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ウィンド・マスターズ 異色の風使いたち  作者: 駿河晴星
第九章 土守の裏切り

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第九章 土守の裏切り(三)

 風原は、何年かに一度、定期的に魔物の侵入を許す。外人たちが騒ぎ立てるオリンピックのように、夢や期待、歓喜の声やスポーツマンシップはなく、あるのは、憎しみや絶望、断末魔の叫びや理不尽な虐殺だけ。そのあまりにも不幸な行事に、自分の祖父が関わっていると知ったときの心情を、あなたは想像できるだろうか。





 母屋の西にある渡り廊下を抜けた先に、十畳の離れがあった。固く閉ざされた引き戸をそっと開けると、文机に向かう祖父の真っすぐに伸びた背中が見える。日中は腰高窓からの光だけで生活するには十分であり、部屋の電気は消えていた。


 母屋から来れば幾分暗く感じる室内に入り、祖父の横に座ると、床の上に積まれた本の中から一冊手渡される。中国の歴史書だったり、軍記物語だったり、日本の神話だったり。およそ子どもが読んでおもしろいものではなかったが、なんでもいいから離れにいたくて、黙って渡された本を読んでいた。


 その習慣は、高等部に上がってからも続いていた。任務を受けられる年になってもずっと、自分の側で本ばかり読んでいる孫のことをどう思っていたのだろうか。祖父は何も言わなかった。とうに、家族のことは諦めていたのかもしれない。


 土守家は代々、持之の生家である的場家とともに、風原の守護を担っていた。的場の結界による静の守りと、土守の土の才を生かした動の守り。これらを組み合わせることで、風原は幾度となく魔物の襲来を退けてきたらしい。


 しかし、時は流れ、的場家で優秀な結界師と呼べるのは持之だけになり、また、土守家も弱体化の一途を辿っていた。


 当主の一人娘である母は、父が病死して以来、心を病み、母屋の二階で寝たきりになってしまった。正式な跡取りである兄は、外界に強い関心を示し、卒業したら風原を出ると言っては祖父と喧嘩をしている。俺は本の虫で家に引きこもってばかり。社交性のかけらもなかった。妹は六歳になったばかりで無限大の可能性を秘めているが、まだ幼すぎる。


 後から考えてみれば、祖父は、『風原の守護』というその重責を一人で抱えこみ、もがいていたに違いない。そのことから、唯一対等で、自分よりも有能な的場持之という男に心酔していた、もしくは、逃げ道としていたのではないだろうか。


 その逃げ道がなくなった時から、祖父はおかしくなった。


 まず、家に帰らなくなった。主を失った離れは冷たく、文机の上に転がった万年筆と床の上に無造作にうずたかく積まれた本が、この部屋の時を止めてしまったようであった。離れを訪れても、もう、今日の一冊を手渡してくれる人はいない。


 次に、新しく学園長に就任した霧立風牙氏と彼が創設したDクラスを批判している祖父の姿を目にした。同志を引き連れ、選挙で戦う外人げじんのごとく、学園の門の前で声高らかに演説を繰り返す。その目は、自分と同じ花色の目は、薄暗い離れに居た時よりもさらに昏く、光を失っていた。その生気のない目とはうらはらに、祖父の力強い声が響く、響く。悲しいほどに。


 なぜ、祖父はここまで新学園長を拒むのだろう。


 確かに、このころの霧立風牙氏の評判は悪かった。魔物狩りの名門・霧立家。その名に恥じぬ功績をあげていたが、それが帳消しになってしまうほど、彼は非情だった。裏切り者は、問答無用で粛清された。情報を吐かされた後は、その大半が、この世から追放されるのだ。


 しかし、そうしなければ、風原に危険が及ぶのも事実だった。だから、評判は悪かったが、彼が罰せられることはなかった。前学園長の遺言で新しい学園長に任命された時も、表立って反対する声はなかった。それなのに。


 家に寄り付かなくなった祖父に理由も聞けぬまま、前学園長の急逝から四カ月が経とうというころ、ついにあの夜がやってきた。





 風人暦宝風十三年十月二十三日。


 風原の里にいた風人たちは、かつて『風原の守護』と呼ばれた土守家の屋敷が、散り落ちる秋の葉よりも紅く燃え盛り、黒煙とともにすべてが消え去っていく様を目にした。


 俺が屋敷を見たのは、魔物の猛襲が止んだ二日後のことだった。間山を挟んで学園側にいた俺と兄は、すべてが終わった後ようやく他の野次馬に紛れて、変わり果てた里と、屋敷と、祖父と……そして、妹の成子を見た。


 祖父が犯した罪は、学園側で待機していた時から聞かされていた。ここ半年の祖父の様子を知っていたから納得はいった。衝撃は受けたけれど、すぐに覚悟はできた。しかし、成子のことは聞いていない。


 なぜ、成子だけなのだ。おかしくなった母も、屋敷にいた下男も下女も、みんな助かっているのに、なぜ成子だけが、あの愛らしい顔の形状も留めぬ姿で秋風の下に晒されているのだ。


 そこにあるのは、怒りだった。


 その感情は永くは続かなかったけれど、確かにあの時胸の内を占めていたものは、烈火のごとく激しい怒りであった。


 母は、年を跨いですぐ息を引き取った。すでにこちらの世界になかった精神でも、自分の父が罪を犯し、娘が幼くして死んだことは理解ができたらしい。ずっと、ごめんなさい、ごめんなさい、と、うわごとを繰り返しながらこの世を去った。


 兄は、その三カ月後、大学部を卒業して外界へ旅立った。医者を目指すのだという。祖父そっくりの低い声で、一言、すまん、と告げて風原を出た。


 無機質な日々が続いた。


 想像通り、裏切り者――加害者の身内は肩身が狭かった。あの夜を境にすべてが変わった。俺にとっては、毎日が魔物の襲来と同義だった。理不尽な攻撃が、あの離れの中で守られてきた繊細な心を切り裂く。


 風原から逃げてしまおうかと、何度も思った。しかし、その度に、自分の足元で無邪気に笑う成子がいる。だめだ。逃げてはならない。俺はここで生きなければならない。俺は、兄のようにはならない。




      ◆




 月のない夜だった。


 夜の象徴は隠れ、雲間から見える星だけがわずかに輝いている。灰色に覆われた空を見上げながら成季は、あの夜に思いを馳せる。今より肌寒くて、明るくて、熱かった、あの忌々しい夜に。


 森の中に入ると無明の闇だった。もはや星明かりも届かない。静寂と暗闇に包まれて、成季はひとつ息を吐いた。光がないことを厭う者もいるが、成季は逆に安心する質だった。光の中ではいろいろなものが見えすぎる。すべては徒事とじだ。闇の中で己の心内だけを見つめ何もせず終えていけるならば、それがもっとも幸福ではないか。


 しかし、成季の本能は自分自身を生かそうとしてくる。こうして今も、立ち止まることなく足を動かしている。なんと中途半端な人間なのか。母のように狂いきれず、兄のように割り切れず、ふらふらとここまで来てしまった。


 大きな池に着くと、すでに人影があった。


「遅かったな」


 影が言った。


「抜けるのに手間取って」


 正直に空を見ていたとは言えなかった。


「まあいいだろう。じん様が完全に目覚められるまであと少し。お前のすべきことは、分かっているな?」


「俺は――」


 成季の声は、飛び立つ鳥の羽音で掻き消された。

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