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隣人はかぐや姫と呼ばれる[改訂版]  作者: いなばー
3章

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13/22

13.バイトは続くよ。

「いらっしゃいませ」


 声が裏返った。

 相手のお客が、バイオリンの名演奏でも聴いたかのように、何度も静かにうなずいている。


「ご注文はお決まりですか?」


 今度はドスが利いてしまった。

 お客はやはり名演奏を聴いているかのように、首を左右に振ってくる。もう、何これ?


「すばらしい」


 スタンディングオーベーションをしかねなかった。彼が私に何を求めているのか理解できない。

 バイトを始めて一週間。開店が七時半なので、早起きがつらいかと思っていたけど、開店後のお客の相手がつらかった。

 咲乃に言わせると、私の人気は予想をはるかに上回っているらしい。

 既に固定客が付いたそうだ。確かに名指しで呼ばれることがある。


「男性不信になりそうだ」

「愉快な連中じゃない」

「何あれ? みんなして私の失敗待ち構えてるんだよ? 私、他人の視線とか弱いのに」

「それで昨日は、すっ転んだんだよね。あの時のどよめきには嫉妬したよ」

「パンツが見えなくて本当によかった。初めてペチコートとやらに感謝したよ」

「あそこでパンツが見えないのが萌えらしいよ」

「萌えはいいから!」

「あ、来たぞ。さ、行った行った」

「えー? うーん」


 お冷やを持って、二人テーブルに座った青柳先輩の方へ向かう。

 お客はにこやかに迎えないといけない。しかしどうしても顔が引きつってしまう。青柳先輩だとなおのことだ。

 

「もう馴れた?」

「見ての通り、全然です」

「初々しくていいんじゃない?」

「それで苦労してるんです」


 お客の前なのにため息をついてしまう。


「まぁ、あんまり気を張らないように」

「ありがとうございます」


 青柳先輩の優しさが胸に染みる。

 そしてカウンターに戻るとニヤニヤ顔の咲乃。


「むしろお二人が初々しいですなぁ」

「やめて。これ以上追い詰められたらブチギレそう」

「おー、怖い怖い」


 咲乃がフロアへと滑り出ていく。


「咲乃ちゃん、今日もかわいいね」

「ありがとー」

「昨日のサッカー観た?」

「うん、見た。同点のゴールすごかったよねー。思わず叫んでたよ」

「サッカー、Jリーグも観る?」

「何回か観に行ったよ。スポーツは何でも好きー」

「じゃあさ、今度さ」

「ご注文はお決まりですかー」

「え? ああ、ブレンドのアイス」


 お客、無残にも敗退した。

 大体あの調子で、咲乃はうまく立ち回っている。


 ああやって、誰とでもにこやかに話ができるというのを、本当にうらやましく感じる。前はそんなことは思わなかった。一人でいるのが当り前だったし、それでさみしいなんてこともなかった。一人で気楽に生きてきた。

 咲乃と出会って、私の世界は少しだけ大きくなったけど、こうして今まで考えもしなかったことに思いが至るようになった。

 一度踏み出した世界の広がりに、とまどいとほんの少しの興奮を感じる。もっと広がりたい。

 青柳先輩に対する気持ちもその一つなのだろう。これがどういう気持ちなのかを知るのには、まだ勇気が足りないのだけど。

 

 アイスコーヒーができたので、青柳先輩のところへ持っていく。


「あ、お待たせしました、アイスコーヒーです」

「ありがとう」


 青柳先輩が私を見て返事をする。この格好を見られるのは、まだまだ恥ずかしいんだけど。


「あの、やっぱり注文取るとか、咲乃の方がいいですよね?」

「いや、そんなことないよ。姫だとなんか照れるし」


 では私だとどうなんだ?


「はぁ、まぁ、咲乃のあの接客はないですよねぇ。変な声だし」

「乗倉さんだと安心できるかな」

「安心ですか?」

「うん、和ませてもらってるよ」


 ウッ。

 落ち着け。青柳先輩に他意はない。青柳先輩には咲乃しか見えていないんだから。


「ではごゆっくり」


 とは言えそんなにごゆっくりもしていられない。この後部活に行くのである。咲乃と柔道。それが青柳先輩の全て。




 昼過ぎになって、ちょっと厄介なお客が来た。桃瀬さん御一行である。

 学校の人間にこの格好を見られるのは羞恥プレイ以外の何ものでもない。しかも微妙に知り合いだという距離が、余計に恥ずかしさをかき立てる。


「おお、すっごいね。想像以上だ」


 咲乃は巧妙に他のお客の相手をしているので、私がお冷やを運ぶしかない。


「てか、大丈夫なの? フラフラしてっけど」


 まだトレイにコップ四つを載せて運ぶのには馴れない。


「大丈夫。大丈夫です」


 ぎこちない笑みで、どうにか四つ、お冷やを並び終える。


「注文はいかがしましょう」

「ふーん」


 桃瀬さん達が私を上から下までじっくりと眺める。勘弁して!

 さらに隣のテーブルにいる咲乃の方を見る。


「基本、サキ仕様だよね」

「まぁ、本人デザインですから」

「でも悪くないね」


 良くもないのだ。


「かわいいかわいい」


 他の娘も言ってくる。無責任すぎる。


「人気あるんだって?」


 咲乃がいろいろ吹き込んでいるようだ。そもそもこうしてやって来たのも、あいつのせいに決まっている。


「なんか、地味でドジするのがいいらしいの」

「ただの地味じゃ駄目だけどね」

「それってどういう?」

「ただの地味じゃ、乗倉さんみたく似合わないし」

「いや、似合ってはないでしょ?」

「なーんか、自信ないよね。駄目だって、そういうの」

「ねぇ、写メしていい?」


 奥にいる娘が携帯を構えた。


「駄目駄目駄目」


 必死で顔を隠す。それでもシャッターの音が。


「あー、失敗だー」

「本気で勘弁してね」


 涙目で頼み込む。

 どうにかカウンターに戻ってくる。


「伊奈の画像?」

「そう。かろうじて阻止したけどね」

「ジャジャーン」


 咲乃が自分の携帯を取り出す。嫌な予感しかしない。

 案の定、咲乃の携帯には私の画像が大量に保存されていた。盗み撮りだ。


「咲乃ー」

「大丈夫、これは私だけの宝物だから」


 そう言って携帯を胸に抱く。




 お盆を過ぎた辺りになると、私の接客も少しはマシになってきた。


「伊奈ちゃん、あのさ、どっか遊びに行かない。休みの間に」


 顔を真っ赤にした若いお客に言われてしまった。


「それってデートですか?」

「え? いやー」

「デートですか!」


 テーブルに手を載せて顔を近付ける。


「あー、デートって言うか、遊びに行くってだけ……」

「ご注文はお決まりですか」


 身体を引いて、板に付いてきた営業スマイル。


「あー、モカのホット」


 かろうじて危機を乗り切る。


「うむ、大分成長したね」


 咲乃が腕組みをしてうなずく。


「否応なく鍛えられるからね。失敗も減ったし、お客の好奇の眼差しも減ったよね」

「今は今で、安定した人気を誇ってるけどね。私もうかうかしてられないよ」

「咲乃は作り過ぎてるんだよ」

「お、先輩に駄目出しするまでになったね。でも私の場合、地でやるとどうしても意地悪しちゃうからね。店長からストップがかかってるんだよ」

「知ってる。それでもやらかすけどね。お尻触ろうとした不埒なお客に、事故の振りしてお冷やぶっかけたりさ。その上お詫びだとか言って咲乃特製の料理を振る舞うとか、もうね」


 咲乃の料理は相変らず駄目なのだ。下手にちょっとだけできるようになったのが、相手のお客にとっての災難だった。


「涙目で全部食べたのには笑えたよね。他のお客から白い目で見られるのも計算のうちだったよ」

「そんなんじゃ、本当、特定の趣味のお客しか来なくなるよ」


 ドM専門店だ。


「だから店長ストップだよ。地でお客の心を掴める伊奈がうらやましいなぁ-」

「こんな私だったら、いくらで変わったげたいよ」

「何言ってるのさ。伊奈には伊奈の良さがあるのに。まだ分からないの?」


 私の良さ? そんなのないし。


 青柳先輩は相変らずの常連客だ。


「大分馴れたみたいだね」

「おかげさまで」

「うまく力が抜けているよ。そうでないといい試合ができないからね」

「試合?」

「ああごめん、ついつい柔道で考えてしまうから」

「先月の大会もすごかったですね」

「まぁ、強豪ばかりだから上までいけなかったけどね。でもいい経験になったよ」


 まだ少し話をしてから、注文を聞いて戻る。


「もう当り前のように自分から注文取りに行くようになったよね?」

「え? そうかな? いや、毎回押し付けてくるし」

「途中から何も言ってないんだよ?」


 実は知っている。

 青柳先輩が来るのを心待ちにしている自分がいるのも知っている。

 やっぱりこれって。


「はぁー、春だなぁ、夏なのに春だなぁ」


 咲乃がスカートをひらめかせながら軽く一回転する。  


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