14話 午後、ようやく開店
14話 午後、ようやく開店
昼の鐘が鳴り終わった頃、喫茶店「雪の庭」は、ようやく“開店準備中”の札を裏返した。
正確には、忍が裏返した。
「……お嬢様。看板、出しますね」
「ええ、お願い」
雪乃はカウンターの内側で、優雅に紅茶を注いでいた。
蒸気が立ちのぼり、茶葉の香りが店内にゆっくりと広がる。
忍はその様子を横目に見ながら、無言で扉を開け、白い扉の外に看板を置いた。
――営業中。
ただし、その下には例の文言がぶら下がっている。
営業時間:気が向いたら開店
閉店時間:開店後3時間
(本当に、これでいいんでしょうか……)
忍が内心で嘆息した、その時。
「おっ、今日は開いてるのか」
通りから、気の抜けた声が聞こえた。
現れたのは、近隣の衛兵・レオンだった。
鎧こそ脱いでいるが、体格と日焼けした肌は一目でそれとわかる。
「いらっしゃいませ」
忍は反射的に頭を下げる。
「今日は……開店が、遅めですね」
「ええ。今日は気が向いたの」
カウンター越しに、雪乃がにこやかに答えた。
レオンは一瞬言葉に詰まり、それから苦笑する。
「相変わらずだな……まあ、開いてるなら助かった」
店内はまだ静かだった。
昼食の時間帯をとうに過ぎているため、客はまばらである。
弥生が静かにプリンを運んでくる。
「本日のスイーツは、『あずきと緑茶のジパング風ミルクプリン』のみとなっております」
「それだけ?」
「はい。それだけです」
きっぱりとした返答に、レオンは肩をすくめた。
「潔いな……まあいい。ひとつもらおう」
スプーンが、ゆっくりとプリンに沈む。
緑茶の層が揺れ、小豆がきらりと光った。
一口。
次の瞬間、レオンの動きが止まった。
「……」
「……?」
忍と弥生が様子をうかがう。
レオンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……なんだこれ」
そして、目を見開く。
「うまい……!」
思わず声が大きくなり、店内に響いた。
「小豆の甘さが、重くない。
緑茶の苦味が、後から追いかけてきて……」
言葉を探しながら、もう一口。
「……神か?」
「でしょう?」
雪乃は、誇らしげでも謙虚でもない、あくまで“当然”という顔で頷いた。
「素材が良いのと、作り手が優秀なのよ」
弥生は小さく微笑み、忍は内心で(作ったのは弥生さんです)と突っ込む。
だが、そんなことはどうでもよかった。
レオンはあっという間に皿を空にし、立ち上がる。
「……これ、誰かに教えないと損だな」
「ご自由にどうぞ」
「ただし」
雪乃は、にこやかに付け加えた。
「開いてるとは限らないけど」
「……だよな」
レオンは笑いながら店を出ていった。
それから、少しずつ客が増え始めた。
「さっきの衛兵さんが……」 「プリンが美味しいって……」
噂は早い。
気づけば、席は半分ほど埋まり、忍と弥生は忙しく立ち働くことになった。
だが――
雪乃は、相変わらずカウンターで紅茶を飲んでいた。
店内の様子を眺め、満足そうに微笑みながら。
(……絶対、わざとですよね)
忍は皿を運びながら、心の中でそう呟いた。
それでも、客の笑顔と甘い香りが満ちるこの空間は、確かに心地よかった。
喫茶店「雪の庭」は、こうして――
午後遅く、ようやく本来の顔を見せ始めたのである。




