第十章 隠された部屋(二)
咲羅たち五人は、大学部エリアに隣接した森の中で、円形の石井戸を囲っていた。
亮が竹製の井戸蓋を取り除くと、ぽっかりと深い闇が姿を現した。四人は同時に入れそうな大きな穴だ。吸い込まれそうな暗闇に身を震わせた咲羅は、隣の舞弥の顔にも同じ緊張の色を見た。
「本当にここに入るのですか?」
舞弥の問いに、亮が笑った。
「大丈夫だって。僕たちは何度も入っているから。言ったでしょ? もうとっくの昔に枯れた井戸で、今は地下通路に繋がってるって」
「聞きましたけれど……」
夕希が舞弥の肩に腕を回した。
「ビビリだな、舞弥は。そんな心配なら、あたしが一番に入ってやるよ!」
夕希はやはり怖いもの知らずだ。咲羅は夕希の何事にも臆さない精神を見習いたいと思った。
亮が井戸の縁を掴んでいた夕希の肩を叩く。
「頼もしいけど、僕が先に降りるから、後から付いてきてよ」
「えー、しょうがねえなあ」
夕希はしぶしぶといった様子で井戸から離れた。
「あの、降りると言いますが、ロープなどはあるのでしょうか」
「あ、そっか。舞弥と咲羅はまだ《浮遊》が使えないんだっけ?」
「……不本意ながら」
舞弥は悔しそうに眉を寄せて言った。隣では夕希が意地悪そうに口角を上げている。
「じゃあ、舞弥は僕が抱えるから、咲羅は成季に抱えてもらって」
「え?」
亮の提案を受け、咲羅は井戸を挟んで反対側にいる成季を一瞥した。成季も咲羅を見ていた。寮の前で集まった時に挨拶を交わした以外、まだ会話をしていない。彼と話せるチャンスだと思う反面、緊張した。
口を開きかけた咲羅だったが、先に夕希が吠えた。
「おい、あたしだって運べるぞ!」
亮が頬を掻く。
「でも、夕希の飛び方は荒そうだし」
「そんなことない!」
「人を抱えて飛んだことは?」
「ない!」
自信満々な夕希の返答に、成季以外の三人が一斉にため息をついた。
成季と接近するのは緊張する。でもそれ以上に、夕希に頼るのは危険だと咲羅は確信した。剣帯から春風を引き抜き、成季の隣に移動する。会釈程度に頭を下げると、成季も咲羅に倣った。
「よろしくお願いします」
「うん」
亮が舞弥を横抱きにした。
「じゃあ、行くよ」
心構えする暇はなかった。緑色の気が井戸の周りに取り巻いたかと思うと、亮が暗い穴に飛び込む。間髪入れず、夕希も地を蹴り、いつの間にか成季に抱えられていた咲羅も地下へと落ちていった。
地下通路は、間山の洞窟とは違って人工的に作られたものだった。ただし照明などはない。がらんとした無機質な白っぽい天井と壁と床が永遠に続いているだけだ。
亮と成季が受けた依頼は、この地下通路の地図を作成するというものだった。以前から継続的に受けている依頼らしい。亮が探索に出かけ、その結果を成季がバインダーに挟んだ紙に書き込んでいた。
学園地下は迷路のように入り組んでおり、今いる北西エリアだけでも、地図を書き込んだ紙は数十枚に及んでいた。テレビで見た都会の地下鉄のようだ。碁盤の目のように交差した通路を進んでいたかと思えば、突然行き止まりになる。通路の左右に鍵のかかった扉が並んでいる区域もあれば、地上に通じる階段が伸びている場所もあった。
夕希は亮とともに新たな道がないか探索に出かけていたが、咲羅は舞弥とともに成季の後ろをただ歩いているだけだった。話しかければいいのだが、きっかけが掴めなかった。
成季の猫背を眺めていると、舞弥に肩を叩かれた。顔を寄せると、耳元で囁かれる。
「もしもの時の備えは大丈夫ですわよね?」
咲羅たちはわざと歩度をゆるめて、成季と距離を取った。咲羅も小声で話す。
「うん。追尾香をミストにして振りかけてきたから、いざとなったら追ってもらえる。祥子さんから麻痺する香薬ももらったし、それに……」
咲羅は首にかけた犬笛をシャツの上から握った。
「私もホダじいに亮くんたちと合同で任務をすると話しておきましたわ」
「え、でも内緒にしてって」
「任務についていくとは言っていないから大丈夫ですわ。ホダじいもすべての任務の遂行者まで把握していないでしょうし」
咲羅は舞弥の要領の良さに感心した。
「舞弥も委員長になれそう」
「なんですか、それ」
「わたしも祥子さんに言ってくればよかったかな」
「四対一ですから、この場で何かということはないと思いますわ。ただ十分気をつけましょう」
咲羅は深く頷き、小さくなっていた成季の背中を小走りで追いかけた。
夕希の「腹減った」という訴えをきっかけに、一同は通路に座って昼食を摂っていた。
「人、通らないね」
咲羅が呟くと、隣でおにぎりにかぶりついていた亮が反応した。
「基本的には、非常時用らしいからね」
「その割にはきれいだよね」
床に埃は溜まっていないし、ネズミや虫もいなかった。
「清掃の依頼を受けている生徒もいるみたいだよ。何回かすれ違ったことあるから」
「そうなんだ」
影が揺れる。影の主である成季は、亮の向かい側でランタンの灯りを頼りに紙を整理していた。
ご飯を食べないのかと咲羅が気にかけていると、早々に食べ終わった夕希が、成季の手から紙を取り上げた。
「ちょっと見せてくれよ!」
「あ」
成季が抵抗する間もなく、夕希はランタンすら奪って距離を取る。それから、エサを強奪した猿のように背を向けてしまった。
「夕希がすみません」舞弥が母のように謝った。
手持ち無沙汰になったのか、成季はリュックサックからおにぎりを取り出して食べはじめた。
チャンスだ、と咲羅は思った。
「あの、成季さんは卒業後どうするんですか」
成季は大学部二年生。今年度で学園は卒業となる。取っ掛かりの質問としては、これが一番当たり障りないと咲羅は考えていた。
「風原にはいると思う」
「そうなんですね。大学部ではどんなことをしているんですか。大学部生の知り合いっていないから気になって」
「……授業を受けたり、本を読んだりする」
成季はそれ以上のことを語らなかった。物腰は柔らかいが、自分のことを開示しようとはしない。咲羅は心が挫けそうになった。結界符を破りましたか、なんて正直に聞けないし、これ以上質問を重ねても意味がないかもしれない。
そんな咲羅の思考を遮るように、夕希の声が響いた。
「おい、みんな! これ見てくれよ!」
夕希は床に紙を並べ、それらをつなぎ合わせていた。亮が近づき、咲羅と舞弥も興味を引かれて立ち上がる。成季も腰を上げた。
「何?」亮が尋ねる。
「ここ」
夕希は中心を指差した。
「地図の真ん中、学園の中心部分だけ空っぽじゃん」
確かに、複数の地図をつなぎ合わせると、円形の空白地帯が浮かび上がる。まるで何かを避けるように、通路が周囲を取り巻いている形だった。
ああ、と亮が頷いた。
「その辺りは通路がつながってないんだ」
「なんでだよ?」
「さあ。僕たちも地図を書いていて気づいただけだから。扉とかもなくて、中心部分には行けないんだよ。あ、そういえば」
亮が咲羅の方を振り返った。
「脱走者が連れて行かれるところは地下にあるって噂だけど、そうだった?」
牢屋の場所については口外厳禁だと祥子から言われていた。咲羅はしどろもどろになりながら答えた。
「入る時は意識がなかったし、出る時も目隠ししたまま延々と歩いたから、わからないんだ」
「そっか」
夕希の目が興奮で輝いた。
「なあ、行ってみようぜ! 秘密の空間なんてワクワクするじゃん」
舞弥が眉をひそめる。
「また始まりました。間山の任務で痛い目を見たことを、もう忘れたのですか?」
「あれはあれ、これはこれだろ!」
「またそうやって」
亮が二人の間に立った。
「まあまあ。僕たちもいるし、ちょっと見てみるだけなら大丈夫でしょ。まだ南のエリアで書かなきゃいけないところも残ってるしね」
「ですけど」
「成季もいいよね?」
成季が黙って肩をすくめる。反対はしないらしい。
結局五人は、夕希が指摘した中心部に向かった。途中で地図を書き記す作業も忘れない。しばらく歩くと、通路は緩やかに湾曲しはじめた。
「変な形だな」夕希が言った。「まるで中心を避けてるみたいだ」
咲羅も同じことを考えていた。何か重要なものを取り囲むように、通路が引かれているようだ。
通路の内側の壁を見つめながら歩いていると、咲羅はふと立ち止まった。何か違和感がある。
「どうしました?」
隣にいた舞弥が尋ねた。
「なんかこの壁、変な気がする」
亮が近づいてきた。
「変って、どんな風に?」
「わからない。でも、ここだけ何か……」
咲羅は恐る恐る手を伸ばし、壁に触れた。
指先が壁に触れた瞬間、咲羅は思わず悲鳴を上げそうになった。壁の表面が波打っていた。まるで水面に指を差し入れた時のように、咲羅の手を中心に波紋が広がっていく。
咲羅が手を引っ込めると、波紋はすぐに消えた。
「どうしました」
舞弥が心配そうに首を傾げるので、咲羅はますます目を見開いた。みんなには見えていなかったのだろうか。
「壁が、波打ったの」
他の四人が壁を見つめる。成季が静かに言った。
「《幻覚》だ」
「え?」
「水の才を使った《幻覚》。外から見ると普通の壁に見えるけど、触れると正体が現れる」
亮が壁に手を伸ばした。
「僕には普通の壁にしか見えないけど」
「触れる人によって反応が違うのかもしれない。もう一度試してみればはっきりするけど」
成季に見つめられた咲羅は自分の拳を強く握った。恐怖心が湧き上がったが、ここで引き下がれない。咲羅は壁にそっと手を近づけた。
「怖いなら無理しなくていいよ」亮が言う。
「ううん、大丈夫」
咲羅は深呼吸して、再び壁に触れた。やはり波紋が広がるが、今度は驚きを抑えて指を押し込んでみる。波紋の奥に、何か硬いものがあるのを感じた。
「何か、向こうに……」
咲羅が強く押すと、突然波打つ壁が消えた。代わりに、精巧な装飾が施された扉が姿を現す。
あちこちから息を呑む音がした。
灰色の石でできた扉には、複雑な模様が彫り込まれていた。咲羅の目線より少し高い位置には、左右の扉それぞれに片翼の形にくり抜かれた窪みがあった。翼の形は、風子学園の制服に刺繍されたマークとよく似ていた。扉が閉じられている今、両翼を広げたように見える。
「なんだよこれ……」夕希が呟いた。
咲羅は不思議な力に引き寄せられるように、翼の窪みに触れた。すると、自分の意思とは関係なく緑色の気が指先から放出された。風はどんどん強さを増し、咲羅たちの髪を後ろにさらう。成季が持つ紙束が音を立てるのがわかった。
密度の高い風へと変貌した緑色の気は、翼を形作り、窪みを埋める。そして、「カチリ」という小さな音がしたかと思うと、扉がゆっくりと開いた。
扉の向こうには、広い空間が広がっていた。《夜眼》を使っても薄暗く全体を見渡せないが、壁一面に本棚が並んでいることはわかった。
舞弥が囁くように言った。
「書庫、でしょうか」
「こんな場所があったなんて……」
成季が呆気にとられたように花色の目を丸くしている。今までで一番表情に変化があったように咲羅には見えた。
「とにかく、中に入ってみよう」
亮の言葉をきっかけに、五人はゆっくりと書庫の中へと足を踏み入れた。




