6.とんでもないトラブルに巻き込みやがった。
「それは前に断ったじゃない」
「絶対おかしいって、私達親友じゃない」
隣の席に座る咲乃の整った顔が間近に迫る。
そして手に握られているのは携帯。それをなぜか私の頬に押し付けてくる。実にうっとうしい。
言っていることはさらにうっとうしい。
「私、携帯とか好きじゃないし。何回も言ってるけど」
「ちょっと、ちょっとだけだって、ちょっとだけ教えてくれたらいいし」
携帯の番号を教えるのにちょっとも何もない。教えたら一巻の終わり。どこにいても気が休まらなくなる。
なおも携帯を押し付けてくる。顔に押し付けたところで番号が分かるわけじゃないのだが。
「お互いの番号知っとかないと、待ち合わせもできないんだよ?」
「待ち合わせることなんてないって」
「休みの日に遊ぶ時どうするの?」
「いや、休みの日に遊ぶことなんてないし。家でゆっくりさせてよ」
「なんでそうインドアなの? もっと外で遊ぼうよ」
「いい加減ウザいよ? 咲乃」
「だって……」
携帯と顔を引っ込める。
最近分かってきたのだが、こっちが強気に出ると、咲乃は案外簡単に大人しくなる。でも私はいつでも強気に出れるような性格じゃないので、これはなかなか使えない切り札なのだ。
うつむいて、肩を落とす咲乃。でもこれは、八十パーセントの確率で演技である。
「ていうかさー」
咲乃が低い声でつぶやく。
「何?」
「伊奈って、家族以外の番号入ってたりするわけ?」
グッ、嫌なところをえぐってくる。その通り、私の携帯には家、両親、叔父の番号しか入っていない。
「だから何?」
「花の女子高生がさー、携帯にお友達の番号一つ入ってないって、いかがなものかなー」
「別にそれで困るなんてないし」
家族の連絡用に使うだけなのだ。それも大抵はメールで済ませる。
「携帯落っことすでしょー? 誰かが拾ってくれるでしょー? ついついアドレス帳見ちゃうでしょー? 『家』『お父さん』『お母さん』……あれ? 三件だけだぞ? みたいな」
「叔父さんも入ってるし」
「そこで私ですよ。『咲乃』? ああ、ちゃんと友達いるんじゃないか、この娘は親友に違いない。友達は一人もいなくても、親友が一人いれば少しもさみしいなんてないぞ。拾ってくれた人、大安心」
「そんな妄想、付き合ってられないから」
「妄想かなー? 伊奈、自分の携帯どこにある?」
咲乃が顔を上げてニタリと笑う。嫌な予感がして、自分のカバンに手を入れる。うわっ、やられた。
「どこやったの!」
「さー、どこだろうねー」
「ちょっと、本気で勘弁してよ!」
友達がいないのを別に恥じてはいないけど、わざわざ他人に知らしめたいわけでもないのだ。
「たった一人、親友の入れとけば、そんな焦る必要もないんだよ? さて、伊奈さん。どうしましょうか?」
「分かった。分かりました。番号交換しよう。させて下さい。お願いします」
深々と頭を下げる。
「仕方ないなー、じゃあ、交換したげるよ」
咲乃は自分の机の中に手を入れると、中から自分の物とは違う携帯を取り出した。私のだ。
にこやかな笑顔で私に携帯を返す。
「やり方知ってる?」
「……知らない」
咲乃に教えてもらいながら、赤外線通信とやらで連絡先を交換し合う。
「やっと伊奈のゲットだ!」
足を踏みならして喜ぶ。
「ていうか、盗んだんなら勝手に入れとけばいいじゃない」
「それじゃ意味ないよ。伊奈の意志で交換しなきゃ」
「いや、脅迫されただけで、私の意志じゃないんだけどね」
まだ午前中なのにどっと疲れた。
それから放課後まで、授業中に何度もメールをよこしてきた。カバンに携帯を放り込むと、「返事がないなー、返事が欲しいなー」などとうっとうしいつぶやきを延々続けるのだった。
放課後。咲乃は部活に行くようだ。
「今日はバスケ部だし。会いたくなったら来てよ」
「そんなのありえないし、さっさと家帰って休んでるよ」
そう言っても咲乃はへこたれず、にこやかに手を振って教室を出ていった。
やっと平安の時がやってきた。
私が教室の扉をくぐったところで、男子が声をかけてきた。
「君が乗倉さん?」
見ると、見目麗しい美男子だった。長いめの髪を左右に流し、自信に満ちあふれた大きな眼で私を見下ろしている。
残念ながら私の好みではない。私のアイドルは、昔の白黒映画で主役の剣豪をやっていた、男臭い役者さんなのだ。
「ちょっと話がしたいんだけど」
「話、ですか?」
わざと嫌そうな顔をしてみる。 毎日咲乃の相手をしているうち、私は少し意地が悪くなっている。
「すぐ済むし、来てよ」
そう言うと、こっちの返事も聞かずに歩き始めた。これは付いていかないと駄目なんだろうな。どうしてこう、私に関わろうとしてくる人間は、面倒な奴ばかりなのだろうか?
着いたところは人気のない一角にある空き教室だった。かと言って私は身の危険を感じたりはしない。私にそんな魅力など、ありはしないのだ。
「ちょっと頼みがあるんだけどね」
教室の中でその人が言った。今になって名札を見ると、三年生の柊先輩だった。ああ、秋篠高校随一のモテ男か。
「君、森田咲乃と仲が良いよね」
やはり用件は私とは関係がなかった。咲乃か。ああ、そうか。この人って、去年こっぴどく咲乃に振られている人だった。
「まぁ、向こうが絡んでくるだけですけど」
「彼女をここに呼び出してもらえないかな?」
「なんでですか?」
「いいから、君は彼女を呼び出せばいいんだよ」
目尻が軽くけいれんしたのが見えた。案外と気が短い人のようだ。あるいは私なんかに口答えされて苛立っているのかもしれない。
でも理由も分からずに、咲乃を呼び出すのも変な話だ。
「彼女、今日はバスケ部にいますから。直接会いに行けばいいですよ」
面倒回避である。
「ここで話がしたいんだよ。すぐに呼んでくれ」
「そうは言われても……」
「生意気だなぁ、君は」
早足で近付いて来た。避ける間もなく、片手を掴まれる。え? 何なに?
「今すぐ、彼女を、呼び出すんだ。俺も手荒なまねはしたくなんだよ」
既に手荒である。ここで初めて身の危険を感じた。
この空き教室は、ほとんど使われていない校舎の端にある。大声を出したところで誰かに気付かれるとは限らない。しかも、声を出したら何をされるか分からない。殴られるのは勘弁だ。
「咲乃を、呼び出せばいいんですか?」
「そうだ。早く森田を呼ぶんだ」
だったら呼び出そう。それで私の身は安全なはずだ。
でも、呼び出された咲乃はどうなるんだ? この凶暴な男子は何をやらかすか分からない。知っていて彼女を危険に陥れるのか?
いや、私が咲乃相手に気づかいする必要なんてないはずだ。自分の身の安全が第一である。
「呼び出して、どうするんですか?」
「君が知る必要はない」
「嫌ですよ、そんなの」
「君、俺が誰だか分かってるのか?」
「柊、先輩ですよね?」
「そうだ、柊だ。俺を慕う女子は大勢いるんだぞ? 俺が一声かければ、その娘らは全員君に敵意を向ける。どういうことか分かるだろ?」
つまりいじめられるってこと? 今まで私は目立たないよう静かに生きてきた。大勢の生徒の注目を浴びるというだけで、私はストレスで圧し潰されるだろう。ましてやいじめてくるなんて。
咲乃。あいつがまとわりつくようになって、私の平穏な高校生活は台無しにされている。あいつに気づかいする必要なんてあるのだろうか?
「そう言えば、私が言うことを聞くとでも?」
「脅しじゃないぞ、これは。安心しろ、別に森田に危害を加える気なんてない。ただ、彼女と話がしたいだけなんだ」
「信じられませんね、そんなの」
「いいから呼べよ!」
胸倉を掴んで押してきた。耐え切れず、後ろに崩れ落ちる。床にお尻を打ちつける。
何、この人。本気でヤバい。
柊先輩が、手を離れた私のカバンを掴み取る。中を漁って携帯を見付けだした。
「あった、あったぞ。さっさと出せばいいんだよ」
柊先輩が勝手に私の携帯を操作する。私は床に座り込んだまま身動きできない。下手に近付きたくない。
柊先輩が携帯を耳にやる。
「俺だ。柊だ。……はぁ? 三年の柊だよ。今まで散々恥かかせてきただろ? ……知らないことないだろ? 今まで何回会ってると思ってるんだよ!
まぁいいさ。この携帯を俺が持ってる意味が分かるか? 乗倉は今ここに一人でいる。……いいから話聞けって! お前一人でここに来るんだ。あのうすらでかい柔道部はなしだ。……今から言うんだって! 黙れよ! 空き家棟四階の一番奥だ。乗倉を無事解放して欲しけりゃ、今すぐ一人で来い。分かったな。……うるさいって! いいから来いよ! 乗倉がどんな目に遭ってもいいのか? 来いよ? すぐ来いよ」
通話を終えた柊先輩が、深いため息をつく。
「なんで俺はあんな奴……」
柊先輩が私に近づいて来る。思わず後ずさる。
「悪かったな、乱暴して」
予想に反して、柊先輩が手を差し出してきた。しかしその手を掴む気にはなれない。
柊先輩はため息をついて頭をかいた。
「もう少しだから。用が済んだら解放してやるよ。それまで人質やってもらう」
咲乃の奴、とんでもないトラブルに巻き込みやがった。