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恋愛賭ける必敗カノジョ  作者: 逢理雪
1章 負け金額が多すぎる!
2/2

2話


 秋の空は変わりやすいと言うが、まさかここまで極端だとは思わなかった。

 先ほどまで柔らかな陽光が降り注いでいたはずの空は、急に底意地の悪い鉛色に染まり、バケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨を街に叩きつけ始めた。


「ああクソ、傘持ってねえよ」


 アスファルトが急激に冷やされ、雨の匂いがむせ返るように立ち上る。休日の優雅な散歩を気取っていた俺は、たまらず近くにあったド派手なネオンサインの建物へと逃げ込んだ。


 ウィーン、という無機質な電子音と共に自動ドアが開いた瞬間、物理的な「音の壁」に顔面をぶん殴られたような錯覚に陥った。

 何百台という機械が一斉に吐き出す、電子音と激しいBGMの奔流。

 そして、ジャラジャラ、ギュルルルルという、無数の銀玉がガラスと釘にぶつかり合う暴力的なまでの金属音。

 涼しいを通り越して肌寒いほどに効いた冷房の風と、微かな電子タバコと芳香剤が混ざった独特の匂いが鼻腔を突く。


 パチンコ屋。

 俺の十五歳からの五年間、飯場の先輩たちが給料日の翌日に決まって姿を消し、週明けには幽鬼のような顔をして「メグリ……千円貸してくれ」と頭を下げてきた、あの魔の巣窟である。

 入り口のマットで靴の裏の汚れを落としながら、俺は店内を見渡した。

 眩いほどに発光する通路の両側には、巨大な液晶画面を搭載した機械がズラリと並んでいる。そこに座る大人たちは、一様に瞬きを忘れ、親の仇でも見るかのような真剣な眼差しで画面を睨みつけていた。誰もが、自分の世界に没入している。


 とはいえ、ただ雨宿りのためだけに入り口付近で突っ立っているのも居心地が悪い。忙しそうにインカムで喋りながら通路を行き交う店員たちの視線が、「打たないなら帰れ」と言っているような気がして落ち着かないのだ。


(まあ、場所代……いや、雨宿りの席代だと思えばいいか。話の種にもなるし)


 俺は意を決して、比較的客の少ない通路へと足を踏み入れた。

 しかし、いざ打とうと思っても、どの台に座ればいいのか皆目見当がつかない。海?エヴァ?北斗?先輩たちが休憩時間のたびに熱く語っていた単語が台の上でチカチカと光っているが、ルールすら知らない俺には宇宙語と同じだ。

 そんな中、ふと一台の煌びやかな装飾の機械の前で足が止まった。

 ショッキングピンクの派手な筐体。上部にはなぜか巨大なステッキの役物がせり出しており、液晶画面の中では、フリフリの衣装を着た可愛らしい二頭身の少女たちがキャッキャと笑い合っている。


『魔法少女プリズム☆マギカ』

 画面の端に表示されたタイトルロゴを見て、俺は小さく息を吐いた。昔見ていた深夜アニメだ。

 見知らぬ屈強な男たちが殴り合う台よりは、多少は親しみやすい気がした。俺は周囲に人がいないことを確認し、その魔法少女の台の前に置かれた、やけに座り心地の良い椅子に腰を下ろした。


 さて、ここからが問題だ。

 俺は財布から千円札を一枚取り出したが、それをどこに入れればいいのかわからない。自動販売機のような分かりやすい投入口が見当たらないのだ。


(なんだこれ、どうやって金を入れるんだ?)


 筐体の周りをあちこち見回す。台の左側に、申し訳程度の細いスリットを見つけた。これか?しかし、よく見るとそれは隣の台との間に挟まれた、独立した細長い別の機械だった。


「サンド……?」


 かすれた文字でそう書かれている。俺は首を傾げながらも、恐る恐るそのスリットに千円札を差し込んでみた。

 シュガッ、という小気味良い音と共に、千円札はあっさりと機械に吸い込まれていく。

 しかし、何も起こらない。液晶画面の魔法少女は相変わらずニコニコと笑っているだけで、ゲームが始まる気配も、玉が出てくる気配もない。


(おいおい、ぼったくりか?金だけ吸い込まれたぞ)


 焦ってパネルのあちこちを触っていると、不意に『玉貸』と書かれた赤いボタンに指が触れた。


 ジャララララララッ!!


「うわっ!?」


 突然、台の下部にある受け皿に向けて、猛烈な勢いで銀色の玉が吐き出され始めた。予想以上の音と勢いに、俺は思わず肩をビクンと跳ねさせてしまった。

 受け皿に溜まった、冷たくて重い銀色の球体。

 これが、人を狂わせるパチンコ玉というやつか。


(とりあえず、これを弾けばいいんだよな)


 俺は、台の右下についている丸いハンドルに手を伸ばした。

 回す、というのはなんとなく知っている。だが、どの程度の力加減で回せばいいのかなど、誰からも教わっていない。

 現場で培った、無駄に強い握力。俺はためらうことなく、そのハンドルを右側の限界まで、ギュッと力一杯ひねり上げた。


 バンッ! バンッ! バンッ!


 勢いよく発射された銀玉たちは、盤面には一切向かわず、右側のプラスチックの壁に激しくぶつかっては、虚しく一番下の穴へと吸い込まれていく。

 画面の魔法少女は「あれれ〜?」と首を傾げているが、こっちが「あれれ〜?」である。一向にゲームが始まる気配がないまま、せっかく出てきた銀玉が秒速で消滅していく。魔法を使うためのコストはさらなる金だろうか。


 俺が真剣に首を傾げながら、通常時にも関わらず全力で打ち続けていた、その時だった。


「あ、あのっ……」


 爆音の店内にあっては、蚊の鳴くような、ひどく掠れた声。

 いつの間にか、誰もいなかったはずの俺の左隣の席に、大きな黒いフードを目深に被った小柄な影が座っていた。


(いつの間に!?)


 小柄で細身。フードの隙間からは、目元を完全に隠すほど重い前髪と、手入れされていない無造作に長い黒髪が覗いている。台の光によってチラリと見えた瞳には覇気が無い。ダボダボのパーカーの袖からちょこんと出た指先は、陽の光を何年も浴びていないかのように不健康に白かった。

 まるで、パチンコ屋の冷房の風に乗って現れた幽霊か座敷わらしのようだ。


「……右、じゃなくて……最初は、左に……」


 彼女は俺の台の盤面を細く白い指で力なく指差しながら、消え入りそうな声で言った。

 店内には何百台もの機械が放つ爆音が轟いている。普通の人間なら、隣に座っていても絶対に聞き取れないほどの音量だろう。

 だが、俺の耳は別だ。十五の時から、鼓膜を破らんばかりの削岩機や重機の轟音の真横で、親方の「そこどけ!」「資材持ってこい!」というお言葉たちを正確に聞き取って生きてきた。

 だから、彼女の極小ボリュームのボイスも、俺の耳には鮮明に届いていた。


「左……?」


 俺は言われた通り、限界まで右にひねり上げていたハンドルを少し緩めてみた。

 すると、勢いを弱めた銀玉が盤面の左側へとポロポロと落ちていき、中央にある小さな穴──ヘソと呼ばれる場所へスポンと吸い込まれた。


 ピロリンッ!


 その瞬間、今までただ笑っていただけの画面の魔法少女が突然杖を振り回し、数字の図柄が勢いよくスピンし始めた。


「なるほど、左に打ってあの穴に入れるのか。ありがとう」


 俺は素直に礼を言った。

 すると、フードの少女はビクッと肩をすくめ、逃げるように自分の台へと視線を戻してしまった。ひどく人見知りらしい。


(それにしても……)


 俺は周囲をぐるりと見渡した。この通路には俺たち以外、誰も座っていない。何十台も空席があるのに、なぜわざわざ初心者の俺の真隣、それもこんな端っこの角から二番目の席に座ったのだろうか。いや、むしろ俺が気がつかずに隣に座ってしまったのだろう。それくらい、彼女の存在感は希薄だった。

 不思議に思っていると、隣から再び彼女の微かな声が聞こえてきた。


「……ふぅ、よし。これで初心者に左打ちを教えるという、圧倒的な善行を積んだ……」


(ん?)


 俺はハンドルを握ったまま、耳だけを隣に向けた。


「……角台の隣は波が荒いけど、ハマった後は爆発しやすい……。それに加えて今の私には、人を助けたという徳がプラスされている……。パチンコの神様は、こういう小さなボランティア活動を絶対に見逃さない……」


 彼女は自分の台のハンドルを固く握りしめ、虚空を見つめながらブツブツと呪文のようにつぶやき始めた。


「……本来319分の1の確率が、今の私なら150分の1くらいまで甘くなっているはず……。当たる……今日こそ、絶対に勝てる……!」


 見ず知らずの俺に打ち方を教えてくれたのは親切心かと思いきや、まさかのオカルト的な運気上げのためだったらしい。レイナが俺を競馬をさせた時と同じ事を言っている。

 というか、パチンコの神様はそんな細かい徳の計算をしてくれるのだろうか。だとしたら、ずいぶんと暇で俗物な神様だ。

 隣の少女は、瞬き一つせずに画面を凝視している。その細い肩は、まるでこの時間に自分の全存在を賭けているかのように強張っていた。


 先日出会ったレイナというお嬢様は、ギラギラとした欲望を隠そうともしない狂戦士だった。

 だが、この隣の少女から漂ってくるのは、もっと切実で、じめじめとした哀愁だ。放っておくと、今にもスゥッと消えてしまいそうな儚さがある。


「……リーチ……お願い、お願い……」


 弱々しく画面に祈る彼女の横顔を見ながら、俺はとりあえず、もう少しだけこの席で雨宿りをしていくことに決めたのだった。


 教えられた通りに左へ玉を打ち出すと、俺の台の画面ではフリフリの魔法少女が元気よく走り回り始めた。

 相変わらず耳を劈くような爆音と、チカチカと視界を攻撃してくる強烈なフラッシュ。そんな鉄火場の喧騒の中で、俺は自分の台を見つめるフリをしながら、左隣から漏れ聞こえてくる「実況中継」に全神経を持っていかれていた。


「……パチンコは素晴らしい……」


 彼女の口の動きは最小限で、声帯の振動すらケチっているかのような極小ボイスだ。しかし、俺のノイズキャンセリング搭載(現場仕込み)の耳には、その独白が恐ろしいほどクリアに届いていた。


「……現役時代、あんなに擦り切れるまで英単語帳をめくったのに志望校に落ちて……。浪人して、予備校の冷たくて硬い椅子に毎日座り続けた私の努力を、世間は要領が悪いからだと言ってくる……」


 まだ若い女の子が、パチンコ屋の片隅で背中を丸め、過去の受験のトラウマを掘り起こしている。なんという地獄のような光景だろうか。


「……でも、この台は違う……」


 彼女は、フードの奥から恨めしそうな、それでいてどこか慈愛に満ちたような目で液晶画面の魔法少女を見つめた。


「……学歴も、偏差値も、要領の良さも関係ない……。ハンドルを握れば、東大生でも一浪の私でも、等しく三百十九分の一の抽選を受けさせてくれる……。ここは、この世で唯一の平等な楽園……マリンちゃん好き……ありがとう、今日も私のためだけに光ってくれて……」


 そんな悲しい理由で打つパチンコがあるのか。平等といっても金が吸われていくマイナスの平等だ。しかもマリンちゃんは俺相手にも光っている。

 彼女の歪んだ悟りに、俺の胸の奥で妙な同情心が芽生え始めていた。

 飯場の先輩たちはパチンコは勝負の場と血走った目で語っていたが、この隣の少女にとって、ここは社会の不平等から逃れるための避難所らしい。

 その時、彼女の台がピシュウゥゥン!とひときわ大きな音を立て、画面全体が真っ赤に染まった。どうやら「チャンス」の展開が来たらしい。


「……い、いける……赤色の保留……! 私にも、ついに春が……」

 

 彼女は台にすがりつくように前のめりになり、青白い両手でギュッと祈るように組み合わせた。画面の中では、魔法少女が巨大な敵に向かって必殺技を放とうとしている。


「……お願い、お願い……ここで当たれば、今月の食費が……」


 食費賭けてんのかよ。やっぱりレイナと同じ同類じゃないか。

 俺が内心で焦っていると、画面の魔法少女の必殺技はあっけなく敵に弾かれ、ズドォーンという残念な効果音と共にハズレの演出が表示された。


「…………」


 隣から、空気が抜けるような音がした。

 見ると、彼女は先ほどまでの前のめりな姿勢から一転、椅子の背もたれに深く沈み込み、魂が抜けたように天井を仰いでいた。


「……やっぱり……現実世界と同じだ。私みたいな要領の悪い人間は、魔法少女にも見捨てられるんだ……。しょせんパチンコも資本主義……。弱者は搾取される運命なんだ……っ……」


 平等じゃなかったのかよ。

 極端から極端へと揺れ動く彼女の情緒に、俺は呆れを通り越して感心すら覚え始めていた。


「……あだだ……右腕が限界だ……」


 彼女は再びノロノロと右手を伸ばし、力なくハンドルを握り直す。


「……ハンドルをミリ単位で固定するのは疲れる……腕が痛い……。ああ……私の生命力が、一玉一玉、吸い込まれていく……。なんだかとても眠い……」


 雑魚すぎる。なんて雑魚いんだ。

 横目でチラリと確認すると、彼女の横顔はさっきよりもさらに白さを増し、本当に今にも気を失ってしまいそうだった。


(……ダメだ、これ。なんか、不憫すぎて見ていられない……)


 今まで、自業自得で首が回らなくなったダメな大人たちの世話を、嫌というほど焼かされてきた。俺はもう、他人の人生の尻拭いは金輪際ごめんである。

 そう頭ではわかっているのに、俺の体には悲しき習性が染み付いてしまっていた。


(……俺が帰る時まで残ってたら、温かいもんでも食わせてやろう……)


 ため息をつきながら、俺は自分の台へと視線を戻す。

 とりあえず、持っている千円札が尽きるまでは付き合ってやるか。


 そう思いながら液晶画面を眺めていると、不意に俺の台の盤面下部から、ブオオオオン!という、明らかに先ほどの彼女の台よりもけたたましい、風を切るような爆音が鳴り響いた。

 同時に、ハンドルを握っていた俺の右手に、ブルルルルッ!と強い振動が走る。


「……え?」


 俺が驚いて声を漏らした瞬間、左隣から、ヒュッ、と息を呑むような微かな音が聞こえた。

 フードの奥の、重い前髪に隠された彼女の瞳が、俺の台を……いや、俺の台でピカピカと七色に発光し始めた『大当たり確定』の文字を、絶望的な表情で見つめていた。


 けたたましいファンファーレと共に、液晶画面には『大当り』の金文字がド派手に躍り出た。

 盤面のあらゆる役物が動き出し、七色のLEDライトが嵐のように点滅して俺の顔を照らし出す。魔法少女たちが「やったね!」「これからが本番だよ!」と、やけにハイテンションなフルボイスで祝福してくれている。


 画面の指示に従って再びハンドルを右に全開にすると、今度は玉が虚しく消えていくことはなく、画面下部のパカパカと開閉する大きな穴に次々と吸い込まれ始めた。

 ジャラジャラジャラッ!と、さっきよりもさらに激しい玉の払い出し音が鳴り響く。


(す、すごい勢いで玉が出てくるな……。でも、これどうすればいいんだ?)


 俺はふと疑問に思い、足元や台の横を見回した。

 飯場の先輩たちは、勝った翌日には決まって「ドル箱をタワーみたいに積み上げてやったぜ」と自慢げに語っていた。しかし、この台の周りには玉を受けるためのプラスチックの箱らしきものが一切見当たらない。払い出された玉は、そのまま台の奥にある別の穴へとスルスルと流れていってしまうのだ。


「……パーソナル、システム……」


 隣から、地獄の底を這うような、かすれきった声が聞こえた。

 ビクッとして左を見ると、フードの奥から死んだ魚のような目を覗かせた彼女が、俺の台の横にある小さなデジタル表示器を凝視していた。


「……出玉はすべて自動で計数されて、あの画面に数字で記録されていく最新設備……。ドル箱を積むというパチンコのロマンを奪い去った、冷徹な効率化の産物……」


 彼女の極小ボイスによる解説は、パチンコ屋の爆音と魔法少女のハッピーな主題歌をすり抜けて、俺の耳に直接届いていく。彼女としては、こちらに語りかけているつもりではないんだろう。


「……店員さんを呼んで箱を交換してもらう必要がないから、極度のコミュ障である私にとっては非常にありがたいシステムだけど……。今は、隣の初心者のデジタル数字が数千、数万と爆発的に増えていくのを、ただ指をくわえて見せつけられるだけの……残酷な拷問装置……」


 なんかごめんという気持ちでいっぱいだった。 

 見れば、彼女の顔色はもはや青白いというより、透き通って後ろの景色が見えそうなほどの生気のなさだった。

 彼女はノロノロとした動きで自分の手元にあった財布を逆さに振ったが、中からはホコリ一つ落ちてこない。どうやら、本当に全財産を魔法少女に吸い取られてしまったらしい。

 やがて彼女は、力尽きたようにズルズルと椅子から滑り落ちそうになり、パチンコ台のハンドルが下にある平らな部分(上皿というらしい)に、突っ伏すように頭を乗せた。


「……もうダメだ……。弾く玉も、千円札も……私の生命力も、すべて底をついた……ずるいな、ビギナーズラックシステム……。店長が監視カメラで見てて、初心者を沼にハメるために遠隔操作で当たりを引かせたんだ……。その裏で、毎週この店に電気代を貢いでる常連の私は見捨てられる……不平等だ」


 パチンコは平等じゃなかったのかよ。

 消え入りそうな声で、彼女が台に向かって遺言のようにつぶやく。


「……外は雨だし……帰る気力もない……。いっそ、このままこの店の備品として雇ってもらおうかな……。角台の横に鎮座する、悲しき一浪のオブジェとして……」


 店長が捨て場に困るだろ。一浪である意味は何だよ。


「……そうすれば、雨風も凌げるし、冷房も効いてるし……。なにより、時給が発生するから、そのお金でそのままこの台が打てるし……」


 備品が自我持ってハンドル握ろうとしてるじゃないか。

 俺は心の中で哀愁の漂うツッコミを入れた。

 一文無しになって絶望の淵にいるというのに、それでもまだ「時給でパチンコを打つ」という執念を燃やしている。レイナのギラギラした狂気とは違う、じめじめとした、それでいて底なし沼のようなギャンブルへの執着。

 俺の台では、まだ魔法少女がキラキラと輝きながら大当りのラウンドを消化し続けている。デジタルカウンターの数字は、あっという間に一万発という大台を超えようとしていた。


 右手にハンドルの振動を感じながら、俺は隣で突っ伏している悲しき一浪のオブジェを横目で見下ろした。

 このまま放っておけば、本当に店の備品と同化してしまいそうだ。

 俺は小さくため息をつくと、大当りが終わるのを待ってから、彼女に声をかける決心をした。俺が人生で身につけたダメな人間を放っておけないという呪いは、どうやら想像以上に根深いらしい。


 終わりの見えなかった魔法少女たちのどんちゃん騒ぎも、一時間ほどでようやく静寂を迎えた。

 ふと我に返ると、俺の台の横にあるデジタルカウンターには『一万五千』という、初心者の俺でも「なんかヤバそう」と直感できる数字が表示されていた。


「あー……。なあ、備品になりかけてるところ悪いんだけど、これ、どうやって終わるんだ?」


 俺が声をかけると、ハンドルの上で突っ伏していた悲しき一浪のオブジェこと隣の少女が、ノロノロと首だけをこちらに向けた。


「……そ、そこの、返却ボタンを押して……出てきたカードを、カウンターの人に……渡す……」


 親切に教えてくれた彼女をそのまま店内に放置するわけにもいかず、俺は「換金所まで案内してくれたら飯を奢る」という条件で、亡霊のような彼女を後ろに従えて景品カウンターへと向かった。

 渡されたのは、中に金色の何かが入った薄いプラスチックのケースの山だった。


「なんだこれ。現金じゃないのか……?」

「……パチンコ屋は直接現金を渡せないから、それを別の場所にある窓口に持っていくの……」

「へえ、変なシステムだな」


 自動ドアを抜けると、先ほどのゲリラ豪雨はすっかり上がり、雲の隙間から眩しい秋の西日が差し込んでいた。


「……っ!」


 後ろを歩いていた彼女が、日光を浴びた吸血鬼のように「ひゅっ」と喉を鳴らしてフードをさらに深く被る。太陽の光すら今の彼女には劇薬らしい。


「で、その窓口ってどこにあるんだ?」

「……こっち……」


 彼女の頼りない足取りについていくこと数秒。案内されたのは、パチンコ屋の裏路地……ではなく、人通りがやけに多い大通りの歩道だった。

 彼女は、歩道に面した壁にぽっかりと開いた、小さな小窓を指差した。


「……あそこ……」

「あそこって、あの窓?壁もついたても何も無い、完全に道端だけど」

「……そう……。ここのお店、換金所が歩道にむき出し……」


 彼女はフードの奥で、親の仇でも見るようにその小窓を睨みつけた。


「……道行く陽キャ大学生や家族連れからの、『うわぁ、真っ昼間からパチンカスだ』っていう冷たい視線を全身に浴びながら、あの小窓に景品を差し出さなきゃいけない……。完全に、社会からの隔離施設……」

「隔離どころか、社会のど真ん中に展示されてるな……」


 確かに、絶え間なく人が行き交う歩道で、謎のプラスチックケースを現金の束と交換する姿を見られるのは、いくら俺でも少し抵抗がある。


「……だから、勝っても恥ずかしい……。大勝ちして大量の景品を交換する時なんて、時間がかかる分、余計に通行人に見せものにされる……。まさに公開処刑……」

「なるほど。ちょっとキツい」


 彼女は俺の手元にある大量の景品ケースと、行き交う人々を交互に見比べながら、ふうっ、と憑き物が落ちたような安堵の息を吐いた。


「……ああ、怖い……。やっぱり私、今日は勝たなくてよかった……」

「は?」

「……もしあんなに出玉を出してたら、今頃あの窓口で、何分間も通行人の蔑むような視線に晒されていた……。パチンコの神様は、私をあの恥ずかしさから救うために、あえて当りを引かせなかったんだ……」

「……」


 なんて悲しい自己防衛なのだろうか。

 全財産を失って店の備品になろうとしていた数分前までの絶望を、「恥をかかなくて済んだ」という謎の理論で帳消しにしようとしている。人間の防衛本能というのは、ここまで歪な進化を遂げるものなのか。


「…………あそこで存分に、勝者の十字架を背負ってきなさい……」

「……ああ、行ってくるよ」


 もはや哀れみを通り越して愛おしさすら感じさせる一浪の少女に見送られ、俺は意を決してむき出しの小窓へと向かった。

 確かに、背中に突き刺さる通行人の視線は痛かったが、現場の怒鳴り声に比べればそよ風みたいなものだ。

 数分後。小窓から吐き出された分厚い封筒を受け取り、俺は彼女の元へと戻ってきた。中には、俺が肉体労働で汗水垂らして稼いでいた数日分の給料が、たった一時間ほどの右打ち(最初は間違えていたが)で収まっていた。


「ほら、終わったぞ」


 俺が声をかけると、彼女は俺の手にある封筒から、一切目を逸らさなかった。

 先ほどの「勝たなくてよかった」という謎の強がりはどこへやら。そのどんよりと瞳には、獲物を狙う飢えた野生動物の光が宿っている。


「……それ……私の……私の……」


 お前のではないだろ。俺は小さく息を吐き、ポケットに現金の入った封筒を突っ込んだ。

 今日から始まるはずだった、休日にカフェで本を読むような普通の人生は先日のレイナに続き、今日も見事に粉砕されてしまった。


「ほら、行こう。換金所まで付き合ってくれたお礼だ。うちのバイト先、ちゃんと美味いから」


 そう言って俺は彼女の方に向き直った。

 雲の隙間から差し込んだ秋の西日が、彼女をすっぽりと覆い隠すパーカーのフードの内側を、ふわりと照らし出した。


 その瞬間、俺は思わずハッと息を呑んだ。

 パチンコ屋のどぎついネオンや、彼女自身が放つ陰鬱なオーラのせいで今まで全く気づかなかったが、明るい光の下で改めて見る彼女の顔立ちは、驚くほど端正に整っていたのだ。

 無造作に伸びた重い前髪の奥に隠された、長い睫毛と形の良いまぶた。すっと通った細い鼻筋に、血の気はないが柔らかそうな薄紅色の唇。

 陽の光を極端に憎み、長年浴びていないであろう不健康なまでに真っ白な肌は、見方を変えれば、光を透過しそうなほど繊細で美しい高級な陶器のようだった。

 

 もし彼女が、その陰気なダボダボのパーカーではなく、小綺麗なワンピースでも着て背筋を伸ばしていれば、レイナのようなお嬢様として十分に通用しただろう。

 まるで、血統書付きの高貴な白猫だ。本来ならふかふかのクッションの上で、毛並みを揃えられて大切に愛でられているはずの美しい猫が、なぜか自ら泥水をすすり、ずぶ濡れになりながら路地裏の薄汚れた段ボール箱の中で震えている。

 そんな、どうしようもないアンバランスな危うさが、俺の胸の奥をチクチクと刺激してくる。


 邪念を振り払うように俺が歩き出すと、彼女は「……タダ飯……」と、呪文のように呟きながら、フラフラと俺の後ろをついてきた。

 




 雨上がりの少し湿った秋風の中、俺はパチンコ屋の喧騒を背にして歩き出した。

 後ろからは、俺の足跡をぴったりトレースするように、ダボダボのパーカーを着た小柄な影がついてくる。

 ポケットに入った分厚い封筒の感触を確かめながら、俺は今日の夕飯の算段を立てていた。

 大勝ちしたとはいえ、元々は自分が労働で稼いだ金だ。無駄遣いする気はない。俺はバイト先の定食屋でいつものように一番安いご飯を頂くとして、後ろを歩く不健康極まりない幽霊……もとい、この少女には、奢りで何か温かくて栄養のある定食でも食わせてやろう。


「そういえば、名前、なんて言うんだ?」


 歩きながら尋ねると、斜め後ろからボソボソとした音が返ってきた。


「……た、玉田、クルミ……」

「クルミか。俺は愛原メグリ」

「……愛原、さん……」


 ぽつり、ぽつりと、言葉のキャッチボールとは呼べないような、石ころを転がし合うような会話が続く。


「学生だよな?」

「……だ、大学、一年です」

「ん?ああ、なんだ。一浪してるなら、俺と同い年か。よろしく」


 俺が何気なくそう返した瞬間。

 ピタリ、と。後ろを歩いていた足音が止まった。

 振り返ると、クルミがパーカーのフードを両手でギュッと握りしめ、幽霊を見たような顔で俺を見上げていた。


「……な、なんで、知ってるんですか……?大学一年生って言っただけで、年齢のことは一言も……」

「あっ」


 俺は思わず変な声を出してしまった。

 しまった。いくら俺の耳が現場仕込みのノイズキャンセリング機能を搭載しているとはいえ、パチンコ屋の爆音の中で彼女がブツブツと呟いていた一浪のルサンチマンを全部聞いていたなんて、口が裂けても言えない。完全にストーカーかエスパーの類だと思われてしまう。


「あー……いや、その……なんだ。すごく落ち着いてるというか、オーラがあったから、もしかして寄り道してきたクチかなって。なんとなくの勘だよ、勘」


 我ながら苦しい言い訳だったが、クルミは少しだけ目を丸くした後、なぜかホッと息を吐いて視線を足元に落とした。


「……愛原さんは、不思議」

「え?」

「……私、同年代の学生とは、怖くてまともに喋れないはずなのに。……あ、愛原さんとは、なんだかすごく、喋りやすい……」


 フードの奥で、彼女が少しだけはにかんだような気がした。彼女にとっては最大限の歩み寄りでありなのだろう。

 なのだが、声のボリュームはパチンコ屋の中にいた時から一切変化してない。静かな住宅街の道を歩いているというのに、彼女の声量は依然として耳元で囁く妖精レベルのままだった。十段階評価で言えば、一のまま微動だにしていない。


「……まあ、俺は学生じゃないからな」


 俺は歩調を緩め、彼女がついてきやすいように少しだけ歩幅を合わせた。


「十五の時からずっと色んな仕事してて、最近やっと一段落ついたんだ。だから、同い年とはいえ、お前が怖がってるような陽キャ大学生とは全然違う。どっちかというと、クルミよりもよっぽどレールから外れてる人間だよ」


 軽く自分の身の上を明かした。少しでも彼女の警戒心が解ければと思ったのだ。

 すると、クルミは顔を上げ、じっと俺の顔を見つめてきた。その目には、先ほどまでの怯えとは違う、奇妙な親近感が宿っていた。


「……私と同じ、日陰者……」

「失礼なやつだな。俺はこれから真っ当で明るい人生を目指すんだよ」


 俺が苦笑いしながら軽く睨むと、クルミは「……ふふっ」と、今日初めて、パチンコ以外のことで小さく笑い声を漏らした。


 それから数分後。

 俺たちは、駅前の商店街から少し外れた路地にある、こぢんまりとした定食屋の前に到着した。

 木製の看板には『食事処 にしめ』と書かれている。俺が普段から世話になっているアルバイト先であり、俺の胃袋を支えてくれている命綱でもある。最近になってかけもちしていた仕事を辞めた俺だが、ここで働くことは続けている。


 夕飯時のピークにはまだ少し早い時間帯。外から見る限り、店内に客の姿はないようだ。

 俺はクルミが後ろにいることを確認してから、ガラガラと引き戸を開けた。


「いらっしゃいませーっ!」


 戸が開く音と同時に、厨房の方から底抜けに明るく、元気な声が飛んできた。

 声の主は、オレンジというのが一番近い、ブラウンの短い髪を揺らしながら、ダスターを片手にホールへと出てきた少女──西銘キョウカ。


 この店の店長の娘。

 活発そうな飲食店特有の清潔感のある身なりに、太陽のような笑顔。先日出会ったレイナと似た髪型だが、彼女と違い、親しみやすい雰囲気を持って揺れている。


 だが、彼女の見た目で一番特徴的なのは、その目だ。

 二重のくっきりとした大きな瞳は、ただ可愛いだけでなく、射抜くような強い目力を秘めている。その真っ直ぐな視線で見つめられると、やましい隠し事など一瞬で見透かされてしまいそうな圧があるのだ。


「あっ、メグリくん!お疲れ様!」


 俺の顔を見るなり、キョウカの営業用の笑顔が、パッと花が咲いたような心底嬉しそうなものへと変わった。タタタッと小走りで近づいてくる。


「今日はバイト休みだよね?どうしたの、こんな早い時間から。もしかして、またお店の裏で勉強しに来たの?」


 距離が近い。弾むような声と、エプロンから漂う出汁のいい匂いに、俺は少しだけ照れくさくなりながら頭を掻いた。


「いや、今日は勉強は休み。ちょっと知り合いにご飯食わせてやろうと思ってさ。ついでに俺も食べに来た」

「知り合い……?」


 キョウカが首を傾げた、その時だった。

 俺の背中という絶対安全圏の影にすっぽりと隠れていたクルミが、「……おじゃま、します……」と、極小ボイスと共にひょっこりと顔を出した。

 重い前髪。血の気のない白い肌。太陽を憎むように深く被られた黒いフード。

 健康的で明るいキョウカとは、あらゆるパラメーターが真逆の存在。

 キョウカの大きな瞳が、俺の背後のクルミをしっかりと捉えた。

 その瞬間、太陽のような笑顔がピタッと静止した。

 持ち前の強い目力が、限界までカッと見開かれ、獲物をロックオンしたスナイパーのような鋭い眼光へと変貌する。


「……な゛っ!?お、女の子……!?」


 ポロッ。

 キョウカの右手から力が抜け、握られていたダスターが床へと落ちた。

 そして、美少女の口から出たとは思えない、蛙が潰れたような奇妙な声が、静かな店内に響き渡ったのだった。






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