第十三章 風人たちの真実(二)
咲羅はスローモーションで動く景色を眺めていた。
わたしは何をしているんだろう。一人、安全なところで、戦わず、泣いて。みんな傷ついても動き続けているのに。強くなりたいなんて口先ばっかりで、守られてばっかりで。
臆病な自分が嫌いだ。非力な自分が嫌いだ。弱い自分が嫌いで、嫌いで、嫌いな自分のままでいたくなかった。
――くら。
固く目を瞑る咲羅の耳に、声が届いた。
――さくら。
聞いたことがない男性の声。でも温かくて、どこかなつかしい声。
――さくら。
(あなたはだれ?)
――我が名は翡靖。
(ひせい?)
――最後の風神。さくらの父だ。
咲羅は藍の目を見開いた。
(どこに……ずっとどこにいたの!)
――眠っていた。妻の雪凪は病弱でさくらを産む体力がなかった。だから、力を分け与えた。出産に耐えうるだけの力を。
(じゃあ、本当のお母さんは……)
――黄泉の住人となった。我も肉体を留めるだけの力は残っていなかった。だから、風原の学園長に頼んだのだ。塵のような奴らから、さくらを守るように。風原では代々、学園長だけが風神の存在を知っている。
(でも、そのせいで持之さんは!)
――ああ、悪いことをした。いい男であったのに。
翡靖の声が悲しみに満ちる。
(なんでわたしを学園に預けなかったの)
――それが雪凪の願いだった。風原と戦場は隣接している。そんなところに娘を送りたくないというのが、彼女の願いだった。
(でも、そのせいで……)
心の中で湧き上がる怒りに、咲羅は奥歯を噛み締めた。《黒》に紛れられない孤独感を思い出して、胸が痛んだ。
――さくらにはかわいそうなことをした。
(わたしの何がわかるの)
――わかる。ずっと見ていたから。
(さっき、眠っていたって言ってたじゃない)
――眠っていた。ただ意識は大桜とつながっていた。
(え?)
目の前で桜吹雪が降り注いだ。虚空から満開の大桜が現れ、澄み渡る青空に儚い花を捧げていた。その前には、月光を織り込んだかのような白銀の長髪と宝玉のように輝く翡翠の目を持った麗人が立っていた。着物まで白いものだから、背景から浮かび上がって見える。
この人が、わたしの本当のお父さん。
実感はない。ないのに、思わず咲羅は泣きそうになった。
――ずっと見ていた。聞いていた。それなのに、助けの手を伸ばせなかった我を許してほしい。悩みを聞いてやれなかった雪凪を許してほしい。
(そんな言い方……)
ずるいと思った。なぜ大桜に捨てたのか。名前を付けるくらいの愛情はあったのか。何度問いかけたことだろう。実幸と周助という優しい両親に恵まれながらも、心の底では埋められない空洞があった。もしも本当の両親が現れたら、十六年分の痛みと孤独を、刃のように鋭い恨み言に変えてぶつけてやろうとすら思っていた。それなのに……彼の目に宿る熱は愛でしかなくて、ずるいと思った。
咲羅は思いっきり目を擦った。一度は霞んだ視界がゆっくりと元に戻っていく。焦点があっていく。大桜が深く根を下ろすように、もはや揺れることはない地の上に咲羅はまっすぐ立った。
(……お父さん)
翡靖の眉がぴくりと動いた。
(わたしは強くなりたい。大切な人を守れるくらい、助けられるくらい)
翡靖は困ったように口元を緩めた。
――何百年生きようと、人の刹那の成長に敵わぬものよ。
大桜が薄れていき、代わりに奥社が姿を現す。翡靖は奥社を指差した。
――中に刀がある。
(刀?)
――そうだ。それで塵を斬るといい。心配せずとも、肉体を傷つける刀ではない。魂を弱らせたら、我が「上」に連れていく。もう二度と「下」で悪さできぬように。
(信じて、いいのね?)
翡靖は声を立てて笑った。
――慎重なところが、雪凪そっくりだよ。




