16.もっと前に踏みだそう。
一週間が過ぎた。
その間、多くの男子から声をかけられた。遊びにも誘われたが、バイトのスキルを駆使して全て断った。そしてトイレで私の悪口を言っている女子の声を聞いてしまった。咲乃曰くところの嫉妬だろうか?
どうも私は本当に変わってしまったらしい。
「大分、板に付いてきたね」
私の作った弁当を口に運びながら咲乃が言う。
「そうなのかな? いや、特に意識はしてないんだけど」
「でもメイクもちゃんとしてきてるじゃない」
「まぁ、せっかく教えてもらったんだしねぇ」
「『セシリア』でも悪く言う人はいなかったでしょ?」
その代わり、独特の微妙な顔をされたのだった。咲乃に言わせると、娘が嫁入りするのを見送る父親の顔なのだそうだ。
一方で、新しいお客から声をかけられるようになった。咲乃は自分のお客を奪われたと嘆いていたが。
「男子の視線にも動じなくなったじゃない」
「まぁ、慣れだよね。見られるのが普通になってきたよ」
「快感、でしょ?」
「え? どうだろ? そんなことないと思うけど」
「今度、見られたら微笑んでみ? リアクション面白いから」
試してみた。
顔を真っ赤にして眼を逸らしたり、一回逸らしてまた見てきたり。逆に寄ってくる男子もいた。ああ、咲乃って、こうやって男子を翻弄して遊んでるんだな。まぁ、いろいろな反応を見れるのは面白いかも。
何と言うのだろうか? 自信のようなものが付いてきた。今までは、どこにいてもここは私の居場所じゃないという気がしていた。だから目立たないように隠れていたのだ。
でも、今では多くの人が私のことを意識している。きつい眼を送ってくる女子でさえも、私を意識しているのには変わりなかった。私は確かにここにいる。もう隠れることはできない。隠れる必要もない。もっと前に踏みだそう。
授業中に手を挙げるようになった。部活で部員に声をかけるようになった。桃瀬さん達ともカラオケへ行くようになった。
「そんなかんじで、私が一番カブトムシ捕ったんですよ」
「カブトムシか。いつぐらいから捕りに行かなくなったんだろうな」
「私は小学四年までですね。五年になると、なんか男子と一緒に虫捕り行くのが恥ずかしいような気がしてきて」
「まぁ、夜中とか早朝だからね」
「そうそう、そんな時間に男子と一緒って、なんか照れるんですよね」
青柳先輩と一緒の帰り道。私は自分のことを話すようになっていた。そう気付いた時には驚いた。今まで自分の話をしていなかったことに。
そんな話を咲乃にすると、向こうはニッコリ笑いかけてきた。
「私も頑張った甲斐があるよ」
「今までの私はどうかしてたんだよ。人生損してた気分だな」
「そんなことないよ。今までの伊奈は伊奈でよかったよ。今の伊奈も好き。両方好き」
「玉虫色だよね」
「でないと、最初から親友になろうとしなかったでしょ?」
「まぁ、咲乃は月面人だからね。何考えてるか、分からない人だから」
「まぁいいや。じゃあ、いよいよ告白だね」
「いきなり? まずはデートだよ」
「雑誌にそう書いてあった?」
「雑誌に書いてあった。そうやって、相手をよく観察するんだって」
前までは読まなかったような女子高生向けの雑誌を、最近は読むようになっていた。今まで知らないことが多すぎた。
「じゃあ、デートから。自分で誘える?」
「うん、頑張ってみる」
「よし、頑張れ」
また咲乃が微笑んできた。
よし、頑張るぞ。
今日も青柳先輩は一人で自主練をしている。武道館の梁から下がっている綱を、手だけで上っていく。練習の間は監督も付いている。ジリジリと二人っきりになるチャンスを待ちわびる。
ようやく練習が終わり、監督が引き揚げた。汗だくの青柳先輩がこっちに来る。こういう姿は頼もしく見えて好きだ。駆け寄ってタオルを渡す。
「ありがとう」
「いえ。あの先輩!」
我慢し切れずに言葉が出てしまう。
「何?」
「週末、デートしてください」
「デート?」
しまった。いきなりすぎたか。しかしもう手遅れだ。
「デートです。デートしてください」
「デートか」
「デートです」
ここで沈黙が訪れる。駄目か。駄目なのか?
「いいよ」
「本当ですか!」
「うん。たまには気晴らしもいいと思う」
「気晴らし……ですか?」
「あ、いや、よしデートだ。真剣にデートしよう」
「真剣にって、そんな堅苦しくなくていいですよ。あの、二人で遊びましょう」
「そうだな。遊ぼうか。どこか行きたいところある?」
「映画が観たいです。その後街をブラブラとか」
「じゃあ、そうしようか」
「はい。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
帰り道は、浮かれすぎてどんな話をしたのか覚えていない。
翌日登校すると、さっそく咲乃に報告する。
「よくやった!」
抱き締めてくる。別に嫌ではない。
「じゃ、準備だね」
「服が欲しいよ。今持ってるのはかわいいのがないし」
「じゃあ、今日買いに行こう」
咲乃は万事行動が早い。
「後、デートで気を付けることって何だろ?」
「そうだねー、いろいろあるよ」
咲乃が片手を腰に、もう片方をアゴにやって身を反らす。こういう時、咲乃は頼りになる。
「ん? サキってデートしたこととかあんの?」
横から口出ししてきたのは桃瀬さん。
「え? あるよ」
しかし若干焦っている。もう長いこと親友をやっているのだ。私には分かる。
「それって、『蓬莱の珠の枝』の子じゃないよね?」
若干意地悪気味に、私が聞いてみる。
咲乃が、自分の要求した『蓬莱の珠の枝』を自作した男子とデートをしたというのは有名な話だ。その男子が、以後咲乃を避け続けているのも有名な話だ。つまりは大失敗なデートだったわけだ。
「確かにそういうデートもしたねぇ」
「あれってどういうデートだったの?」
当事者が語らないので未だ謎に包まれているのだ。
「普通だよ? 遊園地行って、ジェットコースター乗った」
「嫌な予感がするんだけど、その男子って、ジェットコースター駄目だったりした?」
「当然じゃない。駄目なのをどこまで我慢できるかで、私への愛を証明できるんだから」
「何回乗らせたの?」
「十回くらい? 最後吐いちゃった」
「駄目じゃん、そんなのノーカンだってば」
桃瀬さんが審判を下す。
「あ、でもでも、中学時代にも何度もしたよ?」
「内容は?」
桃瀬さんが詰め寄る。
「あー、やっぱ、好きな人のためなら、苦手なの克服できると思うんだよねー」
視線を逸らす咲乃。
「やっぱ全部似たようなんじゃん。駄目駄目。サキの話はあてんなんない」
「じゃあ、桃瀬さん教えてよ。私初めてだし、分かんないんだよ」
「初々しいのう。では、『これ』を授けよう」
何故かポケットの中に入れてあった、小さな袋の『例のアレ』を取り出して私の手に押し込んでくる。
「えっ! いや、『これ』はいらないって!」
「駄目だっての、いる時なかったら最低じゃん」
「モモちゃん、私もどうかなーって思うなー」
「サキも意外にウブだね。その青柳先輩? 普段はサキの犬でも、夜んなるとケダモノになるかもしんないじゃん」
「いや、夜いつも一緒に帰ってるけど、全然平気だし」
「伊奈ちゃんがデート誘ったんだよね?」
「そうだけど」
「それって、オッケーって意味だし」
「えっ! そんなつもりじゃないよ」
「向こうはそう受け取ったし。サキより伊奈ちゃんの方が先にオトナんなりそうだね。意外だわ」
「え? 伊奈が? そんなのないってば」
「明日雑誌のバックナンバー持って来たげるし、予習しとくように」
『例のアレ』を私に押し付けたまま、桃瀬さんはさっさとどこかへ行ってしまった。
「大丈夫だって、伊奈」
そう言う咲乃の唇は青かった。




