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7 別れた理由

 凜翔りひとの音楽に引き寄せられて再会……だなんて、ロマンチックなことを思うヒマは皆無だったーー。


 場違いな自分に気付いてその場を離れようとした時、ピアノのイスに座っていた凜翔が勢いよく立ち上がり強引に私の手を取った。


「ちょっと来て」

「凜翔…!?」


 されるがままだった。私を連れて部室を出る凜翔に、紗希さきちゃんも大きな声を出した。


「練習は!?」

「後できっちりやるから!少しだけ時間ちょうだい。ごめん」

「ちょっと!!」


 気の強そうな紗希ちゃんの制止にかまわず、凜翔は早歩きをした。サークル棟を離れてたどり着いたのは、昼間でも人通りの少ない中庭の池だった。


「凜翔、手、痛い……」

「……」


 無言で手を離され、ホッとした。でも、胸のドキドキが止まらない。早歩きしたせいではなかった。


 これまでの凜翔のイメージと違い、今の彼からは余裕が消えている。


「勝手に部室行ってごめん……。怒ってる?」

「怒ってないよ」


 そこでようやく、凜翔は穏やかさを見せた。でも、どこか困ったように視線をさまよわせ、こんなことをいてきた。


「紗希とは、本当に初対面?」

「そうだよ。さっき部室の前で会ったばかり。あんな可愛い子が同じ大学にいたなんてビックリだよ〜」


 久しぶりの再会を喜んでいる感じを装ってみたものの、私はひどく緊張していた。凜翔との間に薄くて固い氷みたいな壁があるような気がしたから。……それは気のせいではないと、凜翔の次の言葉で分かった。


「紗希は教育学部だから。ひなたとは接点ないと思ってた」

「へえ、凜翔と同じ学部なんだ!今まで見たことないわけだね、ははは……」

「紗希に、会わせたくなかった」

「え……」


 それってどういうこと?


 嫌な予感で体が熱くなる。偶然とはいえ、レンタル彼氏をしている凜翔のプライベートを知ってしまったから、そのことを怒ってるんだろうか?


「大丈夫!凜翔の仕事のことは誰にも言わないし!もちろん、デートしたことだって秘密にする。心晴こはるにもそうお願いするし。やっぱり彼女には知られたくないことだもんね?」

「……ひなた」


 気まずそうに目を伏せ、凜翔は黙り込んでしまった。


『初恋は年上の女性で、彼女はいない』


 レンタル彼氏のホームページに出してた凜翔のプロフィールはウソなんだと確信した。楽器の演奏という特技以外、全部。


「そうだよね。そういう風に書かないとお客さんがガッカリするもんね……。分かってたよ、分かってた……」


 自分に言い聞かせるように明るくそうつぶやく私を見て、凜翔は言い訳を考えるようにもどかしげな表情を見せる。


 何でもいいから言い訳してほしかった。でも、彼は何も言わず、ただ、何か言いたそうに目を伏せるだけだった。


 ただ胸が痛いだけの沈黙。なのに、私はここを離れたくないと思った。今凜翔から離れたら、もう二度と彼には会えなくなってしまうような気がして。


 仕事モードじゃない凜翔と時間外のデートをして、完全に浮かれてた。ゆうという彼氏がいるクセにーー。



 月の光が照らす池の水面が、不気味なほど綺麗。冬色に変わりつつある夜風が寒いのに我慢していると、紗希ちゃんがやってきた。彼女の姿を見て、落ち着いたように見えた凜翔の態度はまた動揺一色になる。


「紗希……!」

「……ふーん。なるほどね」


 紗希ちゃんは品定めするみたいな目つきでこちらを見やり、底冷えするような声音で私に詰め寄った。


「まだいたんだ。邪魔者はさっさと消えてよ」

「ご、ごめんなさい。練習の邪魔して!もう帰ります!」


 紗希ちゃんはとても可愛い。可愛いのに、ものすごくこわかった。逃げるようにその場を去ろうと二人に背を向けてもなお、紗希ちゃんの鋭い言葉は私を攻撃した。


「凜翔まで懐柔かいじゅうしたんだ。地味なくせに手の早い女」

「……!?」


 意味が分からなかった。彼女の言葉に驚き、絶句してしまう。


 たしかに、凜翔とはデートしたけど、特別なことなんて何もなかった。手はつないだけどそれだけで、紗希ちゃんを怒らせるような関係では決してない。現に、凜翔は紗希ちゃんのためを思って私と連絡先を交換するのを拒否した。私だけじゃない、きっと他の子に対しても凜翔はそうしてる……。


 でも、紗希ちゃんの気持ちも痛いほど分かった。浮気はもちろん許せないけど、好きな人が他の女性を特別視しているのは、彼女としていい気はしない。絶対に。


「私はそんなことしてないよ。でも、誤解させて紗希ちゃんに嫌な思いさせたり、練習の邪魔したこと、本当にごめんなさい。大学祭の準備、お互い頑張ろうね」


 凜翔には視線をやらず紗希ちゃんにだけおじぎをして、私はその場を去った。……これでよかったよね?


「ひなた……!」


 去り際、凜翔の声が聞こえた気がしたけど、気付かないフリをした。


 校門の外に出て、いつもの歩道を歩き、駅のホームに着いてもまだ、心臓が激しく高鳴っている。緊張と絶望。恐怖。そして、思わぬ場所で凜翔と会えて嬉しかった気持ち。色んな感情が混じり合っていた。


「……地味なクセに、か」


 痛いところを突かれた。凜翔に選んでもらった服を着るようになってから「可愛くなったね」と言ってもらえることが増え、少しだけ自分に自信が持てそうだったけど、人間、そんなすぐに変われるものじゃない。


 紗希ちゃんみたいに顔もスタイルも女の子らしくて生まれつき女子力も高そうな子が、恋愛市場では優位なんだ。


 分かってた。そんなこと。でも、凜翔の彼女が紗希ちゃんみたいに完璧だなんて、不公平としか思えなかった。あんな子に太刀打ちできるわけない。


 自宅の最寄り駅に着く前、心晴に電話しようとしたけど、やめた。引っ越し前で心晴は何かと忙しい。


 寂しいな……。


 電車を降りても家に帰る気になれずフラフラ歩いていると、


「あれ、ひなたじゃない!?」

杏奈あんな!」

「久しぶりー!元気?」

「元気元気!」


 全然元気じゃないのに、つい、ノリ良く答えてしまう。杏奈は同じ中学出身なので地元で会うのは不思議じゃない。でも、彼女と仲良くなったのは同じ大学に入ったことが分かってからで、中学時代は絡んだことがなかった。


「杏奈も元気そうでよかったよ。最近大学で会わないから気になってて」

「単位はほとんど取ったし、卒業まではバイトしながら遊んで暮らすことにしたんだぁ」

「そうなんだ。いいなぁ。私まだ単位取ってなくて、毎日講義だよ〜」

「それはそれで学生らしくていいんじゃない?」

「かなぁ」


 駅前の広場で立ちどまり、盛り上がる。元々明るい子だったけど、今年に入ってから杏奈はますますイキイキしているように見えた。


「ねえ、久しぶりだし、この後ヒマなら飲みに行かない?心晴も誘ってさ!」

「いいね!電話してみるよ」


 何となく一人になりたくなくて杏奈の誘いに乗った。心晴に電話してみたものの、来れないとのこと。引っ越しの荷造りに時間がかかっているらしい。


「じゃ、二人で行きますか!」


 杏奈のオススメで、駅近のバーに来た。大人っぽいお店だけど、私達みたいな学生の姿も多く、意外と入りやすかった。


「じゃあ、とりあえず乾杯ー!」


 杏奈の一言で、私達はお互いのカクテルグラスをカチンと合わせた。


 ほろ酔い加減になりながら杏奈の近況を聞いて、夕食代わりのおかずをいくつか食べた。


「大学の友達から聞いたんだけど、ひなたって相馬そうま優と付き合ってるんだって?」

「そ、そんなにウワサになってるの?」

「相馬優モテるから、何かと注目されてるんだよ。特に女に」


 たしかに、大学で優と一緒にいると視線を感じることが多かった。


「相馬って優しいの?」

「うん、優しいよ。元彼と大違い」

「元彼の分まで可愛がってもらってるんだね」

「そう…なのかな?そうだと思う」


 曖昧あいまいに答えた。昭との別れやその原因を知らない杏奈にはそこまで詳しく話せない。それに、今日は楽しみたいし。でも、杏奈の方は私の恋愛話に興味があるみたいで、色々訊いてくる。


「そういう男と付き合うの、大変じゃない?モテる彼氏だと余計な心配事が増えるっていうか」

「そんなことないよ。モテるけど、優は軽くないから」


 優には今、安心感しかない。それがいいことか悪いことかは分からないけど、こうして彼氏の話をしていても、頭に浮かぶのは凜翔のことだった。凜翔の奏でていた曲、前にもどこかで聴いたことがある気がしたけど、思い出せない。


 それからもハイペースで飲み続け、気持ちがだいぶ緩んでいた。お酒に強い杏奈も、さすがに驚き心配している。


「ひなた、今日はペース早いね。そんなに飲む方だった?」

「久しぶりだしね!今日はとことん飲むよ〜」

「何かあったの?」

「何か、あったっけ?あった!そう、あったのー!連絡先教えてくれない男の人の気持ちが分からないー!会ってる時は優しいのにぃ」


 開放的になり、凜翔のことを口にしてしまった。


「彼女いるクセに優しくしてくれたり、服選んでくれたりドライブ連れてってくれたり、わけわからーん!男、意味不明!」

「ちょ、ひなた、しっかり!」

「もっと、もっと酒〜!!」



 それからの記憶はない。


 気付くと、私は知らない部屋のベッドに寝かされていた。サイドボードの電気だけが灯された室内は薄暗かったけど、そこが男の人の部屋だというのは室内の家具や物で分かった。初めての場所にしては見覚えがあるような……。


「杏奈は……?」


 まだ酔っているらしく、頭の中はふわふわし、妙な心地よさは続いていた。


「目、覚めた?」

「優……!?」

「よかった。なかなか起きないから心配したよ。電気つけていい?」

「うん……」


 現実に引き戻され、私は上体を起こした。血の気が引いていく。


 明るくなった室内を見て、優が一人暮らしをしているアパートだと気付いた。昭と付き合ってた頃、昭と一緒に何回か来たことがあるけど、彼女になってからここへ来るのは今夜が初めてだった。通りで見覚えがあるはずだ。


「ひなたのスマホで杏奈ちゃんって子が電話くれたんだ。同じ大学の子なんだって?」

「杏奈とは久しぶりに会って、盛り上がって飲んで……」

「杏奈ちゃん心配してたよ。もちろん俺も……。ひなががそんなに飲むとこ、初めて見た」


 言うなり優はベッドに座り、優しく抱きしめてきた。男の人の体だった。アルコールが抜け切っていないせいか、そのぬくもりにドキドキして、同時に寂しくなった。


 そっと腕を離すと、優は唇にキスをしてきた。いつもの優しい触れ方だったのが、どんどん濃厚なキスに変わっていく。そのままベッドに押し倒された。


「杏奈ちゃんじゃなく、真っ先に俺を頼ってほしかった」

「優……」

「ひなたの傷付いた顔、もう見たくない」


 切なげにこちらを見つめる優の瞳は、私だけを映していた。首筋や頬にぎこちなく触れてくる優に、このまま身を任せてしまおうかな……。


 凜翔を想っても届かない。紗希ちゃんには敵わない。だったらもう、優だけを見ていきたい。優に抱かれたら、昭や凜翔に対するわずらわしい感情を捨てられるかもしれない。


「優……」

「ひなた……。そんな顔されたら、もう我慢できない」


 裸になった優にそっと服を脱がされ、時間をかけて全身を愛撫される。私の敏感なところを知ると、優は何度もそこに触れた。一秒ごとに互いの肌が熱くなるのが分かるのに、私の気持ちはどこか冷静で、優の視線が熱っぽく抱きたいと言っているのに気付いても、胸は高鳴らなかった。


 私の心を見透かしたみたく、優は悲しげな笑みを浮かべると、あらわになった私の胸に毛布をかけた。


「……ここで終わりだよ」

「え?」

「体がつながったって心までは奪えない。分かってたのに……」

「優……」

「別れよう。ひなた」


 未練の残る瞳で、優は苦笑した。


「ひなたの笑顔が好きだった。昭の隣で幸せそうにしてるひなたを見て可愛いなって……。ひなたのこと、前のように笑わせて幸せにしたかった。だけど、ひなたを幸せにできるのは俺じゃないと思う。ずっと前から気付いてたのに、気付かないフリしてただけなんだ」


 うつむき、優はおもむろに何かを差し出した。それが何かに気付き、心臓が飛び出しそうになった。心晴がプリントアウトしてくれた、凜翔の写真付きプロフィール。


「さっきひなたを迎えに行った時、カバンから落ちたの拾って……。勝手に見てごめん……」

「違う!これは……」

「分かってるよ。ひなたは浮気なんてしない。俺が不甲斐なかっただけ」

「そんなことない!優はいっぱい尽くしてくれた…!感謝してもしきれない!」


 優が告白してくれたおかげで、昭と普通に話せるようになった。一人で寂しくならずにすんだ。でも、私の言葉は、優の固い決心を揺るがすことはなかった。


「ひなたはずっと自由になりたがってたのに、俺のワガママで縛りつけてた。もう、いいよ」

「優……」

「幸せになって。そしたらまた、あの笑顔で惚れさせて?」


 こんな優しい別れのセリフ、聞いたことないよ……。


 罪悪感と、ほんの少しの同情。寂しさ。優との別れは彼らしい穏やかさに溢れていた。それが痛くて、涙がにじむ。


「ごめんね、優……。今までありがとう」



 優は送ると言ってくれたけど、それを断り、タクシーに乗って一人で家に帰った。もうすぐ日付が変わりそうになっていて軽く驚いた。


 心晴の顔が見たくなったけど、さすがにもう寝てるかもしれない。おとなしく帰宅し、シャワーを浴びてベッドに寝転んだ。


 優に触れられたことを思い出しても冷静なのに、もしもあの手が凜翔のものだったら……。そう考えただけで鼻血が出そうなくらい顔が赤くなる。な、何考えてるんだ!


 邪念を振り払うため、勉強机に座り映画のパンフレットを開いた。凜翔との初デートで買ったものだ。面白い映画だと思った時は必ずパンフレットを買うようにしている。凜翔も私の真似をして同じものを買っていた。


「紗希ちゃんともああやって映画見て一緒にパンフレット買ったりしてるのかな……」


 さっそく気持ちが落ち込む。優と別れることで前に進めたのかもしれないけど、問題は山積みだ。そもそも、彼女いる人を好きになるって、無謀だよ、やっぱり……。


 音楽活動をはじめ、恋愛関係で深くつながっている紗希ちゃんと凜翔を引き離すなんて、無理な話。それに、たとえ凜翔のことが好きで好きで仕方なくなっても、略奪だけはしたくなかった。それじゃあ、昭の心を持って行った人と同じになってしまう……。


 凜翔とのことを後押しし応援してくれた優には申し訳ないけど、もっと他の人を好きになれるよう努力しよう!そうと決まれば、手当たり次第出会いを求めるまで!


 幸か不幸か、ほとんど大学に来ない杏奈ですら知っているくらい、優は大学で有名だ。私達が別れたことは瞬く間に全学生に知れ渡ったので、合コンへの誘いもおのずと増えた。


 とはいえ、大学祭の準備やバイトで忙しいので、合コンの誘いがあってもなかなか参加できずにいた。


 よく知らない男女と遊ぶ、そういう類の集まりに苦手意識もあったけど、仲の良い友達となら楽しく参加できそうだったので、可能なら参加したいと思っている。


 大学祭まで残り10日を切った頃、パタリとそういう誘いがなくなった。それと同時に、学内で会う友達の反応もそっけない気がした。忙しさのせいで合コンの誘いを断ったせいかもしれない。


 そんな時、トイレで知らない子達に指を差されて陰口を言われていることに気付いた。


「ほら、あの子だよ〜」

「相馬君の元カノ!遊び人なんだって」

「おとなしそうな女ほどこわいって言うしー」

「それね」


 優は人気者だから、根も葉もないウワサが流れるのも仕方ないのかも。でも、何度か遊んだことのある友達にまでそっけなくされる理由がそれだとしたら、悲しい。


 あまり深く考えずにいられたのは、心晴のおかげだった。自分も引っ越しの準備やバイトで忙しいのに、今までみたく時間を見つけて大学に来てくれた。


「優君とは、あれきり会ってないの?」

「うん。講義も休んでるみたいで、全然顔も見ない」


 優はきっと私に気を遣ってるんだと思う。別れても優しい優に、感謝と申し訳なさを感じた。


 凜翔に紗希ちゃんという彼女がいることを、心晴には話さなかった。話したら、心晴はきっと優しい言葉で慰め前向きに励ましてくれる。そしたら私は今度こそ本当に凜翔を諦められなくなる、それが分かっていたから。


「大学祭が落ち着いたら新しい恋がしたいな」

「凜翔君のことは?いいの?優君が身を引いたのも、そのためだったんじゃないかな……」

「そうだね。でも、凜翔のこと分からなくなったのも本当だし……。もう、恋愛で振り回されたくないんだ」


 次に付き合う人とは、ちゃんと付き合いたい。そう思った。優みたいに中途半端なことはしたくないし、昭の時みたく傷付きたくもない。


「あのさ、ひなた……!話したいことがあるんだけど」


 切迫詰まった心晴の言葉を切るように、杏奈が声をかけてきた。この前のことはラインで謝ったけど、私は改めて彼女に謝った。


「この前はごめんね、迷惑かけた。これからは気をつけるからまた誘ってね」

「気にしなくていいよ。相馬が対処してくれたし、私も酔うとああなるし、お互い様」


 サバサバした杏奈の様子にホッとしたのも束の間だった。


「それより、大丈夫?ひなた、だいぶウワサになってるよ」

「ウワサ?……たしかに、最近学校で皆が冷たいような気がするけど……」

「ひなたが相馬と付き合ってたのは遊びで、他にもそういう男がいるってウワサになってるんだよ。元カレと別れたのも、試しにモテる相馬と付き合いたかったからで、結局相馬のことも飽きたから捨てたって話になってるみたい」

「そんな!全然違うよ…!」


 でも、半分はその通りかもしれない。優の気持ちに応えられなくて、結局彼を傷付けた。


 黙ってしまう私の隣で、心晴が強く意見した。


「ひなたはそんなことしない!あたし昔から一緒だったもん、よく知ってる!」

「分かってるよ、心晴。ウワサは否定しといた。どんだけ効果あるか分からないけどね。ひなたが心配で、用事ないのに大学来ちゃったよ。でも、思ったより元気そうで安心した。色々あったと思うけどさ、また三人で飲も?」


 この後バイトがあるからと、杏奈はすぐに帰ってしまった。わざわざそのためだけに来てくれたなんて……。


「人の優しさが身にしみる……。友達ってあたたかいね」

「ひなた……。ホントは我慢してたんじゃない?色んなこと」


 心晴は心配そうにこっちを見つめた。さっき、彼女が何かを言いかけていたのを思い出した。


「心晴、さっき何か言おうとしてなかった?」

「……あ、うん!そのことなんだけど……。ひなたにお願いがあって」


 いつになく真剣な瞳で、心晴は言った。


「引っ越す前に、ひなたとの楽しい思い出を作りたい。今年の大学祭、凜翔君も呼んで三人で回りたい」

「心晴のお願いなら聞いてあげたいけど、凜翔の連絡先知らないし……」


 それに、凜翔とはもう関わりたくない。紗希ちゃんを大事にする凜翔なんて、見たくないから。


 私の気持ちを知ってか知らずか、心晴は気丈に言った。


「そこは問題ないよ。凜翔君にはレンタル彼氏として来てもらうから」

「心晴が呼び出すの??」

「うん。彼氏役を求めてってわけじゃないけど、凜翔君には色々思うことがあってさ」

「そんな……。たしかにカップルで来る人も多いけど、学園祭にレンタル彼氏を呼ぶって、アリなの?」

「アリだよ。規約違反にならない範囲でお客さんの要望を聞き入れるのが凜翔君の仕事だしね」

「本気?」

「本気だよ」


 この時、初めて心晴のことが分からなくなった。凜翔に対する複雑な気持ちを察してくれているはずなのに、あえてその張本人を大学祭に呼び出そうとするなんて……。悪意はないとしても、心晴がそんなお願いをしてくる理由が想像できない。


「でも、たしか軽音楽部もライブやるから、凜翔がレンタル彼氏するのは無理じゃない?」

「そこは問題なし!すでに予約してあるからっ」

「マジかっ!!」


 つい、大声で反応してしまう。心晴の意図がますます分からなくなった。


「ひなたはもう凜翔君には会いたくないかもしれないけど、お願い。あたしのワガママ聞いてほしい」

「心晴……」


 それ以上、私は反対できなかった。心晴は来月から彼氏のイサキさんとも離れ、知らない土地でやっていかなきゃならないんだ……。


 それに、心晴がこんなに何かを頼んでくるのは初めてだった。今まで何度も助けてくれた心晴に、こんなことで恩返しできるなんてちっとも思わないけれど。


「分かったよ。心晴がそうしたいなら」


 財布から1万円札を三枚取り出し、心晴に渡した。


「凜翔を呼んで、三人で楽しも。レンタル料金、これで足りる?」

「お金はあたし出すよ、ひなたはいてくれるだけでいいからっ」

「ううん。出させて?引っ越し祝いっていうのとはちょっと違うかもしれないけど、心晴に何かしたいってずっと思ってたから」

「ありがとう。ひなた」


 受け取ったお金を丁寧にしまい、心晴は嬉しそうに笑った。その目には少しだけ涙が浮かんでいた。


 心晴の喜ぶ顔が見られるなら、出費も痛くない。凜翔に会うのは気が進まないけど、それが心晴の喜びになるなら、私は頑張るだけだ。



 ウワサや凜翔の件が気になったものの、心晴のおかげで元気を取り戻し、その日も夕方からバイトに行った。


矢野やのさん、ちょっといい?話しておきたいことがあって」


 タイムカードを押すなり店長にそう言われ、事務室に連れて行かれた。


「店長……?」

「今日から新しいバイトが入った」

「そうなんですか、よかったですね」


 求人で募集をかけてもなかなか人が来ない。前に昭とそういう話をしたのを思い出し、安心した。これで皆のシフトに余裕ができる。


「まあ、店にとっては喜ばしいことなんだが、矢野さんにとっては良くないことかもしれないから」

「どうしてですか?」


 店長は気遣わしげな視線を向けてきた。


「……新人ね、海崎かいさき君の彼女なんだよ。なんでも海崎を追ってバイト希望してきた感じで。しかも、彼女も君達と同じ大学だっていうし……。矢野さんが仕事しづらくならないか心配で」


 昭の彼女って、同じ大学なの?もしかして私も知ってる人?誰ーー?不快な気分でめまいがし、ふらついてしまう。


「大丈夫!?」

「すいません、平気です……」

「ごめんね。店の状況考えると、こうするしかなくて……」

「そんな、店長は何も……。こっちこそ私情持ち込んで申し訳ないです。昭のことはもう大丈夫ですから」


 そう。大丈夫。昭の声を聞いても顔を見ても、最近は何も感じなくなってきてる。だけどやっぱり、私達が別れる理由になった昭の彼女のことは、気になって仕方なかった。


「矢野さんはよく頑張ってくれてるよ。卒業後も社員として働いてほしいくらいだ」

「ありがとうございます。店長や皆さんが良くしてくださってるおかげです」

「色々大変かもしれないけど、よろしく頼むよ。君なしでは店が回らないから」

「頑張ります。失礼します」


 店長との会話を新人に聞かれているとは思わず、その後すぐ着替えのため更衣室に行った。先に着替えをすませ更衣室のロッカーにもたれていた女の子の顔を見て、私は凍りつきそうになった。


「紗希ちゃん……!」


 昭の今の彼女って、紗希ちゃん?じゃあ、紗希ちゃんにとって凜翔は何なの?二人は付き合ってるんじゃなかったの?昭とはいつから知り合いだったの?


「そんなこわい顔しないで下さい。今日からよろしくお願いします」

「ご、ごめんね、そんなつもりなかったんだけど、こちらこそよろしく。私でよければ何でも訊いてね」


 不安で高鳴る心臓を無視し、普通の挨拶をした。大丈夫。今までも新人の教育係を任されることはあった。その相手が紗希ちゃんでも、仕事内容は変わらない。平常心、平常心だ。


 早くここから出て仕事をしたい。急いで着替えをしていると、紗希ちゃんは先日のように威圧感たっぷりに言った。


「矢野さんって色気ないのに男たらしなんですよね。店長にまで可愛がってもらってるし、凜翔にも気にかけてもらって、大学でもモテる人とすぐ別れたってウワサになってますよー?」

「……」

「昭も言ってましたよ?矢野さんといてもつまんないって。可愛いけどそれだけの女だって。もっと早く私と出会いたかったって。そうですよね。どう見ても私の方が上ですもん」


 モデルやアイドルみたいに可愛い紗希ちゃんの言葉にはとてつもない破壊力があった。平常心もすぐに崩れる。昭とは嫌な別れ方をしたけど、それでも大事にしたいと思う瞬間もあったのに、紗希ちゃんの言葉はそういうのを全て汚していくだけだった。


「凜翔も言ってましたよ。レンタル彼氏やってるせいで矢野さんが勘違いしてしつこく連絡先聞いてくるって。それホントですかー?昭と別れたばっかなのにがっつきすぎじゃありません?そこまで飢えてるんですか?」


 頭が真っ白になった。信じたくない。昭はともかく、凜翔はそんな人じゃないって信じたかった。


「紗希ちゃん、どうしてわざわざそんなこと言うの?凜翔はそんなこと言わない。言う人じゃない」


 なかば自分に言い聞かせるようにそう言うのが精一杯だった。


 紗希ちゃんの言葉にのみこまれそう。ただでさえ、私は凜翔のことをほとんど知らない。紗希ちゃんの方が凜翔のそばにいる時間が長い。だからーー。


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