第一話 途中
何秒、何分、何十分経っただろうか。真夏の太陽が沈みかけ、辺りが薄暗くなり始めた頃。気が付くとそこは見慣れた帰り道だった。
それなりに大きな街。駅前には背の高いビル、商業施設、行き交う人々。大都市ではないが、まあまあ発展していると言えるだろう。
そんな見慣れた街、そしていつもの帰り道。だが、主人公にとっては違和感しかなかった。
「・・・何が起こったんだ?」
主人公は驚いた。辺りを見渡す。しかし、なんの変哲もない街が広がっていた。主人公は立ちすくみ、ただ取り乱すしかなかった。
『ガシャン!!』
ゲームセンターの隣にある路地から物音がする。騒々しいゲームセンターの店内とは違い、路地は普段は静かだった。だが―
「だからさ~。5000円貸してって、言ってんじゃん!」
「・・・でも」
「あっ?」
「でも、なによ?」
「ちょーしコイてっと、殴っちゃうよ?」
「・・・」
そこには、どう見ても不良の3人に、1人の青年が絡まれていた。
その光景を見て主人公は頭を抱えた。
「何だコレは・・・!?」
そう呟く主人公だった。が、主人公は頭が混乱する中、路地を真っ直ぐ進み、不良と絡まれている青年に近づく。
「おい、何やってんだ?」
主人公は気さくにそう言った。
「あっ?なにアンタ」
不良は近づいてきた主人公に気が付き、主人公を睨みつけた。
「何やってんのって聞いてるんだけど。ぶん殴んねぇと、理解できないバカか?」
そう言って握りこぶしを作る主人公に、不良の3人は吐息が掛かるほど顔を近づけた。
「ぶっ飛ばすぞテメェ!どっか行けや!忙しいんじゃボケ!」
「すっぞコラ!」
「アァーンッ!!」
不良の3人は主人公に凄み、追い払おうとした。だが主人公は不良の3人に更に顔を近づける。
「カツアゲで忙しいってか?俺もまぜろよ。お前ら1人5万!締めて15万円!」
主人公はそう言いながら、不良たちを1人ずつ睨み返す。
「あっ?」
「馬鹿じゃねぇの。こっち3人なんだけど。わかってんの?」
不良たちも負けじと物凄い顔をして睨む。
「だからなんだ?あっ?」
主人公と不良たちはじっと見つめ合い、固まる。暫く見つめ合うと―。
「っち・・・。行こうぜ」
「馬鹿じゃねぇコイツ」
「アホくさ~」
不良たちはそう言って、視線を外すと唾を吐きながらその場を去って行った。
主人公は、知っていた。こいつらがケンカをする度胸のない不良たちだと。
主人公はため息を付き、絡まれていた青年を見る。それは主人公にとって、たった一人の友人だった。
「大丈夫か?」
気弱そうな友人はオドオドしながら言った。
「あの・・・ありがとうございます。でも、あの、お金は・・・5万円とかは無理です」
主人公はまた頭を抱えた。一体何が起きているのか。本当に分けがわからなかった。
「おまえ、なに言ってんだよ。まるで初めて会うみたいに・・・」
「え、あの、は、初めてですけど・・・」
主人公の頭はますます混乱した。
主人公は思い出した。友人と始めて会った時を。この状況とまったく同じだった事。そして違和感の正体がわかった。友人と出会った時とまったく同じ状況を、いま繰り返したのだった。
主人公と友人が出会い、仲良くなったのは春先の事だった。友人が不良に絡まれているのを主人公が助けた事と、お互い同じ学校に通う学生だったのが縁でよく遊ぶようになった。
くだらない話で盛り上がったり、徹夜でゲームをしたり、テストに向けて一緒に一夜漬けしたり。ごく普通の高校生のように、2人は学生生活を満喫していた。
そんな2人だったが、ある日の事。友人が「用事がある」と先に帰った。主人公はいつもの様に友人と遊ぼうと思っており、とつぜん暇になってしまった。
「なんだよ~。どうすっかな、1人じゃ楽しくねぇし。暇だなぁ」
そんな独り言を呟きながら主人公は学校を出ると、暇を潰すために街を当てもなく歩き回った。
いつもなら、友人とファーストフード店に入ったり、ゲームセンターに行ったり、どちらかの家で遊んでいた。だが1人だと、何もやる事がなく、ただただ街を歩き回るだけだった。
「帰るか・・・」
主人公が楽しく無さそうにまた独り言を呟く。そして自宅に帰ろうとした時だった。主人公は、友人を見かけた。
「あれ?あいつ・・・」
友人は1人ではなく、怪しい老人と一緒に居た。その老人は和服に中折れ帽子を被り、サングラスをつけていた。
「なんだあの怪しいジジイは!?」
主人公はそう怪訝そうにした。
友人と怪しい老人を見つけて、主人公は後を追った。
数十分ほど後をつけると、2人は駅から離れた街はずれ、そこにある雑居ビルへと入っていった。
「用事って、何んなんだよ。あの怪しいジジイと会うことなのか?」
主人公は、雑居ビルの入り口が見える建物の影に隠れ、顔を覗かせて様子を伺った。
「よし。出てきたら、あの怪しいジジイと何やってたか聞いてやろう!・・・つっても、なんかヤバイことじゃねぇよな?大丈夫かな、アイツ・・・」
主人公は心配そうに呟きながら、友人が出てくるのを待った。
何秒、何分、何十分経っただろうか。真夏の太陽が沈みかけ、辺りが薄暗くなり始めた頃。気が付くとそこは見慣れた帰り道だった。
それなりに大きな街。駅前には背の高いビル、商業施設、行き交う人々。大都市ではないが、まあまあ発展していると言えるだろう。
そんな見慣れた街、そしていつもの帰り道。だが、主人公にとっては違和感しかなかった。
「・・・何が起こったんだ?」
主人公は驚いた。辺りを見渡す。だが変哲もない街が広がっていた。主人公は立ちすくみ、ただ取り乱すしかなかった。
取り乱すのも無理はなかった。なぜなら、先程居た場所からは、かなり離れた駅前なのだから。
友人を不良たちから助けた主人公は状況が理解できなかった。
「同じだ。まったく同じだ。どうなってんだ?」
主人公は、友人と怪しい老人を追って雑居ビルまで行った。しかし、いつの間にか『いつもの帰り道』に居た。そして『友人と出会った時』とまったく同じ状況を体験した。
「一体何なんだよ!?」
主人公は頭を抱える。
「えっと、大丈夫ですか?」
友人は恐る恐ると、主人公を心配そうに見た。
「なんだよ、その言葉遣い。くっそ、本当に初めて会った時みてぇじゃねかよ!」
「えっと・・・」
主人公が悪態をついて友人を見つめる。と、友人の制服が冬服になっていた。
「あれ?」
主人公はすぐに自分の服装を見る。すると自分の制服は夏服だった。主人公は思った、もしや自分は『友人と出会った時』へタイムスリップでもしたのではないかと―
「おい小僧っ!」
路地で、そんな事を考えている主人公に突然、大声が掛けられる。
「!?」
主人公が顔を上げると、いきなり首根っこを掴まれる。
「なっ?」
「来い!このクソガキがっ!」
首根っこを掴んだのはあの怪しい老人だった。しかし姿は少し変わっており、中折れ帽子とサングラスは外し、代わりに和服の上に白衣を羽織っていた。
「てめぇはっ!ジジイ!」
「いいからコッチ来い!お前さんが騒いだせいで、『番人』に気付かれたわい」
「なんだそりゃ!『番人』ってなんだよ!」
怪しい老人は、主人公の言葉にピクリと眉を動かした。
「そんなもん見りゃすぐわかる!・・・って、もしやお前さんは素人かい?・・・まいったのう」
老人は、とても老体とは思えない馬鹿力で主人公を引きずって、街中を走った。
老人は主人公を引きずりながら、唐突に建物のドアを片っ端から蹴り始めた。木のドア、ガラスの自動ドア、ビルの大きなドア。
『バキーン』
どれも聞いた事のない甲高い音を上げるだけでビクともしなかった。
「まいったのう」
「何やってんだジジイ!普通に開けろよ!蹴るな!」
「うっさいのう。誰のせいだと思ってんだか。お前さんも入れる建物を見つけろ!まず身を隠す、わかったか?」
「わっかんねぇけど、分かったよ!」
ジジイは主人公を放すと、また片っ端から建物のドアを蹴り始めた。主人公は頭を掻きながら辺りを見渡す。
「一体なんなんだよクソっ!・・・ここら辺は、よく遊びに来てたとこか。あ、よくいくファミレスあるじゃん」
主人公は友人とよく暇つぶしに使っていたファミレスを見つけ、そこに行った。
『ウィーン、ピンポーン』
ファミレスの自動ドアは簡単に開いた。
「なんだよ普通に開くじゃねぇか。お~い!ジジイ!開いたぞ~」
主人公がドアを蹴りまくってる老人にそう大声で言うと、老人は急いで走り、主人公を蹴飛ばして店内に入った。
「さっさと中に入れ!」
「いてぇー!蹴んじゃねぇよ、ったく」
老人と主人公はファミレスの奥の席に向かうと、身を屈めて隠れた。
「さて・・・これからどうすっかのう・・・。ズズゥ~」
老人は身を隠しながらそう言って、いつの間にかドリンクバーから持ってきていたコーヒーを飲み始めた。
「おいコラ、なにコーヒー飲んでんだよ!金払ってねぇだろ!」
主人公は、老人の少し髪の毛が寂しくなって来た頭を叩いた。
「何すんじゃいクソガキ!毛根が死ぬじゃろ!死んだモノはもう生き返らないんじゃぞ!」
「知らんがな」
「これだから、最近の若者は―」
主人公は、ブツブツと愚痴を言う老人をほっといて店内を見渡した。普段なら店員や客がいるはずだった。だがいまは店内に誰一人おらず、居るのは主人公とコーヒーをすする老人だけだった。
「・・・」
主人公はさらに大きなガラス窓越しに、街を歩く人々を見た。表情はなく、前を真っ直ぐ見て、ただ歩いているだけだった。
「ケータイを弄ってる奴とか、しゃべってる奴とか全然いねぇ・・・。なんつーか、無機質なロボットみたいな奴が歩いてるだけ。って感じだ・・・」
主人公がその異様な光景に顔をしかめると、コーヒーをすすっている老人が話しかけてきた。
「それが『あの子』が感じている世界なんじゃよ。街行く人が、ああ見えてるんじゃ」
「あの子だあ?・・・もしかしつ友人の事か?ジジイ、知ってる事を教えろよ。ここは何処なんだよ。何が起こってんだ?俺は過去にタイムスリップしたのか?」
老人はコーヒーを飲み終わると話し始めた。
「ここは過去ではない、もちろん現実でもない。人の心の中、『パンドラの箱』の中にある箱庭じゃ」
「心の中?パンドラ?」
「そう。人の心にある、ふたの開いた『パンドラの箱』の中にわしらはいるんじゃ。わしはその箱を開けたり閉じたりする事ができる。『鍵師』なんて呼ばれておるよ」
主人公は腕を組み考え込んだ。
「よくわかんねぇけどよ、俺のダチの心の中に居るって事なのか・・・。でだ、ジジイはなんだピーマンだったか、友人の心の中で何してんだテメェ!俺のダチになんかする気なら、ここでブチのめす!」
主人公は顔を鬼のように歪ませて、老人を睨みつけた。
「知り合いか・・・」
老人は少し眉を動かし、考え込んだ。そして喋り始めた。
「・・・箱には、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪、不安、憎しみ、怒り、嫉妬。様々な災厄が詰まっていたらしいのう。だが、箱の奥底には何か(エルピス)が残されている。それは希望か、救いか、はたまた絶望か―」
「おいジジイ!」
「はいはい、お前さんに分かるように簡潔に教えてやるわい。『パンドラの箱』は人の悩み、コンプレックス、不安、不満などなど。負の感情が原因で発症らしい。わしら『キーマン』はそんな悩みを解決する事を仕事にしている者じゃ。わしは、お前さんの友人が悩みを解消したいと依頼してきたから、ここに居るんじゃよ」
「悩み、アイツが・・・」
主人公は友人が悩んでいたなんて知らなかった。そんな話を聞かなかったし、そんな素振りもなかった。
主人公がある程度、いまの状況を理解した時だった。突然、老人が主人公の頭を抑える。
「いっ!」
「シィー・・・」
老人と主人公は身を縮め、息を殺した。
『ガシャン!ガシャン!ガシャン!』
金属が擦れ合う音が外に響いている。
主人公と老人がゆっくりと大きなガラス窓越しに外を確認すると、無機質に歩く人々の中に異様なモノが居た。
『ガシャン!ガシャン!ガシャン!』
それは全身を銀色の甲冑をつけた、身長2メートルを超す巨体の騎士だった。
「な、なんだ・・・?」
「あれがココの『番人』かのう」
老人は困ったように言った。
「番人ってなんだよ?」
老人は真顔になって言った。
「心の拒絶が実体化したヤツじゃよ。防衛本能、譲れない一線。人が自分の心を守る為の『番人』じゃ。パンドラの箱庭には大体いる。わしらみたいな異物を取り除く、自己防衛システムみたいなもんじゃよ。誰だって人に触れられたくない事があれば、拒否反応があるだろう。それの本当の本当に耐えられない時に出る、最後の『心の拠り所』。それがアレじゃ」
巨体の騎士は、金属音を響かせながら何かを探すような素振りをしていた。
「なあ、ジイさん。あの化け物に見つかったり、殺されたらどうなるんだ・・・?」
主人公は顔を引きつらせながら聞いた。
「人生の終わり。じゃな」
「マジかよ・・・」
「ま、お前さんだけだったらの話だがな。・・・よっこらしょっと」
老人は立ち上がると、軽く首を回し始めた。
「ちょ、ジジイ!見つかるって」
「大丈夫じゃよ。なんかアイツ木偶っぽいし。それに、本当なら『番人』が出てこないように息を潜めて、あの子の悩みの正体を突き止め、そして秘密裏に解決する。そんな予定じゃったがお前さんのお陰でパァーじゃし。『番人』が出てしまった以上、やらなきゃやられるわい」
老人はそう言って歩き出した。
「どうすんだよ」
「もちろん倒すしかないじゃろ」
「倒すって・・・。ならなんで隠れたりしたんだよ!最初ッから戦えばいいんじゃないのか?」
老人は主人公のその言葉を聞いて鼻で笑った。
「ふっ。正面からまともに戦う馬鹿が何処にいるんじゃ。奇襲、闇討ち、不意打ち上等。そのために隠れたんじゃよ」
老人はそう言って、悪そうな顔でファミレスから出て行った。
『ウィーン、ピンポーン』
主人公が大きなガラス窓から外を眺めていると、無機質な人々が行き交う中、巨体の騎士は未だに辺りを見渡していた。
「あっ」
すると、さきほど出て行った老人が、無機質な人々に紛れ込み、何食わぬ顔で騎士の目の前を横切った。
「あっぶねぇ!何やってんだジジイの奴」
だが騎士は老人には気付かなかったのか、頭をキョロキョロと動かすだけだった。
数分後。老人が来た道を戻ってきて、また騎士の前を平然と通り過ぎた。
「ジ、ジジイの奴、何考えてんだよ」
主人公は、ヒヤヒヤしながら老人の行動を見守っていると、老人は騎士から少し離れた位置で振り返った。そして、キョロキョロとする騎士を睨みつけた。
「まあ、身構えるほどの『番人』でもなかったってことか。あまり、こういう荒っぽい事は好きじゃないが・・・。今回はイレギュラーがあったし、仕方ないかのう」
老人はそう独り言を呟き、自身の顔の前に握りこぶしを構えた。そして勢い良く、人差し指と中指を立てる。
「火召爆散急急如律令・皆殺しっ!!」
老人の叫びが木霊した。
巨体の騎士が、1人の老人の叫び声に気が付いた時、もうすべての準備は終わっていた。
騎士の周りにいる、ただ歩き回るだけの無機質な人々の背中に『火召爆散急急如律令』と古語で書かれた札が張り付いており、老人の声と共に何十人といる無機質な人々が火を上げると共に盛大に爆発四散した。
辺りには爆音と爆風が響き渡り、建物のガラスは割れ、コンクリートはえぐられ、歩道に植えられた木々はなぎ倒された。
「っ!?」
主人公のいるファミレスの大きなガラス窓も豪快に飛び散り、店内に強風と砂塵や煙、けたたましい爆音が入り込む。
数秒後、主人公が顔を上げると、ファミレス内は爆撃を受けた後のような廃墟と化していた。
老人は煙が立ち込めるなか、目を細めて警戒していた。
「はぁ?」
徐々に土煙が晴れていくと、老人はそんな間抜けな声を上げてしまう。老人の目線の先には、あの爆発を受けても平然と仁王立ちする騎士の姿があった。
「・・・無傷。戦闘態勢でもない状態からの不意打ちじゃぞ。あの『番人』・・・やばいかも」
老人はそう言って苦笑いをした。
騎士は晴れつつある煙の中に、『異物』である老人をやっと見つけた。腰にある剣を抜くと、老人に向かって構えた。
「俺が守る!何があっても、守り抜く!」
騎士はそう高々に言うと、老人に向かって走り出した。
「やれやれ、まいったのう」
老人はそう言いながらも、和服の懐に両手を突っ込む。素早くその両手を取り出すと、溢れんばかりの大量の札が握られていた。
「火弾線射急急如律令!」
老人がそう叫び、両手を握り締めると、両手一杯の札は一斉に燃え上がり、老人の両手に炎が灯る。そして、突っ込んでくる騎士に対して、老人は燃える両手の握りこぶしを向けると親指を素早く弾いた。
主人公がよろよろとファミレスを出る。そこには映画のような世界が広がっていた。老人は燃え上がる両手から、火炎の弾丸を機関銃のように撃ち出され、巨体の騎士は無数に飛来する火線の様な弾丸を、気にもせずに老人へと突っ込んでいく。
「なんじゃこりゃ!」
主人公が驚いていると、騎士は老人との距離を詰め、自身の剣の射程距離に入る。
「絶対に!守る!」
騎士はそう言って、老人に向かって剣を振り下ろす。老人は素早く両手を横に払い、手に灯る炎消すと右手を懐に突っ込む。
『ズギャッ』
が、老人の左腕が宙に舞う。
主人公は、ただその数秒間の光景を眺めるしかなかった。
「―!?」
主人公がもう老人は駄目だと思ったとき、老人は懐から一枚の札を取り出し騎士の顔面目掛けて投げつけた。投げつけた札は騎士の兜に張りつく。
老人は残っている右腕の握りこぶしを顔の前に構えると、人差し指と中指を勢い良く立てる。
「火召爆散急急如律令!!!」
その老人の叫びと共に、騎士の兜に付く札は火を上げて爆発する。
再び爆音と爆風が辺りに広がる。と、土煙の中からボロボロの老人が吹き飛ばされて出てくる。
「ジジイ!」
主人公は、吹き飛ばされ倒れている老人に向かって走り寄った。
「大丈夫かテメェ!」
「・・・大丈夫に見えるか、小僧?」
「血だらけじゃねぇか!それに腕がないゾ!!」
「わ・・・わかっとる、つーの・・・」
そう、老人が息も絶え絶えで主人公に言うと。
『カラン、カラカラ』
何か金属が落ちる音がした。
主人公と老人が音のする方向を見ると、土煙の中から騎士がゆっくりと姿を現した。
「―っな!?」
「・・・ほう」
騎士の兜は地面に転がっており、土煙から姿を現した騎士は、ある意味では見慣れた顔をしていた。
「俺・・・だと!?」
主人公は、自分とまったく同じ顔をした巨体の騎士に驚いた。
“『パンドラの箱』とは、人の心が作り出した『別の世界』である。そこには、作り出した本人の心象が反映された箱庭の世界が広がる。そこは本来、閉ざされた空間。
《何者にも犯されない自分だけの世界》である。
だが、『鍵師』と呼ばれる人々は、その『パンドラの箱』を開き、中に入る事が可能である。鍵師は特殊な能力があるのではなく、『適正』がある人間である。
箱庭には『番人』と呼ばれる者がいる。彼らは、作り出した本人の心象が反映された存在である。箱庭を守り、異物の侵入を防ぎ、排除する者である。彼らは邪悪な存在ではなく、作り出した本人の守護者である。心の拠り所、支え、すがり付く対象、彼らの姿はそれらに強く影響を受けている。
『パンドラの箱』の多くは、心に闇を抱えているモノに現れる。だが、統計学の定義で言えば対象となる母集団の数が少なく、前述のように言い切る事はできず、主観の入った情報や意見に頼るしかない。
『パンドラの箱』から現実に戻る方法は、大きく分けて二つある。一つは、心象変化による箱庭の改変による排出。 価値観の変化、トラウマの解消などがある。それらは本人の心に大きな影響を及ぼし、本人の根源を揺るがす物ある。しかし、比較的に安全な方法でもある。
※蘆屋道高・著『第三報告書』より抜粋”
主人公は、自分と同じ顔の『番人』である騎士を見て固まった。その顔は他人の空似ではなく、まぎれもなく自分自身の顔であった。だが少しだけ違和感があった。どこか、美化されているように見えた。
「違う、俺とは少し違うぞ!?」
「当たり前じゃろ。あれは、『あの子』から見たお前さんじゃ。あの子のお前さんへの心象が影響しておる」
老人は苦しそうに、動揺する主人公に言った。と―
「俺の剣で浄化してやろう、この悪人め!」
騎士は、倒れる老人と寄り添う主人公にそう言い放つと、悠々と剣を天に掲げた。その顔は人を切り殺す迷いは無く、主人公には同じ顔とは思えなかった。
「くそったれが!!」
と主人公は、なにを思ったか『番人』である巨体の騎士に殴りかかった。その行動に老人は、思わず“ヒュー”と口笛を吹く。
「お前も悪人か!切る!!」
騎士は突っ込んでくる、主人公を睨むと剣を振り下ろした。主人公は自分自身に睨まれ、―なんて悪人面だ―と思ったが、そのまま勢い良く騎士を殴り付けようとした。だが、主人公の拳が騎士に届く前に、振り下ろされた剣が主人公に食い込む。
「爆肉鋼体急急如律令!」
食い込んだ瞬間、後ろで倒れている老人がそう叫んだ。いつの間にか主人公の背中には札が貼ってあり、主人公の全身の筋肉が一回り大きく隆起した。剣は主人公の体に1ミリほど食い込んで止まる。
そして、今度は主人公の拳が騎士に勢い良く食い込んだ。
『メリメリメリ!』
鋼鉄が歪む音と共に、騎士は数メートル後ろに押し飛ばされる。そして痛そうに、片膝を付いた。
「なんだこりゃ!ジジイ、何した!ムッキムキだぞ!?」
「ええからっ・・・わしを連れて逃げるんじゃ!」
「わかったよっ!」
ムキムキの主人公は、老人を担いで走り出した。片膝を付いた騎士は動く事が出来ずに、逃げ出す二人をただ見つめるしか出来なかった。
老人を担いだ主人公は超人的な速さで走り、街中を縦横無尽に逃げた。が、数秒もすると筋肉は元に戻り、老人の重さに耐えられずに倒れこんでしまった。
「うげっ!なんだ急に重たくなりやがった!イテー!」
「うがっ・・・。うぐぅ~・・・」
老人は倒れた衝撃で、痛そうに呻き声を上げる。
「すまんジイさん、でも急に力が抜けてよ」
「逆じゃ。『爆肉鋼体』の札を使って、お前さんの体が一時的に強化されてただけ。いまは元の体に戻っただけじゃ」
主人公は自分の体を触ってみる。確かに先程は物凄く筋肉が有った気がした。
「ふ~ん、便利だな。ジイさんも使えばいいんじゃないか」
「・・・この老体で使っても、0.1秒も強化できん。普通の成人男性でも2、3秒が精々じゃ。あまり使いどころのない札なんじゃ。まあ、お前さんは数十秒も持ったがの」
そう言いながら、老人は何とか立ち上がる。
「おいおいジイさん、無理すんな」
主人公は老人に手を差し伸べようとする。しかし、差し伸べた手は払いのけられた。
「いまから言う事を、脳みそに刻み込め・・・。口答えせずに、ただ聞け・・・」
「な、なんだよ」
老人は弱弱しく震える体を、ピンと一直線にして胸を張る。そして喋り始めた。
「少しは距離を離したが、『番人』はすぐにでもやってくる。お前さんはここから逃げろ。わしが『番人』の相手をして時間を稼ぐ」
「なっ!?」
異議を唱えようとした主人公を、老人は鋭い目つきで睨みつけた。
「わしが『番人』を食い止めている間に、お前さんは『この世界』から抜け出し『現実世界』へ戻れ」
「戻れって言われても。どうやって戻るんだ?」
「知らん」
「おい!」
主人公は思わず叫んだ。
「だが、この世界の主、『あの子』の心が変化すれば戻れるはずじゃ。ほんの少しの変化で良い、少しでも心が変われば『心の改変』が起きる。たぶん余りにも小さな改変だろう。1人が抜け出すので精一杯じゃ。お前さんには、何とか心を変化させて『現実世界』に戻ってもらいたい」
老人はそう主人公に伝えた。
「1人って、ジイさんはどうすんだよ」
「ここからが重要じゃ。現実世界に戻ったら、『あの子』の悩みをお前さんが解決しろ・・・!こんな箱にはを作るほどの悩みを解決出来れば、箱庭全体が改変される。そうすればわしもここから抜け出せる」
老人は主人公に力強く伝えた。
「悩みを解決しろって言われても、あいつの悩みなんてわかんねぇっての!」
「この箱庭の世界がヒントじゃ。この世界は『あの子』の心が作った世界。この世界全てがヒントじゃ・・・!あとは自分で考えろ。ほら、さっさと行け!もう『番人』が来るぞ」
老人はそう主人公を急かすと、懐に手を入れて札を取り出した。
「行けって言われてもよぉ!?」
「まずは、この世界の『あの子』を探せ!そして心をナントカして変えろ。そうすれば出られるかもしれん。そして現実に戻ったら、『現実世界』の『あの子』を救ってやれ!」
老人はそう言って主人公を蹴り飛ばした。
「いって!くそったれが!言われた事をやったら、俺も友人もジイさんも無事ハッピーエンドで終わるんだな!」
「ああ」
主人公はその老人の言葉を聞くと走り出した。
主人公がいなくなり1人となった老人は、先程取り出した札を切断された左腕の断面に張りつけた。
「鎮痛克己急急如律令・・・」
老人はそう小声で唱える。
「はぁ~・・・。さて、あの小僧が成功する確率はほとんど無いし。結局、頼れるのは自分のみか。まあ、足手まといが消えた訳じゃし。奥の手を出し惜しみして、死んでちゃ世話無いからのう・・・」
老人はそう言いって懐から、何枚もの『封』の文字が書かれた札の塊を取り出した。
「こいつに頼るハメになるとは・・・」
老人は不満そうに呟き、『封』の札を剥ぎ取っていく。すると中から一つの携帯電話が出てきた。
「さて、十数年ぶりの『式神』か・・・。言う事聞いてくれりゃー良いがのう」
老人は携帯電話を素早く操作し始めた。