11話 夢は、海の向こうに
夢は、海の向こうに
甲板に流れる空気は、先ほどまでとは少しだけ変わっていた。
波の音も、風の強さも同じはずなのに、どこか張りつめていたものが、ゆっくりとほどけていく。
雪乃は、手にしたカップを見下ろした。
紅茶の表面には、船の揺れに合わせて小さな波紋が生まれ、すぐに消えていく。
しばらくの沈黙のあと、弥生が静かに口を開いた。
「ですが……壱姫様は、姉妹にはとてもお優しいお方です」
その言葉は、恐る恐る確かめるようだった。
先ほどまでの重い話題を、少しでも和らげたいという思いがにじんでいる。
忍が、即座に言葉を差し挟む。
「……私たちは、姉妹ではありませんから」
短く、はっきりとした訂正だった。
一瞬、空気が止まる。
誰もが言葉を探し、甲板には再び波音だけが残った。
雪乃は、その沈黙を破るように、軽く肩をすくめる。
「まあまあ……」
照れ隠しのように紅茶を一口すすると、静かに続けた。
「でも、壱姉様が海賊団を潰したり、奴隷商人を一掃したりしてるのは事実よ」
二人に向けた視線は、落ち着いていた。
「やっていることは正しいの。
ただ……少し、豪快すぎるだけで」
「少し……ですかね……」
弥生は苦笑し、忍もまた小さく息を吐く。
二人のため息は重なり、すぐに風に流されていった。
雪乃は、視線を海へと向ける。
遠くまで続く海原は、境界も終わりも見せず、ただ静かに広がっている。
この向こうに、ラルベニアがある。
まだ見ぬ国、まだ踏みしめたことのない土地。
そこに待っているのは、王女としての役目ではなく、まったく別の生活だ。
「さあ……」
雪乃は、少しだけ声を弾ませた。
「ラルベニアに着いたら、私の喫茶店を開くのよ」
二人が視線を向ける。
「好きな時に開けて、疲れたら閉めて……
好きなスイーツだけ出す、夢の喫茶店を……!」
それは、計画でも、決意表明でもない。
ただ、素直に語られた願いだった。
雪乃は胸を張り、その言葉を口にする。
王城で語ることはなかった、肩書きも責任も伴わない夢。
忍と弥生は顔を見合わせ、控えめに微笑んだ。
驚きも、否定もなかった。ただ、その夢を受け取るような静かな笑みだった。
船は、変わらず進んでいる。
風に押され、波に揺られ、海の上を進むその先に、新しい生活が待っている。
――雪乃の旅は、いま始まったばかりである。
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