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第1話:禁忌の森の錬金術師

 木漏れ日の降り注ぐ穏やかな森の中を、二人の人間が歩いている。


 一人は顔立ちの整った男。もう一人は長く美しい黒髪をポニーテールに結った少女。二人の背丈は頭一つ分は違うが、羽織っている外套は同じデザインだった。

 

 この外套は、錬金術師――あるいは魔技師(まぎし)と呼ばれる集団の学府、『グルナディエ錬金術学院』の関係者である事を証明する制服である。


 しかし、二人はよく見ると若干デザインが違う。

 男の外套の縁が金色であるのに対し、女性の方は銀色だった。

 制服のデザインはほぼ全部同じだが、格付けは外套の細かい部分で現される。


『金』は学院の中でも数える程の最高クラスの実力者。

『銀』もそれに準ずる、ごく少数の人間のみに許された色だ。


「グラナダ様、何も学院最高峰のあなたが、このような場所に来られなくても」

「ヴィオラ、ここがどこで、今から会う人間がどんな怪物なのか知っているだろう?」

「あまり詳しくはありませんが『人間の倫理観がない』という事は存じています」


 二人の男女――グラナダとヴィオラはそんな会話をしながら、美しい緑に覆われた森の中を、魔物の棲息する洞窟に踏み入るような強張った表情で進む。


 この森は、『中央都市』と呼ばれる場所から大分離れた片田舎の小さな森だ。

 近所の村人は果実が実る時期になると収穫に来るし、子供だってよく遊び場にしている。


 だが、ごく一部の者たちから、この長閑(のどか)な森は『禁忌(きんき)の森』と呼ばれていた。

 何故なら、ここには人でありながら、人の領域を超えんとする『悪魔』が住んでいるからだ。


 そして彼らの目的は、その悪魔に出会うことだった。


 それほど大きな森ではないし、大型の肉食獣なども住んでいないので、進む事自体は容易だ。

 三十分ほど歩くと、グラナダとヴィオラは悪魔の根城を発見した。それと同時に、悪魔に囚われた哀れな存在も目に入った。


「よかった。まだ生きているようだな……」

「いえ、油断はできません。外見上は問題なく見えても、あの男は何をするか分かりませんから」


 ヴィオラの言葉に、グラナダも頷き表情を引き締める。彼らから離れた場所には、一人の可憐な少女が、白い毛玉のような生物と戯れていた。


 ボブカットで綺麗に整えた金髪は、木漏れ日に当たるとプラチナのような輝きを放つ。白磁のような肌、突き抜ける青空より澄んだ瑠璃色の瞳。遠目からでも類稀(たぐいまれ)な美貌を持っていると分かる。


 少女は二人に気付いたようで、白い毛玉を置いたまま、とことこ歩いてくると、グラナダ達にぺこりとお辞儀をした。


「こんにちは。今日は学院の方が来られると聞いていましたが、お二方がそうでしょうか?」

「ああ、僕達がそうだ。ええと、確か君の名前は……」

「アナスタシアと申します」

「そうか。すまないが、『ご主人様』を呼んでもらえるかな」

「かしこまりました」


 少女の外見からして、年齢は高く見積もっても10歳。恐らくはそれより下だろう。

 だというのに、随分と畏まった挨拶をするものだと、グラナダは感心した。


 いや、ある意味当然なのかもしれない。


「奴隷の少女なのです。あの悪魔と共に住んでいれば、敬語くらい使えるようになるでしょう」


 グラナダの心境を見透かしたように、ヴィオラは怒りと憐憫(れんびん)の籠った口調で言い捨てた。


 主を呼ぶために小走りで戻っていく美しい少女の首には、(いか)めしい黒革の首輪が嵌められていた。そう、彼女は悪魔の奴隷なのだ。


 十六歳になったばかりのヴィオラとしては、自分の妹と同じくらいの少女を平然と奴隷扱いする男を心底軽蔑していたが、今日の目的は少女の救出ではない。


 少女が走っていった先には、小さなレンガ造りの建物があった。

 (つた)が生い茂り、風化し、所々崩れた姿は、幽霊でも出るのではと思わせる雰囲気を醸し出す。だが、幽霊だったらまだマシだ。ここは『悪魔の研究所』である。


 少し離れた場所で二人が待っていると、少女が建物の中から男性を連れて戻ってくるのが見えた。男は相当慌てているようで、今にも転びそうな勢いでグラナダ達に走り寄ってくる。


「お、お待たせしました! 僕がこの研究所の主任の……」

「知っている。シュヴァル殿」

「ぼ、僕の事をご存知で!? いやあ、光栄です。まあ、研究所といっても研究員は僕しかいないんですがね」


 シュヴァルと呼ばれた男は、緊張しつつもにこやかにそう答えた。グラナダ達と同じ外套を羽織っているが、ところどころ擦り切れ、縁の部分は無地だった。これはグルナディエ錬金術学院で最もレベルが低い者が纏うものだ。


 シュヴァルは何の変哲もない、どこか垢抜けない青年だった。

 顔立ちは良くも悪くもない。錬金術師というより、田舎の売れない雑貨屋で下働きでもしてそうな男だった。


 だが、外見に騙されていはいけない。グラナダとヴィオラは表には出さないが、内心でこの男の警戒レベルを最大まで上げている。


 虫も殺さないような顔をしている冴えないこの男こそ、今、錬金術学院で『人の領域を超えんとする悪魔』と噂されているからだ。


「それにしても、まさか僕ごときに最高クラスの方々が来るなんて思ってもみませんでしたよ。もてなしの準備も全然出来ていないのですが」

「いや、今日はシュヴァル殿の研究レポートを見て来いと、学長から命令がありまして。時間は取らないので大丈夫です」


 申し訳無さそうに頭を下げるシュヴァルを、グラナダが手で制する。


「レポート? ああ、丁度いいのがあるんです。最近、新型のゴーレムを考えましてね。なんとこのゴーレムは人間の腕に装着可能で……」

「そうではありません。あなたがやっている『副業』の方です」

「副業?」


 何だか分からないというように首を傾げるシュヴァルに、話しかけたヴィオラは怒りを必死に堪えていた。この男、よくもここまで凡人のふりが出来るものだ。錬金術師なんかやめても芝居で食っていけるだろう。


 そう思いつつも、今日の目的は、シュヴァルの行っている『真の研究』の情報を引き出すのが目的だ。ここで揉め事を起こす訳にはいかない。


「アナスタシア嬢の身体データ。取っているのでしょう?」

「あ、ああ……それですか。一応あるにはありますが、そんなものがご入用で?」

「我々は、ただ学長からそちらの資料を確認しろと言われただけです。それとも、引き渡すのに何か問題が?」

「いえ、特にありませんが……」


 シュヴァルはアナスタシアに命じ、数枚に纏めたレポートを持ってこさせた。文量としてはちょっとした手紙程度のものだ。というか、大した事は書いていない。論文にも纏めていない、本当にただのメモ書きである。


 だというのに、グラナダは顎に手を当て、食い入るようにその走り書きを見つめる。


「ふむ……なるほど。すまないが、このレポートを引き取らせてもらえないだろうか?」

「別に問題はありませんが」

「ヴィオラ」

「了解しました」


 グラナダが傍に控えていたヴィオラに一言声を掛けると、ヴィオラは外套の内側から一枚の金属製のプレートを取り出し、シュヴァルに押し付けた。


「レポートの買い取り代金です。機会がある時に中央都市で換金してください」


 淡々とした口調で告げるヴィオラに対し、シュヴァルはそのプレートに表示された額に腰を抜かしそうになった。


「あ、あの! これ、何かの間違いじゃないんですか? 僕の研究費用と二桁くらい違うんですけど?」

「学院はそれだけあなたの『真の研究』に期待しているという事です。錬金術師シュヴァル殿」

「僕の……真の研究に? それは嬉しい!」


 グラナダの言葉に、シュヴァルの表情がぱっと明るくなる。グラナダは『真の研究』という部分に語気を強めたのだが、シュヴァルは逆に喜んでいる。ヴィオラは険しい表情で、シュヴァルに向かい一歩踏み出す。


「ヴィオラ、やめろ」

「で、ですが!」

「我々の今日の目的は果たした。それ以上の権限はない」

「くっ……!」


 ヴィオラは納得いっていないようだったが、しぶしぶと矛を収める。

 そして、シュヴァルの横に控えている、奴隷の少女アナスタシアの方をちらりと見た。


 服装こそ貧相であるが、栄養状態は悪くない。

 外見も『まだ』人間の少女に見える。

 もしも華やかな衣装に身を包めば、絵本に出てくるおとぎの国のお姫様のように見違えるだろう。


 ヴィオラは屈みこむと、アナスタシアに目線を合わせ、シュヴァルに向けたのとはまるで違う慈愛に満ちた声で話しかける。


「ねえ、アナスタシアちゃん。私はあなたを助けたいの。もしもあなたが本当につらいのなら……」

「ヴィオラ!」


 グラナダが語気を強めると、ヴィオラはびくりと身を震わせ、未練がましく立ちあがった。


「大きな声を出して申し訳ない。どうもヴィオラはアナスタシアちゃんにご執心のようでね。あなたの研究にもかなり貢献しているでしょう」

「確かに、彼女には色々と(ほどこ)してはいます。ただ、扱いが難しいですが」

(何が『扱いが難しい』だ! この外道め!)


 ヴィオラは、まるで実験動物のように少女の事を呼ぶこの男を殴りつけたい衝動を抑えた。もしも上司のグラナダがいなかったら、本当に殴り飛ばしていたかもしれない。


「相手は幼い女の子だ。なるべく優しく取り扱って欲しい」

「分かっていますよ。僕は割と倫理的なんです」

「……ならば結構。行くぞ、ヴィオラ」

「…………はい」


 ヴィオラは不機嫌な表情を隠さないまま、背中を向けたグラナダに付き従った。

 だが、数歩進んだ後、グラナダは半身を翻し、シュヴァルとアナスタシアの方に顔を向けた。


「そうそう、一つ聞き忘れていた。確か、前に君の所には異世界から召喚された人間が居たね? あれはどうなったんだい?」

「え、ええ……そ、それは、そのですね……」


 それまで平然としていたシュヴァルが、急に狼狽(ろうばい)し始めた。

 恐らく痛いところを突かれたのだろう。無論、グラナダもそれを狙ったのだが。


「トシアキは死にました。もうここにはいません」


 目を泳がせているシュヴァルの代わりに応えたのは、首輪を付けたアナスタシアだった。

 声のトーンは極めて冷静で、そこに恐怖の響きは無い。

 

 あるいは、そういった感情を全て捨てた『諦め』の境地に至ってしまったのかもしれない。グラナダとヴィオラは、お互いに同じ事を考えた。


「何の能力も無い異世界人が死ぬのは珍しい事ではないからな。そういう事もあってもおかしくはない。そうですね? シュヴァル殿?」

「え、はい、まあ……仕方がなかったんです」


 シュヴァルは何とか言葉をひねり出した。

 グラナダもヴィオラもそれ以上は何も追求せず、レポート用紙を折りたたんで外套にしまうと、森の研究所を後にした。


 その姿が見えなくなるのを確認し、シュヴァルとアナスタシアは廃屋同然の彼らの住居兼研究所へと戻った。


「クックック……想定外の収入も手に入れたし、邪魔者も消え去った。さあ、今日も楽しい楽しい実験を開始しようじゃないか」

「や、やめようよ。これ以上やったら、本当に元に戻れなくなる!」

「何を言ってるんだ! 元に戻る必要なんか全く無いだろう?」


 来客者二名が去ると、急に物騒な会話が始まった。

 ただ、実験を推奨する発言をしているのは奴隷少女のほうで、錬金術師はめっちゃ引いていた。


「ねえ、トシアキ。本当にこれ以上やると元の姿に戻れなくなるよ? それに僕の専攻はゴーレム錬成だし……」

「さっき聞いてただろ! トシアキは死んだ! 今のここにいるのは、美少女奴隷のアナスタシアちゃんだっ!」

「ああもう、何でこんな事になっちゃったのかなぁ……」


 どうしてこうなった。

 

 三か月前、ちょっとした出来心で己が招いたこの事態を、シュヴァルは思い返す。


 だが、この変な異世界人と冴えない錬金術師が、世界の均衡を大きく崩す事は、まだ想像すら出来なかった。

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>トシアキは死にました。 ツボってしまった。
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