第十一章 敵の正体(一)
咲羅は暗闇の中で目を覚ました。雪原にひとり取り残されたような心細さが襲ってくる。まただ。学園脱出未遂で捕えられた時と同じ感覚がした。精霊の気配が感じられないのだ。
またあの牢屋に連れてこられたのだろうか。だとしたらなぜ――。
はたと、意識を失う前に起こったことを思い出した咲羅は飛び起きた。
「沙智!」
周囲を手で探る。床とすぐ近くの壁は板張り。自然の岩を利用した学園地下の牢屋とは違う。膝立ちで空間を移動する。伸ばした手が何かに当たった。木の感触。指を滑らせると、格子状の角材が一面に広がっていることがわかった。
ここはどこだろう。怪我を負わされた沙智はどうなった? 怪我を負わした亮は……。
格子に額を付け、暗澹たる思いに囚われていた咲羅の膝に、生温かい液体が触れた。格子の向こう側から流れてきている。
咲羅は震える手でその液体に触れた。指先ですくって鼻先に持っていく。鉄臭い。誰かの血だ。まさか――。
こつん、と足音が響いた。音がした右後方に目を向けると、揺らめく光が現れた。橙色の光はだんだんと大きくなる。血が流れてきた方向だけでなく、咲羅の右側の一面にも格子が広がっていることが分かった。
角から黒い影が伸びる。男のものだ。続いて、松明を掲げた腕が見える。その後、ようやく男の顔が現れる。
咲羅は瞠目した。
格子の向こう側に現れたのは、亮だった。
「委員長」
咲羅の声は怒りで震えていた。手のひらに爪を食い込ませても収まらない。この耐えがたい激情を、人は殺意と呼ぶのだろうか。
「あはっ、無様だなあ」
愉悦に浸る亮の視線は隣の牢に向けられていた。
咲羅は恐る恐る亮の視線を追った。沙智がうつ伏せで倒れていた。
「沙智!」
咲羅は沙智との間にある格子を両手で掴んだ。
「沙智、しっかりして!」
血溜まりができる量の血液が腹部から流れ出していた。沙智は微動だにしない。長い腕が力なく板床に放り出されていた。
「瞬炎のシャチがあっけないよな」
「なんでこんな酷いことっ」
咲羅の眼光に一瞬怯んだ亮だが、すぐに取り付くように鼻を鳴らした。
「復讐だよ」
「復讐?」
「そいつは僕の姉さんを殺したんだ」
咲羅は息を詰まらせた。
「咲羅も知っていたんだろ? そいつは粛清人。人殺しだ」
亮の目は憎悪に揺れている。
「もし……もし本当にそうだとしても、沙智には何か理由があったはずだよ!」
「理由があったら人を殺してもいいっていうのか? それなら、今すぐそいつの息の根を止めてやる!」
亮は松明を篝火台に放り込み、抜刀した。沙智がいる牢に近づく。
「何する気⁉︎」
咲羅は格子を激しく揺らした。
「無駄だよ。ここは《異空間》だ。才は使えない」
怪しく笑う亮の瞳孔が開いていた。
「沙智、起きて!」
亮が牢の鍵を開ける。錠前が床に落ちる。油の切れた蝶番が耳障りな音を立てた。
咲羅は格子の間に腕をねじ込んで伸ばした。松明に照らされた亮は影と一体化し、巨大な体躯をもって沙智を襲おうとしていた。
だめ、だめ! これ以上血を失ったら、沙智は!
「やめてっ!」
咲羅の憤激の叫びが、物理的な力となって溢れ出す。母を守ろうと目覚めた時と同じ、いや、それ以上の力が、咲羅の体から放出した。
力は暴風となり、目の前の格子と亮を奥の壁まで吹き飛ばす。壁に叩きつけられた亮は激しく咳き込んだ。
咲羅は無我夢中で沙智に近づき、その体に覆い被さるようにして、ありったけの力を込めた。




