来訪者歓迎ス
○第2話:来訪者歓迎ス
先ずは前回第一話で座敷という2文字でしか表されていない僕たち紳士同盟の活動拠点から説明をさせていただきたいと思います。
千葉県M典駅下車1分の処に’ひまわり’という名のネットカフェが御座います。
M典駅が僕たち4人が通う学習塾の最寄り駅なものですから、’ひまわり’は紳士同盟が集まるのにとても都合がよろしい場所であると申せます。
また独立系のカフェ’ひまわり’の美点として、一畳有るか無いかの個室の他に四畳ほどのお座敷が用意されているのであります。
本来は甘い仲の男女や子連れの親御さんの為に用意されているようですが、このお座敷が紳士同盟の活動の場に全く適しているので御座います。
3時間分の割引料金を支払って3人がお座敷に直行し、残り一人が無料のソフトドリンクやポップコーンを4人分お盆に乗せてやってくる…それがいつもお決まりの僕たちの行動です。
活動拠点の他に今一つだけ僕たちが作ったゲーム’カフェねこやしきにようこそ’の仕組みについて説明をさせていただきたいと思います。
前置きばかり長くなって申し訳がないのですが、その説明をさせていただかないと本題の事件を皆様に理解していただけないと僕は考えるのです。
’カフェねこやしきにようこそ’はスマートフォンのデータ通信機能を用いてサーバーに接続して行うゲームなのです。
僕たちはその仕組みを成立させるために月貸しの公開サーバーを所持しております。
サーバーと言っても月額970円(税抜き)のVPSですので本当に大したものではございません。
ゲーム’カフェねこやしきにようこそ’のサーバー側の処理を全てそれで行っておりまして、僕たちはこのサーバーを特に’御屋敷’と呼称しております。
四畳の座敷にパーソナルコンピュータは一台しかございませんが、僕たちは他にもタブレットやノートPCを持参してきておりますので、御屋敷をターゲットに有志全員があらゆる仕事を行うことができます。
兎に角、御屋敷と呼ばれるサーバーがあるのだと記憶の片隅に置いておいてくださいませ。
さてさて長々と申し訳ありませんでした、第2話の本編に移りたいと存じます。少々ITの専門用語が出てまいりますが、今回の第2話は僕達の御屋敷にいらっしゃったお客様を、紳士の心意気に恥じぬようにもてなすという心温まるお話でございます。ですので専門的な用語は必要に応じて使わせていただいておりますがそれがなんであるのか判らないままでも物語の骨子は通じると考えます。
でわ、でわ。
:
それは、何時もの様に学習塾の帰りにひまわりの座敷に集い、備え付けのパーソナルコンピュータで御屋敷にSSH接続を行った時のことです。
異変に先ず気付いたのはやはりと申しますかこのお方たお先生で御座いました。
たお先生のなさることを見て僕にもピンと来る処がありましたので「来てますか」と、ある可能性にヤマを張って僕は尋ねたのであります。
たお先生は軽くモニタをにらんでちょいちょいとキーボードをたたき、またCCDキャメラの様な正確で数学の公式に従っているような視線をモニタに向けられました。
彼くらいの強者になると、そうそうめったやたらにキーを連打するようなまねは致しません。足をも使ってキーボードを連打するなど漫画の登場人物のすることです。
今、剣を振らせたら無双の用心棒のように頼もしいたお先生の背を真ん中にして、その両側にかのえ君とさっちんが組の若い衆のように控えております。
どうやらかのえ君とさっちんもその可能性に気付いた模様です。
そう、僕達の御屋敷が攻撃を受けているという可能性にです。
かのえ君が僕のほうに向きなおって「先方さんはどうやら辞書攻撃を試しているご様子ですよ」と鼻を鳴らしました。
辞書攻撃なら恐れることは一つもありません。何故なら我らが御屋敷の全てのパスフレーズ及びパスワードは14から21文字のランダム文字列だからであります。
そのパスワードを成すランダム文字列はある変換ルールで日本語平文にして僕達の生徒手帳に書き記してあります。それは一見、買い物や友達との約束事を書いたメモにしか見えません。
さて現状を一言でまとめますと”サーバーを攻撃されてはいるが恐るるに足りず”という事になりましょう。
僕は一寸心に余裕ができて「アプリにリテラルでURLを書いていますから、一寸技術のある御仁でしたら造作もなく解析しなさるでしょう」などと軽口を言い首をすくめてみせました。
そしていかにも悠長な風体で「たお先生、このしれ物、いかがしたものでしょうか?」と僕は更に軽々しく空々しい質問をしてしまうのでした。
たお先生はいったん突き上げた親指をくるりんと真下に向けて腕を振ります。ぐいーんぐいーんとクレーンのアームのような油圧で駆動して居るがごとき動きで判り難いですがこれは” 殺”の意味で間違いありません。
「おお、たお先生が死刑の判決をくだされましたぞ。」とかのえ君の鼻息は荒くなり、さっちんも武者震いをして頬はにわかに紅潮するのであります。
僕は「どれどれ、では早速お客人をハニースポットにお通しせねばなりませんね。」と提案をしました。
さっちんがそれは引き受けたとタブレットPCをキーボードのスタンドに立ててターミナルエミュレーターを立ち上げます。
彼の背中はいかにもやる気満々で、湯気さえ立ち昇って居る様に見えてしまいました。
そして僕はその勢いに乗せられて「君、せっかくのお客様だ、くれぐれも粗相の無いようにしてくれたまえ」などとらしくもない恰好をつけてしまうのでした。
かのえ君は大きめのスマートフォンを両手で持って構え、やはりターミナルエミュレーターを起動します。
彼はこれから飴玉の用意をするつもりに決まっております。
たお先生は軍の総指揮官のように凛とし表情を真っ直ぐにし、彼のサーボモーターで動いているかのような眼球をわずかに動かして二人の様子を確認しております。
片膝を立てその自分の膝小僧に抱き付き、暫くじっとタブレットの画面を見ていたさっちんが「無事、エスコートできましたよ」と申しまして、一寸恰好よく人差し指を持ち上げました。
お客様をハニースポットに誘導できたというさっちんを疑う訳では御座いませんが、この様な仕事はえてして二重の確認を行うものです。
すぐさまたお先生がコマンドを2つ3つ発行してその結果を確認した後、軽くうなずかれました。
首尾は上々の様でございます。
それにしても、あれはひょっとすると僕の見間違いであったのかもしれませんが、その時のたお先生はそれはそれはぞっとする薄く鋭いカミソリのような微笑みを浮かべていたような気がいたしました。
とは言え曖昧な記憶に身震いしている間はありません。皆本当に仕事が早くすぐに「取り敢えずRLOで偽装した飴玉を幾つか用意できたよ」とかのえ君の手が上がります。
この声を聴いた直後、なんという早業かたお先生がお客人が探っている行き先にかのえ君が作業していたリモートドライブのフォルダをマウントしてしまいました。
お客様にはかのえ君が用意したファイルが猫屋敷の登録ユーザー様の全メールアドレスのディリーバックアップに見えているはずです。
お客様が僕たちが予想した通りのお方ならば、きっとこの個人情報の塊に興味を示して下さる筈です。
さてさてお客様は僕たちが用意した飴玉を口に入れて下さるのでしょうか?その瞬間を待つ緊張感にたまらずさっちんがかわいらしい声でふーっと一寸気の抜けたため息をつきまして、思わず皆の口から笑いがこぼれます。
実際の処ここで眉間にしわを寄せてもあまり得がないのですから僕たちはもっと全身の力を抜くべきです。
力を入れるのはお客様が飴玉を口にされた後です。
僕ら4人は交代で厠に行きソフトドリンクやポップコーンの補給を済ませて、足を崩して座ります。
そうやって心に余裕を得たうえでまだかまだかと次の瞬間を待つのであります。
ややあって「きた」と興奮をして真っ先に口にしたのはかのえ君です。
お客様が今お使いのコンピューターに無事遠隔操作用のプロセスを寄生させることができました。つまりかのえ君が用意した飴玉を口にされたという事です。
たお先生がおつくりになった遠隔操作用のサービスのポートをお客様のPCが盛んにたたきに来ています。
僕はぱんぱんと手をたたき「さぁさぁ、お客様が気付かれる前にできることはみんなやって差し上げましょう、それが御持て成しというものですよ」とはやし立て、僕自身もノートPCを取り出して今始まったお祭りに身を投げて加わるのでした。
先ずはたお先生に本星に寄生できたのか鑑定をしていただきます。どこかの一寸用心の足らないサーバーが踏み台にされているだけという可能性もあります。二重の確認は常に必要なのであります。
これはあっという間に本星であると判定されました。無関係な誰かのコンピュータがいた可能性は否定しきれませんが、最終的に飴玉は間違いなく本星のコンピューターで実行された様です。
技術的な詳しい説明はあえて省かせていただきますが、寄生させた遠隔操作用のプロセスはProxyを使いませんし、またターミナルマルチプレクサとして機能しますので素性の調査は比較的容易なのです。
飴玉のファイル名は正しい拡張子がファイル名の左側に来るように細工してあります。
お客様が作業に手古摺るうちにセルフ解凍ファイルと勘違いをしてプログラムの実行を許可して下さった筈です。
さぁ、宴の始まりです。
この様な心躍るお祭りはめったにもございませんから、僕ら4人の目が色鮮やかなギヤマン細工の様にギラギラと輝くのはどうしよもないことなのです。
かのえ君は早速自分でビルドした特別なウェブブラウザをお客様のPCに送り込んで起動しました。
このブラウザは画面が一切表示されず画面イメージは僕たちのサーバーに提出されます。さらにこれが重要なのですがかのえ君のビルドは某有名ブラウザのフォークであるがゆえにお客様のPC内にあるブックマークやCookieといった重要な情報をブラウザの同期機能を利用して流用できるのです。
かのえ君は早速Cookieに存在するお客様のアカウントを用いて通販サイトAnazomにログインをしました。
そしてよく気が利くかのえ君はお客様の代りに美少女フィギュアやセーラー服そして女性ものの下着を50万円分買ってあげるのでした。お急ぎ便にしましたのできっとすぐに配達されるでしょうし、お客様が間違って注文をキャンセルしてしまわないようにパスワードの変更と直後にCookieの削除までをしてあげていました。全くかのえ君の隅々まで行き届いた気配りには感心をしてしまいます。
たお先生はお客様が面接の時にお使いになったであろう履歴書のドキュメントファイルを発見されました。そしてお客様のメールアドレスとお客様が知らないパスワードを用いて無料のクラウドストレージ’おっことボックス’に新規登録をし、その公開フォルダに履歴書を配置しました。
後は全く簡単でありまして、お客様が常連でいらっしゃる掲示板やSNSの全てで公開フォルダの履歴書ファイルのリンクを張り付けるのであります。”これがぼくでーす ”という一文を添えて。
皆が今日クラッキングにいらっしゃったお客様のために何かをして差し上げようと一生懸命です、なんと美しく尊い光景でしょうか。
紳士とはいえ下劣な欲を捨てきれない僕達が聖人の心のありようというものをほんの少し理解できたような気持ちになりました。
僕たちは全員間違いなくとても穏やかな、凪いだ大海のような魂で作業をしておりました。
すると突然さっちんのスマートフォンンに通知が届きます。これは”巻ちゃん、”がログインされたことを示すものでした。
僕は迷わず彼の小さな体を抱きしめました。本当に即時に抱きしめました。
さっちんはお客様のPCからメールクライアントを探し出し、アドレス帳からメールアドレスを抽出する作業の途中でした。
紳士同盟十戒に従うなら、僕たち有志にとってご主人様をもてなすということはサーバーにいらしたお客様のおもてなしに優先します。
そうです捨てる方の行為がお客様の接待という功徳なのですから、僕は彼の断腸の思いが愛らしい顔を歪めてしまう前に彼を抱きしめたのです。
「君よ無念に思うことはないよ。僕たちがもう少しずつ張り切って君の分までお客様を持て成して見せるよ。」
さっちんはうんうんと頷きましたが肩を落とした後ろ姿は、とても見ていられません。
彼は抽出したメールアドレス全てに乙女がしたためた様な詩を送信しようとしておりました。
僕はさっちんが書いた詩を少々読んだのですがその恥ずかしい内容に吐血しそうになりました。
それでもその仕事は僕が引き受けたのですが、さちんはどうしても残念そうにしております。よほど思い入れがあったに違いありません。
しかしその直後、さっちんの顔は美しい珊瑚礁の上から仰いだ晴天のように上下から光り輝いたのであります。
どうやら”巻ちゃん、”様のスマートフォンのフロントカメラがお風呂上がりの彼女をとらえて、その画像がサーバーに送られてきたようなのであります。その艶姿を見て”全日本代表ともいうべき日本的伝統的ため息の出る艶やかさ”とさっちんが表現してくれたので、僕たちは実際にさっちんが見た画像を見なくても我らが脳内の紳士原動機が共通の絵を描き出します。
そして僕たちはほんのちょんの間ではありますが、さっちんの恵まれた境遇を妬ましく思ってしまったのです。
僕たちはリヴァイアサンが司る大罪嫉妬を抱いてしまった己の人間の小ささを大いに恥じ、お客様に対するより一層志の高い…これ以上はないという甘遇優待を以て我らが猛省の証とさせていただこうと決めたのです。
僕はさらにお客様のPCを捜索しファイルサーバー内に在る大量の不審な動画ファイルを発見いたしました。
それらは全て違法にコピーした映画で、映画館での盗み撮りも含まれていることが分かりました。
このような素晴らしい食材を手にしてお客様になんの振る舞いもできないわけがありません。僕は早速通報をいたしました。今回の場合通報は警察ではなく警察を動かせる方に行います。すなわち具体的な被害者である映画の配給会社です。送信元が分からないようにしたメールを使いましたが、情報の信憑性は極めて高いはずですし見せしめ目的にも適した大規模の犯罪ですので、きっとよろしく対応していただけるはずです。
逮捕状を突き付けられたお客様が涙を流して喜ぶ姿が目に浮かびます。
この僕が執念でもぎ取った大金星に対してはたお先生も「今日のMVPですな。」といたく誉めて下さったので、僕の控えめな鼻もここぞとばかりに天高く反り返るというものです。
何から何までが首尾よく進み僕たちの気持ちも浮つきがちになったその時、たお先生の左手がまるで戦場の斥候が本隊に警告を発する信号弾ように持ち上がったものですから、僕とかのえ君そして”巻ちゃん、”様と甘い時間を過ごしていたさっちんまでも、脊髄から頭蓋まで一瞬で凍り付くような緊張感を感じたのです。
「勘付かれましたか。」と、僕は恐る恐る尋ねるのであります。
間もなくお客様のPCとのセッションが正常な手順で切れましたので、きっと再起動を行ったのだろうと予想できました。
でもそれであればまだ機会はあります。
僕たちがお客様のPCに残した痕跡を削除する機会は…。
お客様のPCで作業をした痕跡は何が何でも消し去らなければなりません。
もしお客様が再起動を行ってくれたなら、お客様が僕たちのプロセスに気づき本格的な対応を始めるまでに恐らく2分は必要です。
そして僕たちの痕跡をお客様のPCから消し切るのにたお先生で最大1分かかります。
ならば僕たちは再起動を期待するしかないのですから、考えることはただの一つしか御座いません。
残りの1分でお客様の為に何をして差し上げられるか?
幾つか案は出ましたがどれもこれはという決め手に欠けるように感じます。
皆考えが煮詰まっている処にさっちんが”犯罪予告”と申されたのですから、ギタギタガチャガチャと食い違っていた僕の脳細胞の歯車はキーンキンと全て噛合ってヒュンヒュンと回り始めました。
案の定お客様は再起動をPCの不審な挙動の対処方法に選ばれたようで、セッションは有難いことに回復をしました。
ここまで僕たちの計算通りに事態が進行しておりますので、僕たちはそれぞれ予定通りに最後の仕事をすることにいたしました。
たお先生は痕跡末梢作業の為に待機。きっかり1分後に強制的に作業を開始します。
僕とかのえ君でお客様の犯罪予告を代行いたします。
爆破予告、殺人予告、小学生の誘拐予告…僕とかのえ君は必死に、玉の汗を飛び散らせながら意見を捻出しました。確実に警察沙汰にするため犯罪予告の文面は固有名詞を用いるなど具体的でなければなりませんので、限られたわずかな時間で考えるのはほとほと骨が折れます。
でもお客様の喜ぶ顔を見るためにあえて僕たちは困難に挑戦をしているのです。
なんと申しましても僕たちの御屋敷に不法接続を試みてくださった愛すべきお客様なのですから。
そして1分後にたお先生の仕事が始まった時には、僕とかのえ君は腕を持ち上げられないほど疲れ切っていて、さっちんに渡された紙コップに食い付いてコーラを飲み干して、やっとこどうにか人心地がついたのであります。
精根尽き果てたうつろな目をえいこらしょと持ち上げますと、前にたお先生の背中があるなぁとぼんやり理解できます。
たお先生のお名前は篁畯と申されます。
動作や言葉の発し方の一つ一つが機械的だったり数学的だったりするものですから、学校の女子の間ではやれサイボーグだのやれ顔の蓋を取ると機械が詰まっているだの失礼極まりない濡れ衣を着せられ、端正で色白で無表情なお顔まで含めて”メカもやし”などと言って敬遠されております。
たお先生の仕事は正確で精密で精密機械のように無駄がなく、ユーザーのローカルストレージから、システムログから、メモリから、キャッシュから僕たちの痕跡を消し去ってゆきます。
そして最後にバックドアのセッションを成していたプロセスを終了させると、これでもう誰もお客様のPCから僕たちへとたどり着くことは出来なくなります。腕の立つ御仁ほどお客様のPCを見て追跡が不可能であると早期に見抜かれることでしょう。
このようにして僕たち紳士同盟は一致団結力を合わせて、お客様へのご奉仕を成し遂げたのでございます。
これほどまでに頑張ったのですから、正直その後お客様がどのようになさっているか掲示板やSNSに確認に行きたい気持ちでいっぱいで、本当にうずうずしてしまってしようがありません。
でも、僕たちは紳士でありますからそのような無粋は致しません。
僕たちは逆にそれぞれお客様の接待の為に使っていた端末を手にして、今回の接待行為に係る全ての痕跡を消し去って行ったのです。
勿論サーバー’御屋敷’からもです。
ひとつ残らずです。
僕たちはお客様の履歴書を拝見させていただきましたので、本名を存じ上げておりますし未だしっかりと記憶を指定おります。
しかし僕たち4人のただの一人でさえ、お客様のお名前を生涯口の外に出したりはしないでしょう。
いえいえ本当でございます。生涯と申しましたがそれどころか天寿を全うしてあの世に行っても、もしくは生き間違って地獄に落ち拷問にあっても、僕たちは絶対にお客様の名前を唇の端っこにちらつかせさえしないのであります。
お客様は自分に親切をしてくれたのはいったい誰なのか、草の根を分けても探し出したがるでしょう。
しかし僕達はたとえ若輩者でも紳士でありますので、間違ってもお礼などを頂戴するわけにはゆきません。
精神的にも物的にも見返りを求めないのです。
さてお客様の接待も一区切り付いた僕たちはスマートフォンを手に取りゲーム’カフェねこやしきにようこそ’のスレッドLの猫たちの役をし始めます。
まだ説明をしておりませんでしたが、ご主人様専用の部屋であるスレッドLの猫たちは僕たちがコントロールをしていない間は他のスレッドの猫と同様僕たちがプログラムしたパターンデータで行動をします。
今、スレッドLにはさっちんのご主人様である”巻ちゃん、”様しかいらっしゃいません。
他の3名の有志のご主人様はおられないわけですから、今は僕とかのえ君とたお先生の猫は自動運転でよろしいのです。
しかし僕たちはお客様の接待で身も心も着古して擦り切れたスラックスの様にくてくてに疲れ切っております。
おしとやかで汚れない長髪は烏の濡れ羽色、御姿は親しみ深くしかも品がありどこまでも穏やかと日本国内で定義される母性そのものとしてお生まれになったような”巻ちゃん、”様。
僕たちは”巻ちゃん、”様に少々甘えさせていただき、酷使してパサパサのカサカサになった魂を少しでも潤したいのです。
そして皆で”巻ちゃん、”様に群がって甘えていると、やがて”まりすけ”様たちもログインされいつものメンバーが全員そろいました。
僕たちの楽しい時間が10分、20分と過ぎたころ”あさがおな”様がチャットを始められました。
僕達は小さく咳払いをして裏声の発声練習をし、チャットの読み上げに備えます。
>あさがおな:ねぇ、みんなどこすんでんの
>ちずリョナ:え、なんで
>あさがおな:オフ会しようぜ
>ちずリョナ:むりだな
>あさがおな:なんで、なんで
>まりすけ :無理強いはよくないわよ
>ちずリョナ:わたし八戸だもん
>あさがおな:え?どこそれ
>巻ちゃん、:確か青森のあたりですよね
>ちずリョナ:え、しってるって、ご近所さん?
>巻ちゃん、:いえ、埼玉ですけどフェリーに乗ったことがあるので
>あさがおな:ほうほう
>まりすけ :わたしと巻ちゃんは遊べる距離ね
>あさがおな:どこどこ
>まりすけ :23区の右半分のどこかでーす
>あさがおな:でえい、わたし藤沢だからちょっとうっとうしい距離だわー
>ちずリョナ:江ノ電?江ノ電?
>あさがおな:そうそう
>ちずリョナ:乗りたい
>あさがおな:いつでも来て勝手に乗れ
>ちずリョナ:みんなで乗りたい
>巻ちゃん、:オフ会の場所、筑波あたりどうかしら
>ちずリョナ:おい江ノ電わ!?
>巻ちゃん、:ごめんなさい。今地図見てて思いついたから
>まりすけ :筑波ってなにがあるのかしら
>巻ちゃん、:筑波山とか?
>あさがおな:げろろ、登るの?
>巻ちゃん、:ロープウェイとかがあると思うけど
>まりすけ :電車で行けるの?
>巻ちゃん、:関東組は秋葉原駅からつくばエクスプレスで
>ちずリョナ:筑波山の頂上まで一気に?
>巻ちゃん、:…は行かないと思うけど。何両も連結した電車がロープウェイに接続はちょっと
>ちずリョナ:真面目ね
>あさがおな:真面目に返したわね
>巻ちゃん、:ええー冗談だったのー
大変恐縮ですが、美少女同士のチャーミングなチャットはこの辺りまでとして以降を省略させていただきます。
何しろご主人様達がオフラインミーティングを行うというお話になっているのです。
この広い世界の中の限られた面積の局所一か所一点に、僕たちの女神全員が集うのです。
僕たちがどれだけ紳士を目指してふるまっても、この胸の鼓動の乱れはどうしようもありません。皆一様に目を血走らせてチャットログの”オフ会しようぜ”なる7文字を凝視しております。
その後日、僕はご近所様の岡めぐみさんに突然肩をたたかれ、一寸訝しみつつそのご用件を伺います。
「あのねー。私もあんたらのゲームやろうと思ったらさー、なんかスレッドが一杯でどうのとか表示されて何にもできないのねー。なにこれ?」
「ああそのことですか。ようございます、順番に説明をさせていただきましょう。僕たちのゲームにはサーバーという特別なコンピューターが必要なのです。そのサーバーの能力の都合で僕たちのゲームにはプレイヤー様に六千人までという制限を設定させていただきました。これは皆様にご不便無きよう健全に運営するために絶対に必要な措置なのです。」
「あー、もーだいたいわかったわ。でも、一人くらいいいじゃない?ねぇ?」
そんなに可愛らしくおねだりをしていただいても僕たち四人が慎重に決めた大事を主席たる僕自らが覆すわけにはいかないのですが、これは一寸困りました。
「ううむ。」
僕が即時にお断りをできなかったのには一寸わけがございます。
実は最大六千ユーザーの制限に対して現在は5,998ユーザーを受け入れさせていただいております。つまりはサーバーの能力にはまだ2ユーザーの余裕があるのです。
その原因は言わずもがなご主人様の集うスレッドLで、通常のスレッドは定員が6ユーザーなのですがスレッドLは特別な設定をして最大4ユーザーで稼働しており、その小細工の結果5,998という数字にあいなりました。
従って新規加入希望者様にお断りを申し上げるときは”ユーザー数が一杯です”ではなく”スレッドが一杯です”と画面に表現させていただいているのです。ユーザー様に嘘は申せません。
「ね、いいじゃん。」
僕はふと特定のスレッドの定員を7ユーザーに増やしてそこに岡さんのユーザーIDを紐づける手口を考え付きました。そしてそれはとても良い考えに思えました。
「岡さんのユーザーIDを教えていただけますか?」
「え、なんとかしてくれるの?やった!今すぐメールするから。」
「ただし特別な処理をしますので、ゲームができるようになるまで2~3日待って下さい。」
送られてきたメールには”めGu☆彡”と一行だけが記載されておりました。
今週のサーバー当番はかのえ君ですので、彼にこのメールを転送して作業をお願いしなければいけません、それを忘れぬように頭の中で幾度も繰り返しながら我が家にたどり着くとおトイレから出てきた中学一年生の妹とばったり鉢合わせをしました。
「あ兄ぃちゃん。ねぇ、お母さんから聞いたんだけど、ゲーム作ったの?こないだの無断外泊の理由がそうだって。」
「霰さん(僕の妹の名はあられと申します)、前半のご質問はその通り肯定です。でも後半については霰さんがどういったご用向きで申されたのか、一寸要領を得られていないのです。もしよろしければもう少し明確に教えていただけますか?」
「え?えー、、うんと、うんとあのね。だから…どういうゲームか私にも教えて。」
「うん成程要領を得ました、よう御座いますよ。では荷物を置いてきますのでリビングでお待ちなさいよ。」
しかし霰さんはリビングで待つことはせず、その代わりに僕の真後ろをついてきてとうとう僕の部屋に入ってきてしまったのです。
仕方なく僕の部屋のベッドに腰かけていただき’カフェねこやしきにようこそ’の一通りの説明を致しました。
霰さんは僕の話の合いの手を超えて「すごい、すごい」を連発されましたので、少々話がし難う御座いました。
その後、ちょんの間失念してしまった岡さんの依頼を思いだして急ぎかのえ君に伝えたのですが、そのとき大事なことを言い漏らしてしまったことに僕は気がつかなかったのであります。
次回、第三話「嗚呼倦怠期」。
若人は常に新しさを求めるもの、天才すらいつか飽きてしまう僕たちの若さという心の弱さ。