4.彼女は私を振り回す。
自称親友のかぐや姫は、下々の者が真面目に授業を受けるのすら、お気に召さないらしい。
ある時はいきなり教科書を引ったくった。そして何やら書き込んでいる。
先生に見付からないかそわそわしていると、ようやく教科書を投げ返してきた。
教科書を開けてみると、下の端に絵が描いてある。授業中にパラパラマンガですか。優雅なことで。
取りあえず、教科書の端を摘まんで、パラパラとめくっていく。
小さな男の子が歩いている。
上から岩が落ちてくる。
男の子が圧死する。
岩に潰される数コマの書き込みが異常に細かかった。
咲乃を見ると、親指を立ててウインクしてきた。ウインクじゃないっての。せいぜいドS程度かと思っていたら、シリアルキラーなのかもしれない。
また別の時はこう声をかけてきた。
「伊奈、脇にゴミ付いてるよ」
「え? 嘘?」
思わず片手を上げると、咲乃がその手をさらに押し上げた。
「よし、乗倉」
「はい?」
急に呼ばれたので前を見ると、数学の先生が私を指さしていた。
当てられた?
咲乃を見ると、素知らぬ顔で黒板を写している。
はめらた。
「えーっと」
どの問題ですか? そう平気な顔をして聞けないのが、私という人間である。
咲乃は無視を決めこんでいる。反対側の男子とは話をしたことがない。教室の視線が集まってくる。
私の緊張は極限にまで高まる。
「問五」
そっとささやいたのは咲乃だった。
「ああいうの、本当に勘弁して欲しいんだけど」
休み時間になって、咲乃に厳しく抗議する。
「あんな偶然って、あるんだねぇ」
咲乃は涼しい顔だ。
「思いっきり仕組んだくせに」
「え? 問題教えたげたのに、そんなこと言うの?」
「それは助かったけどね。違う違う。罠にはめたんだから、フォローするのは当然でしょ?」
「えーっ、人の親切当然とか思うようになっちゃ、人間終わりだよ?」
口の減らない女である。
体育の時。
体育用の短パンをはこうとしたら、全然入ろうとしない。お尻のところでつかえてしまっている。そんな急に太るわけがない。でもなんで?
顔を真っ青にしていると、隣で咲乃がにやにや笑っていた。
「あ、それ私のだ」
こいつ、いつの間にかすり替えておいたな。
「大丈夫? きつかったよね? ていうか、入らなかったよね?」
私は悔し涙を流した。
万事この調子だ。
ある放課後。
「今日は部活行かないし、一緒帰ろ」
よく考えたら咲乃とは一緒に帰ったことがない。でもそこまでベッタリするのも気が進まない。
うまく断る理由を考えていたら、他の女子が声をかけてきた。桃瀬さんだ。
「サキ、カラオケ行かない?」
咲乃が私に目をやる。
「どうする?」
なぜ私に聞くのだろうか?
「行ってくれば?」
「伊奈もだよ?」
「え? 私はいいし」
カラオケなんて、家族以外としたことがないのだ。
「行こうよ」
「無理無理。咲乃だけ行きなよ」
「モモちゃん、ゴメン、私行かない」
「いいじゃん。乗倉さんも一緒に来なよ」
私は咲乃に向かって激しく首を振る。
「嫌だって。茶髪女と一緒したくないって言ってる」
「言ってない、言ってないって」
思わず立ち上がり、桃瀬さんに向かって両手を振って打ち消す。余計な波風を立てるのは、私の一番嫌うところなのだ。私は平穏に生きたいのだ。
「言ってないから、桃瀬さん。私、カラオケとか駄目なんだよ」
「そっか、残念。サキも駄目ってか。まぁいいや、また明日ね」
特に気にするふうもなく、桃瀬さんは他のクラスメイトと出ていった。
脂汗が体中からにじみ出る。
「咲乃、なんてこと言うの」
「いや、伊奈の本音を伝えたまでだよ」
「伝えなくていいし。あ、違う。別に茶髪だから嫌だとかじゃないし」
「でも他の娘と一緒したくないんでしょ?」
「うっ」
その通りだ。私は一人が一番いいのだ。
「じゃあ、二人で行こうか、カラオケ」
「はぁ? いや、私早く帰りたいんだけど」
私は一人になりたいのだ。咲乃とも一緒にいたいわけじゃない。
「なんでいっつも早く帰りたがるんだよ。いいじゃない、たまには息抜きしようよ」
だから、一人じゃない方が疲れるんだって。特に咲乃といるのは疲れる。
「あのさ、私は一人がいいの。頼むからそっとしといて?」
「そんな寂しいこと言わないでよ。親友でしょ? もっと交流深めようよ」
「親友は学校限定ですから」
「そんなの誰が決めたの?」
「私」
「駄目。そんなの許さない」
「気が進まないんだよ。カラオケとか行ったことないし」
「じゃあ、私と練習しようよ。ちょうどいいね、そうしよう」
「頼むから話聞いて」
「あのさ、私って、時々伊奈に意地悪するでしょ?」
「時々じゃなくて、毎日だけどね」
「あれって、全然本気じゃないから」
そう言って、ニタリと笑う。なまじ顔が整っているだけに、変な迫力がある。
「脅迫? 親友を脅迫するの? かぐや姫様は」
「脅迫じゃないよ。事実を述べているだけだよ? どう受け止めるかは、伊奈次第だけど」
「それを脅迫って言うんだよ」
でも困った。単なるハッタリではなさそうだ。咲乃が本気でちょっかいを出してきたら、私の高校生活が破滅しかねない。ここが我慢のしどころか……
「分かった。今日だけだよ」
「うーん、伊奈、大好き」
そう言うと、いきなり抱き付いてきた。得も言われぬ、信じられないような香りが漂ってくる。
「ちょっと、何するの、離れてよ」
「嫌だよーん」
あーもー、本気で勘弁してよ、この女。
というわけで、駅前にあるカラオケ屋にやってきた。
看板は薄汚れ、壁には雨の跡が錆び付いて残っている。正直言って、ショボい。
咲乃曰く、安くていいのだそうだ。
お店に入ったところで、カウンターに同じ秋篠高校のセーラー服を着た一団が見えた。桃瀬さん達だ。
「あれ? サキってば、やっぱカラオケ?」
実に気まずい。
「うん、親友と二人っきりで歌うの」
何の悪びれもなく咲乃が言う。
私はと言うと、桃瀬さんらと目を合わすのが怖いのでうつむいている。
「やっぱ乗倉さんって、親友なんだ?」
「そうだよ、親友。ちょっと素直じゃないとこあるから、私も苦労してるんだけどね」
そう言って、肩を組んでくる。そういうの、嫌なんだけど。ていうか、苦労しているのは私である。
「あたし達は友達?」
「そう、君らは友達」
「どう違うわけ?」
「全然違うよ。友達は誰でもいいけど、親友はピーンと来ないと駄目なんだよ」
またよく分からないことを言い出した。意味不明の独自理論で私と桃瀬さん達を区別して、余計な火種を作っている。本気で勘弁して欲しい。
「なんか、地味に傷付く言い方だよね」
「悪いけど、事実なんだよ」
「まぁ、いいや、かぐや姫の言うことだし。じゃ、親友同士、仲良く楽しみな」
「そうする。また明日ね」
お互い手を振り合って別れる。結局私は碌に顔も合わせられなかった。
狭い個室に入って、二人っきりになる。
「あのさ、なんでああいう言い方なの?」
「何が?」
「桃瀬さん達。あんな言い方されて、内心面白く思ってないよ?」
「でも事実だしねぇ」
「いや、恨み買うの私なんだけど」
「何かされたら青柳に言うから。女子でも容赦なく懲らしめるよ」
「懲らしめるって、君が蒔いた種じゃない」
「まぁ、大丈夫だよ。私は月面人のかぐや姫だから」
自分の立場をうまく利用しようとしている。本当、ずるい女だ。
「それより歌おうよ。何歌える?」
「私、古いのしか歌えないよ?」
親がよく歌う、大昔のテレビドラマの主題歌だ。
しかもカラオケなんて大分昔に行ったきりなので、うまく歌えないのだ。
「伊奈、下手だけど声はいいよね。私が教えたげるよ」
余計な発言かつ、余計なお世話だ。
しかし咲乃は歌も上手かった。細い身体でリズムに乗って、鈴のような心地良い歌声を聞かせてくれる。そこら辺のアイドル歌手よりよほどいい。もっと聞いていたくなる。
「咲乃、もっと歌ってよ。聞いてる方が楽だし」
「じゃあ、伊奈に捧げるワンマンショーするね。後で伊奈も歌いなよ?」
そして気付いたらデュエットなんてしていた。
歌い終わってお互いに笑い合う。ああ、こうやって笑ったのなんて、久し振りかもしれない。目の前にいる、輝く笑顔のかぐや姫を見つめてしまう。
「ん? 何?」
「別に?」
いつの間にか二時間が終わっていた。
帰りの電車は途中まで一緒だ。咲乃はまだ鼻歌を歌っている。
「やっぱり、親友同士だと楽しいよ」
「今までも友達同士で来てたんでしょ?」
「まぁ、そうだけど。やっぱり違うね」
そういうものなんだろうか? 咲乃の感覚は相変らずよく分からない。
私の駅に着いた。
「じゃ、私ここだし。今日はありがとう」
「うん、また行こうね」
「また明日」
散々引っ張り回されただけなのに、お礼なんて言ってしまった。私はどうにかしてしまったのだろうか?