3 彼の真意
凜翔との時間は楽しかった。本物の恋人ではないけど、そう錯覚してしまいそうになるくらいに。男の人を相手にしてあんなにも開放的な気分になれたのは久しぶり。
そういえば、結局、凜翔のことは何も聞かなかった。せめて年齢くらい訊いておけばよかったかな。もう二度と会うことはないんだから、考えても仕方ないだろうけど。
帰宅すると、家の前で心晴が待っていた。
「ひなたおかえり!今日はどうだった?」
「ありがとう。楽しかったよ。レンタル彼氏もいい人だったし」
「ホント!?よかったぁ!」
凜翔とのデートがうまくいったのかどうか想像し、心晴は気をもんでいたらしい。私は改めて、彼女に感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとう。心晴のおかげで久しぶりに楽しいデートができたよ。気分転換にもなった!」
凜翔に会う前まで胸にあった重たいものが、今はなくなっている。晴れやかに笑う私を見て、心晴も察してくれた。
「吹っ切れたって感じだね」
「うん。深く考えることずっと避けてきたけど、優のこと真剣に考える勇気出てきた!」
「どんな答えを選んでも、ひなたが決めたことなら、あたし応援するから」
「ありがとう、心晴」
その気持ちだけで充分だよ。とても心強い。心晴にはいつも、もらってばかりだ。
「決めたら、真っ先に話すね」
「無理しない程度に頑張ってね、ひなた」
ありがとう。時間がかかってでも、答えを出すから。
ーーううん。本当はもう、答えは出てる。
凜翔とのデートで思い出してしまったんだ。昭の横で幸せを感じていたあの瞬間を。『恋愛ってこうだよね』ってことをーー。
優は、私の復讐心を満たすためにいるわけじゃない。実際、私が優と付き合っても、昭は平気そうだった。それはそうだよね。昭にはすでに好きな人がいるんだから……。
私は、ひとりみじめな思いをしたくなかった。昭だけ幸せになるのが許せなかった。でも、それを優を縛る理由にしちゃいけなかった。
今後、私なんかを好きになる人なんて現れるのかな?誰かを好きになっても、昭の時みたいに選ばれずに終わるかもしれない。一生ひとりかもしれない。考えるとこわい想像ばかりしてしまうけど、優とは、もうーー。
心晴とバイバイし、自室で一人考えていると、優から電話がかかってきた。気持ちを見透かすようなタイミングに、ビクッと体が震える。
『明日ってバイトだよね?』
「うん、夕方までファミレスだよ」
『その後って、何か予定とかある?』
「ううん、何もないよ」
『じゃあ、バイト終わる頃迎えに行くよ』
優とは、いつもこんな感じで会う約束をする。こうやって誘ってくるのは優ばかりで、私からは誘ったことなかった。
無意識のうちに背筋が伸びる。今、言わないと!
「あのさ、優…!話があるんだけど」
『うん…?聞くよ』
電話の向こうで、ゆっくり待ってくれる優の気配。
『別れてほしい』。用意していた言葉は、ここへきてお腹の奥に引っ込んでしまった。どうして…?
『ひなた、大丈夫?今話すのが無理そうなら、明日ゆっくり聞くよ』
「ありがとう。お願い」
『疲れてる?バイト、無理しないでね』
「ううん、元気だよ!優も明日こっち来る時気をつけてね」
『分かったよ。ありがとう』
電話を切り、ただならない気持ちになった。優の優しさが胸に痛い。絶対、変に思われたよね?
その日の夜は、色々考え過ぎて眠れなかった。ベッドの中でスマホを手にし、ウトウトするまでニュースアプリやツイッターを流し見ていた。
凜翔とは初めて会ったはずなのに、前から知り合いだったかのような心地よさがあった。それがレンタル彼氏のなせる技なのかもしれないけど……。
「……!」
いつの間にか寝ていたらしい。今まで手にしていたはずのスマホがベッドの中に転がっている。枕元の時計を見ると午前4時だった。
浅い眠りの中で、変な夢を見た。昭の家にいる夢だ。そのせいで、寝汗がすごい。もう秋で、夜は寒いくらいなのに。
昭と別れてまだ2ヶ月ちょっとだし、別れる直前まで彼の家へ行っていたのだから、夢に出てきても不思議ではないけど……。
どうしてこのタイミングで?嫌になる。
優と付き合って昭とのことは平気になったつもりだったけど、本当はそうじゃなかったとか?
さっき、優との電話ですんなり別れのセリフを口に出来なかったのも、そのせい?
あれからほとんど寝れなかった。
翌日、予定通り朝から夕方までファミレスのバイトに行った。日曜日だから大学は休み。うちの大学は、休みの日はバイトしたいと言うコが多く、私もそのうちの一人で、昭もそうだった。
もしかしてと思ったけど、やっぱり今回も昭と同じシフトになった。
昭と付き合ってから意図的に同じ講義を選択していたので、彼とは2年生の頃から同じペースで学生生活を送っていた。恋人だった頃は嬉しかったその習慣は別れたからといって簡単に変えられるものではなく、現在こうして、ばったり顔を合わせてしまう始末。
「おはよう。今日も夕方まで?」
「うん。ひなたも?」
「そうだよ」
「今日客多いし、昼挟むのダルいな」
「ホントだね」
「テキトーにサボろ」
別れたことなどなかったかのように、私達は普通に会話していた。恋人だった事実がなかったら、仲の良いバイト同士の関係に見えるだろう。
バイトの皆はもちろん、社員さんや店長も私達のことを知ってるので、かなり気を遣わせてしまっている。
昭と別れた時、バイトは辞めようと思ったけど、店長はこう言ってくれた。
「悪いことしたわけじゃないんだから、堂々としてなさい」
優に告白される前のことだったから、なおさらその言葉は胸にしみた。別れた後はバイトで昭の顔を見るたび泣きたくなったけど、店長や周りに迷惑かけたくなかったし、なるべく普通にしているのが礼儀だと思った。
優の存在があって支えられたのも本当だけど、失恋後もバイト先で普通に働けることが、私を以前より強くしてくれたんだと思う。
忙しい時間帯を何とかやり過ごし、昼過ぎ頃にやっと休憩に入ることが出来た。他のホール担当の子達は午前中に休憩を済ませていたので、私は昭とかち合ってしまった。休憩がまだなのは私達だけだったらしい。
「やっぱり今日も人多かったな」
「夜の人も大変そうだよね」
「だな。ひなたもお疲れ。コレやるよ」
昭はわざと疲れた顔を作り場を和ませると、店の表にある自販機で売っている缶のココアをくれた。よりにもよって私の好物。
「そこまで気遣わなくていいのに。はい、お金」
「いいって。気持ち」
「……じゃあ、受け取っとく」
「……ああ」
しばらく無言になる。昭のこういうところが大好きだったけど、今では大嫌いだ。
「ホールって大変だな。ひなた、よく頑張ってるよ」
人の気も知らず、昭はイスにどっかり座り、普段の私の仕事ぶりを褒める。
平日は厨房メインの昭も、今日は私と同じくホールで接客を任されていた。最近、私達より長く働いていた先輩が数人、就活のためバイトを辞めてしまったのでホールの人手が不足気味。
「そろそろ新しい人入ってくるといいね」
「店長が求人で募集かけてるけど、なかなか来ねえって」
「私達もいい加減就活しなきゃなんだけどね」
「だな。もう3年の秋だし。時間経つの早いな」
「ホントだね。この前大学入ったばっかりなのに」
「あーあ、ずっとこのままでいれたらいいのにな。社会人大変そう。その前に就職出来るかどうかも怪しいし」
「同感!」
しみじみと、私達は語り合っていた。
昭と付き合ってた頃は未来のことより今のことしか考えてなくて、将来も当たり前のように昭のそばにいられるものだとばかり思ってた。恋愛さえ充実していれば他のことで恵まれなくても幸せだって信じてた。
それなのに、今ではただのバイト仲間として就職や未来のことを心配するような会話をしている。変わりたくないのに変わっていくんだな。人も、周りも、自分も。
休憩が終わるまでこういう雑談をするのかなと思っていたら、
「優とはうまくいってんの?」
昭の方から、突然恋愛トークを切り出してきた。別れてからそういう話題を避けていたし、昭からもそういう話はしないでみたいな空気が漂っていたので、この時ものすごく驚いた。
動揺を悟られないよう、私は努めて穏やかに返事をした。
「うん、普通に仲良くしてるよ」
「そう」
「そっちはどうなの?彼女と」
会話のノリでさりげなく訊いてみたけど、本当はものすごく気になってる。私を振って選んだ、昭の今の彼女のこと。
少し考え込むような間を置き、昭はあやふやなことを言った。
「うん、まあ、それなりに」
「なにそれー」
笑って流したものの、胸がチクリと痛んだ。元彼なりに、私に気を遣って詳しく話さない、とか?そんな気遣いに、私はもう昭のものではないのだと思い知らされる。
予想に反してズキズキ痛む自分の心もショックだった。まだこんなに昭のことで傷つく余地があったなんて……。
「優は優しいだろ?俺と違ってさ」
「うん、優しいよ」
昭だって優しかったのに、なんでそんなことを言うの?うちの親がケンカしてものすごく苦しかった時、眠いのを我慢してずっと抱きしめていてくれたくせに。
「にしても、ビックリしたわ。優から、ひなたと付き合うことにしたって言われた時は」
「……らしいね。それは優から聞いてるよ」
「アイツ、ひなたのこと本当に好きなんだな。俺との方が付き合い長いのに、縁切るって正面切って言われたし」
「そうらしいね……」
「正直まいったわ。優は一番の親友だったしさ。ま、悪いのは俺なんだけどな」
「そうだよ、もう。自分で分かってんじゃん」
何でもない風に笑いながら、心の中で涙が出た。
どうしてそんなことを私に話すんだろう…?気心知れた元カノだから?
昭の言葉に傷つく一方で、こうも思った。私の復讐は成功してるのかもしれない、と。優という親友を失ったことで、昭はダメージを受けてる。本当なら私への未練を感じてほしかったけど、もうこれ以上は狙わない。これでいい。
「優は、友情より恋愛だったんだろうね。そういう人、女子には多いけど。男では珍しいかもね」
励ましに見せかけた嫌味は、私なりの追撃。昭がどう受け取ったのかは分からないけど、私が受けたのと同等の痛みを味わえばいいと思った。
残り数分の休憩時間が、いやに長く感じる。
少しの沈黙の後、昭は苦々しい表情で訊いてきた。
「……優とは、もうしたの?エッチ」
「はい!?」
声が裏返ってしまう。
「そっ、そんなの、昭に関係ないじゃんっ」
「そうだけど、大学で優の変なウワサ聞いたから気になって」
「え…?」
こわい。昭が言うウワサは私にとって良くない情報なんだと、何となく分かった。
「アイツモテるだろ?ひなたとヤレないからって、言い寄ってくる1年とかと遊んでるらしいよ」
「そんな…!優はそんな人じゃないよ……。親友だった昭が一番分かってるはずだよ!?それに、私達しょっちゅう会ってるし、私に不満があったとしても優には浮気する時間がないよ」
「相変わらず分かってねえな、ひなたは。男なんて数分あればヌケる生き物だし。それに、親友だったから分かるってこともあるんだよ」
「……っ!」
悔しいけど、何も言い返せなかった。キスはおろか、優とはまだそういう関係になってない。手をつないだり抱きしめ合う程度だ。たしかに、それだけじゃ男の人は満足しないのかもしれない。
「信じなくてもいいけど、モテる男と付き合うのはそれなりに大変って覚えといた方がいいよ。なんせ、モテるイコール誘惑が多いってことなんだから」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
まずい。昭の言葉にのまれそう……。
「そろそろ、ひなた休憩終わり」
「う、うん。ホール戻る」
「あとちょっと、頑張れ」
「言われなくてもっ」
好きでもないクセに復讐目的で優と付き合ったからバチが当たったんだ。ーー自業自得。そもそも、優の告白自体がウソだったのかもしれない。失恋したての女なら手を出しやすいと思って軽い気持ちで言い寄ってきたのかもしれない。それなら色々つじつまが合う。昭と優と三人で遊んでた頃、優に好意持たれてる感じ全くなかったし!
どうしよう。なんか、恋愛したいとかそんなこと言ってられなくなってきた。男の人の全部がこわい。分からないことだからなおさら……。
そんなことばかりが頭を巡り、残り2時間ちょっとのバイト中ミスを連発し、普段優しい店長や社員さんにも厳しく注意されてしまった。怒られている間も相手の注意は耳を素通りし、昭との会話が嫌な感じで頭を離れなかった。
昭の方は、疲れた顔など見せずいつもみたいにスマートに仕事をこなし生き生きしていた。ミスばかりの私を余裕でフォローしてくる。理不尽だと思った。
バイトが終わると、昭の顔を見ず他の人にだけ挨拶しさっさと店を後にした。モヤモヤする。一刻も早く心晴に話を聞いてもらいたい。
店の駐車場でクラクションが鳴り、優と待ち合わせていたことを思い出した。
いつも車で迎えに来てくれる優は、足早に店を出る私に気付き、クラクションを鳴らしてくれたらしい。彼はいったん車から降り、こっちに歩いてきた。
「ひなた、お疲れ!」
「ごめん!そういえば約束してたんだったね」
って、失礼すぎる!これでは約束をすっかり忘れてたと言ってるようなものだ。
「やっぱり疲れてるんじゃない?今日はもうこのまま送るよ」
「ううん!考え事してただけ!健康には何の問題もないからっ」
「そう?ならいいけど、つらかったら言ってね」
怒ることなくそう言うと、優はそっと私の背中に手を回し車に乗るよう促した。助手席に乗り込んだ時、思わずジッと優を見つめると、視線に気付いた優は運転席でかすかに頬を赤らめ戸惑った。
「どうしたの?そんなに見つめて」
「何となく…?」
「嬉しいけど、ひなたに見られるの、やっぱりまだ恥ずかしい」
「優……」
レディーファーストが基本の優は無意識でモテることをするのに、こういうところが人より純情だと思う。目くらい、通りすがりの異性とも合うのに。
車を走らせ、優は言った。
「食べたい物ある?ひなたの好きなところ行くよ」
「そうだなぁ……。ラーメンがいい!」
「いいね、ラーメン。この前学校の友達と美味しいとこ見つけたから、そこ行こっか」
「ホント?やったぁ!楽しみ」
浮かれる私を横目に、優は和やかに笑っていた。ファミレスで働いてるせいか、ファミレスメニューは見飽きて違うものが欲しくなる。
今日は優に別れ話をするつもりだったのに、言い出せないまま楽しい時間を作ろうとしてしまう。自分で自分が分からない。
それに、いま目の前にいる優と、昭の言ってたウワサの内容が合わない。ウワサなんてただでさえアテにならないものだし確証もないんだから、もう気にしない方がいい?
楽しみつつも内心複雑な気分に駆られていると、優がポツリとつぶやいた。
「なんかまだ信じられない。ひなたが彼女になってくれたこと」
「どうしたの?急に」
私の黒さをーー優と付き合うことにした理由を見抜かれたのだと思い、ドキッとした。
「……うん。昭と付き合ってるひなた見て、ずっと可愛いと思ってたから」
「私も意外だったよ。優からそんな風に思われてたなんて」
「本心隠すの得意だから。あの時は理性もあったし、昭の恋を壊したらダメだって自分に言い聞かせてたから」
この時、優の言葉が嫌な意味に聞こえた。
「本心隠すのが得意って、どういう意味?」
「ひなた……?」
どうしよう。言葉が止まらない。
私の異変に気付いた優は路肩に車を停止させ、こちらの顔を見つめた。
「……何かあったの?我慢しないで言って?」
「そうやって優しい顔して、何が目的?失恋してる私につけ込みやすかった?だから好きなフリして近付いてきたの?」
「落ち着いて?そんなこと思ってないよ」
「落ち着いてる、私は普通だよ…!」
「だったらどうしてそんなこと言うの?」
「だって、昭が言ってた!優が1年の子と遊んでるとか、モテるから体だけの関係の友達がいるかもみたいなこと…!私とはまだだから、他の人で欲求を満たしてるんじゃないの?なのにどうしてそうやってわざわざ優しくするの!?優くらいモテる人なら、別に私じゃなくてもよくない!?」
しまった。これは言い過ぎだ!気付いた時には遅かった。
「変なこと言ってごめん……!今日は疲れてるしやっぱりもう帰ろうかな。バイトでもミスばっかしたし。ははは……」
無理矢理出した笑い声がむなしく響く。優を不愉快にさせた、絶対に。これ以上ひどいことを言ってしまう前に、今日はもう帰ろう。
静かになった車内に、悲しげな優の声が満ちた。
「昭とそんな話してたんだ……」
「違っ…わなくないけど、今日休憩がかぶって、たまたまそういう話になって……。深い意味は全然なくて!」
「話すこと禁止するつもりはないよ。昭とはバイトも学校も一緒なの元から分かってたし、それを承知で告白したんだから」
「……」
「悲しいのは、ひなたが俺より昭の言葉を信じてるってことだよ」
「そういうつもりじゃ……!」
「分かってるよ。彼氏のそんなウワサ聞いたら普通じゃいられない、ひなたは悪くない。でも……。ひなたはやっぱり、心の奥で俺より昭のことを信用してるんだと思う」
「そんなことない!もう別れてるし!」
精一杯否定したけど、優は何か言いたげに唇を噛みしめ目を伏せた。そして再びエンジンをかけハンドルを握ると、私の自宅方面に向けて車を走らせた。
「勝手なこと言って悪いけど、こんな気持ちでいてもひなたに嫌な思いさせるだけだから、今は一人になりたい」
「……私も、ひどいこと言ってごめん……」
「ううん。ひなたは何も悪くないよ」
「……っ」
家に着くまで、私達は無言だった。言うはずだった別れのセリフも出てこなかった。
本当に、私は勝手だな。優を責められるほど、彼に恋愛感情を持って付き合っているわけじゃないクセに。
昭に振られた時、心の中で昭に何度も最低と罵ったけど、私も人のこと言えないや……。
家にいてもつらくなるばかりなので心晴の家を訪ねてみたが、心晴のお母さんが出て、心晴は夜までバイトで帰らないと告げられた。仕方ないのでしぶしぶ家に戻った。
「ひなたー、ヒマならさやえんどうのスジ取るの手伝ってー?」
「今そういうことできる気がしない〜」
「つべこべ言ってないでやってくれる?」
「あ、バイト先に忘れ物したから取りに行ってくるー!」
「待ちなさい!?ちょっと!」
お母さんの雑用から逃げるように、ウソをついて外へ出た。見下ろす夕空に、体を包むキンモクセイの匂いに、胸が苦しくなる。
昭と優は数ヶ月前まで親友同士だったのに、私のことがキッカケで縁を切った。親友同士だったのに性格は違ってて、なのに今でもお互いをよく理解してる。
『心の奥では昭のこと信用してるんだと思う』
そんなつもりはなかった。でも、優がそう言うならそうなのかもしれない。自分のことなんて自分では分からないから、他人の指摘が正しいということはよくある。
「この先どうしよう……」
考えているようで頭はぼんやりしてしまう。何のアテもなく歩いていたら、昭とよく行っていたカフェに着き、注文まで終えて窓際の丸テーブルに座っていた。
無意識ってこわい。優の言った通り、私はやっぱり今でも心の中で昭のことを優先しているのだろうか?現に、優とはこの店に来たことがない。
昭と来ていた時は気にならなかったけど、一人で座っていると店内のカップルの姿がやたら目に入る。お互いのケーキを一口ずつ交換し合ってる彼氏彼女とか、彼氏に頭なでてもらってる彼女とか。う、うらやましいっ……。私もそういう思いがしたいよ。
どうして私は一人でこんなところにいるんだろ。目の前で半分にまで減ったミルクティーを見て、むしょうに寂しくなった。こんな気分になるくらいなら、家で素直にお母さんとさやえんどうのスジ取りしてればよかった。
周りの楽しげな会話や笑い声が、別世界に感じる。目が潤んできた。やばい。どうしよう。
「ひなた……?」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。でも、ちょっとでも動いたら目から涙がこぼれてしまいそうで、私はその声の主を振り返ることが出来なかった。
まだ、忘れてない声。思い出す楽しいひと時に、どん底まで落ちた気持ちが浮上する。
「やっぱり!ひなただ」
「……!」
当然のように相席し、凜翔は微笑した。
「仕事でそこの料亭で待ち合わせしてて」
凜翔は、カフェの前にある高級料亭を視線で示した。芸能人をはじめ、富裕層の行きつけとして有名な店だ。なるほど。今日も指名客相手にレンタル彼氏の仕事をするんだな……。
会えて嬉しいという気持ちが、勢いよくしぼんでいく。
「それまで一緒にいていい?」
優しく尋ねてくる凜翔の瞳がセクシーで、胸が高鳴った。色々あってやっぱり疲れているのかもしれない。凜翔は仕事柄こうしてるだけ、ドキドキなんてしたらダメだ。
「私達、こうやって一緒にカフェ居るくらい仲良くもないと思うけど。好きにしたら?」
「ありがとう。ひなた、これ食べる?」
わざと冷たい対応をしたのに、凜翔は気を悪くした様子もなく穏やかな感じで自分のチョコタルトを私の方に差し出した。よりにもよって私の好物を、なぜ……。引っ込んだ涙が、また溢れそうになる。
「この前映画館でチョコブラウニー食べてたから、そういう系好きなのかなと思って。もしかして違った?だったら他の頼んでくるよ」
「違わなくないけどっ……」
「けど…?」
言葉の続きを促すように、凜翔は私の顔を覗き込んでくる。本気でこちらを気遣うようなその表情が、より私の気持ちをかき乱した。
「営業時間外に優しくしなくていいよ。今後レンタルする気ないし、無駄でしょ?」
どうしようもない。わざと感じの悪い言い方をしてしまう。むしょうにイライラした。凜翔はこれから女の人とデートをする。その事実に。




