきたのは銀色の狼で、全身が光ってるように見える奴だった」
「それは父上からも母上からも聞いています。兄さんは神童だったって今も言ってますよ。もっとも、二十過ぎればただの人になったって言ってますけど」
「そうさ、俺はあれ以来、召喚なんてやらなかったからな。何でだと思う?」
モニカが必死に解答を考えていると、リーデルは先に答えを出した。
「怖かったからさ。考えてもみろ、年齢一ケタのガキが、熊も秒殺しそうな獣をほいほい呼び出すんだぜ? 使い方を間違えたら大変なことになる。なのに、連中は自分達は神に選ばれたんだとか喚く。そのせいで罪も無い人間が被害にあうってあるのにな」
そこまで言って、リーデルは少し黙りこんだ。モニカも黙って兄の言葉を待つ。
「だから、俺はユニコーンを制御しなかった。あいつが俺に従いたくなかった理由は聞いていないが、あえて野放しにした。もちろん、自分に危害を加える奴以外には手を出さないよう頼んだがな」
「つまり、内部から魔術師連合の評判を下げようとしたって事ですか?」
「ま、そんなとこだ。これで納得行ったか? でかい組織ってのはな、外部から責められるだけじゃ駄目なんだ。内部から切り崩す必要がある。知らぬ間にシロアリが柱を食い荒らすみたいにな」
「でも、それで兄さんが不当な扱いを受けるのは私は嫌です。最悪、家から追放される可能性だって……」
「そうしたらお前が継げばいい。俺はな、あんまり権力には固執しないんだ。ただ、グラナダともう一度、ガキの頃みたいに仲良く出来ればいい、それだけだ」
魔術師リーデルは静かにそう言ったが、そこには揺るぎない決意が感じ取れた。
「わかりました。その計画は上手く行ったみたいでよかったです。私としては複雑ですけど」
「そうだな。上手く行った。……いや、うまく行き過ぎた」
「うまく行き過ぎた?」
モニカがオウム返しに問いただすと、リーデルは服の内ポケットから一枚の紙を取り出し、モニカに突き出した。
「取り寄せたユニコーン捕獲の記録だ。見てみろ、面白い事が書いてある」
「ユニコーン捕獲の参加メンバー、錬金術師シュヴァル、魔無しの少女アナスタシア……以上。……以上!?」
モニカが素っ頓狂な声を上げる。リーデルも横でくっくっと声を噛み殺して笑っていた。
「おかしいだろ? 熟練の冒険者を返り討ちにした魔獣ユニコーンが、赤銅なりたての錬金術師と、魔無しのちびっ子に従えられちまったんだ。尋常じゃないわな」
「え、え? 一体どうやって!?」
「さあな。少なくともアナスタシアって子は戦力にならんだろう。となると、そのシュヴァルって奴が一人で魔獣をぶっ倒した事になるな」
「そんな……兄さんの魔力に呼応するレベルの魔獣を一人で!?」
「そうとしか考えられないだろ。だとしたら、こいつは赤銅なんかで収まってる器じゃない。グラナダと同等か……あるいはそれ以上のバケモンだ」
リーデルは空を仰ぎ見た。彼は子供の頃のトラウマで魔獣召喚はほとんどしたことが無い。それゆえに子供のころは神童だったが、今ではただの凡才という扱いを受けている。
彼自身もその立ち位置を甘んじて受けていたが、実際に持っている魔力ははっきり言ってこの国でも上位に入る。ユニコーンを呼び寄せられたのも、想定の範囲内だ。
「稀って言葉は不思議だよな。稀ってのは、稀だから稀なんだ。1000回召喚したら、999回は想定内で成功する。その1回がたまたまこんなタイミングで起こるかってのに、お偉いさんはすっかり騙されちまってる」
リーデルはそこまで言って、「だが」と付け加えた。
「正直な所、俺は魔術師連合が失敗して、ユニコーンが元の世界に帰って信用が落ちるところまでは想定していた。でも、錬金術師がまさか魔獣を従えるのは想定外。魔術師共には大ダメージだろうよ」
リーデルは実に愉快そうに笑って、呆けた表情のモニカから紙を返してもらい、日の光に透かすように上にかざして眺めた。
「赤銅のシュヴァル……気になるねぇ。ちょっと調べてみる必要がありそうだな」
魔術師リーデルは目を細め、興味深げにそう呟いた。