5.恐ろしき――
ある冬の、冷え込んだ朝のこと。僅かに積もった雪に、この間メルと雪だるま勝負をして見事に負けたことを思い出し、一人笑う。
仕事用の、落ちきらないシミが付いたシャツに袖を通して玄関の前に立った時だった。目の前から音がして驚いた。ぼくがこの街に来てから、訪問者なんて一人も来なかったこの家のドアを誰かが叩いたのだ。
そっと開くと
「おはようございます」
「えっと、おはようございます」
いたのは、ありきたりな服装をした男二人。ただ、ここら辺では見ない顔なので何の用かと不審がると、二人は笑みを浮かべた。
「怪しい者じゃございませんよ。ただ治安維持の為に見回っているだけなので」
「はあ……」
「それでね、どうもこの辺りで魔女が出たという噂を聞いたんですよ」
「何でも、動物を大勢従えているとか」
「……!」
瞬間、背筋に嫌なものが走りドアノブを掴む手に無意識に力が入る。彼らはメルを探しているんだ。
「知っておいでです?」
「いえ、知りません」
「そうですか。ではお邪魔しました」
彼らは最後まで薄気味悪い笑みを浮かべていた。
彼らが家の前からいなくなったのを確認してすぐ、ぼくは外に出た。すると他にもいたのか見知らぬ男達が住宅街をうろついている。ぼくは気付かれないよう森の方へと向かった。
背の低い木が作る小さなトンネルは、大人の男が入ろうとすると狭い。ぼくはまだぎりぎり入れるけど、焦って所々に服を引っ掛けてしまった。多少ほつれたけど今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
いくつかのトンネルを走り抜けて、その先に見えるのはメルの家。動物達に手伝ってもらって可愛く仕上げたという、メルヘンなあの小屋だ。
冷えていたぼくの指先はすっかり熱が回って熱くなっている。
「メル!」
ぼくは日の下に出るなり叫んでいた。そのまま走っていって、勢いよくドアを叩く。
「無事⁉︎」
「おはよう。叫んでどうしたの?」
ドアを開けて、彼女はいつも通りに顔を出した。幸い、まだここに男達は来ていないようだ。
「メル、大変なんだ……!」
ぼくは説明した。出来るだけ簡潔に。するとメルの顔はみるみる内に曇っていって
「ま、待って!」
彼女は何も言わず家の中に引っ込んでしまった。
並べられた可愛い家具や、小鳥達の為の止まり木。いつもは明るく見えるそれは、曇天になってきたからか、くすんで見える。それらの間を縫いながらぼくは進んだ。
「メル」
彼女はキッチンの机の下でうずくまっていた。周りを動物達が囲い、心配そうにしている。
「……なんで。なんでわたし、追われなきゃいけないの。捕まらなきゃいけないの。何も悪いことしてないよ! わたし……ただ生きてるだけなのに。誰にも迷惑かからないように、森の中で一人で、生きてただけなのに……」
「メル……」
泣いているんだろう。ぽたぽたと水音がして、声も震えている。伸ばした手はどうしたらいいのか分からなくて、宙に浮いたまま。
「……メルは、魔女なの?」
「……もし、そうだって言ったら、あなたもわたしの死を望む?」
涙を浮かべて振り返った彼女は、真剣にぼくの目を見据えていた。どこかいつもと違う雰囲気で、不思議なオーラに押されそうになる。けれどぼくはしっかりと首を横に振った。
「そんな訳ない。死んでほしい訳が。だって友達だ。友達の死を望む奴がどこにいるの? ぼくはメルに死んでほしくない。だから知らせにきた。逃げよう、メル。この森から」
「……っゔん」
声が喉に詰まって殆ど発声出来ていなかったけど、メルはそう言って頷いた。
「わたし、動物の言ってることが分かるの。それでわたしも言葉を伝えることが出来る。植物の成長を速めることも出来るから、屋根裏でこっそり育ててた。外でやるとバレちゃいそうだったから」
動物達に手伝ってもらいながら、家中から必要最低限のものをかき集めるとぼくとメルはバッグに詰める。
「……信じてくれる?」
「信じるよ。誰かに言い付けたりぼくだけ逃げたりしない。どこまでも一緒に行くさ」
ぼくは食料や服を詰め終わったバッグを閉じて、メルに笑顔を向ける。
「……でも、あなたの絵を置いていくなんて。それに、あなたの家にある画材も」
「……それは、仕方ないよ」
ぼくは幼い頃から暇さえあれば地面に絵を描いて遊んでいた。描くことが、本当に楽しくて楽しくて仕方なかった。絵はぼくにとっての生き甲斐だ。画材は勿論、描いた絵が惜しいに決まってる。でも、メルがこの世からいなくなるなんて耐えられない。
「絵は新しい街でまた始めればいい。ほら、早く行こう」
「うん……」
名残惜しそうに家を見つめるメルに言って、ぼく達は外へ出た。
昔からメルと一緒だという小鳥が、彼女の肩に乗ってチュンチュンと言っている。他の動物達も何か言っていたけれど、メルを見ては一匹ずつ森へ帰っていく。お別れなんだ。ぼくも彼らに「さよなら」と言って手を振った。
最後に残ったのは、メルの肩に乗っていた小鳥。
「きみは行かないの?」
「一緒に来るって。行ったらいい場所を教えてくれるって言うから、取り敢えずは街に沿って森を行きましょう」
「分かった」
ただ、歩き出してすぐに、先を見に行っていた小鳥がバタバタと飛んできて彼女の指に止まった。何やら慌てている。メルの表情が曇った。
「何かあったの?」
「わたし達……もう見つかってるって」
「そんな!」
「わたしの小屋を取り囲むように、人が集まってきてる」
目線の先に人影がちらりと見えた。心臓がどくんと脈打つ。
ぼくがメルの所に行くのが遅かったのか? 奴らは一体いつの間にここまで……。バッグに色々詰めている間? それだったら身一つで飛び出してくるんだった。いやそれより、ぼくがもっと早く異変に気付けてたら……。
「反対へ逃げよう!」
「っでも、そっちにも人が」
「探すんだ! 生き残る道を。ぼくはまだ諦めない!」
そうしてメルの手を引いて、ぼくは走った。走り続けた。
……でも、結局ぼく達が小屋の周囲から抜け出ることは出来なかった。




